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第五章 beautiful fighter

「もう帰らない星屑と涙。鮮やかな悲しみだけが降り積もる大地……」

ショーンは杖を突き出し、水色の宝石が光を放つ。

流水群シューティングレイン!』

 何発もの拳大の水弾が天井付近に作られ、二人に連続して降り注ぐ。セイムは身をよじって時には水弾を斬り飛ばして対応するが、ミーナは広間をひたすら走って水弾から逃げ回っている。

 着弾した床はへこみ、絵画はいびつに額縁ごと砕けていく。

「魔法でかき消せよ!」

「無茶言わないで! あたしは〝火〟だから〝水〟の魔法は苦手なんだもん!」

「無駄話をしてる場合か?」

 水弾が治まった隙に、アイロアがセイムの正面まで詰め、剣を振り下ろす。しかし水弾を防御しつつもアイロアの動きに注意していたセイムは、冷静に鍔元で一閃を受けた。

 鋭い金属音が二人の間で響き、アイロアはすぐに距離を取る。

魂火球ファイアーボール!』

 アイロアたちから遠ざかったミーナが、すかさず二発の火球を打ち出した。ショーンはその場から動くことなく杖をかざして水の壁で火球を防ぎ、アイロアも身を屈めてかわす。

 火球が命中した燭台が壁から弾け飛び、不規則な軌道を描いて転がっていく。

 ミーナの左手には数枚の魔道紙が握られ、今度はそのうちの一枚が宙に舞った。

「させるか! 『水矢ウォーターシューター』!」

 水の壁を解除したショーンが素早く杖を薙ぎ、水色の矢が浮き上がった魔道紙を正確に射抜いて紙片を散らせる。

「残念でした、本命はこっち! 『暴嵐ストーム』!」

 しかし、死角になるよう杖に隠し持っていたもう一枚が朽ちるように霧散して、広間の半分が壁へ押しつけるような暴風に見舞われた。ショーンは成す術もなく壁へ激突し、アイロアすら剣を床に突き立て、風にあおられる外套を根元から引きちぎることで辛うじてその場に留まっている。

 突風で絨毯はめくれ上がって元の位置が分からなくなり、手前半分の燭台も一つ残らず先ほどの木片と共に部屋の片隅で瓦礫の一端となっている。

 剣を床から引き抜き、アイロアは首を鳴らしてため息をこぼす。

「……ここは騒がしいな。セイム、場所を代えないか」

 前髪が完全に後ろへ撫でつけられてしまったアイロアが柄に体重を掛けて立ち上がり、先日の自分のように背中を強打して座り込んだまま咳き込むショーンを一瞥してから、ミーナの手前に立つセイムへ問い掛けた。

「! またどうせ罠でも張ってるんでしょ! 行かせないわよ!」

 ミーナも片膝をついて立とうとするショーンに注意を払いながら、ショーンへ杖を差し向けて魔法を放とうとする。

「止せ。アイロア、望むところだ」

「ちょっと、セイム何言ってんの!?」

 前に出たセイムへミーナは歩み寄った。

「ショーンは一人で倒せるか?」

 顔は正面のまま、セイムは尋ねる。

「え……? それはどうにかするけど……」

「二対二よりも一対一が二つの方が戦いやすそうだ。魔法は便利で広範囲を攻められるが、少人数の戦いだと加減が難しいだろ」

 セイムの指摘に、ミーナの表情が図星とばかりに曇る。

「奴は頼む。その代わり、アイロアは俺が必ず倒す。ついて来い!」

 そうアイロアに叫ぶと、二人はまるで長年の戦友の如く息を合わせて穴から飛び降りていき、妙に片づいた広間には二人の魔道士だけが残った。

 やっと体を起こしたショーンが、唾と一緒に言葉を吐き出す。

「ちっ……余裕を見せているな、ミーナ。一対一で僕を倒せると思っているのか? それにセイムがいくら強くとも、アイロアに一対一で再び勝てるはずがない。お前もセイムも、その判断を後悔させてやる」

