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青薔薇のシュバリエ  作者: 亀谷琥珀
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六話 最後の晩餐

 勢いよく踏み込んだ足は、ナノマシンで強化され大地を勢いよく蹴りだした。

 そして俺の体は一陣の風と化す。

 数メートルの距離を一瞬のうちに詰めた俺は、対戦相手のコノエラの顔を窺った。


 すると、その眼は驚きつつもハッキリと俺の顔を見据え、コノエラは体の軸を逸らして構えた剣を下段から上段へ逆袈裟の構えで斬り上げようとしている。

 あの構えからならその選択が一番無駄がないだろう。


 だが、俺もコノエラの動きに合わせて手にしたナイフを斬り上げようとしているコノエラの剣に這わせる。

 そして、同時にナノマシンに指示を出して手にしたナイフにナノマシンを集中させ、剣とナイフがぶつかる瞬間にナイフに集めたナノマシンを使って剣を分子分解させた。


 分子分解と言っても剣の刃全てを分解させたのでは無い。

 ナイフとの接触面だけをバターを切るように分解させて見せたのだ。

 これは教授の世界に居た時に見た、教授のナノマシンテクニックの応用だ。


 分子分解などもはやり精神力を消費するものの物質変換よりかは、はるかにその精神力の消費は最小限に抑えられる。

 先ほど宙を舞った砂礫を見て、石と砂は構成分子は同じだという考えが、分子レベルでその結合を解除してやれば鋼の剣も小さな分子の集まりだと思たのだがどうやら成功の様だ。


