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第三章 web of night

 夜が明けて朝日が窓の隙間を縫ってセイムの横顔を照らす。温かな日差しにやがて彼は目覚め、寝床から体を起こした。ふと机を見ると、ミーナが出立前と同じように紙切れに何かを書き込んでおり、窓辺にはインクを乾かすためなのか、何枚もの書き上げられた魔道紙スペルリーフが床に広げられている。

 あれから三人は地下道を脱出し、セイムは自分たちの泊まっている宿をショーンに伝えて、無人の広場で今後の作戦を話し合ってから別れた。逃げられこそしたものの地下道には町の外への道はなく、犯人がアイロアと分かった以上、正規の手順で町を脱出するとなれば検査官や自警団の目が常に光っている。かと言って武力で門を突破しようとなれば人員が必要で、そんな動きを見せればそれこそ尻尾を掴まれてしまう。よって、ほとぼりが冷めるまでは場所を変えて潜伏を続けるだろうとの予想で三人の見解は落ち着いたのだった。

ショーンら魔道士が引っ掛かっていたのは、逃亡時にアイロアが瞬間移動魔法トランスファーを使ったことだった。


「あいつが魔法使ったってだけじゃないのか?」

「……我々魔道士の常識として、魔力を操り、魔法を扱うのには相当の勉学と修練を伴う。剣腕のみで騎士団長の地位に昇り詰めたほどの男が、瞬間移動などという上級魔法スペリオルを使えるはずはない。つまり、あの時は見当たらなかったが、魔道士の仲間がいるということだ」

 ミーナも少しだけ首を動かしてうなずき、現場に残された胸当てをテーブルに置く。ところどころが焼け焦げているのには、あえて誰も触れない。

「外から見えないように、裏側にびっしり詠唱文や魔法陣を書き込んであるね。どこまでアイロアを飛ばしたか分からないけど、その場で魔力を制御することなく詠唱文だけで人一人を問題なく外に送り出せるってのは、そこいらの魔法学生崩れとはわけが違う使い手だわ」

 泥と汗で乱れつつある後ろ髪を弄りながら、ため息と共にミーナは漏らす。

「昨日君たちを襲った魔道士とは次元が違うということか。やれやれ、課題が山積みだな……。セイムくん、ミーナ。君たちは組合に連絡を取って、アイロアの背後関係や逃亡先の調査を頼んでくれ。僕はこの町で条件を満たしそうな怪しい魔道士がいないかを調べてみる。ある程度情報が集まるまではしばらく様子見で行こう」

 

 広場で話し合った結果、今に至る。

「よう、随分早いな」

「あら、おはよう。眠れなくてさ」

ミーナはそこでセイムが起床したことに気づき、椅子から頭をかいている彼へ視線を移す。

「それに、怒りに任せて何枚も無駄使いしちゃったしね」

 下手に食いつくと哀れな子羊たちと同じ目に遭うと察したセイムは曖昧に笑って、ミーナの手元に注目した。

「昨日も書いてたが、何だそれ? ショーンも使ってたよな」

魔道紙スペルリーフのこと? これはどう言ったらいいのかな……。えっとね、これは魔法の詠唱文の代わりになるの。本来は魔法を使うのって、やたら長い詠唱文を唱えるか書くかしないと本来の効果が出ないんだけど、あらかじめ詠唱文や魔法陣を記したものを代わりに捧げることで、手間を減らして発動させられるのよ」

「そういや魔法陣の時も言ってたっけ。本当に便利なもんだな」

 ミーナは否定か肯定か分からない動きで紙切れを指先で振る。

「そうね。けどそれだけじゃなくて、詠唱文を唱えずに済むってことは、その分を魔力に割けるってこと。つまり、威力や範囲も大きくなるし精度も上がる。その代わり、筆記に時間は掛かるし、基本は使い捨てだから、ある程度の魔法じゃない限りやる意味は薄いわね」

 ミーナの側に寄ったセイムが書きかけの紙を眺めると、見慣れない文字の羅列が何行も続いていた。魔法学など学んでいない彼にはもちろん読めるはずもない。

「こうやって見ると便利なのかどうか分かんねえな……とても疲れそうだ」

 大量の魔法文字を目にしたセイムは、乗り物酔いでもしたようにベッドに座り込む。

「あはは、まあね。そうだ、ちょっとお腹減ったし、ご飯買いに行かない?」

「買ってきてやろうか?」

「あたしも気分転換したいの。一緒に行くよ」

 セイムが「そうか」と返すと、インク壷に蓋をしてペンを置き、徹夜明けとは思えない動きでミーナは椅子から立ち上がる。

「ついでに湯屋も行こうかな。体がべたべたする」

 えっ、とセイムの顔が無理矢理引っ張られたように引きつった。

 セイムとて旅から旅、戦いから戦いの暮らしを続けているのもあって、時折汗や垢を落とそうと湯屋を利用することはあった。なので階段を下りるセイムの視線が泳いでいるのは、別に風呂嫌いなどといった理由ではない。