「あなたこそ、あたしと戦ったことを後悔させてあげます。味方が近くにいなければ、手加減の必要もありませんからね!」

 束ねた後ろ髪を指で弾きながら、まだふらついて杖で体を支えるショーンへミーナは魔道紙を展開し、魔法陣が文字と共に拡大されてショーンを中心に部屋一杯に広がった。

 同時に魔法紙が燃えると、部屋の半分が閃光へ包まれる。

 爆炎は、既に突風を受けて弱った広間の半分を壁や扉、天井ごと容易く消し飛ばした。




 一階の広間で向き合っていたセイムは、突然の振動と爆音、天井からぼろぼろと降り注ぐ塵芥に眉だけを潜める。

「おやおや、彼女の方かな。見た目も過激だが、戦い方はもっと過激だな」

 アイロアは肩に掛かった塵を払い落とし、くつくつと肩を揺らす。

「国に背いたお前が言える口か」

「ふふふ、違いない。それに、決闘は嫌いではないだろう?」

 話し終わる前に、セイムの足は床を離れてアイロアへ一直線に突撃していた。

 耳障りな音が小奇麗な広場に響いて、剣越しに二人が視線をぶつけ合う。

「はっはっは! 余計な邪魔は入らない!」

 一瞬剣を引いたセイムが踏み込みを入れて剣を振り上げ、アイロアは長剣を下に回して受け止めるが、衝撃に負けて体が後ろに飛び、踵をこすらせて勢いを殺す。

 体勢を崩したアイロアへ、一瞬の間も置かず真上から剣の切先を打ち下ろす。

「ぬうっ……!」

右に飛び退いて攻撃を避けたアイロアに、セイムはすぐそこの壁に追い詰め損ねたことを小さく舌打ちする。

戦いにおいての経験ならばセイムよりも上。

「ふう、危なかったな。次はこちらから行かせてもらおう!」

 剣を脇に構え、碧眼がセイムを射抜く。アイロアの右足が動いたとセイムが思った瞬間、長剣が弧を描いて彼の足元から迫ってきた。

「っ……!」

 無意識にセイムの喉から吐息が漏れる。剣閃の速さだけではない。まるで斧を叩きつけられたかと錯覚するほどの衝撃に全身が跳ね上がった。空中で一回転してアイロアへ視線に捉えると、猛然とセイムの左側から斬りかかってきていた。

すぐさま剣を逆さに構えて一撃を止めるものの、錆びついた鐘を鳴らしたような鈍い音がセイムの鼓膜と腕に伝わり、丸めたちり紙のように広間の空間を飛んで老朽化した壁を砕き、屋敷の外へ転がった。

「痛って……」

「どうしたセイム。あの時のお前はもっと私を楽しませてくれたぞ?」

出っ張った壁の一部を蹴飛ばしてアイロアが顔を出した。セイムは首を鳴らしながら立ち、肩当に左手を当てながら腕をくるくる回している。

「なあアイロア」

「何かな?」

 数歩先の間合いで、あれだけの威力を持ちながら刃こぼれ一つないアイロアの長剣に目をやり、手応えから得た確信をぶつける。

「お前、〝闘気〟を扱えるようになったろ?」

「……やはり気づいたか。お前こそ、石膏と石を組み上げた壁をぶち抜いたのに立ち上がれるのはどういうことかな? 受身や胸当てだけではあの衝撃は殺し切れまい」

「俺も多少は扱えるさ。ただ、三年前にお前と戦った時は扱えなかった。今では、闘気を剣に集中させて切れ味を上げたり、背中に集中させて衝撃を和らげたりは出来る」

「なるほど、そこまでの用途があるのか。私が出来るのは、剣や腕に闘気を集めて威力を上げることと、下肢に集めて機動力を上げる程度だ」

 言い終わると、またもやアイロアはセイムに肉薄して脇からの太刀を浴びせ掛ける。

「それだけ出来れば十分だろ!」

「まだだ! この力は底が知れない! まだ高みに近づく余地がある!」

今度は一太刀では終わらず、金髪を振り乱しながら一歩踏み込むごとに右から一閃、左上からもう一閃と畳み掛ける。防戦一方のセイムはアイロアの攻撃に合わせて一歩一歩下がりながら、壁に追い詰められないようにしつつも反撃の糸口を探っていく。

 頭一つ大きなアイロアは獲物の長さもあって間合いも広く、迂闊に踏み込めば餌食となり得る。

それを理解してか攻め自体も果敢で、剣士としての技術も三年前よりますます研鑽されている。闘気を知らない並みの傭兵ならば一刀の元に斬り伏せられるか、防御しても武器ごと真っ二つにされても不自然ではないほどだった。

 鋭い突きが既に傷跡のあるセイムの右頬を掠めたことで、彼の瞳が再び灯された蝋燭の如く光を取り戻す。

今の位置取りではたとえアイロアを斬っても無力化するには足りない。胴体や足には剣が届かず、かと言って手甲に守られた右腕を斬りつけるのは得策ではない。

 セイムは反射的にわざと手から剣を滑らせ、アイロアの突き出た右手首を右手で、肘を左手でがっちり掴むと、上半身から下半身と全身を捻って力の限り投げ飛ばした。

 常人ならば投げ飛ばされる前に極められた肘や手首が折れるほどの痛手を追い、受身も叶わず地面と平行に飛び、でこぼこした石壁に背中を強打する。背中も鉄に守られているとはいえ、とても平然と立ち上がれるような生やさしい衝撃ではない。