 それに最小限の分子分解には副作用がえられるのだ。

 それは傍から見ればナイフで剣を斬ったように見えること。

 この驚きは文化レベルが低ければ低いほど魔法の様に見える。


 現に剣を斬られたコノエラも、俺の後ろで動向を見ていた男性達も一様に言葉を失い反応が鈍っている。

 俺はそれをナノマシンの周囲情報で知りながら、さらに速度をあげてコノエラに近づき、背後に回った。

 そして、一気に力のベクトルを変換させて跳躍し、コノエラの首に抱きつきナイフをコノエラの首筋に当てる。


 コノエラは俺が首にまとわりついてから、自分の失態を思ったようだがもう遅い。

 コノエラが動こうとした時には、俺は背中に文字通り貼り付き下手に動けないように、手に持ったナイフを力強くコノエラの首筋に押し当てていた。


「くっ……殺せ」


 そして、コノエラは小声ながらそうはっきりと言葉を発する。

 確かにこの状況ならコノエラの負けは明らかだが、命を無駄にする姿勢に俺は納得がいかない。

 もとから命を取るつもりはなかったし、殺せ、も無いだろうと思う。


 俺は決闘に勝てこの場を治められればそれでいい。

 だから、コノエラの言葉は無視して、俺はコノエラの首筋にナイフを当てる体勢は崩さずに、主だろう男性に大声で叫んだ。


「この状況です。私の勝ちでいいですよね?」


 すると、男性は驚きの顔から何か憑きもの落ちた様な、どこか悟った様な顔になって冷静な声でこう返してきた。


「そうだな。お前の勝ちだ。好きにするといい」


 俺はその言葉を聞いてからコノエラに耳ものとで囁く。


「私の勝ちで終わりですね」


 そう言ってから勢いよくコノエラの背中を蹴って後方へ飛んだ。

 もちろん命を貰うと言うことはしない。

 俺の行為に即座に反応したのはコノエラだった。


「なぜ、ひとおもいに殺さない!」


 命を繋ぎとめられたことがそれほど屈辱だったのか、コノエラはすぐさま振り向いて俺を睨できた。

 だが俺はその嫌な言い回しに対して、出来の悪い生徒に言い含めるようにこう返す。


「命は大切にするものですよ。それにまた襲われるならともかく。あなたを生かした方が何かと有益そうだ」


 これで丸く収まるだろう。あの約束を反故にされない限り一安心だと思う。

 だが、俺がそんな言葉をかけてなお、コノエラは非常に引きつった顔をして、どうしていいのか判らない様に顔を歪めていた。

 そして、警戒しつつ主だとおもしき男性を見やれば、その男性はコノエラに近づいて来るところだった。


「良くやったコノエラ」


 そして男性がコノエラの肩を叩くと、コノエラは今気が付いたとばかり体をその男性に向けて一言、すみません、と漏らした。


「コノエラが悪いわけではない。命じたのは私なのだ。それに生き延びたことは恥じることではない」


 この場の空気が通夜の様に重い。

 そっとコノエラと男性の先に居る従者の女性達を俺が見ると、何とも言えない敵意を向けられている感じがする。

 何かこの世界のタブーでも犯してしまったのだろうか。

 いや、命がそんなに軽くあってはならない。

 俺の選択は決して間違っていないと思う。


 しかし、何だろうこの空気は、非常に居心地が悪い。

 俺がそんないたたまれない気持ちになっていると、男性はふと思い出したかのように俺に話を振ってきた。


「さて、決着は着いた。約束だったな我が屋敷でささやかながら食事に招待したいがいいかな?」


 俺はその招きに合の手を入れる。


「構いませんが、屋敷はそんなに近い場所にあるのですか?」

「なに夕刻には着く」


 男性はそう言うとそそくさと馬車へ戻って行った。

 俺はその男性の後に付き、馬車の方へと向かう。

 俺に敗れたコノエラの脇を通り過ぎる時、俺はコノエラの顔を窺った。

 すると、コノエラは目標を失いどうしていいのか判らぬ様な、そんな絶望の色が顔にはりついている。

 一戦負けたくらいでそんな顔をされても困るのだが、よほど自信があったのだろうか。


 俺が馬車のそばまで来ると男性は馬車の扉を開けて俺を招き入れようとした。

 しかし、俺はその招きに一瞬躊躇する。

 馬車の中は狭く、もし約束を反故にされ襲われれば自分の身を護るのは難しいのではと考えたのだ。

 なかなか馬車に乗り込もうとしない俺を見て、男性は不思議そうな顔をして俺に問いかけてきた。


「どうした? 歩いていては夜になるぞ。遠慮はいらない乗りなさい」


 演技とは思えぬ男性の申し出に俺は大丈夫かとも思う。

 だが念には念を入れてもしすぎることはない。