 彼の任務の一つはミーナの護衛であり、外出をする限りは彼女を守らなければならない立場だった。そして何より問題なのはこの地域では湯屋は伝統的に混浴なので、ミーナが湯を浴びるとなればそこにもつき添うということになる。

そして、服を着たまま湯を浴びる人間などいない。

「あ、セイムも一緒に入ったら? 結構汗かいてるでしょ」

 何気なく言ったミーナの言葉が余計にセイムのこめかみに鈍痛をもたらす。店番をしている主人とそっくりの顔をした少年に外出の意図を伝え、二人は通りを西へと歩き出した。

 昨日の食事だらけの露店通りと違い、だだっ広いこの通りにある露店は工芸品や服などの雑貨がところどころに並んでいる。中には道端の石で作ったのではと疑うくらいに質の悪そうなものもあれば、ミーナがつけているピアスよりも派手な宝石をつけた指輪までもが平然と店頭に置かれていた。

「そのピアスとお揃いの指輪でも買ったらどうだ?」

 道が広いこともあって、品物を眺めながら道行く人々にぶつからないよう周囲に気を配る必要もない。セイムはそう言ってしゃがみ込むと小さなルビーがはめられた指輪を手に取りながらミーナの方を見た。

「買ってくれるの?」

「ふざけんな」

「高いものはいらないよ。あたしの場合魔法に必要だからつけてるんだもん」

「魔法に宝石が関係あんのか?」

 セイムの言葉を聞いてミーナは唐突に髪留めを外し、まとめられていた漆黒の髪がふわりと肩へ広がる。挨拶を一言しただけで腕輪を手元に並べて磨いていた露店の店主も、おもむろに髪を手串でほぐした彼女に目を奪われていた。

「宝石はね、魔法の触媒になるの。ないから唱えられないってわけじゃないけど、昨日属性の話をしたでしょ? 属性は五つあって、それぞれが色に対応してるのよ。〝火〟はルビーのような赤い宝石、〝水〟ならアクアマリンのような青や水色の宝石を介して行使すれば、魔力の制御が段違いにしやすいのよ。服の色はあたしの趣味だけどね」

 彼女は丸い髪留めをセイムに見せる。杖とはさすがに比べるべくもないがその中心には小さなルビーがあしらわれ、よく見ると裏側には金具越しに先ほど見覚えのあるような魔法文字がちらりと見えた。

「じゃあこれは?」

 セイムは指輪を置いてから、そのすぐ隣にあった売り物の髪留めの透明な宝石を指差しながら問い掛ける。

「これは見たところ硝子かな。透明なのはショーンさんが魔道紙を介してアイロアに使った〝風〟ね。覚えてる? あの人も杖に青色の宝石を杖につけてたの。あの人は元々〝水〟の性質を持ってるから、あたしが杖や髪留めに使うのと同じように魔道士は自分の属性を杖に使うのが定石なのね。なぜかって言うと……」

「もういい分からん」

「自分から聞いといてー、これからが本番なのに」

 またもや講義が始まりそうな気配にさすがに辟易したセイムは、口を尖らせたミーナから顔を背けて他の露店を歩きながら見渡した。主人も我慢出来なかったのか含み笑いをしてしまい、若夫婦を慈しむように見上げながら「またのお越しを」と愛想よく二人を見送った。

「ちょっと、せめて髪留めるまで待ちなさいよ!」

「湯屋行くんだろ。そのままでいいんじゃないか」

「あ、そっか」

 朝の涼しい向かい風にさらさらとなびく綺麗な黒髪をしばし見ていたかったのは、心にしまっておいた。




 大通りで雑談を交わしながらも十分ほど西へ進むと、大きな湯船を看板にあしらった湯屋へ到着した。湯屋は本来なら水を沸かすために大規模な設備を備えているのだが、古くからこの辺りは熱水が多く湧いており、これを冷たい地下水と混ぜて冷やしてから湯としていた。そのため他の地域では珍しい湯屋がそこそこ多く、安価だったため利用者も多かった。

