表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

第六章 diamond dust

 屋敷の南東、セイムたちが侵入に用いた大きな樹の側では、セイムとアイロアが剣と剣で言葉を交わしていた。

「……! 今の音は……」

 夜空をわずかな一瞬だけ赤く染め抜き、雷が落ちるよりも凄まじい破裂音に背中を冷たいものが走り抜けた。セイムが思わず視線を左後ろに逸らすと、ここぞとばかりにアイロアは右下から強く踏み込みを入れて斬り込んでくる。

「よそ見をしている場合か?」

「ちっ……!」

 すんでのところで剣を止め、刃先を掠めた前髪が数本落ち、彼の顎からもぽたぽたと汗が垂れている。ただしそれはアイロアも同じで、顔全体に汗が滴り、斬り込んだ拍子に汗の一滴が鼻先から飛んで、セイムの頬へとぶつかった。

 力を込めてアイロアを距離を取り、耳を澄ます。

 剣を交えている間、何かしらの破壊音や風切り音、爆発音が彼の耳にはずっと届いていた。だが、最後の強烈な音を最後に文字通り音沙汰がなくなってしまっていた。決着がついたのか、あるいはどちらかが逃亡したのか、金髪の騎士の剣を受けながら頭を働かせる。

そして決着がついたのならばどちらが勝ったのか。ミーナなのか、ショーンなのか。

 志半ばで散った傭兵なかまたちの最後の言葉を今でも思い出す。

家族へさよならを伝えて欲しい。死ぬ前にもう一度だけ嫁と息子の顔が見たかった。

 首筋を深く深く斬られ、声すら出せずに逝った者さえいた。

その時の彼らの断末魔と事切れた際の表情は、今でも夢に見るほど脳裏に焼きついている。

まさかミーナが負けたのだろうか。殺されてしまったのだろうか。

 セイムの顔を伝う汗までもが冷たくなっていく。

 敵を前にして気を取られたのが失敗だった。

いつの間にか眼前にいたアイロアの一閃はセイムの鎖骨に傷を負わせたあと、革の胸当てを深く傷つけ、腰に巻かれている鞘を繋いだ革紐を断ち、右腹から脇腹までを斬り裂いていた。

「一瞬の油断が命取りになる。お前は誰と戦っているんだ?」

 がくりと右膝をつき、セイムの顔が苦悶に歪む。

 真上から振り下ろされた追い討ちの刃を脊髄反射でかわして、地面を一回転してから血の滴る脇腹に手をあてがい傷の程度を確かめた。致命傷とまではいかないが、ずっと放置していられるほど浅くもない。

「鎖帷子に救われたな。それがなければ今頃お前の腹からは臓物がこぼれていた」

 地面に刺さった剣を片手で引き抜くと、アイロアはくっついた土くれを振り払う。

 一方セイムは、転がる際に口内に迷い込んだ雑草の葉を吐き出し、膝を起こす。

 三年前のあの時の感覚が蘇ってくる。四面楚歌に陥り、一手誤れば即座に死が待っていた戦場の感覚。

「ミーナに散々能書き垂れてたのに、これじゃ人のこと言えないわな……」

 彼女に戦いの心構えを説いていたことを思い返し、首を傾げて自嘲気味に舌を打つ。

 手加減をしないことと全力を出すことは違う。

 徐々に近づくアイロアを薄茶色の瞳に映しながら、セイムは四肢、そして剣を握る指先に全神経を集中させる。

仲間が傷ついたかもしれない状況で、戦いを楽しんでいる時間はない。

セイムの闘気が陽炎の如くゆらゆら霞み、手足へ集まった。

「……おや、もう終わらせるつもりか?」

「敵はお前だけじゃないんでね。全身全霊で行く」

「そうか、では私もそうさせてもらおう」

 言葉通りに剣を脇へ地面と平行に掲げると、わずかの闘気を四肢に残し、じりじりと距離を詰めつつ全身をゆったり覆っていた闘気が刀身に収束され、炎をまとったかの如く赤い輝きを放っている。

剣自体の長さも相まって、遠目からならば真っ赤な大剣のようであった。

「さっきのお前のやり方を参考に試してみたが、意外と出来るものだな。これで斬られれば鎧を着込んでいようとも間違いなく真っ二つになるだろう」

 セイムは軽く息を吐いて、剣を下段気味に構え直す。

「それでいいと思うなら来いよ。どの道これで決着だ」

「言われずとも……そうするとも!」

 アイロアの足が止まり、とうとう二人の間合いも残り半歩で届きうるほどに狭まった。そよ風がアイロアの髪と、破れたセイムの上衣をそよがせている。右足には脇腹に負った傷の血が流れていき、ズボンにじわじわと赤い染みを作っていく。

