変人と予言
変人とは便利な表現だと、アリスリンは思う。
とどのつまりは変態だろうに。
高い高い塔を見上げてうんざりと息を吐く。
これから登る長い螺旋階段は、思い出しただけでも足が痛くなりそうだった。ましてやその先に待っている者の事を考えれば気も足も進まないのは仕方がないというものだろう。
他人は「羨ましい」と言う。
あの娘は得で良いわよね、と。
人の気も知らないで、腹の立つ事この上ない。
この上に住んでいるのは予言者だの奇跡の何たらだの言われている「だけ」の、ただの阿呆だ。
そう、変人ではなくて、
アリスリンにとって、あの予言男はただの阿呆男なのである。
初めて出会った時、確かに目を奪われた。
金と銀の入り交じった髪に滑らかな白い肌 。中性的な顔立ち。女の人かとも思ったし、胸の辺りまである長髪のせいも相まって実際口を開くまではどちらなのか本当に分からなかった。左右で色の違う瞳は光の加減なのか、見るたびに色が変わるようで、ついつい見入ってしまう。
でも、危ないのはそうしていると、あいつが勘違いしやがる事だった。
「オレ様の事、そんなに好きなのかアリス?」
不愉快である。
非常に不愉快である。
喋ると台無しの予言男は、しかし、喋らないと意味がない。だからあの鬱陶しい口を塞いでしまうことも叶わない。
全く不愉快だ。
予言者リバー・ミネルヴァ。
性別は男。他全てが不明。出身も、年齢も分からない。
アーティが子供の頃から森の中の塔に住んでいて、アーティが子供の頃からずっと二十歳程度の見た目のままらしい。
不思議やら奇跡やらと他人は言うけれど、
アリスリンに言わせれば、
つまりは変態だろうが、の一言である。
アーティなんてこの男を魔法使いだと信じ込んでいて、「バーバ」なんて呼んでなついている。
「リバー・ミネルヴァ」で、「バーバ」。
子供の時分に聞いた彼の名前は、当時のアーティにはどうやら発音しずらかったらしい。
「ちょっと!あたし今忙しいのよ」
部屋に入るなり文句を言う。窓から朝日が昇るのを眺めているらしい派手男は彼女の怒りを気にするでもなく、此方を振り向きもしなかった。
また眠らなかったのか。
うんざりする。自分の情けなさに。
口を開けば台無しの変人だと分かっているのに、
この男がこうして静かにしていると、心配になる。
寝言として紡がれる彼の予言を、彼自身はあまり喜ばない。
何故ならそれは、決まって良くない事だから。
自分がそれを起こしているのだと錯覚して、不眠になった事もあるようだ。
変態のくせに繊細ぶるなと言ってやりたいけれど、そんな風に突き放せないのがこの男の厄介な所である。
「北から生まれた闇が、村を滅ぼすんだと」
ふいに予言者が口を開く。
立ち上がってベッドへ横たわると早速彼はパンパンと寝床を叩いて呼んでくる。
しぶしぶながら従いつつも、
これはコイツの為ではない、とか誰にともなく言い訳を内心溢すアリスリン。
この男はこうやって、眠れなくなると膝枕を要求する。
昔は散々やらされた。けれど、この男の元を離れてアーティの世話をするようになってからは久し振りで、何となく昔が懐かしくて、そんなに嫌な気がしなかった。
あの頃アリスリンはまだ少女の面影を残していたけれど、今やすっかり大人になっていて、見た目の年齢は、この男を追い越してしまった。
「あんたって、一体何なのよ…?」
「………」
この質問は、本当はこの男にはタブーだ。
彼は記憶喪失らしく、町から町へ転々としながらこの国へやって来た。この容姿なので宿には困らなかったらしいけれど、まあ、そんな話はアリスリンには関係ない。
「オレのアーティをよろしくな、アリリン」
「あんたのじゃないわよ。あたしのよ。て言うかアリリンって呼ぶなっつってるでしょ」
「お前のでもねえし。かわいいじゃん、アリリンって。まあ、それはともかく」
ふいに予言者が声を落とす。時々見せる真剣な表情を見る度に思う。普段からこうだったら良いのにと。
「魔王を追いかけるんなら、取り敢えずは北だ。あいつの生まれた村がある。具体的には言えねえけど、時間がないっぽいぞ」
「ならこんな所でこんな事してる場合じゃないわね」
膝の上から強引に頭を退かせると、首が痛かったらしい文句の声をあっさり無視してアリスリンは急いで立ち去ろうとする。その背中へ、すかさず声が掛けられた。
「またな」
と、気軽に。
暫く会えなくなるであろう相手とは思えない程の呆気なさに苦笑して、アリスリンは振り返る。
「アンタもあの娘も、あたしが居ないと駄目なんだから直ぐに帰ってくるわよ」
「そうだな」
と頷く予言者の顔は見なかった。何となく、見られなかった。
だから、気づかなかった。
その時の彼の顔が、少しだけ寂しそうにしていた事に。
「アーティさんに付いて行かれるんですね」
予言者の塔を降りきった所で声を掛けられた。
少年が一人、にこりと微笑みかけてくる。
「ベルと言います。リバー先生の弟子…と言うか、やってることは今はお世話係と言うか…貴女の後輩みたいなものですね」
「ふうん」
頷いたものの、油断なく少年を見据える。
不思議な感じがした。
なんと言うか、
弟子というのもあながち嘘ではないようで、確かにあの変人と似た匂いを感じると言うか。
と言うのも、少年がなぜかメイド服を着ているからなのだけれど。それがまた妙に似合っているもんだから、あの馬鹿男ナニしてんだ一体、と心配になる。
「あの、これは先生の命令で修行の一環としてです。僕の個人的趣味ではありませんよ?」
「うん、まあ、そんなこったろうとは思ったけど。よく似合ってるわよ」
「恐縮です」とあまり嬉しくなさそうに呟いて、少年が先に歩き出した。
「あの、僕、先生からお姫様方のお手伝いを言い付けられてます」
「また突然…」
なのは、いつもの事ではあるけれど。
わざわざ呼びつけたのはその為かと納得して、取り敢えずアリスリンは戻ることにした。
何だか嫌な予感がする。
こう見えてアリスリンは苦労性なのだ。
あのお姫様改め勇者様が、大人しく待っててくれればいいのだけれど。