 だから、俺は用心のためにこう男性に提案する。


「同乗させていただくなら、このお借りしたナイフを持ったまま乗車しても構いませんか?」


 ある意味、同乗を拒否したつもりだった。

 俺を警戒するなら自分を護るであろう男性をはじめ、従者も主を護るのであれば武器を持たせたまま同乗させる筈はない。そう踏んでの提案だ。

 しかし、コノエラを筆頭に他の従者たちからの異論はなく。


「そなたがそれで納得するならそれでいい」


 男性もその申し出に二つ返事で頷いた。

 この世界の常識を知らな過ぎるためだろうか、どうもこの世界の人々の行動が理解できない。

 始めはあれだけ俺のことを警戒していた。

 ならば、成人女性のコノエラを打ち負かしたら、さらに警戒されてもおかしくはない。

 なのに敵意の視線は向けられるものの、それ以上は何もされないのだ。


 甘い罠と言う考えが一瞬頭をよぎる。

 だが、この世界の情報を少しでも手に入れるために、食事に招かれるのは悪い話ではない。

 虎穴に入らずんばなんとやら、俺は腹をくくって馬車の足場に足をかけて、一度乗るのをやめた。


 すると男性はどうした、と声をかけてくる。

 俺はその問いにこう返しす。


「すみません。さっき仕留めたイノシシを運んではくれませんか? 半分くらいは夕食の料理に使ってくれて構わないので……」





 それから三時間余り。

 俺は馬車に揺られ、緊張した面持ちで目の前の男性を見つめていた。

 結局、男性と同乗して馬車の客車に俺は決闘で借り受けたナイフを手に座っている。


 いつ襲われてもいいように右手で柄をしっかりと握っているが、男性はそれには気にも留めずに澄まし顔だ。

 従者も特に襲ってくると言う事もなく、森を抜け、畑を通り、街を突っ切り、寂しげな一本道を馬車は進む。

 車窓から見える太陽が頂点から次第に落ちだした頃、林の奥に一際大きな屋敷が見えてきた。


「ここが我が屋敷だ」


 それを見計らってか、男性は呼吸をするかの様にそう告げた。

 窓の外に見えるその屋敷は西洋の宮殿の様な感じを受ける。

 だが馬車がその屋敷に近づくにつれ、その印象は奇妙な違和感で埋め尽くされた。


 外側は鉄の背の高い檻の様な柵がめぐらされていて、あたかも洋館の面持ちが見えるが、外庭は竹で組まれた生け垣や、日本庭園を思わせる池や松などが見られる。

 第一印象は日本かぶれの外国人が自分の洋館に日本庭園を再現したかの様な節度のなさだ。

 不思議な空間だが、自分の知る元居た世界の風景が一部ではあるが、見れたのは心がなごむ。


 そして、馬車はその庭園を進み洋館の玄関にその車体を横付けした。

 すると馬車の窓から、屋敷から大勢の人が出てくるのが見える。

 その大勢の人が整列するのを見はからい、目の前の男性はゆっくりと馬車を降りる。


 俺は男性にならってあとから馬車を降りた。

 まだ油断はできないが屋敷から出てきた人々からは敵意は感じない。

 男性は俺の方を振り向き、近くにおいでと声をかけてくる。

 その言葉に従いながらナイフの柄に手をかけながら近づくと、出迎えた人々の中から一人がこちらに近づいてきた。


「お帰りなさいませ、お屋形様。長旅お疲れ様でございました」


 そう言って男性を迎えたのは四〇代位のメイドの女性で、俺をちらっと見てからすぐに目を逸らせる。


「アニス、今帰った。屋敷に変わりはないか?」

「特にこれといった変化はございませんでした」


 アニスと呼ばれたその女性は男性とそんなやり取りをしてから、もう一度俺の方を見てから男性に聞く。


「ところで、その子供は一体……」


 馬車から一緒に降りたのがまずかったのか、その女性は一瞬蔑む目を向けて俺を観察する。

 確かに今の俺の服装は麻の簡素な服だし、この豪邸から比較しても普通の客人とは見えないのだろう。

 しかし、男性の方はその質問に臆することなく、俺を自分の横に片手で誘いアニスに向かってこう宣言した。


「この子は私の子供だ」


 男性のその言葉に、迎えに出てきた従者から動揺がうかがい知れた。


「お、お屋形様の御子というのはどういう……」


 男性のその答えは質問したアニス自身にとっても意外だったのだろう、明らかに声が引きつっている。

 それは俺にとっても予想外の答えで思わず男性を見上げると、男性はそれを見越していたのか俺の方を向いてにこやかに笑みを湛えていた。


「そんなことはどうでもいい。この子が仕留めたイノシシがある。今夜はそのイノシシを調理してくれ。豪勢に頼むぞ。後この子の部屋だ。私達は料理が出来るまで私の寝室に居る」