 まるでそこだけ時間が止まった空間のように、二人は姿勢すら崩さず睨み合っていた。

 燃えるようなアイロアの剣と、両手足に揺らめくセイムの闘気。

 舞っていた木の葉がセイムの顔面を横切った瞬間、アイロアは持てる力全てを込めて剣を打ち上げた。巻き込まれた地面が樹を根から掘り起こしたようにえぐれ、掘り起こされた土が石壁を挟んだ向こうまでつぶてとなって降り注いでいた。

 両膝をつき、剣を落とし、傷口を手で触れて血が滲むのを自覚していく。

セイムはアイロアが見切れない動きで、すれ違いざまに彼の腹から右大腿に渡って傷を負わせていた。これでは歩くこともままならず、まして戦うことなど絶対に不可能だった。

「へっ……残念だったな。今度こそ、俺の勝ちだ」

 剣を拾って杖代わりに立ち上がるが、そこまでだった。流れ出る血はアイロアの右足首までたちどころに湿らせ、ただでさえふらつく足元が剣なしでは姿勢さえ維持出来ない。

「最初からそれを使っていれば良かっただろう。貴様、手を抜いていたのか……!?」

 騎士の誇りを傷つけられたと思ったのか、五体満足なら懲りずに斬りかかってきそうなくらい表情を怒りに染めたアイロア。

「いや。四肢に力を集中させるのは、体力を異常に使うんだ。それこそ」

言葉を続ける前にセイムも膝から数瞬力が抜け、アイロアのように剣を突き立てて体を支えた。張り詰めていた気を抜くために大きく息を吐き、脇腹に手を添える。元より彼も負傷していたが、正面で脂汗を流す男ほど深手ではない。

「最初からこれを使ったりしたら、万全の状態でも十秒かそこらで倒れちまう」

 いずれにしても、アイロアはもう戦うことは出来ない。

 剣を抜いて端切れで拭き取り、音がした方を見据える。

  諦めて草むらに腰を下ろしたアイロアは、まるで友をからかうようにセイムに言葉を掛ける。

「体力が残り少ないながらも、そこまでしたというわけか。ふふっ、もしやあの女魔道士に惚れたのか? やや元気過ぎる気もするが、お前は女性を見る目があるな」

「はっ、そんなんじゃねえよ。てかまだ無駄口叩ける余裕はあるようだな」

 くっくっく、と愉快そうに肩を揺らす騎士から顔を背けて、セイムは小さく鼻で笑う。

「女を賭けた決闘か、私などよりよほど騎士らしいではないか。頑張ってくれたまえ」

 嫌味なのか激励なのか分からない文句を無視して、セイムは西側へと走り出した。




 静まり返った黒一色の庭先。

 魔法によって草むらへ燃え広がっていた炎も治まり、炭化した樹の表面が風に吹かれて砂のようにさらさらと飛ばされていく。

建物の片隅にしばらく倒れ伏していたのは、ようやくまぶたを開き始めたミーナだった。

「う……痛っ!」

 自ら行使した魔法の衝撃で飛ばされたのか、両手を突いてうつ伏せの体を起こそうとするが、腰と背中の痛みで力が入らずに地面と平行に落ちて胸を打った。

 体をひねって仰向けになり、顔面に掛かった髪をずらして尻を支点に何とか起き上がる。窪んだ建物の角に背中を、両手を壁に突っ張って大きく息を吐いた。口の中には土と炭と鉄臭さが充満し、背中が痛みはするものの、幸い手足にすり傷を負っているくらいで骨が折れたり大量の血を流しているわけではない。

 うつむいた姿勢から顔を上げて、視線を左右へ往復させる。

「ショーンさんは……どうなったんだろう」

 彼女の視界に人影はなく、草むらの焦げた葉でミーナの赤い服はすすまみれの煙突を潜り抜けたように黒々と汚れていた。

「あたしの……杖……」

  意識を失う寸前までその手に握っていた杖も見当たらず、痛む背中に体重を掛けながらミーナはずりずりと立ち上がる。あらためて遠くを眺めると、ミーナが魔法を唱えたと思しき地点は爆心地のように草が根こそぎ吹き飛び、詠唱文を書き込んだ髪飾りは宝石ごと黒一色に染まり、高熱で乾き切って固まった土が露出していた。