 だがセイムは間髪を入れず、その場でアイロアがしたような脇構えを取り、闘気を剣一点に集中させた。

「う……ぐぅ……?」

 倒すなら今をおいて他にない。

 四つん這いで焦点の定まらないアイロアへ剣を振り上げ、闘気を圧縮した、人の身の倍はありそうな斬撃を放った。

 至近距離で砲弾が着弾したかの如き轟音と、組まれた石が大きな爪痕を残して砕け散り、周囲にごろごろと転がっている。

 こんなものをまともに食らえば助からないどころか、人の形を留めているかすらが怪しい。四肢や内臓が踏み潰された昆虫のように飛び散り、それが人とあれば直視に耐えられない有様になっているのは容易く想像し得る。

「ふぅ、くそ……」

 だがセイムが決して消耗の少なくない大技を放ったのは、アイロアが到底手を抜いて倒せるような相手ではないと感じたからだった。下手に長引かせることは体力の消耗に繋がり、徐々に追い詰められていく可能性と、一刻も早くミーナの助太刀に行かなければという考えから、早期決着を選んだ。

 しかしセイムの表情が優れないのは敵を無残な形で殺したからでも、大技を撃って体力を消耗したからでもない。

 分厚い土ぼこりの中から、確かにアイロアの闘気を感じ取ったため。

「一閃を飛ばすなど、闘気を使いこなせばここまで出来るのか……素晴らしいな」

 茶色の煙幕越しに映る、黒く浮かんだ影が声を放った。

「しかし、好機と見れば遠慮ない一撃を放つ。戦いにおいては至極当然のことだが、なかなか出来ることではないぞセイム」

 夜風でようやく治まりかけた土ぼこりから体を出したアイロアは、頭から多少の血を頬に流していることを除けば、取り立てて怪我をしている風ではなかった。足取りはもたついていないが、かといってあの体勢で攻撃を避けられるとも思えない。

「さっきも言ったが、俺の名を気安く呼ぶな……」

 セイムは繰り返し呼ばれる自分の名に噛みつく振りをしながら、髪にまとわりついたほこりを振り落とすアイロアを注視する。

 剣で防御したのだろうかとも考えたが、アイロアの握る長剣に傷みや変形の類は一切見受けられないことを鑑みると、石壁に自分の背丈よりも大きな爪痕を刻んだ一撃を耐え抜いたとは到底思えない。

「……ん?」

 ふと崩れた石壁の残骸を見渡すと、歪な石の破片に交じって、アイロアの胸当てと同じ銀色の物体に目を奪われた。

「……くそ。盾か」

 にやりとアイロアが笑う。

「背中に仕込んでいたものさ。あの一瞬で取り外して構えられたのは幸運というほかなかったがね。吹き飛ばされた衝撃で金具が外れかけていたからな」

上を向いて落ちている逆五角形の盾は右下から左上へ一直線に深い傷がついており、あの斬撃を真正面から受けたことを物語っている。アイロアがほぼ無傷なのを見た限り、あえて体を起こさずうつ伏せのまま防御体勢に入ったと考えるのがもっとも自然だった。頭から血を流しているのは、石壁を破壊した際に飛んできた石でも当たったのだろう。

「……ったく。思うようには行かないもんだな」

 アイロアが無事に両足を地に着けている以上、再び剣を交えるしかない。そう考えて思考を切り上げ、セイムは羽虫を追い払うように剣を真横に振った。

「戦いとは概ねそんなものだ。お前もよく知っているのではないか?」

「そうだな……」

「ならば気にするな!」

 地面を蹴り、アイロアお得意の脇構えからの斬り上げがセイムへと襲い掛かる。軌道を読んで右に跳んだ途端、中空を向いた刃がそのまま彼の首目がけて放たれて、セイムは剣での防御に回った。

 しかしセイムも今度は後手後手ではない。鍔元でアイロアの剣を受けると、すぐに身を引いてむき出しの左鎖骨へ狙いを定めて剣を振り下ろす。

「あの時と同じ轍は踏まん!」

アイロアの碧眼が絞られ、腕力差に体を押されつつもセイムの剣を受け切った。

 体格や間合いにおいてはアイロアが有利でも、力でセイムは負けない。

 幾度も打ち合う二人は、そのうち顔や手足から汗を流し、散らし、命のやり取りをしているはずなのに、なぜか口元には笑みがこぼれている。

 かつて自分の半分程度しか生きていない少年に遅れを取ったことをアイロアは悔しがり、腕を磨いた。セイムもまた、彼と再び戦えることを内心では喜んでいた。

 元より、セイムは三年前にアイロアに勝利したことを己の実力とは思っていなかった。

 育ての親兼師匠から許しを得て傭兵組合に加盟し、十五歳を迎える少し前に独り立ちしてこの仕事を始めたセイム。いくら剣の腕に長けているとはいえ、当初は慢心や経験不足から負傷することも多く、そのたびに医師や薬師、あるいは怪我の治療を生業とする魔道士の下に通う羽目になってしまっていた。

 若く、少年と見紛うような体格の彼が最初から大きな仕事を請け負えるはずはなく、なけなしの収入も日々の糧と治療費に消えていく。そんな日々が半年ほど続いた折に、リックベートで造反した騎士団長を捕らえよとの勅命が組合へと下ったのだった。

