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父ちゃんと爺がいる龍の谷へ

  吉野の持つ青い炎だけが頼りだった。真っ白の世界。自分の足元も見えないほどの霧。吸い込む空気も湿っている。青い炎だけが知っている霧の里の道。

 すみれたちは炎が照らすその先を無言で歩いていた。


 すみれはもうずっと泣いていた。泣きながら歩いている。吉野も、もちろんレオンもそのことを知っている。でも幸いなことに誰もなにも言わないでいてくれる。亜美が哀れだった。一緒に迷い込み、一緒に連れられてきた。それなのに、亜美だけがこんな扱いを受けていた。


 亜美はブラッケンの血で、脳がぶよぶよになっているらしい。すみれにもわかる。そんな状態になった脳を、すみれの世界の病院でも治せないことくらい。けれど、あのまま放ってはおけなかった。だって亜美はまだ生きているんだから。


 後ろからついてくるレオンが、時々ものすごく重いため息をつく。それは、ずっとすみれが泣いているからだ。もういい加減にしろよと言いたいのだろう。でも、レオンはもっとすみれの心がわかっている。なにしろ、すみれの頭の中が自由自在に見えるんだから。


 すみれもわかっている。いくら泣いても以前の亜美は戻ってはこない。そんなことわかっていても、泣きたいんだから仕方がない。

 この真っ白い霧の世界にいる間は、誰にも泣き顔を見られない。泣いてもいいんじゃないかって思う。


 霧の里は広く、長い道がくねくねと曲がり、いくつもの分かれ道がある。本当にこんなところに放り出されたら、彷徨い歩いて、ついには野垂れ死にだろう。


 しかし、そんな頼もしい吉野の青い炎が、弱くなってきていた。まだ、真っ白な世界だ。こんなところで炎が消えたら・・・・・・。

 たぶん、皆がそう思っただろう。無言で足を速めていた。そしてやがて、炎が消えた。もう何も見えない。後ろにレオンがいるのかもわからない。


「やっ、これはしまった。いかが致そう」

 吉野が初めて切羽詰ったような声をあげた。

 そう、声だけが頼りだ。

「ねえ、レオン。いるんでしょ。どうしよう。この先、まだまだ続くの? 帰れるの?」


≪ん、僕にもわかんないけど、たぶん、ああ、大丈夫。霧の里をもうすぐ抜けるところだ≫


「あ、よかった。そうなの?」


≪うん、霧はまだすごいけど、身体が軽くなっている。これってもうこの周辺にはキコの木があまりないってことだよ。あの木がなければ僕は空を飛べる。この霧の里を抜けられる≫


 すごいって思った。今まで龍なんて存在が友達にはいなかったけど、この時ほど、レオンが味方で頼もしいと思ったことはない。


 レオンがちょっと残念そうな思考を送ってくる。


≪そうなの?≫


「だって、今までのレオンったら、檻の中でぐうたらしているだけだったじゃない。こうして亜美を抱っこしてついてきてくれるだけでも見直してたのよ」


 レオンは吉野にも思考を送っている。だから、すみれはその返事を声に出していた。それで会話が聞こえるから。


「うむ、拙者もレオン殿はいつもやる気がない、かったるい、寝ている、そんな印象であった」


≪チェッ、なんだよ二人とも。仕方がなかったんだ。あのキコの木の下じゃ、全然力がでないし、なにかをしようとする気力も失われていたんだから。さあ、そんなことより、僕の背中によじ登って、そして捕まってて≫


 吉野がすみれに手を貸してくれた。よいしょって感じで龍の背中によじ登る。そのすぐ後ろに吉野も乗る。大きな鱗を掴んだ。

「ねえ、大丈夫? 痛くないの」


≪全然、風の抵抗を防ぐために体を寝かして、しっかり捕まってるんだよ。いいね。飛ぶ≫


 すみれは手に力を入れる。吉野がすみれに覆いかぶさるようにしてくれるから、安定感がある。亜美はレオンがその手に抱いたままだ。

 映画のように、いきなりキュ~ンて飛ぶのかと思ったら、ふんわりと上昇していく。すみれの目の前の鱗の中から翼が出てきた。それも巨大な傘を広げるようにして、ばさりと広がった。

