人間と龍の混じり半龍・レオン
あ~あ、とレオンは大きな口を開けてあくびをした。
こんなことでも疲れる。体力消耗、もったいない。怠くて、また寝そべった。目も開けたくない。
腹も減っているはず。けど、そんな感覚はない。もう何日も食べ物を口にしていないから、空腹っていう感覚がわからなくなっているんだと思う。もうどうでもいい。いっそ、このまま命が尽きるまで寝そべっててもいいやって思ったりする。
それでも時々、片目をあけて、チラリと周りの様子を見ていた。
相変わらず、周辺は白い霧に覆われていた。ただ、霧が流れるだけで辺りは静かだった。
ここは、霧の里だ。昼間は足の先が見えないほどの濃い霧が発生している。そして、あらゆる者の視界を遮るこの地は、人間界と魔界との中間にあった。たとえ、魔物でもここの霧の中では視界を奪われる。
そして、夜になるとこの霧は晴れていく。そうするとこの地に住む魔の使いの者たちが現れ、ここに夜の市場を開くんだ。
この市場には、あらゆる物が見世に並べられている。魔女が欲しがる怪しげな壺や鏡。滅多にお目にかかれないが、どこかの国の財宝などもこんなところで売られている。買い手がそれを欲しいと心から望めば、手に入らない物はないと言われていた。昔、自分が失くした物をこんなところで見つけられるかもしれない。
レオンは、全長四メートルほどの龍だ。特大の檻に入れられて、この夜の市場に出されている。そう、そろそろひと月くらいになるだろうか。
たぶん、伝説の霊獣とも言われる龍なら、そんな檻からさっさと逃げ出せるだろうなんて思う人もいるかもしれない。しかし、なかなかそう簡単にはいかない事情がいくつかあった。
まず、レオンは人間と龍の混じりの半龍だ。他の純粋な龍に比べて体が小さい。そのため、ここの見世の主、魔の使いのブラッケンに捕獲された。その当時、「龍の肉を食べると、君もあなたも不老不死になれる」という宣伝文句で売りに出された。レオンをできるだけ細切れに刻み、売るつもりでいたらしい。
しかし、龍の体は鋼の剣などで傷つけられるような柔ではなかった。レオンを切り刻める剣がなかった。そしてさらにわかったことは、そのまま龍の血や肉を食べたりすれば、その力が強すぎて不老不死どころか、たちどころに死んでしまうということがわかった。不老不死の効用を期待するのであれば、死んだ龍の肉を何年もかけて、熟成させる必要があるのだと。
魔女たちの憶測では、レオンは人間の姿になれば、その血は緩和され、万病を治し、その肉はきっと若返りに役立つに違いないと言った。それで、レオンは人間の姿になることを強制されていた。しかし、言われてすぐに、はい、そうですかと姿を変えるような素直なレオンではない。
主のブラッケンは、なかなか言うことをきかないレオンに業を煮やし、人間の姿になるまで餌を与えないことにした。
他にもレオンがおとなしく檻に入っている理由がある。この霧の里にはキコの木という大木が植えられ、森のようになっている。キコの木には不思議な力があり、魔物たちや妖魔、魔法使いの術などを極力弱くする作用があった。買い手の魔物たちが術を使って誤魔化すことのないように、その木は役立っていた。そうしたことで、誰もが普通に買い物をし、ここでは争い事も少なかった。
レオンの場合、このキコの木の下では骨抜きにされる。猫にまたたび、という感じで、龍にキコの木。酔っぱらったように力が抜けてしまっていた。たぶん、人間の姿になれば大丈夫なのだろうが、試すにはリスクが大きすぎた。人間になったらすぐに血を盗られてしまうだろう。
そろそろ白い霧が晴れてきた。それと同時に辺りが暗くなる。キコの木の下には、灯りが灯り、それぞれの見世ではその支度に追われている。
レオンの檻の周りでも、ブラッケンが小男たちに細かく指示を出していた。ブラッケンは、怪しげな雑貨の見世や、野獣の肉を売ったり、小料理を食べさせる食堂もあり、幅広く事業を拡げている。この市場では、成功しているベスト5に入っているとの噂だった。今夜もブラッケンは、役に立たないレオンの檻には目もくれず、忙しそうに動き回っていた。
そんな中、レオンは奇妙なノイズに気づいた。それはキイキイと虫が鳴くような声に似ている。どうせ暇だし、その音に耳を傾けていた。それは虫ではないようだ。妖魔でも野獣の仔とも違う。
段々声が近づいてくる。それと同時に臭ってきていた。甘酸っぱいような、それでいて苦みのある臭いもする。
ああ、わかった。この臭いは人間だ。人間はなんでも食べるし、その感情もさまざまに揺れ動き、とんでもない邪なことも考える。そういう思考も臭うのだ。コーヒーとヨーグルト、すき焼きのタレとタルタルソース、ゴーヤなどがごっちゃ混ぜになったようなわけのわからない、そんな臭い。
キイキイという声がキャーキャーに変わっていた。レオンが顔をしかめる。
うるさい。メスだ。甲高い声でやたらに泣きわめいていた。こういった悲鳴にはトゲがある。その声を聞くたびに耳がチクチクした。
ああ、このメスたちにはまだ、この霧の里がよく見えていないのだとわかった。人間界からきちんとした手続きを取らないで、ここへ連れてこられたのだろう。人は信じられないと認めないし、そんなものは存在しないと決めつける。だから、見えないのだ。哀れな生き物。
やかましい声の二人は、チンピラみたいな男二人に捕まれてやってきた。ブラッケンに掛け合っている。そして、レオンのいる檻があけられた。
えっ、マジ? ここへ入れるのか。ってことは、食べていいのか?
半龍のレオンは人間はまだ、食べたことはないが、野獣より骨が柔らかそうで、きっとうまいに違いない、なんて考えた。
しかし、ブラッケンはすぐさま「レオン、手を出すな」と釘を刺す。やはり、だめか。
レオンは再び目を閉じた。食べられないのなら、用はない。
その人間のメス、二人は檻に投げ込まれてブーブー文句を言っていた。「痛い」だの、「ここはどこ」だの、「ここから出せ」だの、うるさい。
ブラッケンは二人を連れてきたチンピラたちに金貨を渡していた。
ふうん、人間一人金貨一枚か。悪くない買い物だろう。金貨一枚あれば、豪華な食事が二人でできる。それがこの見世に出て、いくらに化けるかお手並み拝見だ。
レオンの頭の中に、そのうちの一人の思考が入ってきた。