 当時たまたま王都ミラドに滞在していたセイムは、一も二もなくそれに飛びついた。現状を打破するため、自分の傭兵としての株を上げるにはここで手柄を立てなければならないと。

 しかし、戦況は予想以上に悪かった。アイロア率いる二百人足らずの第二騎士団と、急場しのぎで数百人の兵を集めて拵えた義勇軍という名の反乱軍が占領するリックベートはそうそう簡単に落ちるものではなかった。

 リックベートそのものが守りに適した城壁まがいの市壁を備えていたことや、アイロアを始めとした第二騎士団が戦慣れしていたことに加え、住民自体を人質に取っていたために迂闊に攻め込めなかった。要求に応じて搬入させた物資などに兵を紛れ込ませて潜入させるなどの策を取ったりもしたが、ことごとく返り討ちに遭って市壁から死体を投げ落とされるなど、セイムを含む駆けつけた傭兵一同が渋面一色に染まるほどだった。

 辛うじて生き残り、命からがら市壁から身を投げて脱出した兵士からアイロアの居場所は突き止めたことで、国側は無謀とも言える突入作戦を傭兵たちに命令した。

 およそ五十人程度の傭兵が数人ずつ分かれ、本隊が正面に当たる南門から攻撃をして気を引いている間に、後詰で到着した魔道士の瞬間移動トランスファーで傭兵たちが内部へ侵入し、首謀者アイロアを確保、あるいは討ち取る。

奇しくも、今回の任務とよく似ていた。

 セイムも二人の傭兵仲間と侵入を果たしたが、目的であるアイロアがいた裏通りの広場へ辿り着いたのは二人だけだった。

 一人は後ろからの不意打ちで腹を貫かれ、もう一人共に辿り着いた者も騎士たちに囲まれて追い詰められ、先頭にいたアイロアに一か八かで斬りかかるが、すれ違いざまに首をはねられて命を落とした。他の傭兵たちがどうなったかは問うまでもない。

「覚えているか? 三年前、リックベートで私とお前が初めて剣を交えた時のことを」

 敵地で仲間を失い、多対一の絶望的な状況で彼の集中力は研ぎ澄まされていく。

 あるいは彼を包む殺気に当てられて、新たなる境地に目覚めたのか。

 先手を打った敵兵がセイムに剣を振り下ろした際、そこにいた誰も目で追うことの叶わぬ速さで体を右に避け、兜と鎧の隙間から覗く首をかっ切り、呆然としていたアイロアの懐へ詰めて一の太刀を見舞ったのだった。頚動脈から滝のように鮮血を溢れさせた兵士が倒れるより早く、剣と手甲で無理矢理受け止めたアイロアを押し切る。

「……ああ」

 剣を真横に振り抜いて距離を開き、加勢に入ろうとする部下を手で遮って、アイロアは面の向こうで笑いながら狭まっていた視界を広げるべく兜の紐を緩める。

 白銀の装甲に身を包んだ二十人以上の兵士たちに見守られながら、若き傭兵と兜を脱ぎ捨てた騎士の決闘が始まった。

 過去を思い返しながら斬りつけ、斬り返されと、徐々に押され気味になりつつあるはずのセイムは微笑んでいた。

 滅多に出会えない宿敵と剣を交えられる喜びと、弱い者をただ斬り伏せるのとは違う、実力の拮抗した者と剣を打ち合うほどに得られる刹那的な快楽。

「三年前は私が遅れを取った! 今でも時々傷がうずくのだ。だが、今日こそは勝ってみせる!」

 何十合と打ち合い、思わず体の重心が崩れた隙にセイムの刺突が左鎖骨上部を貫いたことで当時は決着となった。

 アイロアの左の肩当の側、鎖骨の上には綺麗な肌にそぐわない傷跡が今もありありと残っている。それを作った相手を前にしているためか、うずきを静めるように左肩を回してから左手を剣の柄へと戻す。

「やってみろよ。あの時俺が勝てたのは運が良かっただけだ。けどな、今日は実力でお前に勝ってみせる!」

 かつてのように古傷を狙った刺突は剣で軌道を逸らされて肌を掠り、お互いの長剣と片刃剣を交差させて両者は闘気をもぶつけ合う。

「思えば、貴族として立ち振る舞っていた頃には味わえなかったものだ! 私は世間知らずだった! 私に剣で敵う者などおらず、私がひとたび剣を握れば誰にも止められないと思い上がっていた! しかしお前は私の自身を打ち砕き、同時に忘れかけていた戦いの楽しさを思い出させてくれたのだ!」