 アニスの質問を遮る形で男性はそう言って、俺の背中を押しながら屋敷の中に入って行く。

 質問を無視された形のアニスをちらりと俺は見たが、アニスは何もなかったような顔で、さっと男性に道を譲り横に控えた。

 いきなりの男性のその言葉に俺は言葉をあげられない。しかし、手にしたナイフは俺の生命線なので強く握ったまま俺は男性に背中を押されながら屋敷を移動する。


「いきなりのことで戸惑っている顔だな。だが何も心配はいらない」


 俺が戸惑いながらされるがままで歩いていると、男性は急にそう言って足を止め、俺の目の高さに腰を落として目線を合わせてからそう言ってきた。


「お前の母とは昔世話になってな、それにその握っている私がお前の母親に渡したナイフが動かぬ証しだ」


 そう大声で言ってから男性は俺を抱きしめた。

 俺は男性の行為に戸惑いつつも、出会えたのが奇跡だとか喜びを口にしている男性にされるがままになる。

 しかし、抱擁を解く間際に男性は俺にしか聞こえない声で、話を合わせてくれと言ってきた。


 俺はその言葉に顔色を変えないように努めて、状況を推察する。

 これはどういう状況だろうか。男性は俺を息子だと言い明らかに歓迎ムードだ。

 出会いがしらの決闘で俺に負けたコノエラも剣を携えたっま俺達の後に同行してくる。

 気を許せば、バッサリ斬り捨てられる可能性も残るが、そちらについてはもう少し様子見をすべきか。


 それにしても、外からも大きいとは思ったが中に入ってみると、さらにこの屋敷の広さに驚かされる。

 直線の廊下が百メートル近く続き、窓から見える棟から推測するに、コの字型の建物配置。

 部屋数も六畳一間なら何部屋あるかも検討が付かないくらい広い屋敷だ。


 それに廊下を進むたびに、おかえりなさいませ、とお辞儀をしてくる使用人と思われる人々。

 明らかに上級階級の屋敷といった感じだ。

 男性は俺を手で先導しながら使用人達の言葉に一言、二言返して先へ進む。

 階段を上がり二階へ。二階がプライベート空間なのだろうか。

 違和感があるとすれば使用人と思われる人間が全員、女性しか見ていないというところだろう。


 確かにこれだけ裕福そうな主なら、外見が子供の俺を見ても刺客と疑うのも何となくだが納得がいく。

 護衛と思しきコノエラ達も、過去にそんな体験があったのかもしれない。

 この男性の背景を垣間見て納得がいく面もあるが、どうしても納得がいかない面もある。


 なぜ俺を急に自分の子供だと言ったのか、そして話を合わせてくれと言う意味ありげな言動。

 明らかに何かの思惑があってのことだろう、だがその思惑が俺には何も見えてこない。

 何のメリットがある。俺を自分の子供と言い張って何の利益が……


 俺が頭の中で思考が詰まるのと、目的地に着くのは、ほぼ同時だった。

 男性は大きな扉を開けて同時に手で俺の背中を押し、先に俺を中へ入れる。

 入ったその部屋は、昔テレビで見たことのある様な古めかしいシックな空間だった。


 天蓋の付いたベッドに柔らかそうな豪華なソファー。そして一面を埋め尽くす本棚と大量の本。

 家具類はあまり置かれて居ないが、それがこの空間の主の人柄を表している様なそんな雰囲気を出している。


「ここが私の寝室だ。そこのソファに腰を落ち着けて旅の疲れをとるといい」


 男性は俺にそう勧め、使用人にお茶を注文してから自分は一人掛けのゆったりとした椅子に腰を落ち着けた。

 俺もそれにならい勧められたソファに座る。

 だが、俺の手は常にナイフの鞘とナイフの柄に添えている。


 俺は警戒をしながら男性やコノエラ、他の使用人達の立ち位置をそれとなく見た。

 男性は変わりなく腰を落ち着けたテーブルを挟んで目の前に、コノエラは俺の左側に控えて後ろで、手を組んでいる。

 だが、ひとたび剣を握れば一歩動くだけで俺を一太刀で斬り殺せる位置だ、油断がならない。

 他の使用人は二名が扉の前に控えているだけだが、こちらもどう出てくるか。


 男性の言動の変わりが気になるがそれ以上にここは虎穴の中の可能性もあるのだ。

 油断はしすぎると言うことはあるまい。

 俺が気持ちを一段と引き締めて前を見れば、男性はとても柔和な笑みで俺を見ていた。


