すみれと野獣の仔どもたち
ふと見ると、檻のすぐ目の前に、野獣の仔たちが集まって、すみれを見ていた。ヒョウの頭の女の仔、オオカミの頭と熊の頭を持つ男の仔たちだ。それぞれ、なにかポリポリ食べながら、物珍しそうにじっと見ている。
≪人間が珍しいんだよ≫
≪あっそっ≫
なんだか動物園に入れられた気分。
そのうちの一頭と目が合い、にっこり笑いかけてきたから、すみれも笑い返す。
猛獣の仔が二本足で立ち、人のように手で何かを食べている、そして笑いかける。そんなしぐさも表情もかわいらしい。
「ねえ、人間だって」
「うん、毛がなくてツルツルしてる」
野獣の仔たちの会話が聞こえていた。
「この人間、オスかな? メスかな」
「あ、お母さんが言ってた。人間のメスは胸が出っ張ってるって」
一頭の一言で、三頭の視線がすみれの胸に集中していた。
なんか、いや。この視線、子供の方が辛辣なことを言うことを知っていたから。
「胸、ぺったんこ。オスだ」
「うん、オス」
「なんだ、オスか」
三頭が口々にそう言った。
やっぱりって思う。
後ろでレオンが笑い、すみれは憮然とした顔で、目の前の野獣たちを睨みつけていた。
悪かったわね。どうせ、成長不良ですよっ。
「ねえ、この子、あの龍の餌?」
「うん、そうだよ」
「餌か」
「どうやって、食べるんだろう」
「頭からじゃない?」
「うん、僕も食べるなら頭からがいい」
「早く食べないかな」
「うん、早く食べるとこ、見たいね」
そんなことを話している。すみれがその言葉を理解していないと思っているみたいだ。仔どもの戯言だと思って聞き過ごしている。すみれも随分、大人になったって思う。
その野獣の仔ども、三人はそれぞれおいしそうに何かを食べていた。そのうちの一頭がすみれに手招きをする。
すみれはなんだろうとばかりに、一歩、檻に近づいた。
ポリポリと食べている物の袋を差し出してきた。
ああ、お菓子を分けてくれるってこと。
すみれは首を振る。野獣の仔になにかもらうなんて、なんか怖い。
「おいで、おいで。これ、すごくおいしいよ。一つあげる」
「ああ、だめ。僕のをあげるんだから、ねえ、おいで。僕のを食べてね」
「違うよ。この人間は私のを食べるのよ。ねっ」
それぞれが、自分の袋のお菓子をすみれに食べてもらいたがっていた。ちらりとその袋の中身を見る。大きめのポップコーンみたいなのと、カップラーメンのように器の中の麺のような物。そして、丸いたこ焼きのような物を持っている。
すみれが仔たちに向かって屈みこんだから、三頭が一斉に自分の袋を差し出していた。
「ほらほら」
「僕のが一番おいしい」
「ちがうよ。あたしのを食べて」
喧嘩を始めそうな雰囲気だ。それぞれ一個づつもらえばこの場はなんとかおさまるだろう。けど、もらってもいいのだろうか。
≪レオン、もらってもいいの?≫
レオンを振り返った。レオンは面倒くさそうに、片目を開けてみていた。
≪なんだ。カマクビか。それって砂糖がまぶしてあるんだ。仔どものおやつだよ。そして目玉焼きと踊り食い≫
レオンはそれだけ解説すると再び、目を閉じる。興味はなさそう。
すみれは一つづつもらうことにした。食べなくてももらうことでこの場がおさまるかもしれないと思ったから。
手前の仔の袋から、一つつまむ。三センチほどの楕円形のお菓子。なにかを油で揚げて、砂糖がまぶしてあるらしい。
そして、茶色いソースがたっぷりかかった、丸いたこ焼き風の物もつまむ。
仔たちはそれらをポイポイと口に運び、ポリポリといい音をさせてかみ砕いている。
なんだろうと摘まんだそのお菓子を見ていた。ふと、目が合った。そのお菓子と目が合ったのだ。
えっ。
お菓子に目がついていたのだ。