 レオンの体は、霧を巻き上げ、どんどん上へあがっていく。霧の上へ出るらしい。数キロメートルは上へあがった感じだ。空気がものすごく冷たい。


≪ちょっと我慢して。霧の里を出たらもっと低く飛べる≫


「わかった」

「あい、承知」

 吉野も手に力が入った。


 レオンの翼が動く。もう少し上まで上がり、やっと霧から抜けた。下は真っ白な靄に包まれている広大な地。まだまだ先の方まで白いモノがある。

 そのまま飛び、霧が見えなくなるとレオンは急降下した。受ける風が段々と温かくなる。ジェットコースターに乗っているみたいで爽快だ。

 レオンは木々の少し上を飛ぶ。眩しいほどの光、久しぶりに見る太陽、明るい世界だった。


≪ねえ、このままどこへ行くの? 吉野さん、どうやって帰るの≫


 叫んでも声が届かないだろうから、思考を送った。


≪とりあえず、僕の故郷へ行こう。そんなに遠くないよ。まあ、人間の足だったら三年はかかるだろうけど。あ、ちょっとその前に一か所だけ寄り道していいかな≫


 すみれにはすぐに、ミリアという魔女のところだとわかった。それほど遠くないらしい。


 レオンは急旋回して、空を飛ぶ。目の前にうっそうと緑が茂る壮大な森が見えてきた。その中に赤い木がたくさんあるスポットがあった。

 森の中にその部分の木が紅葉しているのだ。普通ならあり得ない。でもすぐにそこがミリアのいるところなんだってわかる。


 レオンはその赤い木々の上にピタリと止まった。下へ降りないで、そのまま思考を送っているらしい。

 レオンの顔がゆがんだ。どうやら笑っているらしい。


≪もう行くよ。悪かったね。ミリアは日に日に元気になっている。落ち着いたらここへ遊びに来るって約束したから。じゃあ、僕の谷へ行こう≫


 レオンの飛行でも半日を要していた。遠くないって、近くもないじゃないのと突っ込みたかった。

 初めは吉野は、空を飛ぶことに驚き、びくびくしていたが、すぐに慣れ、そのスピードに喜んでいた。本当にこの人、かわいい大人。


 やがて、先に険しい山があり、その間を練って飛ぶとその谷間にレオンは着地した。


≪着いたよ≫


 すみれと吉野がレオンの背から降りる。かなり緊張していたらしいから、手や足が硬直して、うまく歩けない。

 その谷は本物の龍が住んでいるのか。


≪龍っているの? どこに・・・・私達を食べないでしょうね≫


 恐る恐る聞く。


≪大丈夫。ここの龍はそんなに飢えちゃいない。まあ中には人間好きな龍もいるけど≫


 レオンの言う人間好きな龍とは、人間の肉が好きなのか、それとも人間自体が好きなのか、わからない。けど、そのことに触れないことにした。


≪龍なんていないじゃない? 寝てるのかな≫


 そう思いながらドキドキしている。レオンの龍の姿には慣れているが、他の龍は怖いかもしれない。


≪目の前にいるよ。あ、そうか。見えないんだ≫

 ぎょっとするようなことをレオンが言った。また、見えない? すぐそこにいるのに、それが見えないってこと、怖い。


≪人間って不便。爺、そこの木の実を取ってくれ、吉野さんとすみれに喰わせて≫


 爺って言った? ねえ、今、爺って言ったよね。誰、それは誰なの。すぐそこにいるのね。

 ちょっとしたパニックに陥る。さらにリンゴに似た赤い実が宙に浮き、それがすみれと吉野に渡される。

 吉野もぽかんとしていた。


≪その土地のモノを食べないと見えないんだ。ほら、最初すみれも霧の里の様子、全然見えなかっただろう。キコの実を食べたら見えてきた。それと同じ。それを食べれば、皆が見えるってわけ≫


 そう説明されて納得がいった。

 吉野と目を合わせて、その実をかじる。ほんのり渋いが、その実はジューシーで甘い。おいしかった。そういえばお腹が空いている。一口が二口になり、あっという間にその実を食べてしまった。