 鍔迫り合いを避けて体を引いたアイロアへここぞと追撃を行なうが、これもまた遮られる。彼は指揮棒の如く剣を振りかざして声高らかに叫んだ。

「そしてお前をここで破り、もう一度散り散りになった仲間を集めて、私は目的を果たす!」

 セイムの眉がぴくりと上がり、腹に据えかねた感情を吐き出す。

 剣から左手を離し、そこには拳が強く握られていた。

「何のために戦うか知らねえがな! 騎士の名を背負っておきながら他人を巻き込んで反逆者に成り下がった野郎に負けるつもりはねえ!」

 その途端、今までは声を荒げながらもどこか爽やかさすら漂わせていたアイロアの雰囲気が、禍々しく揺らめいた闘気と共に一変した。

「お前に何が分かるのだ!!」

 憤怒に染まるアイロアが放った一太刀は今までと比較にならないほど重く、長剣にはそれが納得出来るほどのうねりを上げた闘気に包まれていた。

 セイムは蹴飛ばされた小石のように軽々と舞い、真後ろの樹に叩きつけられる。その反動で樹に縛られていた紐がちぎれて、だらりと垂れ下がる。

「何事もなくともあのままではいずれ我が家は没落し、行き場所も失っていた! 名を失った貴族の末路がどんなものか、お前は知るまい!」

 猛進してきたアイロアを見てすぐさま立ち上がり、聖典の挿絵に描かれた天使の剣に匹敵する一撃を回避する。セイムの予想通り樹は鉈を振り下ろされた薪の如く真っ二つに切れ、軋みを上げて屋敷側へと倒れた。

「……いずれにしろやらせる気はない。仕切り直しってやつだ」

 切り株を挟んで、もう幾度目か、再び両者は向き合った。




 古びた屋敷の二階では、二人の魔道士が魔法弾の撃ち合いを繰り広げていた。

 かつて集会や舞踏会が行なわれていたであろう広間は崩落した天井の一部や倒れた柱がそこかしこに落ちており、ミーナはそれらに隠れながらこまめに火球を放っていた。

「どうしたんだ? お前の実力はその程度なのか」

「そんな安っぽい挑発なんか乗りませんよ!」

 どこからともなく聞こえた声に牽制代わりの魂火球を数発杖から放り投げて、いったんミーナは思索へ耽る。

 属性の相性ゆえ、真正面からの魔法の撃ち合いは得策ではない。奇襲をかけようにもショーンの正確な位置は分からず、魔法を放つことによって大まかな位置を知られてしまう。だが牽制を止めて罠を張ることに集中しようとすれば逆に罠を仕掛けられる恐れもあり、かといって下手に近づいて苦手な〝水〟魔法を至近距離から撃たれてしまうと、途端に窮地に陥ってしまう。

「〝水〟に有効な〝風〟の魔法は準備してるけど……どっちにしろ相手が見えないと……おわっ!」

 渦巻く葛藤に頭を悩ませていると、二発の水弾が彼女の足元に着弾し、折れた柱に寄り掛かっていたミーナは思わずよろめいた。左手を柱に当てて倒れるのを回避してから、魔法の飛んで来た位置と気配を頼りにまた魂火弾を投げ返し、頭上や周囲に注意を向けさせる。

 少なくとも、ショーンに不意打ちされるのだけは避けなければならない。

 周囲を窺いながら駆け足で狭い通路と化した道を進み、天井の破片から顔を覗かせて辺りをきょろきょろと見回す。

「ふふふ、自ら出てこないのは賢明な判断だ。しかし、これならどう出る?」

 どこからともなく声が響いたかと思うと、突如ミーナの胸元を水色の光に似た何かが通り過ぎ、矢傷のような穴を開けて屋敷の外へ消えて行った。

「揺らぐ陽炎。過酷な旅。冒険者たち。『水弾前線ニューフロンティアー』!」

 直感的にその場を逃れると、何本もの光の筋が鋭利な槍の如くミーナのいた場所を貫いた。時に額、膝、指先を掠めながら足を動かして、握っていた魔道紙を一枚取り落としながらも襲い来る水色の光から逃げ惑った。

 ただしショーンもミーナの位置をはっきり掴めているわけではなく、多くはあてずっぽうの乱射と化して二階に切り分けたチーズのような風穴を増やしていた。

そして、この種類の魔法は性質上例外なく術者から一直線に飛んでくる。

ショーンが無駄撃ちをするほど、ミーナも彼を狙いやすくなるということでもあった。

「位置さえ分かれば……こっちのものよ」

風穴からショーンの居場所を確かめ、上衣から魔道紙を抜き取って頭上に掲げる。

「傷つくことを避ける度に、優しい奴だと思われる」

「くっ……また〝風〟か!」

周囲に湧き上がった魔力の気配に、片膝をついて杖をこちらに差し向けていたショーンが顔色を変えて動き出す。

「遅いわよ。『空圧砕スカイ・プレッシャー』!」

 谷底の風鳴りのように大気がうめき、風の塊がショーンをうつ伏せに押し潰した。反射的に出した水の壁も飛沫となって意味を為さず、周辺の石ころや砂粒は風圧で吹き飛び、血反吐を吐き出して杖を手から転げ落とす。

