勇者と勇者
「そんなのって許せない!!」
声が出た。久し振りに怒って、アーティは聖剣を強く強く握り締める。
驚いたように目を開いてこちらを見るフィールを、アーティは強く強く睨み付け、続いて手にした聖剣へ、叱咤する。或いは、自分へか。
「いい加減にしなさい!わたしたちが頑張らないといけないんだから、しっかりするの!!」
魔王が存在しているだけで、周りをぐるりと取り囲む魔の海ーー魔海に世界は徐々に飲まれていく。ここは、そういう世界なのだから。
全く、酷い話だ。
極めて単純な仕組みでヘドが出る。
ムカムカと腹を立てながら、アーティは急いでベッドを飛び降りる。
穏やかにこちらを見守るフィールは、一体何を考えているのか分からない。分からないのが、無性に悲しくて寂しい。これは聖剣の気持ちなのか、自分自身の気持ちなのか、区別がつかないのはまだ聖剣の所有者として未熟なせいなのか。
いつまでも前の所有者を引きずっている聖剣には、正直同情はする。それだけ好きだったのだろうに。
しかし、そうも言っていられないのだから仕方がない。
「有り難う。君は強い娘だね」
フィールがにこりと笑う。
あまり、その笑顔を向けないで欲しいというのに。
「あなただって、つまり魔王としては素人なのよね。ならわたしにだって勝ち目があるわ」
「というか、君にしか勝ち目はない。俺の時もそうだったからね」
因みに俺はお姫様じゃなくて一般人だったけれどねと呟いて、自ら刺した手を眺める。淡々としているように見えるが、一体何を思っているかは分からない。
「さてと、どうしようか?ああそうだ。先ずはこうしよう」
いい事を思い付いたとばかりにこちらに向き直り、魔王が片手を差し伸べる。ナイフで傷一つつかなかったあの人間のようにしか見えない掌を。
「一緒に行こう、シード」
「『シード』?」
「そいつの名前だよ。聖剣カインシード。俺と君が組めば怖いものはない。俺だってそう何度も殺されたくはないからね。名案だ」
ズキリと心が痛む。
勇者フィールは世界を救った。だが、その後彼はどうなったのか知る者は居ない。語り継がれているのは魔王を倒すまでの彼の話。アーティは彼の大ファンだから当然探したけれど見つからなかった。
「何かあったの?」
「お姫様に話すような事じゃないよ」
「わたくしはーーわたしは、姫ではなくて、勇者よ!」
ムッとして、アーティが宣言する。
除け者にされたようで腹が立った、というのが本音だが、兎に角、手にした聖剣に向かって彼女は叫んだ。
「いい?聖剣カインシード。わたしが貴方の新しい勇者なの!自分で選んだんだからちゃんと責任持ちなさい!!」
怒鳴り付けると叱られた聖剣が小さく震えたような気がした。これはとんだ臆病者だったようだ。
そんなこちらに目を向けて、フィールが可笑しそうにくつくつと笑う。
「良かった、交渉は決裂だ。いや、乗ってこられたらどうしようかなってちょっと心配しちゃってね。そんな自分が可笑しくて」
その時、
「アーティ、…姫様!!ご無事ですか!?」
「アリスリン!」
「驚いた。もう起きた人間がいるんだね」
乱暴に扉を叩く音とメイドの声にはっとする。
さっきから散々騒いでいるのだから、誰か来るのは当然だ。察するに今まで何かの力で眠らされていたのだろう。
「もう少し話していたかったけど、…まあいいや」
「っ!?」
頬に触れる感触にドキリとする。いつの間にか背後を取られていた。そればかりか、背後からまるで指導でもするかのように手を添えて、聖剣を無理やり構えさせられる。
というよりも抱き締められているかのようで、
アーティは大いに混乱した。
耳元を擽るフィールの声が、何と言うか、
愛しくて。
「じゃあね、アーティ。ちゃんと俺を追い掛けて来て、倒してね。それまで『姫』は拐って行くよ、勇者様」
そうして、魔王は居なくなった。
現れた時と同じ様に唐突に。
扉を蹴り開けたロウンが来た時には、
アーティは一人茫然と床に座り込んでいた。
まるで心の一部が抜け落ちて、何かに拐われてしまったかの様に。