がたつく体に足を引っ張られながらも、ミーナはそこへ舞い戻って周囲を見渡す。

  魔道士にとって素早く魔法を放つための杖は剣や槍に等しい。戦場でそれを失うのは魔道紙の束を使い切るよりも危険となってしまう。

 瞬く星と月が光を放つ中、樹の陰から紅色の光がはね返ってミーナの目に届いた。

短く小さな杖を拾い上げると焦げも傷もなく、紅色の宝石もしっかりと杖に収まっている。

 だが、背中に強烈な衝撃が走ったと同時にミーナの視界は突如天地を回転した。

 それが自分の体が地面を横に転がったのだと気づいて瞳を上げると、二階のバルコニーには見慣れた人影がそびえ立っていた。

 服が焼け焦げて両腕と右足はほとんどむき出しになり、口元や体重を支える左腕からは手すりまで血の染みがつき、杖はぼっきりと折れてミーナの杖に近いくらいの長さまで縮んでいた。爆風でそこまで吹き飛ばされたのを示すように、手すりの一部もへし折れて見当たらない。

「よくもやってくれたな……。今すぐ殺してやる……!」

 起き上がったミーナが身構えると、ショーンの前を遮るように何発もの水弾が出現し、彼女を狙って間断なく飛んでくる。走り回る余力のないミーナはそれでも体を動かして避けようとしたが、鉛のように重たい体が思うように動くはずはなく、一発が右肩に直撃してまたもや地を這った。

「今のお前にここまで上る気力もあるまい……今度こそ仕留めてやろう……」

 ぜえぜえと息を切らせて、杖を胸の前にかざすと魔法の詠唱を始める。

 ミーナは腕を突っ張ろうとするが、もはや力が入らない。ショーンまで十メートル足らずの距離だが、魂火球を仰向けのまま何発も放っても上手く焦点が合わないためにろくに命中させられず、手すりの端や真下の壁、隣の丸裸になった樹をすり抜けて空の彼方へ消えた。

『爪の先から君の温もりが消え、不思議なほど冷めた別れ……』

 仮に発動を許してしまえば、ミーナは確実に死ぬ。

「セイム……」

思わずその場にいない、無事かどうかも分からない人間の名を呼んでしまうほど彼女は追い詰められていく。

  しかしよくよく見れば、ショーンの足元は立っているのがやっとと言えるほど震え、ミーナに負けず劣らず目の焦点も曖昧だった。それは言い換えればショーンも攻撃を回避出来るだけの余力もないということであり、そもそも彼は爆風をまともに浴びた挙句、バルコニー上の壁面に叩きつけられている。セイムやアイロアのように体を鍛え抜いた戦士ならいざ知らず、魔道士であるショーンが満身創痍でないはずがなかった。

「あたしがここで諦めてたら、みんなに怒られちゃうな……」

 悲鳴を上げる上半身に耳を貸さず、ミーナは体を起こす。膝とふくらはぎも引き裂かれるような痛みに顔を歪ませ、冷たく粘ついた汗を流しながら立ち上がった。

「魂に火を点けろ……『魂火球ファイアーボール』!!」

 まずはショーンの詠唱をいったん止めなければならない。杖の先から何発も火球を撃ち出し、手当たり次第に着弾させる。三発、五発、十発と後先考えないような乱射は壁、空、樹、扉、とそこら中を焦がし、爆ぜてショーンをわずかに怯ませる。そして十一発目の火球がとうとうアイロアの胸へ一直線に飛んでいった。

「やった……」

 命中を確信し、思いが口をついて出たミーナ。なのにショーンは焦らなかった。

 着弾の寸前に水の壁が現れ、火球を受け止めて少しの白煙を上げて消えると、何事もなかったかのように詠唱を続けていく。前髪が枯れかけたススキの如く乱れたショーンは、勝利に酔いしれた笑みを浮かべる。

「残念だったな……。いくら消耗してるとは言え、防壁を張る魔力も残ってないと思ったか! 終わりだ! 『氷塊フリーズ・ユア……』」

「周りを見なさい!」

 ミーナがショーンの左前方を指差すと、何度が火球が命中した大きな樹の上部が、ぐらりと彼の方へ傾いていた。彼は震える足を滑らせながらも力の限り飛び退き、樹は手すりをえぐり取って下へと落ちていく。