 それでも即座に、痛みに全身を震わせながら魔道紙を展開した。

「あがっ……これならどうだっ……!」

 口から血と涎を垂らし、目つきも血走ったショーンの正面に展開した五芒星から猛烈な突風がミーナへと飛び、直撃して壁をあっさり突き破って、きりもみしながら数秒の間空を舞っていた。

 予想以上に壁も傷んでいたのか衝撃はさほどでもなかったが、問題はその風が止んで飛ばされるのが収まった後だった。

「あいたたた……え? 嘘ーーーーーっ!? 死ぬーーーーっ!!」

 瞳を開ければ屋敷どころか貧民街すら見渡せる空からの景色に、ミーナの全身が総毛立った。

 当然の如く体は屋敷へ向かって垂直落下を始め、適当に飛ばされた紙飛行機の末路のようにゆっくりくるくると回りつつ墜落していく。

「どどどどうしよう、どれか風の魔法で……ってこの状況じゃ役に立たなーい!」

 完全に涙目のミーナは目尻から滴を飛び散らせて混乱しながらも、みるみるうちに地面は近づいて来た。

「あっ、そうだ! こ、これがあった!」

震える手で杖を後ろ手に持ち、魔道紙片手に眼前に広がる草むらへ文字と魔法陣を撒き散らす。

「風に揺れる心を抱えたまま、痺れるような眼差しを忘れないで、『直烈風ブローイン』!」

 今まさに地面へ叩きつけられる寸前、足元から吹き荒んだ烈風がミーナの体を受け止める。だが都合良く魔法を加減して着地することは叶わずに、暴風が逸れてあさっての方向に彼女を弾き飛ばして一階の木窓を破ってごろりと転がる。腰と左腕を打ちはしたが、上空から丸腰で地面に直撃するのに比べれば大したことはない。

「うー、危なかった……。あいつ、絶対に許さないんだから……ん?」

 なぜか感じた人の気配に蝋燭の灯された部屋を見渡すと、十人以上の男たちが文字通り転がり込んできたミーナを気味の悪い熱視線で包んでいた。

「おいおい、女だぜ」

「団長の言ってた魔道士って奴だな。よく見たらいい体してんな、顔も可愛いぜ」

 眉をしかめて腰の痛みが薄らいでしまうほど、壁を背にして座り込んでいるミーナをぞろぞろと取り囲む男たちはむさ苦しく、獣臭い息を吐き出していた。

「やっちまうか?」

「どっちの意味だよ? それに団長には手を出すなって言われてたろ」

「細かいこと言うなってば。両方に決まってるじゃねえか」

「お嬢さん、覚悟してくれよぉ?」

 正面に立ち塞がった斧を背負った巨体の男の足元を縫って、ひらりと部屋の中心に紙が滑り込み、薄紅色の輝きを放ち始める。

「……何だいったい?」

「あんたらの相手なんかしてられないわよ!」

ミーナはふんと鼻を鳴らして自分が突っ込んできた風穴をそのまま戻って杖に光を灯らせると、狭苦しい部屋が耳をつんさぐ爆音と共に弾け飛んだ。

「ごおっ!」

「うぎゃあ!」

窓や壁の破片が飛び散って、口々に悲鳴を上げながら服や肌を焦がした男たちがあちこちに転がり、意識のある者は痛みにあえいでいる。

 体をはたいたミーナが視線を左にずらすと、一人の男がそこに立っていた。

 肩で息をしてはいるが、まだ瞳には強い敵意を宿したままで、再び杖の宝玉をミーナへと向けてくる。

水弾ウォーターシューター!」

 今度は障害物になり得るものはほとんどない。放たれる水弾を避けるべく、駆け寄ってくるショーンとは平行に全力疾走し、つかず離れずの位置を保って、ようやく聞きたかったことを口にした。

「ショーンさん! そもそもどうしてあたしを狙うんですか!?」

 走りながら怒鳴るように声を上げていたが、言葉はしっかりショーンの耳に届いていた。

 足を止めてしばしその場で彼女を睨みつけたあと、幽鬼のようにゆっくり目元から顔を歪めていく。

「自分の……立場を守るためだ……!」

「は……?」

 思わずその場に立ち尽くしたミーナに思うところがあったのか、ショーンは一度杖を下ろし、えらが張るほど食いしばってかたかた鳴っていた歯から力を抜いて、言葉を紡いでいく。

「僕は七年前に試験を受け、研究所に入所してから、八十年の歴史を誇る王立魔法研究所一の逸材だと皆から称えられた。所長や上層部も僕に目をかけ、研究にも惜しみなく援助をしてくれた。僕も期待に応えるべく理論の解明や新しい魔法の発見・開発にずっと取り組んでいたんだ」