「それにしても良く似ている。その黒髪もその眼もそなたの母親にそっくりだ」


 そして、男性は俺を良く見てからそう言った。

 何をいきなりと声を出そうとしたが話を合して欲しいと言っていたのを思い出し、俺は言葉を飲み込む。

 俺のその姿にすっかり気を良くしたのか男性は朗々と語りだしていく。


「そなたが生まれる前の大戦で私は大けがを負って、そなたの母親に助けられたことがあってな……」


 男性の作り話を要約すればこうだ。

 大戦時傷を負って落ち延びた村で一人の女性に助けられ、暫く世話になっていた。

 戦火がその村に見舞われるまでに至った時、男性は村のためひいては国のために立ちあがって戦いに赴く。

 だが大戦に勝利し生き残ったが、その後の国政のために忙殺されすっかり女性のことを忘れていたと言う。

 最近になりそのことを思い出して、思い出の村に赴いてみれば、その女性は死に残ったのはその女性の子供一人、つまりは俺が残されて寂しく暮らしていた。

 ようはそんな話だった。


「それにしても、あの時に残したナイフが母親の形見となるとはな、だがそれのおかげでこうしてそなたと会えたのは神に感謝しなくてはならぬ」


 男性はそう締めくくって使用人が淹れてくれたお茶を一気に飲み干した。

 お茶を持ってきた使用人のメイドは最後の男性の言葉に少し驚きつつプロ意識だろうか、顔色を変えずにそのまま下がる。


 俺はその時男性の目線に目が行った。そして、俺はここでようやく話の意図を理解する。

 男性は俺に語るのを装い、屋敷の使用人に対して語りかけているのだ。

 つまりは子供姿の俺が今いる不自然を自然に変えようとしている。


 俺の存在の正当性をなぜ男性がしようとするかは未だに不明だが、男性がしようとしている意図は何となくだが判った。

 そうと判って、俺も話を聞きながらティーカップで出てきた緑色の飲み物をナノマシンで毒味をしてから口を付けていた。


 その味の何とも懐かしい味だろうか。ティーカップで出されたそれは、間違いなく緑茶だったのだ。

 俺は久しぶりの味に感慨深くなる。

 俺が気を緩めて緑茶のその味を味わっていると、男性はとても上機嫌にこう言ってきた。


「この茶は気に入ってくれたか? 我が領内の特産品でな、この時期になると品質が落ちるのが悩みの種だが、まぁ選り分ければまだ飲める物もあるのだ」

「炒ったりはしないのですか?」

「炒る?」


 俺はついつい気を緩めてお茶の話題に触れていた。

 しかしそれは男性にも興味深いことのようで、話に乗ってくる。


「ええ、焦がさぬ程度に火で炒ると風合いが多少変わりますがいい味ですよ」

「なるほどそれは試してみたことはないな。今度試させよう」


 この世界にほうじ茶は無かったのか、それとも知らないだけなのか、とにかく新しいお茶の楽しみ方を教えた様だ。

 お茶の話題に触れて俺は、肩の強張りが薄れているのを感じた。


 しかし、鋭い視線に俺はすぐさま緩んだ心を締め直すことになる。

 鋭い視線はどこからかというと目を向けなくても判る。

 それは俺の座っている真横、立っているコノエラから発せられているのだ。


 ナノマシンを介してコノエラの視線などを解析してみれば、先ほどから俺と目の前の男性を交互に見ていた。

 そのうえで良く観察してみると、男性もコノエラの視線を知りつつ無視しているのが見うけられる。


 これはどういうことだろうと、俺は暫く男性の偽りの昔話に軽く相槌を打ちながら考えを巡らす。

 しかし、今の状況で導き出せる答えは限られている。

 男性の不可解な行動とコノエラの鋭い視線、これから考えられるのは俺を油断させてから一気に息の根を止める可能性も考えられるか。


 だか、これには一つ不可解な点がある。

 それは明らかに打ち合わせが不十分だと言うことだ。

 仮に男性が俺を無き者にしたいと思っているなら、それは従者であるコノエラもその意図は組んでいるはずだ。

 ならばコノエラが未だに鋭い視線を向けてきていることに説明が付かない。


 俺が答えの出ない問いに悩んでいると、出入り口の扉がノックされ、先ほど玄関であったアニスが食事の仕度が整ったと伝えに来た。