 壁に背を預けたショーンが怨嗟の声を上げるが、ミーナは吹き荒んだ風になびく髪を押さえながら肺の奥の息を吐き出して笑う。

「最初から樹を狙ってたのか……!」

「どう、詠唱失敗したでしょ?」

 魔法の詠唱中に集中を切らしてしまうと、どんな魔法であっても発動は途切れてしまう。

 今度は自分の番とばかりに、ミーナは数枚の魔道紙を一帯に展開させた。攻守が入れ替わり、ショーンが水弾で宙を舞う魔道紙やミーナ本人を狙うが、いずこかに消えていくばかりで当てられはしない。

「じゃあ、覚悟はいいですね……?」

 はっきりと全身が震え、必死に懐に収めた魔道紙を探す。だが動揺が激しいのか、そもそもどの魔道紙を使うのか自分で答えを出せていないのか、取り落とした紙が散らばり、何枚かは下へひらひらと飛んでいってしまった。

「高鳴る胸、手を伸ばせば届く距離、思いよ届け……」

「や、止めろ……止めてくれ……」

 顎が震えてかたかたと歯を鳴らし、顔色も自分が使いこなす水弾以上に青ざめていった。

  ミーナの鋭い視線は一切揺らがない。

ここで戦闘不能にしなければ、間違いなくショーンは牙を剥く。

「今すぐ私を抱きしめて……『女心融解メルト』!」

「うっ……ぎゃああああああ!」

  赤黒い小さな太陽がショーンを一飲みし、バルコニーを真っ赤に照らした。

  邪竜のうめき声ともとれる轟音を周囲にばら撒きながら、燃え盛った楕円の光球は陽炎のようにひとしきり揺らめき、やがて消える。

 再び闇が戻った時にはどさりと杖もろとも全身を焼かれた魔道士がバルコニーに転がったのだった。

「や、やった……」

 座ろうとした椅子を引き抜かれたように、ミーナの下半身から力がなくなった。

 風がまた強くなり、髪がなびいて彼女の視界を遮る。

「べたべたになってるなー……。後でまた湯屋に行かないと」

泥や汗で汚れた髪の先端をほぐしながら。目元を緩ませてぼんやりとこぼす。

 遠くに見えた人影に気づき、顔を上げるとすぐにそれが剣を手にしたセイムだと理解出来た。

「おーい! もう大丈夫だよー!」

 しかしミーナが安心したのもほんの束の間。

 セイムはようやく出血の止まった腹を押してでも走り出していた。

 彼はミーナ本人を見ていなかった。

 手を振る彼女の頭上、屋敷の二階ほどの高さに、吹雪に似た結晶が舞っていたから。

「ミーナ! 危ない!! すぐにそこから逃げろーっ!!」

「え、どうしたの……あっ!」

  両手と杖が丸ごと凍てつき、ほとばしる魔力を感じ取って上を見ると、見えるだけでも十本の人間大の大きさの氷柱が、上空の結晶を集めていた。

ミーナの周囲にも展開された青白い魔法陣と詠唱文字が花吹雪の如く舞い始め、それらがまた氷柱にくっついてますます大きくなっていく。

「えっ、嘘……。あたし、もう動けないよ……」

  もはや空を仰ぐだけのミーナに、立ち上がってその場を逃げ去る余力は残されていない。バルコニーを見てもショーンは倒れたままであり、周囲に散らかった魔道紙が光を放っている。

「そこまでしてあたしを殺したいの……? 何で……? あたしは研究所あそこにいちゃいけないの……?」

 魔法そのものはショーンの無意識下で偶然発動したものだが、これを止めるには完全発動する前に魔道紙を破壊するか、魔力の源たるショーンを何らかの方法で即死させる以外にない。

そして、両手と杖を封じられたことで、魔道紙を使うことも、そこから魔法を放つことももはや叶わなかった。

「ミーナ何してる! せめてそこから……」

 涙をぽろぽろと流しながら、ミーナは縛られた両手から力を失くして笑った。

「ごめんセイム。もう、駄目みたい……」

 たとえこの身が朽ちようともお前だけは必ず殺す。

 ミーナはショーンのそんな声が聞こえた気がした。

 上級魔法スペリオルを何度も行使し、尊敬していたはずの先輩に裏切られた彼女の肉体と精神はもう限界だった。

 ひっく、ひっくと肩を引きつらせて、自分を貫くであろう刃を見つめて泣く少女。

 目の前にいながら、救えなかった戦友がまた蘇る。

 仲間たちには家族がいた。きっとミーナにも帰るべき場所と帰りを待つ者がいるはずだ。

 戦友の遺体を家族の元へ返した時も、お前のせいだ、一生許さないと罵倒された。

 死なせたことに何も変わりはなかったから。

 俺はまた同じことを繰り返すのか? あれから全く成長していない。

 何のために強くなった? ただ自分が生き残るためだけか?