 それでも朝一番となれば客は少ないので、ミーナは建物に入るなり走り出し、年配の女主人に布を四枚ほど借りると二枚をセイムに渡し、おもちゃを見つけた猫のようにはしゃいでいた。

「久し振りー! まともに湯を浴びるなんて何ヶ月ぶりかなー!?」

「王都ミラドなら湯屋くらいあるんじゃないか。確か魔法研究所もあそこだったろ?」

「机に向かってる時は湯屋に行く余裕なんかないんだもん。あっちだと休んでる暇もないくらい忙しいんだから」

 布をまとうだろうとはいえ、セイムにとってミーナの裸体は様々な意味で心臓に悪い。妙な気でも起こせばそれこそ生きたまま火葬にされてしまう。セイムは金袋を、ミーナも小さな袋と装飾品を女主人に預け、それぞれ男性・女性用と分かれた服置き場へと歩く。

雑然と並んだ空っぽの籠に靴と脱いだ服を入れ、腰に小さい方の布を巻いて広い浴槽へと裸足でぺたぺたと音を鳴らしながら石畳を進んでいく。

「おー。結構……て言うかかなり筋肉あるのね」

 後ろから掛かった声で背筋に走ったのは温かいものか冷たいものかは分からない。

 振り返りざまのセイムの瞳に映ったミーナの肢体は、適度に盛り上がった胸から太ももにかけて布を巻いているとはいえ、やはり健全な男であるセイムには刺激が強く、湯を浴びる前から蛸のように顔を真っ赤にしていた。

「やっぱり、俺と同い年なんだな……」

「え、何?」

 うぶな少年よろしくセイムはミーナからぷいっと顔を背けた。

「何なのよ全く。ま、いっか。手っ取り早く洗っちゃおう」

 ミーナは広いため池のような四角い浴槽に桶を入れ、湯をすくって思いっきり頭から被った。髪が首、肩、背中へとへばりつき、恍惚心に浸るように眼を閉じる。

「んー、気持ちいいー! セイムも一回浴びてみなよ!」

うっすらと立ち上る湯気と滴のまとわりついた睫毛が視界に飛び込んだだけでなく、巻いた布もぐっしょりと濡れてまとわりついたままの髪と一緒にミーナの体の線を引き立てていた。たまらずセイムは先に体を立たせ、彼女が視界に入らない位置へ離脱した。

「あれ、あいつ風呂嫌いなのかな……」

とても平常心を保ってなどいられない。よもや平常心は保てたとしても、保ちきれない場所も彼には存在する。ミーナの独り言など聞こえるはずもなかった。

 結局セイムは湯を楽しむどころか浴槽の隅で縮こまって、ぱしゃぱしゃと湯を浴びざるを得なかった。




「こんな場所じゃ誰も襲ってこない……入口さえ見張ってれば大丈夫さ……」

 汗を洗い落として逃げるように浴室を出てから、上半身裸のまま小さなテーブルについてビールを口にしている。ただし、ミーナの半裸が様々な意味で衝撃的だったため、精神面はやや恐慌状態に陥ってうわ言を漏らしていた。

「あー疲れた。何で風呂で疲れないといけないんだ……」

ひとしきり呟いてやっと落ち着きを取り戻し、物思いに耽っていると女性用の入口からミーナが現れ、徐々に大きさを増しながらセイムへ真っ直ぐ近づいてきた。まだ水気を帯びた髪はところどころ束になってきらめき、顔も湯に当てられて上気している。さすがに服装は上衣を一枚脱いでいることを除けば湯に入る前に戻っていた。

「いたいた、随分早く上がったね」

 セイムはがっくりとうなだれ、鼻から盛大なため息を吐き出した。

「その嫌そうな顔は何よ? ……もうご飯食べたの?」

「いや、まだだ」

「ビール飲んでるのに食べてないのね。確かそこに露店があったから買ってくる」

 ミーナはそう言って踵を返し、女主人から荷物を返してもらうと小走りで店の外へ出て行った。

「お兄さん、さっきの娘はお嫁さんかい?」

 客の入りもいまいちで退屈そうにしていた女主人がカウンターを超え、いったん湯屋を出たミーナを見送ったセイムに話し掛けてくる。

「仕事仲間だよ。久々の湯治だったらしいから、随分嬉しそうだったな」

「そりゃもったいないね。なかなかの別嬪さんだし、性格も良さそうだ。嫁さん探しをするならあんな娘を選んだ方がいいよ」

 湯屋の女主人として食いつくところも着眼点も間違ってるだろうとセイムは思いつつ、彼女はだらだらと妙なお節介を垂れ流して受付に戻ると、セイムはミーナが繊維質の葉で出来た包みを二つ手にして戻った。