「意外に早かったな、さぁ親子の再会の祝いだ。今夜はおおいに飲んで騒ごうではないか」


 男性はその知らせにそう言って俺を誘った。

 俺は若干戸惑いつつその誘いに乗り男性の寝室を後にする。

 部屋を出る時俺はコノエラの方を見たが、コノエラは男性も俺もいなくなった部屋で先ほどと変わらぬ姿勢でソファの横で立ちつくしていた。


 男性はまた俺の背を押す様に手を携えて食堂へと導く。

 食堂に着くと豪華な料理が五メートルはあろうかという長テーブルに所狭しと乗っていた。

 男性は相変わらず笑みを湛え俺を下座の席に誘うと、自分は上座の定位置であろう席へと納まる。

 そして、親子の再会の宴だと今一度大声で宣言して食事が開始された。


 だが、俺はすぐには食事には手を付けなかった。

 毒が入っているのではと思ったのではない。

 ましてや、持っていたナイフを部屋に忘れたというわけでもない。

 それはなぜかと言うと、今の食事風景が俺の知る食事とはあまりにもかけ離れていたからだ。


 宴だと言っているが、実際に食事の席に着いているのは目の前の上座に座った男性と下座の俺のみ。

 横には給仕のメイドが十名ほど男性と俺との間に立って給仕をしてくれている。

 ここではこのような食事が当たり前なのだろう。

 誰一人としてこの食事風景に異を唱える者はいない。


 だが、祖父母、両親、妻と娘大所帯での生活経験がある俺にとってはこの食事はどうも落ち着かない。

 教授の世界で過ごした一年でさえ、教授の操るメタルノイドと馬鹿を言いあいながら食事をとることが大半だった。

 何と言えばいいのか、豪勢な温かな料理が並んでいるのにこの食事風景には、似つかわしくない冷たさが蔓延している、そんな印象を強く持ったのだった。


「いかがなされました?」


 俺がそんなことを考えていると、俺の近くに控えていたメイドさんが俺にそう問いかけてきた。

 俺はとっさに当たり障りのない返答をする。


「いえ、あまりにも豪華な見たことのない料理ばかりなので、どうしたらいいのかと思いまして」

「お好きなモノをお選びください。それよりもお飲み物を何かお持ちしましょうか?」


 メイドさんはそう言ってかいがいしく世話をしてくれる。


「そうですね、出来れば先ほど部屋でいただいたお茶を貰えますか」

「かしこまりました」


 そう言って去って行ったメイドさんは、良く見ると今の俺くらいか少し上くらいの幼い少女だった。

 暫くしてお茶を持ってきてくれたそのメイドさんにお礼を言い、癖になっている毒味を終えてからお茶をすする。

 それで落ち着きを取り戻した俺は、男性の方を窺う。


 すると男性は酒をあおり俺が仕留めたであろうイノシシ肉を頬張るまさに食事の真っ最中だった。

 しかし、男性はすぐに俺の視線に気が付き声をかけてくる。


「どうした。食事が口に合わなかったか?」

「いえ、どれもこれも見たことのない豪華な料理ですのでそれに戸惑ってしまいまして」

「ゆっくりでいい、慣れることだ」


 それは偽りの親子関係を継続すると言う意味だろうか。

 だが、それを今問うたところで真相は判るまい。

 ならば今はこの食事を少しでも味わうのが得策かもしれない。


 頭を切り替えた俺は先ほどのメイドさんに頼んでテーブル中央の料理を取って貰った。

 こちらのテーブルマナーは知らないがフォークとナイフが並んでいるから外側から使う様にして食事を楽しんだ。

 時折、男性から曖昧に回答しても問題ない質問が飛んできたので曖昧に返答をしておく。

 食事が終わるころには俺は、虎穴に足を踏み入れていると言う気持ちはすっかり忘れてしまっていた。


 お互いに食べきれない量の料理でテーブルにはまだ有り余る料理が手つかずで並んでいたが、さすがにもう食べきれない。

 男性も盛大に飲んで食べてはいたがそれでも四分の一も食べきれなかった。

 男性はそのまま席を立つと俺のもとへ来てこう言う。


「今宵はもう日が落ちるが、まだまだお前の母親のことは今日の内に聞いておきたい。眠いかもしれないが今夜はもうしばらく話に付きあってはくれないか」


 俺は断る理由は無いのでその提案に二つ返事で答える。