≪あ、すみれ。たまに毒が入っていることもあるから、食べない方がいいかも≫
レオンから、そんな意見が届いた。
「毒っ」
思わず声に出していた。
すると、野獣の仔たちはすみれが毒入りが好きなんだと勘違いして、再び一斉に自分の袋を差し出していた。
「僕の、毒入りだよ。大きいし、ピリッとしておいしいんだ」
「あ、あたしのも毒、入ってたんだから」
「嘘だ。目玉焼きには毒なんか入ってないよっ」
「じゃあ、僕の。毒入りじゃないけど、元気がいい。あ、また一匹逃げた」
また目の前の言い争いに発展していた。
よく見ると、野獣の仔の口からにょろにょろと、何かがうごめいている。赤黒いヌードルなのかと思っていたけど動いている。生きているらしい。
「えっ」
すみれは驚いて自分の持っているお菓子を良く見る。
「毒入りって、・・・・・・これ、なに?」
≪蛇の頭。牙がそのままあるから、ちょっと痺れるくらいの毒がある。カルシウム満点のお菓子だよ。すみれは嫌いなの?≫
すみれはレオンの解説にカチンコチンに固まってしまった。さらに続く。
≪そして目玉焼きは、ああ、今夜の目玉焼き、牛の目玉。大きくておいしそう≫
あ、本物の目玉ってこと。牛の目玉を焼いたから、目玉焼き。
すみれは泡を吹く寸前だ。
≪あっちの仔が食べているのは極上のミミズ。あれって上手に食べないと逃げられちゃう。新鮮だから≫
そう、よく見ると野獣の仔の口から、極太のミミズがくねくね体をくねらせ、逃げようとしている。それを蕎麦でもすするかのように、ちゅるんと口の中にいれて食べている。それをみて背筋がぞくっとした。新鮮ってことは、まだ生きているってことなのね。
「いやあああああああ」
やっと声が出た。動けるようになった。
すみれが摘まんでいた揚げて砂糖がまぶしてあるヘビの頭、牛の目玉焼きを投げ出た。
≪えっ、なんだ。全部嫌いなんだ≫
のんびりとしたレオンの声。もう絶対にレオンになんか、相談しないと誓ったすみれだった。
ブラッケンがすみれの悲鳴を聞きつけて、怒鳴りつける。
「こらあ、そこの仔どもたち、人間に餌をやるなっ」
野獣の仔たちが逃げていった。
「ったく、人間がこんなものを食べたらイチコロだ。毒がそのまま牙に入っているんだから」
ブラッケンが、地面に落ちているカマクビお菓子を見てそう言った。
レオンが首をすくめる真似をした。人間がそんなに柔だったとは知らなかったらしい。
ブラッケンに言われて、小男が大きな看板を立てる。
【Do Not Feed・エサを与えるな】
≪レオンったら、あれがどんなものかわかってたんでしょ。なんでもっと早く教えてくれなかったのよっ≫
≪だから、カマクビとか目玉焼き、踊り食いって教えただろう≫
≪そんな名前の食べ物が、蛇の頭、牛の目玉、ミミズだってこと、わからないじゃない≫
≪へえ、そうか?≫
≪ああ、もういいわ。この話はお終い。もう思い出したくもない≫
≪ふーん、変わってる。あの毒入りがピリッとして痺れてくるのがおいしいのに≫
≪レオンっ≫
その翌日の夜。
野獣たちが夜の市場を行き交う。
その夜はすんなりと十人が並び、すぐに完売となる。後はゆっくり座って、夜の市場を眺めていればいいだけ。小男が再び看板を立てる。
並んでいた魔女たちが、怪訝そうな目ですみれと看板を見ていた。
魔女たちが話していた。
「餌をやるなって、この人間はなんでも食べちゃうんだね」
「人間のくせに」
「冗談じゃない。オーガニックだって謳っているだろう。なんでも食べてたら、その血が濁る」
「それに本当にメスなんだろうね」
ごちゃごちゃと話している。遠慮のない会話って、本当に失礼だと思う。