  話の脈絡が掴めず、訝しげに瞬きを繰り返すミーナの頬と前髪をさらさらと横風が撫でている。

「だがあっという間に二年が過ぎた。なのに僕は一向に結果を出せず、時間が経過するごとに徐々に周囲の対応も冷ややかになっていった。上層部は僕を邪魔者扱いするようになり、所長も僕に冷たく当たり始めた。最初は僕にごまをすっていた先輩たちもそのうち無視をしたり面倒な仕事を押しつけるようになった。それでも僕は研究所から追い出されまいと、誇りをかなぐり捨てて周りに媚を売り、目の前の仕事をこなし続け、気がつけば五年の月日が流れていた」

 空高くそびえる月を感慨深げに見上げながら、柔らかくそよぐ髪に手を当てるショーン。月光の反射する瞳は、まるで涙を流しているようだった。

「そこに、ミーナ=ビット。お前が入ってきた。史上最年少で、史上最高成績を修めてな」

「……え?」

「僕も含めた周囲は知らせなかったがな。お前が入所試験で叩き出した点数・評価は筆記、実技共に過去最高だったんだ。あの人を見る目が厳しい所長すら、ミーナ=ビットならばいずれは……と話していたくらいだからな」

 ミーナが、信じられないといった風に杖を両手で握り締め、胸元に引き寄せる。

「お前に冷たく当たる者は多い。ただでさえ男社会の魔道士たちだ。研究所にあと二人いる女魔道士共すら、お前を恐れていたんだ。きっと……いや、皆怖いのだろう。自分が追い落とされて居場所を失うのが。結局、魔道士は他に生きる道を探すことは出来ない。だからこそ、優れた後進に研究所あそこから追いやられてしまうのが。それは……僕とて、同じなんだ」

 虚ろだった瞳に再び生気が戻り、ショーンは一歩一歩歩み寄って指を差す代わりに杖を真っ直ぐミーナへと構える。

「ミーナ。お前には、他者を蹴落としてでもこの道を進む覚悟があるのか?」

「それは……!」

 ミーナが首筋から冷や汗を一筋垂らし、気圧されたように後ずさるが、一瞬だけ逸れた視線をもう一度ショーンへ戻すと、彼は向こう見ずな少女を諭すように言う。

「魔道士は皆必死だ。手柄、あるいは研究成果を上げるべく鎬を削り、必要とあらば仲間の妨害も厭わない。事実上の敵だからな。あくまで僕の意見だが、お前は厳しいようでその実とても優しい。そんなお前には、ここは向いていない気がする。魔法の研究や開発はどこでも出来る。お前ならば、それこそこの町に住んでいるレストンのように、書き物で生計を立てながら研究を続けるのも簡単なはずだ」

「……レストン=ドークと知り合いなんですか?」

「かつての学友だ。共に学び、共に卒業し、共に試験を受け、僕だけが研究所に入ってからは交流も半ば途絶えたが、奴が研究所に入らなくて良かった。穏やかながらもどこか繊細な奴だったから、もし入所していたならばきっと精神を病んでいただろう」

 ミーナの脳裏には、自分が今まで世話になった、支えになった人たちの顔が過ぎっていく。同じようにショーンがこれまで研究所で過ごした七年、あるいは魔法学校に通っていた何十年の間にも、様々な出来事があったのだろう。

 全てを推し量ることはとても出来ないが、それでもその心情は察するにあまりある。

「もし覚悟がないのならば、今すぐ尻尾を巻いてどこかへ消えるんだ。そうすればこれ以上お前の命を狙いはしない。戦いに怖気づいて行方不明になったと所長には伝えておこう。セイム=ワドルにもそう伝えて、僕自身も敵の振りをしていたと言ってアイロアを仕留めれば納得するはずだ」

 しかしこの言葉で、ミーナの頭のどこかで感じていた疑問が鎌首をもたげた。

「……あなたがあたしを狙った理由は分かりました。けど、あなたは他人を利用することしか考えていないんですか!? どんな理由でアイロアと組んだか知りませんけど、そんな簡単に掌を返すんですか!?」

 魔法を放つように短い杖を大きく振り、人形のように無表情で見つめるショーンへ感情をぶつけた。

「……彼とは利害の一致で組んだに過ぎない。僕もアイロアも、自分の目的のために動いてるだけだ」

「そもそも、奴とどこで知り合ったんですか」

「全くの偶然だったよ。一ヶ月ほど前、僕はたまたま別件でここから南のケトリアスの町を訪れていてね。そこの潰れかけた酒場で出会い、優秀な魔道士を探していると持ち掛けられた。立場上国側の情報も流すことが出来るから、密偵を行ないつつわざと国側にもアイロアの情報を不穏分子と言う形で流したんだ」

「じゃあ、アイロアにとっては計算ずくってこと?」

「ああ。不穏な動きがあれば必ず国家は密使を差し向ける。密使には魔道士が就くのが定石で、そういった任務で真っ先に動かされるのは立場的に僕か、お前しかいない」

「それって……ならあたしたちがここに来たのも……」

「僕の計算通りだ。たまたま近くにいればそのまま任務に参加しろと言われるのは目に見えているし、ミーナが傭兵を連れてここへ来るのも予想していた。もっとも、その傭兵であるセイム=ワドルが予想以上の手錬だったということだが。しかもアイロアとの因縁まであったとは」

