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バンッと机を叩くと思いのほか大きな音がたってしまい、自分が出した音に驚いて一瞬何を言いたかったのかを忘れてしまった。
いや、駄目だ。ここで挫けてはいけない。
何事もなかったかのように、目の前に立つ人を睨みつけた。
「だから、こんな田舎で一生を暮らすなんてイヤだっていっとっと!」
「あぁ??田舎のどこが悪いっ!!綺麗な空気、綺麗な海、美しい山々に田んぼに畑、どこが悪いんだっ!」
大声で私に負けずに机を叩いて睨みつけるのは父の和臣だ。バンッと大きな音を立てる机に、私も手を叩きつける。バンッバンッバンと立て続けに三回叩いてから口を開いた。
「それが嫌だっていっととよ。もう、合格もしとう。お父さんがなにを言っても、行くけんね」
お父さんは、何かに気づいたように、ハッとすると、勢いよく振り返る。ソファに座りながらタブレット端末でネットサーフィンをしている同居人の叔父、巽に矛先を変えたのだ。
「巽っ!!てめぇ、この間東京に連れってた時に、受験させやがったなっ!」
怒鳴りつけられた巽は、タブレットを膝に置き、のんびりと顎をさすりながらお父さんを見た。そして、意地の悪さを現わすような笑みを浮かべた。
「柚が東京行きてぇっていってんだから行かせりゃいいだろうが」
流石、巽!いつでも私の味方をしてくれる。
子供の頃から巽は私の一番の味方であり、理解者だった。東京に行きたくて、無理を承知で相談した私の為にお膳立てをすべて整えてくれた。お父さんもお母さんも、私が東京に行きたいと言ってもダメだと頭ごなしに言うだろうと分かっていた。だから、巽に相談したのだ。
「誰が金払うんだよっ!大学の費用ならともかく一人暮らしなんかさせられるか」
お父さんはそう言うけれど、我が家が裕福な部類に入ることを、私は知っている。本来ならば私が一人暮らしするくらいは余裕で援助できるはずだ。けれど、お父さんはそれを口実に、私が東京に行く事を阻止したいのだ。
「おばぁちゃんの家に住まわせて貰うからよかとっ」
勿論、お父さんに反論が出来るように、ぬかりはない。もう、了承済みだし。楽しみに待ってるって言ってくれたしね。
「なにが良かとっだよ。駄目に決まってるだろうっ!!だいたい、お前のおばぁちゃんじゃないだろうがっ!あそこは巽の実家であって、お前とは赤の他人っ!迷惑かけるなっ!!」
やけくその様に叫んだけれど、言いきってから、しまったというような顔で、お父さんが固まった。そして、部屋になんとも言えない気まずい空気が漂う。
「なにがっ…………え?お父さん今なにをいいよったと?」
赤の他人言わなかった?
勢いよく言い返そうと思ったけれど、なにか聞いちゃいけない事を言われたような気がする。
だって、巽はお母さんのお兄さんでしょ?そしたらおばぁちゃんはお母さんのお母さんで…………あれ?
「…………馬鹿たれ」
と巽。
「……………………いつかやるとは思ってたけど」
これはお母さん。
え?赤の他人って?お母さんと巽は兄妹でも、義兄妹でもないって事?