オーガニック? すみれが有機野菜と同じような扱いになっていた。そして、本当にメスってなによ。メスに見えないってことっ。喧嘩売ってんのっ。
【先着十人様まで、本日完売】【餌、与えるな】
猫少女が採血が済んでも檻の前に座っている。
「ああ、この子、かわいい。あ、メスだって」
メスだなんてこと、書いてあったんだ。知らなかった。
ライオンのような顔の女の仔。昨日の野獣の仔たちよりは大きい。ピンクのドレスに身をつつみ、キラキラしたネックレスをつけていた。
「婆や、あたし、この子、欲しい」
そばにいたキツネ顔の野獣がぺこりと頭を下げる。承知しましたとつぶやいていたのが聞こえた。
キツネ顔は、つかつかと猫少女に近づく。
「そこの者、いくらじゃ」
猫少女はきょとんとしていた。
もう十人分の血は完売している。
「もうお売りできません。また、明日お越しください」
猫少女は丁寧にそう言った。夕べの騒ぎの二の舞になりたくないのだろう。
「違う。その人間のメスを欲しいのじゃ」
猫少女は顔を引き締める。
すみれを買いたいと言っているのだとわかった。
「お売りできません。血だけを売る・・・・・・」
猫少女がそう言いかけていた。
しかし、キツネ顔は咬みつかんばかりに怒鳴った。
「ええい、無礼なっ。姫様が欲しいと申されている。それを売れないとはなにごとじゃっ」
水戸黄門の印籠でも、差し出したかのような言いぐさだったが、猫少女は淡々として言う。
「私の一存ではお売りすることはできません。店主に相談しないと」
あれ、あれれ。その言い方だとお金を積まれて、ブラッケンが承諾すればすみれは売られていくとも解釈できた。
すみれはその野獣の女の仔が持っているぬいぐるみを見た。比較的新しいモノらしいが、噛み跡がたくさんついていた。嫌な予感。
しばらく、檻の前で売れ、売れないの押し問答が続く。
そこへ、ライオン顔の野獣が二頭やってきた。
「なんじゃ、このようなところにおったのか」
「あ、殿さま、奥方様」
キツネ顔が深々と頭を下げた。
「何をしておるのじゃ。もう買い物は済んだ。引き上げる」
どっちが殿で、奥方なのか全然わからない。あ、ライオンだから、たてがみのある方がオスなのか、と一生懸命に観察しているすみれ。
ライオンの仔が甘えた声を出す。
「ねえ、ママ。これ、欲しいの。ねっいいでしょ。今度こそ大事にする」
その、今度こそって、どういう意味?
ママライオンは、ちらりとすみれを見た。しかし、すぐに首を振る。
「人間の子であろう。人間を飼うのは難しいと聞いている。そなたは先日、迷い込んできた鹿を噛み殺したばかりではないか」
ヒイと息を飲む。
「あ、あれは・・・・・・。逃げようとするから、つい、かっとなって。もう絶対にしない。かわいがる」
「そなたは、それをもう六回も申しておるのじゃ。それに人間はか弱い。一度咬んだだけでも弱ってしまう。そなたは寝ながら咬む癖がある。このようなことでは一晩と持たぬ」
絶対に嫌だ。腹を立てて咬み、寝ながら咬むなんて。本当に一晩なんて持たないよ。
ライオンの仔は恨めしそうにすみれを見ていた。
「そんなに柔らかいの?」
「そうじゃな。およそ、その一咬みでお終いじゃな」
「じゃあ、傷ついたら食べちゃう」
ライオンの仔はしれっとそんなことを言う。
「さあ、食べるだけなら、このようなところにいる人間でなくてもよかろう。さあ、参るぞ」
「そうじゃ、こんなところにいる人間は高価に違いない。今は国の財政が緊迫しているとき。このような無駄な者を買う金はない。これが国民に知られたら、また非難されるであろう。さあ、姫、参ろう。どこかで迷子の野獣を連れて帰ればいい」
「はあ~い、お父上さま」
やっとなんとかおさまったようだ。
猫少女もほっとしたらしい。




