すみれが帰宅する日
それから数日をレオンと過ごした。一緒に木の実を取りに行ったり、魚釣りをしたりした。のんびり過ごしていた。
何事にも縛られない、何かをしなければならない事なんて一切なかった。でも段々、このままでいいのかと思う。平和だけど何か物足りない。平和って、それにどっぷりつかると見えなくなってしまう空気のようなものだと感じた。
龍たちは何千年も生きているって言った。人間の世界へ行ったり来たりして、手助けするという気持ちがわかる気がした。その時代のその人と係わり、一緒に泣いたり、笑ったりする。そしてそこから生まれる感謝や感動を糧に生きていたのだ。
すみれの来た時代には、あまりいないという話だ。それは人間たちがもう龍を必要としなくなったから。けれど、人間たちが感謝の気持ちを忘れてしまっているからかもしれない。
亜美が起きられるようになった。
なんとなく、すみれのことも覚えている。人間の世界に生きていたこともだ。けど、霧の里での娼婦館での記憶も同じように覚えていた。時々パニックになる。いきなり、悲鳴を上げるようになっていた。
「あの記憶だけを消すのは難しいって。本人があのトラウマを克服しなきゃ、どうしょうもないって言ってた」
そうか、これから亜美はそんなトラウマをかかえていかなければならないんだ。
「で、もう亜美は退院だ。明日の朝、すみれと亜美は元の世界へ帰る」
「ん、わかった」
そう言われてもちっともうれしくないのはなぜだろう。そんなこと、わかってる。帰るってことは、レオンとの別れを意味していた。
すみれは決心していた。今夜が最後なのだ。今夜こそ、レオンのモノになるって。
入浴中も食事の間もずっとそんなことを考えていた。きっとレオンにわかっちゃってるよね。
父ちゃんなんて、いつも食事になるとすみれの隣に座って、あれこれ、人間界の話を聞きたがった。けど、今夜はすみれがそんな雰囲気だったから、レオンの肩を叩いて、頑張れよと言い、早々に立ち去った。
さあ、レオンと二人きりで過ごす最後の夜。
いつもの洞窟に二人、座っていた。
レオンもいつもの感じではない。どこか緊張してるかのよう。すみれのドキドキが伝わっているらしい。
「あのさ、すみれ、実はな・・・・・・」
「いいの、レオン。今夜が最後。好きにして・・・・」
「あ、でもすみれ」
「いいんだってば。せめて暗くして・・・・」
「うん、まあ、それはいいけど、」
レオンはまだすみれの側に座ったままだ。いつもなら、すみれを抱き寄せ、そのまま眠る。
「なによ。はっきり言いなさいよ。さては、私を抱くことに嫌気がさしたとか?」
「そんなことない。けど、ちょっとすみれ、勘違いしてるみたいだからな」
「え、勘違いってなにを」
「明日、僕もすみれと一緒に人間界へ行くんだぞ」
「・・・・・・えっ」
「僕さ、一度も龍の谷へ帰ったら、ずっとここで暮らすなんて言ってないよな。それをすみれがしきりにそう言うから、そういう事だったっけなんて思った。けど、父ちゃんも言った。すみれと一緒に行って、人間界を見て来いって」
「えっ、レオン、私と一緒にきてくれるの?」
すみれは満面の笑みを浮かべ、レオンに抱きついた。
もうこのまま会えないと思っていた。別れなくてもいいんだ。
「そして、すみれのお姉さんももう心配ないってさ。さっき、うちの医療チームがそういう報告を受けたって言ってた」
「どういうこと? お姉ちゃんはここにはいないよ。人間界の病院だよ」
「だからさ、ここには人間界へ行く洞窟があるだろっ。うちの医療チームは人に化けて、お姉さんのいる病院へ入り込んでる。そのスタッフが、ずっと昏睡状態だったお姉さんを目覚めさせるってこと。たぶん、すみれが病院へ行くときには気がつくってさ」
「それって、本当?」
お姉ちゃんが目覚める・・・・。そんなにうれしいことはない。
また、すみれがウルウルしている。
「ったく、また泣くのかよ」
レオンはそう言いながらもぎゅっとすみれを抱きしめた。
「ん、だから、一応、今夜が最後の夜じゃないってこと。それでもいいんなら、早速、すみれをいただきますけど・・・・・・」
あ、どうしよう。そのつもりだったのに。
