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あっという間に雨は本降りになってしまい、勢いを増していく。
その様子をぼんやりと眺めながていた。
きっと、都会に行けば、巽のことなんか忘れてもっと素敵な出会いがあるはずだし、こんな田舎と違って刺激的な毎日が待ってるはずだ。
退屈な毎日に飽き飽きして、巽のことを考えて眠れない夜なんか来なくなるんだ。
だいたい巽なんか、オジサンなんだから、私が巽のこと好きになったのだって、ここが田舎で格好良い若い男の子が少ないからに決まっている。
そこまで考えて、大きくため息をついてしまった。
そうなんだよな。巽って、オジサンの癖に格好いいんだよ。
ジャージを着ていても格好いいって反則だと思う。何を着せても似合うし、足長くて、腕も長いからかな。 これはちょっと嫌味なと思うけど、日本人のくせして輸入物のジーンズの裾を切ったこと無いって言ってたし。スタイルがよくて、顔もイイって最強なんじゃないの。
私はパパっ子というよりも巽っ子だった。小さい頃から、忙しいお父さんに代わって授業参観に来てくれたのはいつもお母さんと巽だ。
友達の中には、巽がお父さんだと思っている子も結構いる。最初は、伯父さんだときちんと説明していたのだけれど、いつだったか、うちの家庭環境が変だとからかわれてからは、あえてお父さんだとか、お母さんだとか言わない事にしたからなんだけどね。
ふと、また巽の事を考えている自分に気付いて、頭を振った。気をぬくとすぐに巽の事を考えしまうんだよね。
でも、それは近くに格好いい男がいないからなんだって。
ただの幻想。
ただの思い込み。
自分のお母さんを好きな男なんてなんのメリットもないじゃないか。
……………………そう、巽はお母さんと血が繋がっていないって言ってた。それじゃぁ、なんで巽はお母さんの傍にいるんだろう。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。
普通好きな人と暮らしたいって思うのは、四六時中一緒にいて、ベタベタしたいとか離れたくないとかお互いに思うからじゃないのかな。
お母さんは、お父さんと仲が良いのにそれを見ていることが辛くはないのだろうか。
間に割り込むことなど出来ないと、馬鹿でもわかるくらいには仲がいいもの。子供の目の前でもお構いなしでベタベタしているし。
まぁ、お母さんが巽を好きだとかなったりしたら、それこそ大変なんだけど。
ふと、不安になる。
…………ないよね。
実は私が巽とお母さんの子供ってこと。
ないよね??
地面に叩きつけるような勢いで降る雨をみつめながら、浮かんでしまった疑問に、私は大きく首をふった。
ないない。
私はよくお父さんに似ているって言われるし。自分でお父さんと自分を見ても間違いなく血流を感じる。巽の子供だったりするなんていう事は、絶対にないだろうと自分でも思えた。
そんな事を考えている内に、段々、雷の音が近づいてきている事に気づいた。雷光から雷鳴までの間隔が早くなっている上に、音も大きくなっていきている。
ドクンと心臓が波打った。
……………………嫌い。なんだよね。雷。
大昔、珍しく一人で留守番をする事になったときに、急に大雨になって、雷が凄い勢いで鳴りだしたことがあったんだ。家の中に一人でいると、雷の音が余計に大きく聞こえて物凄く不安になってしまった。
それ以来、なぜか雷の音を聞くと不安になってしまう。
だから、雷は大嫌いだった。
近づいてくる大音量のお腹に響くような低重音に身をすくませた。雨足も強くて雨音が大きいにも関わらず、それより大きな雷鳴が耳を打つ。
耳っ!!耳を塞がなきゃっ!
