レオンの知り合い
翌日。
猫少女がブラッケンに何か言ったらしい。
すみれの檻の前には、もう一つ看板が増えていた。
「非売品」「売るのは血のみ、一人20CC、一晩十人まで」「十六年モノの生娘」「オーガニック」「餌を与えるな」
笑える。すみれがこの檻にいてくれるだけで、毎晩のように何かが起こっていた。おかげで全く退屈しない。
その夜もすぐに完売になった。
猫少女が、十人目の魔女にその血を渡す。そして、金貨を手に、地下室へ下がっていった。ブラッケンに渡してくるのだろう。
猫少女がそこからいなくなると、こそっと、先程、血を買った十人目の魔女が戻ってきた。
何か忘れ物か、それともすみれに用事? 最近、毎晩のように、野獣たちが面倒を起こすから、ちょっとすみれが緊張していた。レオンもそっちの方に意識を向ける。
しかし、その魔女はすみれの後ろにいるレオンに用事があるようだった。
「レオン、レオンだね」
ずっと閉じていた目を開ける。
その魔女の思考が入ってきた。この魔女は、キーラ。ミリアの友達だ。
「ミリアがね、目を開けたんだ。意識が戻ったんだよ。レオンのこと、すごく心配していた」
≪ミリアが? ああ、よかった。無事だったんだね。嬉しいよ≫
レオンはむっくりと起き上がった。キーラを良く見ようと頭をあげる。しかし、ガシャンという重い鎖の音。そうだ。レオンの首には太い鎖がハマっていた。今までそれほど頭を動かしたことがなかったから、自分の状況を忘れていたのだ。
「谷底から一里先まで流されていた。気を失っていたからあまり水を飲まなかった。それが幸いした。ずっと眠ったままだったから、心配していたけど、もう大丈夫。それだけを伝えたくてね」
≪ありがとう。それを伝えに、わざわざこんなところまで来てくれたんだ。ミリアによろしく言っておいて。そして、僕のことは心配いらないからって≫
「わかった。そう伝えておく。あたしはね、ミリアに頼まれて、このことだけを伝えようとここまできたけど、驚いたよ。こんなところで、生娘の生き血を売っているなんて。これさえあれば、ミリアはすぐに元気になる」
ここでの会話は、すみれにもわかるように、その思考を送っていた。すみれは何も言わないが、自分の血にそんな効能があるのかと感心していた。
≪よかった。気をつけて≫
魔女は大きくうなづき、足早にその場を去った。
レオンはその安心感に、また寝そべる。瞼を閉じると、あのミリアのきれいな姿が浮かんでいた。
すらりとした長身、緑と赤の長い髪。いつも中世ヨーロッパを思わせるようなドレスを着て、穏やかに笑みを浮かべていた。ちらりと聞いた話では、昔、どこかの国のお姫様だったそうだ。侍女の中に魔女がいて、幼いころからいろいろ教えてもらっていたらしい。年頃になると、無理やりどこかの国の王子と結婚させられそうになり、それが嫌で逃げて、魔女の修業学校へ入ったとか、なんとか。
あちこち放浪の旅に出ていたレオンは、ミリアの経営する喫茶店が気に入り、二年ほどそこに世話になっていた。ミリアの喫茶店は、春のみ開店する期間限定営業。人間界とつながっていて、魔界からも人間の姿になって、訪れるほど人気な喫茶店だった。毎日大賑わいで、レオンもその喫茶店に出すフルーツや野菜の栽培を手伝っていた。
夏になると、店を閉めたミリアはいろいろな薬の開発に精を出す。ミリアの研究は、もっぱらアンチエイジングだ。その薬を取り入れて、栽培するイチゴやラズベリーなどを成長させる。それを食べれば若返るということで、人間のメスに大人気だった。
それを知っていたから、レオンは自ら自分の血を差し出した。お世話になっているミリアの研究のため。
そんな平和なある日、ブラッケンがやってきた。レオンの噂を聞きつけてきた。巷では、龍の肉を食べると不老不死になれると噂されている。しかし、本物の龍なんて、一介の魔の使いでしかないブラッケンに掴まえられるわけがない。それで比較的小柄な半龍であるレオンに目をつけたのだ。