 脇腹に再び鮮血がにじみ、めくれ上がった鎖帷子の切れ端から絶え間なく血が流れ出す。

「もう間に合わないよ! 大丈夫、セイム。近づいたら巻き込まれるから、そこでじっとしてて……」

「ふっざけんな……動けないなら、俺がお前を助ける!」

  形成された十一本の氷柱が完全に形を成し、風が治まるとゆっくりとミーナに狙いを定め始める。

  セイムは開いた傷もお構いなしに猛然と駆けながら、突然右足に全体重を掛けて足を止めた。ただし、瞳に湛えた眼光に諦念的なものは一切感じられない。

「走っても間に合いそうにはない……ってことは!」

 ミーナを抱えて逃げるには間に合わず、仮に間に合ったとしてもこの体でミーナを抱えて正確に魔法をかわせる自信はない。かといって四肢に闘気を集中させるにしても、今の消耗具合では正確に闘気を操れる自信もまたセイムにはなかった。

 ならば残る闘気を全力でぶつけて氷柱を吹き飛ばすまで。

右手に力を込め、剣を下げたまま闘気をもう一度切先に集めていく。

「くそっ、くそ! もう少しだ!」

 負傷と度重なる闘気の使用で、肩先や手元で淀んで思うように刀身に気が集まらない。だがもはや一刻の猶予もなく、力んだ腹からどろどろとした血が再び流れて、膝どころか靴まで濡らしていた。

 朱に染まった彼の足に目を向け、ただでさえ流れていた涙をさらに溢れさせて雨粒の如く腿にこぼしていく。

「セイム、怪我してるじゃない……。あたしのことはいいから、もういいから!」

「良くねえ! 今集中してるから邪魔すんな!!」

 ふるふる首を横に振ったミーナへ叫んだ勢いも手伝ってか、せっかく引いていた汗がまた顔中から滴った。それでも意に介さず全身の生命力を搾り出して剣へ集めていく。

「お願い、止めて。セイムまで死んじゃう……もうショーンは倒れてるから、あたしが死んでも敵は捕らえられるよ……アイロアは倒したんでしょ?」

「関係あるか! お前は絶対に死なせない! だから、とりあえず黙ってろ!!」

 足腰立たないままのミーナが体をすくませながらも、初めてすがるような視線をセイムに投げ掛け、今にも壊れそうに笑いかけた。

 本当は死にたくない、助けて欲しい。

 彼女が心の底で叫んだ気がした。

 それだけでセイムには十分だった。

  立てなくなってもいい。動けなくなってもいい。それが一生続いても悔いはない。

 自分の探し物などそれらに比べればほんの些細なことに過ぎない。

 助けられる仲間を見殺しにするような人間に剣を握る資格なんかない。

 汗を噴き出し、歯を食いしばり、額や手の甲には血管が浮き出る。

 体中の生命力を隅から隅までひねり出して闘気に変え、その全てを背中まで振りかぶった剣へと注ぎ込んだ。

 氷柱が全てミーナへ照準を合わせ終える。

 先端には、おぼろげなミーナの泣き顔が映っていた。

 そしてようやく、セイムの剣にアイロアが見せた以上に濃縮された白い闘気の塊が宿る。

 呼吸を整えて、剣を高々と構える。

「間に合ったな……食らえぇーーーーーーっ!」

 咆哮を上げて斜めに放たれた三日月の如き一撃は、十一本の氷柱へと正確に直撃して一つ残らず粉々に打ち砕く。

 屋敷の外。

 ぼろをまとった少女と母親がささやいた。

「お母さん、これ何?」

「不思議だねー、雪の季節じゃないのに」

「でもきれいー」

 辺り一面に舞い散ったのは、宝石か、水晶か、雪の結晶か。

 月光と星の光に照り返され、まるで霧の粒一つ一つがきらめくような景色を、貧民街の住人たちも思わす見とれていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