レオンがすみれの迷いを感じ取った。
「いいよ。これからすみれの遠縁ってことで一緒に住むから、チャンスはまだまだある」
「え、そんなこと、もう決まってたの」
「もちろんだよ。急に今まで存在しなかった人が現れたら不審に思われる。もう先にタイムトラベラーズチームがすみれの周辺に行って、そういう記憶をみんなに植え付けている。まあいわば洗脳ってやつ。だから、僕は竜谷礼音ってことで、すみれと同じ高校へ通うんだ。すみれのお父さん、息子ができたって喜んでる。」
なんかすみれのことなんか無視して勝手に話が進んでいたらしい。まあ、いいけど。レオンとこれからも一緒に暮らせるんだ。そして姉が目覚める。
「じゃあ、明日はレオンも一緒に行ってくれるのね」
「うん」
「うちに住むのね」
「そうだ。よろしく」
「そのミノの顔で?」
「いいじゃん。髪型を変えれば誰もわからない。そんなもんだ」
うれしかった。涙が出てきた。レオンがそっと抱きしめてきた。くちびるが塞がれる。
「もう少しすみれが大人になったらな」
レオンが意味ありげに言う。
「それって子供っぽいってこと?」
「うん、すぐに泣くし。涙をもう少し我慢できるようになったらな。それまでお預けだ」
泣き虫のすみれが、泣かなくなる日がくるのか。
龍の谷での最後の夜は、いつものようにレオンの腕の中で眠った。
龍の谷を去るときがきた。
レオンの父ちゃんたちによくお礼をいう。
「お世話になりました。本当にありがとうございました」
「いえ、とんでもない。こちらこそ、レオンをよろしくお願いします」
父ちゃんはにこやかに言う。
「まあ、私も退屈、あ、いや、心配になったらレオンの様子を見にそちらへ出向きますから」
「え、あ、そうなんですか」
レオンが渋面を作る。
「よしてくれよ。大丈夫だからさ。本当に人間好きなんだから」
「あ、あのう。お父さん、もしいらして下さるのでしたら、その夏潤の姿では若すぎますから、もう少しお父さんらしい年齢の姿でお願いします。みんなが驚きます」
すみれは、夏潤の姿で現れて欲しくないと遠まわしに言ったつもりだった。しかし、父ちゃんは次の瞬間、四十代くらいの夏潤の姿になった。
老けた夏潤、見たくなかったかも。
亜美は洞窟の前で待っていた。元気そうに見える。相変わらず美人だけど、今までとどこか雰囲気が違って見えた。前のようにとげとげしさがない。どこか寂しげだけど、柔らかいオーラに包まれている感じだ。
「壮絶な経験で、人の痛みがわかるようになったんだろう。でもちょっと過激すぎたよな」
洞窟の中を歩いていた。三人が並んで歩く。
レオンが言った。
「なあ、亜美にあの時の体験は全て夢だったってことにしたら、少しはよくなるかもしれないぞ」
思い付きらしい。でもすみれも賛成した。
亜美は、目の前の暗闇が怖くて、時々途中で立ち止まった。前へ進めなくなるのだ。
すみれはそんな亜美を抱きしめて言った。
「亜美、夢だったんだよ。あれは全部夢。悪夢。夢、夢、夢」
「夢?」
初めて亜美が口を開いた。言葉を発した。ずっと言葉が出なかったのだ。トラウマからなのだろう。
「そう、夢。夢だったの。怖い夢、でももう大丈夫。うちへ帰るの」
「うち、帰る。夢」
「そう、夢、夢、夢、夢、夢・・・・」
すみれは嬉しくなって、ずっと「夢」と言い続けた。洞窟の中をその声が反響し、夥しい「夢」が降ってくるかのように三人を襲うことになる。
「うるせえっ」
レオンがたまらなくなって叫ぶ。
「なによ、いいじゃない」
亜美は口の中でブツブツと夢だったとつぶやいていた。
家へ帰って、以前の生活になれば、本当に夢だったと思える日がくるかもしれない。
洞窟の向こうに、陽の光が見えた。
これからはレオンと一緒に暮らすのだ。どんな生活になるんだろう。姉が回復しているらしい。そうなれば、父も家にちゃんと帰ってくるだろう。寂しかった独りぼっちの暮らしが嘘のようになる。
すみれがレオンに寄り添うと、レオンがすみれを抱き寄せて、と言った。
「すみれ、会えてよかった。これからもよろしく」
うんとうなづいた。
一応、これで完結ですが、どう考えても人間界でのレオンとすみれ、続きがあるでしょう。