ブラッケンは、ミリアの喫茶店に踏み込んできた。そして、言うことをきかないとミリアを殺すと言った。それでレオンはおとなしくブラッケンの檻に入った。その直後、ミリアは谷底へ突き落とされていた。レオンさえ、捕獲できれば、ミリアにはもう用はないということ。
久しぶりにミリアのことを思い出した。もうミリアはこの世にいないと思っていたから、うれしかった。ほっとしていた。
レオンはミリアと一緒だった時の楽しかった日々を思い出していた。だから、そのことに気づかなかった。
キーラがその場を去ったすぐ後ろに、誰かがいた。普段なら、おかしいと気づいただろう。だって、その魔物は、何も考えていなかったからだ。ただ、誰かがいる、そんな気配だけがあった。
レオンは、ミリアのことを考えていたから、それほど不自然にも思わなかった。
その者は、すみれに近づいていた。すみれはその者の目を見て、思考を失った。だから、おかしいと思った。いつもなら、途切れることなく、いろんなことを考えているすみれ。人間って本当に忙しなく、いろんなことを心配し、くよくよしたり、他愛ないことを考えたりする。
ついさっきまで、すみれは、お姉さんの分のチョコレートを食べていたのに、食べていないと嘘をついたとか、お姉さんの日記を盗み読みしてしまったとか、そんなことを思い出して、くよくよしていた。
まるでつけっぱなしのテレビのよう。そんなすみれが突然、静かになった。それは考えられないことだ。人間がなにかを考えることをやめるということは、死ぬ時か、誰かにその思考を支配された時ってこと。
静かすぎた。ふと目を開けた。
すみれが檻のすぐ間近に立っていた。夢遊病者のように、なにかに憑りつかれたようなふらふらした足取りで、檻に近づいていた。もう外の野獣、魔物たちと係わることに懲りていたはずだ。
魔物も檻の向こう側に立っていた。その黒いマントを深々とかぶり、口元しか見えない。すみれはその者の方へ手を差し伸べていた。
なんだ、こいつ。思考がない。頭の中にはただ、暗闇だけ。そんな魔物、いるのか。
すみれの手が、檻の向こうへ伸びる。その瞬間、魔物が口を開く。それは大きく真っ黒。鋭い牙が見えた。
レオンはとっさに鳴き声を出す。
地面をとどろかせるような低い音とキイ~ンという複雑な金属音などが混じった声があたりに響いた。
その鳴き声は、ほんの十秒だけ聞こえたすべての生き物の動きを止めることができる。もちろん、魔物も逃れられない。すみれが差し出した手に魔物が咬みつこうとした瞬間だった。
レオンは尻尾の先ですみれをくるみ、ぐいっと奥へ連れていく。
十秒後、皆が我に返った。すみれはレオンのとぐろの中で、パニックになっていた。
≪大丈夫。大丈夫だよ≫
レオンの鳴き声で、地下からブラッケンと猫少女が飛び出してくる。
「何事だっ」
小男がちょうど見ていたらしい。魔物が近づいて、すみれの手に咬みつこうとしていたと報告する。
「なにっ。危なかった。あいつに咬みつかれていたら、血が穢れてしまっただろう。あいつはバンパイアだ」
すみれは体を震わせる。
≪吸血鬼だったんだ。視線を合わせて相手をコントロールする。そして血を吸うんだ。初めて見た。すっげえ≫
≪咬まれていたら、バンパイアになっちゃうの?≫
≪そこまで単純じゃない。転生するなら、少しづつ血を吸われ、最後に吸血鬼の血を飲む。そして一度死ぬ。生き返ってから獲物の血を吸って、初めて吸血鬼の誕生≫
「レオン、でかした。よくあの吸血鬼を追い払ってくれた。お前でも同じ檻のよしみで情が湧いたか」
ブラッケンは勝手に解釈して喜んでいた。
「人間の姿になったら、いいモノを食わせてやる。どうだ、うまいモノ食べたいだろう」
そんなことで人間になるんだったら、もうとっくの昔になっていただろう。それでもすみれの身辺の護衛は、レオンがいるからと安心されていた。いいんだか、悪いんだかだ。
≪レオン、助けてくれてどうもありがとう≫
≪あ、もっと早く気づいてやればよかったって思ってる。でも間に合ってよかったと思う≫
≪うん。今度、ミリアっていう人のこと、教えて≫
≪わかった。ミリアは人っていうか、魔女だけどね≫