「カズ、てめぇなに赤の他人にしてんだよ。いいじゃねぇか、きらの娘は俺の姪。ひいてはお袋の孫だろ」
うんうんと頷きながら巽が言えば、お母さんが大きな溜息をついた。ちなみにきらとはお母さんの事だ。晶の下二文字できら。巽とお父さんはそう呼んでいる。
「まぁねぇ。でも散々私がお世話になったからさすがに京子さんに柚の世話を御願いするわけにはいかないわよ。この娘、家事なんてなんにも出来ないし、恥ずかしくて京子さんに預けることなんて出来ないよ」
…………なにげに酷い事言ったねお母さん。確かに私、家事大嫌いだけど。
次々と理解の出来ない会話が大人の間で交わされていく。
私の感情や理解なんて置き去りだった。
「きらの血が濃く出てる訳じゃねぇし、もう十八なんだから適当にやるだろ。おふくろはもうその気で、楽しみにしてるしよ」
うわぁ、投げやりなんだけど。なに、そのめんどくせぇ感、満載の返事。
「巽、男の子じゃないんだから。適当に遊ばれたら困るでしょ。だいたい、自由すぎて妊娠しました学校中退しますとかになったらどうするのよ」
「とりあえず、相手の男タコ殴り。俺の娘に手を出すとは、その男はいい度胸だよなぁ?カズ?」
巽はさきほどの投げやり感が嘘のように、まるで目の前に誰かいるんじゃないかと思わせる物騒な笑顔を浮かべて、拳を握った。
「柚はお前の娘じゃねぇって何度言ったら納得するのさ。だいたい柚のこと溺愛してるくせに変なトコで放任するんじゃねぇ。お前、きらが十八の頃思い出せよ」
とんでもなく過保護だったろ?とお父さんがつぶやく。
「十八時のきらっ!!可愛かったよなぁ」
へにょんと頬が緩む巽にツキンと胸が痛んだ。お母さんの話をする巽はいつでも優しい眼差しになるから。私も、巽はお母さんに対してすごく過保護で、一人で外出もさせなかったと、聞いた事がある。
「巽それ、認識間違ってる。私おさげに黒縁めがねの頃だから」
冷たいお母さんの突っ込みにも巽はめげなかった。
「きらはどんな格好をしていても可愛かった」
あっ、語り始めちゃった。これ長いんだよね。どんだけお母さんの事好きなんだっていう。こんなシスコン全開の台詞と表情を小さいころから見ていたんだ。まさか叔父ではないなんて思いもしなかったし、この好きの感情が、家族愛ではなくて、恋愛という意味での好きだとは考えもしなかった。
…………そうか、兄妹じゃないのか。
「どうしたの?柚、おとなしくなっちゃったじゃない」
「別に」
つい、声が冷たくなる。このところお母さんとまともに会話をした事はなかった。あの夏の日から、言いようのない苛立ちがずっと燻っていた。
「巽、その話はもういいよ。兎に角、京子さんのお世話になるわけにはいかないわ」
「じゃ、奏に預ってもらえよ。あそこなら一人増えたところで屁でもねぇだろ」
奏さんはお父さん達の友達で子供の頃から毎週末に遊びにくる。もう家族も同然の人だ。
なにをしてるのか知らないけれど、ブランド物の洋服を沢山くれる優しいオジ様なんだ。
私は子供の頃、奏さんが本当にどこかの国の王子様だと信じて疑っていなかった。
だって、物腰が柔らかいしスマートだしお洒落だし。美形だし、美形だし、美形だし。
「巽っ!!奏をいいように使っちゃ駄目だっていってるでしょ」
お母さんは奏さんと仲が良さそうだけどいつも遠慮している。
反対に巽はいつでもアレしろコレしろコレ持ってこいと、顎で使っている。きっと子分ってやつなんだ。 小さい頃奏さんがそう言ってたし。どんなに巽が無茶な事を言っても、必ず願いを叶えてくれるんだ。
……………………やっぱり王子様かもしれない。
奏さんの優しい笑顔を思い出して、ハタと気づいた。そうだよ、こんな話をしているわけじゃなかった。
「ちょっと、待ってっ!お父さん達、肝心な話を無視してるっ!おばぁちゃんがおばぁちゃんじゃないってどういう事よっ!!ちゃんと解かるように説明してっ!」
私が叫ぶと、お父さんが舌打ちをした。
誤魔化す気満々だったなこれは。
嫌そうにお父さんは顔をしかめるとお母さんを見た。お母さんは目を丸くして自分を指さす。無言で頷くお父さんに、お母さんは頬に手をあてて溜息をついた。
「もう、うちの男共は情けないんだから」
そう言って、私を真っ直ぐに見た。後ろで俺は情けなくなんかないと巽が叫んでいる。私は、聞きたいような、聞きたくないような、とても複雑な気分だった。