 ミーナはうつむいて歯を食いしばる。

「つまりあなたの中ではあたしと一緒に来た傭兵は最初から始末するつもりだったってことですね。あたし一人を排除するために無関係な人間まで巻き込むつもりだったんですか? しかも犯罪者とはいえ、手を組んだ相手を裏切ってまで!」

「言ったはずだ。他者を蹴落とさなければ上に上がることは出来はしない。これは魔道士に限った話ではなく、王侯貴族や傭兵、日々を生きる町人ですら変わらない。この場合は、蹴落とした他者が結果的に死ぬかどうかというだけの話だ」

 自分の居場所を、立場を、誇りを守るためならばいかなる犠牲も厭わない。ショーンの瞳は貧民街を流れる下水などとは比べ物にならないほど濁り切っていた。

「あたしは、きっと心のどこかで、あなたに憧れていました……。どんなに難しい仕事を頼まれてもその日のうちに済ませて、いつも夜遅くまで蝋燭の灯りで羽根ペンと魔道書を読みながら研究に耽っていたのを見てきました。写本用の羊皮紙とインクを急遽集めるために一日中リックベートを駆けずり回って、深夜に研究所に戻ってからも朝方まで自分の研究に時間を割いていたことも知ってました。いずれあの人のようになりたいと思ってたんです、けど」

 ミーナは目頭に溜まった滴を左手の甲で擦り、かすれた声で言い放つ。

「今のあなたの行いはあたしが目指すものとは違います。あなたのような最低の魔道士になる気はありません……!」

 それが裏切られたと感じた怒りからなのか、はたまたショーンの本質に気づけなかった悔しさなのかは彼女にも分からない。

 そして、ショーンはそれだけ言われても眉一つ動かさない。

「何とでも言えばいい。で、ここから消えるのか? 消えないのか?」

「あなたの思い通りになるつもりもありません! あたしは、研究所あそこでやるべきことがあります!」

「そうか」

 力の限りに声を張り上げたミーナへ、底冷えするような返事と共に草むらに紛れて仕掛けられた魔法文字が輝き、まるで土砂降りの雨の中に立ち尽くすように膨大な水滴が周囲を覆い、彼女の全身を無慈悲に包み込んで鶏卵に似た楕円形の水球が浮き上がる。

『ごぼっ……』

「では望むように死ぬがいい。僕には、アイロアの助太刀もあるからな」

 肺にまで流れ込んだ水で呼吸が出来ず、もがいても息を吐いても気泡は外へ出て行くだけ。吐き出せる空気もあっという間になくなって、足をばたつかせても外へ出られるはずはなく、ミーナの体力をいたずらに奪っていくのみ。

 魔法を使おうにも詠唱は不可能で、魔道紙を取り出すにも痺れる指先では狙い通りの魔法を使える保証はなく、引っ張り出した魔道紙が何の魔法なのか確認する余裕もない。

 丸みを帯びた水面の先を、朧月を眺めるように意識が遠のいていく。

 消えていくショーンの背中。神学者のように髭と髪を伸ばし切った険しい所長の顔。

  まぶたの裏で今は亡き養父母や、老執事たちが微笑みかける。

杖を握る右手の指が一本ずつ緩み、離れていった。

 緩んでいた髪飾りの留め金が外れ、逆立ったように黒髪が浮き上がる。

 しかしここで、慣れ親しんだ後ろ髪の感触を失ったミーナの意識が呼び戻された。

『髪飾り……。そっか、この手があった……』

 眼前に漂う杖を再びその右手にしっかりと掴み取り、左手で金具に絡みついた髪を残る力を振り絞って引き外す。そして髪飾りと水中に漂っていた杖を体の前に出すと、杖の先端と髪飾りの中央にあしらわれた宝石、そして今にも途絶えそうだったミーナの瞳が真っ赤な光を宿した。

『あたしを甘く見るな……。『噴炎破エクスプロージョン』』

 水中で言霊は紡げていないが、髪飾りの裏にびっしり刻まれた詠唱文と魔法陣が、水球を通り抜けて周囲に撒き散らされていく。

「これはっ……魔道紙以外にも魔法を仕込んでいたのか!」

 ミーナとアイロアのちょうど中間で深紅の魔力が集結し、一瞬のうちに爆炎が二人を覆った。その威力たるや近くに生えていた木々を焦がして枝葉を朽ちさせ、直撃した石壁の表面は剥がれるように崩れ、とっさに〝水〟の魔法で防御を図ったショーンをも飲み込んだ。

 度重なる轟音に、ちっとやそっとでは動じない貧民街の人々も続々と寝床から起きだして、不安げに周囲を見回り、どよめいていく。

 ほとんど焼け野原と化した屋敷の西側は、囚人のいなくなった牢獄のように静まり返った。


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