内緒の狐
「君と夏祭り企画」参加作品です。
下駄の鼻緒が擦れて、少し痛い。
こんな時の為に絆創膏を持って来ておいて良かった、と薫子は思って、右横を歩く一芯に声をかけた。
「一芯、ちょっと待って。足が」
「下駄?」
「うん」
お隣同士の幼馴染である誼と前生からの縁も手伝い、一芯とは少しの言葉で意思疎通が叶う。
自然に出された彼の右手にシャボン玉柄の巾着を預け、薫子は左足の親指と人差し指の間に絆創膏を三枚重ねて貼った。
空には三日月、景気の良い音楽が流れて来る。
香ばしい食べ物の匂い、笑いさざめく声も。
薫子が夏バテしたり、その後二人で渓谷に遊びに行ったりして、町内会の盆踊りには行きそびれてしまった。
そこで一芯が、少し遠い幼稚園で開かれる夏祭りに薫子を誘ったのだ。
一芯は浅葱色の浴衣。
黒にグレーの絣模様が浮いた帯をきっちり締めている。
右目が見えない隻眼の一芯は和服のほうが見映えがする、というのは薫子の私的見解だ。
薫子は紺地に朝顔が咲く浴衣。
帯は淡い緑のチェックの―――――――。
「その新しい帯、芭蕉布?じゃないよねえ?」
一芯が頭を傾げる。
家が国内外の雑貨を取り扱う店な上に、一芯も審美眼が鋭い。
本物の芭蕉布は中学生の薫子が浴衣の帯に使える値段ではない。
「もちろん、なんちゃって芭蕉布。フェイクに決まってるじゃない。ランチョンマットみたいとか言わないでよ!」
軽く睨むのは薫子の照れ隠しだ。
「言わないって。薫子の発想、ユニーク…」
笑いを噛みながら、一芯が態勢を立て直した薫子の手を取る。
二人で手を繋ぎ、祭りの熱気に入って行った。
幼稚園の敷地には出店がぐるりと並んでいる。
きょときょと、と首を巡らす薫子は、旅先に連れて来られた小動物のようだ。
人の多い賑わいの中では、彼女はいつもこうなる。
そして一芯の背中、斜め後ろに寄りつくようにして歩く。
一芯は薫子に見られないように声を立てず笑った。
浴衣が仕舞われていたのだろう箪笥の中の樟脳の匂いと、少女のいつものシャンプーの甘い香りが密着して鼻に届く。
(わー、これは二人きりが良いなあ)
少年としては色んな煩悩を刺激される。
下駄ずれも本当は美味しいシチュエーションだったのだ。
それを口実に堂々と薫子をおんぶなりお姫様抱っこなり出来る。一見細身の一芯だが、戦国武将だった昔程とはいかないものの、トレーニングを欠かさないので人並み以上の筋力はある。
抜かりなく絆創膏を用意していた彼女が少し恨めしかったというのは内緒の話だ。
「薫子、金魚掬いする?」
返事は解っているが一応、尋ねてみる。
「…しない」
「死んじゃうから?」
「そう。一芯と一緒に掬った金魚が、水に浮かんで動かなくなるのなんて、見たくないわ」
「うん」
「ひよことか金魚とか、お祭りに出てる生き物たちって皆、短命よね」
「そうだね」
「短命なのは、好きじゃないの」
「うん」
繋いだ手の感触から、薫子の身体が固くなっているのが判る。
ぽんぽぽん、ぽん、と小さな打ち上げ花火が上がる。
菊花のように。
ざわざわ、と樹が風に鳴いた。
若い命をあやすように。
菊は命が長いけど。
人から見れば瞬く間。その人の命も――――――――。
「僕らが百年生きたって、老木から見れば短命だよ」
「そうだけど」
「夏は束の間を楽しむ季節だろ?」
「うん」
「僕たちは戦国の夏は知ってるけど、平成の夏はまだ初心者じゃない。これから楽しもうよ」
こく、と栗色の髪を揺らして頷いた薫子が夏祭りで欲しがったのは、水風船と、狐のお面だった。
(水風船も萎むよね…短命だよね)
一芯はそう思ったが、気を取り直した少女に水を差す気はない。
「狐のお面って今でも売ってるんだなあ」
白い吊り目のお面を手に、一芯は妙に感心した。
「ここが仏教系の幼稚園だからじゃない?」
「関係ある?それ」
「ないかな」
薫子の無邪気な憶測に一芯はくすりと笑い、狐のお面を頭に引っ掛けた。
「コンコン、そこの可愛いお嬢さん」
「はいはい何でしょう、白狐さん」
薫子も面白がって乗って来る。
「綿飴なんて食べませんか、コン」
「んー、今、焼き鳥の気分」
「ムードのないお嬢さん…、コン」
薫子はきゃははと笑って焼き鳥の屋台に駆け出した。
後日談。
数日経って、水風船はやっぱり萎んで薫子は悲しかったけれど、白い狐のお面は残った。
机の上に置いたそれを、そっと顔に当てる。
一芯が被ったお面。
「コンコン、…いつまでも、一緒にいてね。一芯」
これは少女の内緒の話。
二人のこれまでとその後は『竜は蝶を追う』後半部や、サイドストーリー「一つ目竜と女の子」に記載しています。