 すると男性はとても優しい笑みで控えているメイドさん達にこう言った。


「今日の仕事はもう終わりだ。皆に残った料理を振舞ってやってくれ」


 男性はそう言うとアニスに何か耳打ちして食堂を去る。

 俺は慌てて持っていたナイフを手に男性の後を追った。

 俺が食堂を出ると男性は俺を待っていたかのように食堂の入り口近くに立っている。


「付いて来てくれるか?」


 男性はそれだけ言うと俺が付いて来るだろうと言う感じでどんどん廊下を進んでいってしまう。

 日は水平線の彼方へ沈もうとしていた。

 見た感じこの世界には電気という概念が無さそうなので夜は寝るだけの世界だろう。

 そうなるとこれから話をするというのは何かしらの密談か何かの類いかもしれない。


 俺が男性に付いて行くと男性は迷わず廊下を進み、先ほどの俺達がお茶を飲んだ寝室に入って行った。

 俺も慌ててその後を追う。

 すると寝室には驚くことに、先ほどと同じ姿勢のままのコノエラの姿があった。


「やはりここに居たか」


 男性はコノエラの姿を見るとそう言った。

 俺はコノエラの姿に違和感を覚えとっさに周囲に警戒用のナノマシンを展開させる。


「お屋形様……」


 コノエラは男性のその言葉で我に返ったようだが、俺達の方を向いて弱弱しくそう呟くだけだ。

 コノエラの姿は、明らかに変だ。

 最初に出会った時の様な覇気が感じられなく、先ほどは気が付かなかったが、何かを思い悩む様な表情をしている。


 男性はその言葉に、コノエラに近づきただコノエラの肩に手を当てる。

 視覚では男性の影に隠れて見えなくなってしまったが、俺はナノマシンの情報によってコノエラが目に涙を湛えているのを確認した。

 さらに周囲に放ったナノマシンから廊下に集まる人影も認識する。


「お屋形様、灯りとお茶をお持ちしました」


 程なくして、廊下に集まった人影五人はそう言って部屋に入ってきた。

 俺はナノマシンでも認識していたが、目視で改めて入ってきた五人を見やる。

 その五人は防具は既にはずしているようだったが、馬車を護衛していた残りの顔ぶれだった。

 そして、皆一様に剣を腰に吊るしている。


 一声あればいつでも襲える構図の出来上がりだ。

 俺は自分の迂闊さを恥じる。

 すっかり食事に浮かれ、敵かもしれない人物の屋敷の真っただ中に居ることを失念していた。


 しかし、そう思った時にはもう遅く、火の灯った蝋燭を持った四人が部屋にしつらえられた燭台に火を灯そうと何の淀みも無く散らばった後だ。

 これが俺を無き者にするための計算づくの行動なら下手に動くより隙を窺って一点突破の方が、まだ勝機はあるだろう。

 俺は手にしたナイフの鞘を強く握り状況を窺う。


「わざわざすまないな。旅の疲れもあるだろうに」


 男性はそう言って入ってきた五人を労った。

 先ほどの食堂での耳打ちはこの五人をここに集めるための物か。

 給仕のメイドがやる様な仕事を、わざわざ護衛役にさせる所を見るとやはり男性は俺を始末したいらしい。


 散らばった五人は隙を見せずに囲むように俺の側に集まってくる。

 隙が見られなければこの人数だ、下手に動けない。

 俺がどう動くか苦心していると、男性は俺に椅子を勧めてきた。


 俺は仕方なくその誘いに乗ることにする。

 椅子のある応接セットの周りには隙のない護衛役の五人。

 そして俺の前の椅子には、どっしりと座り自分でティーポットからお茶を淹れる男性とその後ろには目がうつろなコノエラ。

 一番隙がありそうなのはコノエラだがこの位置からではそこの一点突破は厳しい。

 そして、俺がこの状況を打破する策を考えていると、男性は俺を見ながらこう言ってきた。


「それにしても先ほどの食事は楽しい物だったな、そなたもそう思わないかい?」


 俺はその問いに嫌味を込めて返答をする。


「さながら最後の晩餐と言えるアレがですか?」

「最後の晩餐? なるほど確かに最後の食事にしてはいい物だったのかもしれん」


 そう言って男性は、俺の返答に不敵な笑みを浮かべたのだった。


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