 その谷の風景が全く違って見えた。ただの山間にある険しい谷にしか見えなかったが、そこにはたくさんの龍がいた。それもレオンよりずっと大きい。レオンが四メートルなら、他の龍は六メートル、いやそれ以上のものもいる。

 うようよいた。


 レオンの言う通りだった。本当にすみれたちの目の前にもかなり大きな銀龍と青龍がいた。


≪父ちゃん、爺。迎えに来てくれたんだ≫


 えっ、どっちが父ちゃん? ぎょっとしていると、銀龍の方が人間に姿を変えた。レオンのように素っ裸ではなく、騎士のような長い上着を着ている。肩までの長い髪。恭しくすみれたちに一礼する。


「わたくしはアーサーと申します。レオンの父です」


 そう言って、レオンの父ちゃんは顔をあげる。

 すみれはおもわず、口をふさぐ。しかも両手で。叫ぶところだったから。

 レオンの父ちゃん、銀龍が化けた人間の姿は、グループAの夏潤なつじゅんだったからだ。ミノと同じグループのリードギター、夏木潤がそこにいた。


 なんで、なんで夏潤がここにいるの? 興奮でキャ~と叫びたい。

 

 さらに、隣にいた青龍も姿を変えた。そっちは真っ赤できらびやかな羽飾りのついたステージ衣装。その顔は同じくグループA、キーボード担当ののジョーだった。う~ん、この衣装、すみれの部屋にはってあるハワイ公演でのポスターの衣装だ。

 もう、誰か、どうにかして。なんで夏潤とジョーまで。

 すみれはパニックに陥る。興奮して、跳ねまわる。

 ああ、このまま死んでもいい。泡吹いて、気絶してもいいですか?


 けど、ジョーが年寄り臭い言い方で言った。

「レオン様に幼いころからずっとお仕えしておりますギアと申します。爺とお呼びくだされ」

「えっ、じい?」

 ジョーじゃなくて、じい・・・・・・。ああ、そうそう。目の前にいる夏潤とジョーは龍が化けているんだった。

 ジョーの顔で、爺だなんて。ショック。それにこの真っ赤な衣装。場違いにもほどがある。


 まさかとレオンを見るとやはり、ミノの姿になっていた。こっちは相変わらず、素っ裸。ニヤニヤしてすみれを見ていた。

「父ちゃんも爺も二千年以上生きてるから、自由自在に姿を変えられる」


 それはいい。人間の姿になってくれた方が話しやすいから。けど、なんで。なんですみれの好きなグループAばかり。


「父ちゃんと爺は人間好きなんだ。時々、人間になって遊びに行ってるよ」

「ねえ、そんなことよりもなんでお父さんも爺さんも、夏潤とジョーになってんのよ」


 すみれが睨みつけた。レオンは全く悪びれる様子なく、淡々と答えた。

「ああ、そんなことか。二人ともすぐにすみれの頭ン中見て、好みの姿に変えただけ」

 やっぱりって思った。レオンもすみれの頭の中にいるミノを見つけ、その姿に変えた。そしてレオンの父ちゃんも爺も同じことをしたんだ。

 この親にしてこの子あり。

「全くもう、なによっ。みんなで勝手に私の頭の中を覗かないでよ」

 

 すぐに父ちゃんの方が謝った。

「すまなかった。人の頭の中を覗いてはいけないなどと知らなかったのです。なかなか姿見のよい男性のイメージがあると思って、つい」

「爺も謝ります。この爺に免じてどうか・・・・」


「あ、いえいえ。大丈夫です」

 そんなに恐縮されてもこっちの方が困ってしまう。


 本当に反省しているのか、さだかではなかった。謝っているが、二人とも相変わらず、夏潤とジョーの姿のままでいる。まあ、いいかって思う。


「でもさ、なんでレオンだけいつも裸なのよ」

「僕は・・・・まだ経験不足だからな。すみれがいつも目をそらす部分、股間だけを隠すんだったら、もっと毛むくじゃらにしようか?」


 それを聞いて、もうすみれは当分の間、レオンと口をきくのをやめようと思った。女心がわかっていない。毛で隠すのではなく、何かを纏えって思う。


 

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