たいして効果がない事を知りつつ、両手を耳を押さえて、瞳を閉じる。
けれど、やっぱりそんな事は無駄な努力で、徐々に雷の音は大きくなっていく。
それにともなって、体がドンドン強張っていった。
本当に困った。
ここら辺りに雷を防げるような建物はなかった。
ここの本殿の中にはいるわけにもいかない。神様の家に勝手に入るなんて罰当たりだ。
そうするより他がなくて、目を閉じて耳をふさいで丸くなっていると、雨音に混じってバシャバシャと水を蹴る音がきこえてきた。
うっすらと目を開けると見知った青色の傘がみえた。
一度立ち止まったけれど、すぐに私を見つけると走りよってくる。
さっと傘が差し出され、傘を打つ雨音がバタバタバタと大きな音を立てた。
「何してるのさ。帰るよ」
怒った様子もないその声色にホッとしながらも素直に頷けなくて、ふいっと無言で横をむく。
すぐに大きな手が伸びてきて、頭を撫でられ、慌ててその手を払いながら睨んだけれど、相手の緩んだ笑顔に脱力してしまった。
「なによ」
「いや、成長したなぁと思って。なんだよ、泣くほど巽が伯父さんでいて欲しかったのか」
追いかけてきたお父さんの手で涙を拭われて、自分が泣いていることに気付いた。慌てて否定する。
「違うよ。そんなんじゃない!」
そんな簡単なことじゃない。簡単じゃないんだよ、この気持ちは。
「じゃ、雷が恐いのか。お前雷が恐くて一人暮らしなんか出来るわけないだろ。雷が鳴りはじめたらどうするんだよ」
あきれたように呟かれて、顔が熱くなりはじめた。私がすごく子供みたいだと言われてるから。
その時、ひときわ明るい青い光がカッとあたりを照らし出す。
これは大きいのがくる!考える暇もなく目の前のお父さんに抱きついていた。
案の定すぐに大きな雷鳴が轟き、お腹の底に響く低音にさらに身をすくめる。
「ホントに、こんなで、一人暮らし出来るのかよ」
その言葉は雷を恐がる私の耳に届かなかった。
雷がおさまるのを待ちながら、意地を張るなと諭されてしまった。
久しぶりのお父さんの腕の中はとても安心出来てしまい、照れも手伝って素直に頷く。
雷鳴がおさまってから、雨の中お父さんと肩を並べて家路についた。
久しぶりのことで本当に照れくさい。お父さんと二人で歩くとか、何年ぶりだろうか。
素直になりついでに、大嫌いだといった事を謝れば、それが親の務めだからと笑ってくれた。
こんなに素直に、謝れたのも雷様のおかげだと思う。怖いけど。
ただ、お母さんにも謝るように促されると、素直に頷けない自分がいた。
そんな私にお父さんは仕方が無いというように、苦笑しながらも無言で頭を撫でてくれた。
もう、子供じゃないのにお父さんに頭を撫でられるのは嫌じゃないから困る。
「お父さんは今のままでよかと思っとうの?」
小さく聞けば、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「お前は、案外頭が悪いな。まぁ、何がそんなに気に食わないのかしらねぇけど、血が繋がってなきゃ家族じゃねぇのかよ」
頭が悪いって何がっ!
「当たり前だよ。血が繋がってるけん親子やろうが」
「本当に馬鹿だなぁ。お前俺の授業受けてたら、確実に落第だわ。誰に似てそんな頭が固いかね。あぁ、巽か。で、お前東京行くならそのなんちゃって方言、標準語に直して置けよ」
なんでもないことのように言うから私はそのまま流しそうになってしまった。
「なんちゃってって、仕方なかと。家では標準語、外では方言でわけわからんことになるけんねっ!!………………………………アレ?東京行ってもよかと?!」
下からお父さんを見上げれば、目を細めて笑っていた。穏やかなその笑顔は昔から変わらない。私の一番好きな笑顔だ。
「お母さんに感謝しとけよ。ついでに巽にもな。まったくあの二人は本当にお前に甘いんだからな」
最後の呟きは狂喜乱舞した私の耳には入らなかった。
東京に行けるっ!
しぼんだ心が一気に膨れ上がるような喜びに、雨が降っていることなど忘れて、傘を放り投げて喜んだんだ。
まぁ、その後案の定風を引いて三日寝込んだけどね。