「ただいまー、はい食べて。お金はいらないよ」

「そうか? なら遠慮なく。……っと、熱ちっ」

 包みを開いて出てきたのは茹で上がったばかりのじゃがいもだった。セイムが皮付きのままのそれを包み越しに握って半分に割ると、のぼせ上がった湯治客の如くもうもうと湯気が上がり、じゃがいもの甘い香りが彼の鼻へ吸い込まれていく。

「ん? 何か真ん中に入ってるな」

「バターだって。はふはふ、おいしいよ」

向かいの椅子に座ったミーナも同じくじゃがいもを二つに割って、何度も息を吹き掛けながら小鳥のようにちびちび頬張っている。

「しかし、あんたってほんと体格いいよねー。上半身見るまで分かんなかったよ」

 食べながらもじゃがいもの皮だけを器用に剥いて包みに戻し、前傾気味に露になったままのセイムの上半身を凝視した。自身の倍はありそうな男たちをやすやすとなぎ払うその肉体は、無駄な贅肉一つなく引き締まり、なおかつ職人が仕立て上げた革紐を幾重にも束ねたような無骨さを兼ね備えていた。

「湯屋で男の体はちょくちょく見るけど、こんなにがっちりしてるのは初めて」

 セイムは軽く鼻で笑う。

「そりゃまあ、体が小さいからこそ、鍛え上げたんだよ」

「……やっぱり、気にしてる?」

 ミーナは視界を遮りかけた前髪を脇に避けながら質問を投げ掛けた。

遠い目でビールを呷るセイムの表情は覇気がなく、体を引いてじゃがいもをテーブルに置いてから、頬杖を突く。

「それなりに。傭兵や戦士を名乗るにしては小さ過ぎるからな」

 じゃがいもを大きく頬張ってから、何かを考えるようにうつむいてから遠慮がちにミーナは顔を上げた。

「けど、あたしがこんな言い方するのは失礼だけど……功績だって立ててるし、わざわざ勅命を受けるくらいなんだから、気にすることじゃないと思うけど……」

 実際に兵士や傭兵は、筋骨隆々の大男や身の丈を超える槍を軽々と振り回せるような人間ばかりであり、一見すれば商人の見習いや職人の小間使いとも間違われそうなセイムにはあまりにそぐわないものだった。

「……分かってるが、そうそう割り切れないんだよな」

 ミーナは熟した大麦のように瞳と顔を落とす。

「それもそうよね……セイムはさ、いつから傭兵稼業を始めたの?」

「いつだったかな。十五になる少し前だったから……もう三年以上経ってるか。ミーナはいつから魔道士になりたいって思ったんだ?」

そう言ってセイムはじゃがいもにかぶりつき、ビールを一口。

「小さい頃からだったなー。いつからかは忘れちゃったけど、ずっと本を読んだり魔法文字を覚えたり、魔法の練習に明け暮れてたよ。研究所に入ったのは十六になってからだったけど」

「二年前か、研究所に入るのってやっぱり試験とかあったりするのか」

「もちろん。年一回なんだけど、うちは魔法学校を卒業しないと試験資格がないからね。実技では魔法使わされたり即席の魔法陣書かされたりしてさ。受験生もあたしより一回りも二回りも上の男の人ばっかりだったな。よくあたしが受かれたもんだわ」

 女主人が聞き耳を立てているようだが、会話の内容を理解出来ている風ではなさそうで目を点にしていた。

「俺には学校へ入るってことが想像つかないなー」

「セイムはどうやって剣を学んだの?」

「傭兵をやってる育ての親に教わった。毎日毎日木剣をぶつけ合い、十歳を過ぎた頃には仕事を手伝いながら刃引きした剣で毎日のように打ち合ってたよ。今でも全く敵わなくてな、俺が今まで師匠に剣を当てたのはほんの数回だけさ。負けはそれこそ星の数」

 悔しさを滲ませながら、食べ尽くしたじゃがいもの皮をぐりぐりと握り込んだセイム。

「あんたより強い奴がいるなんて、正直信じられないわ……」

 剣はもちろんのこと、己の肉体も場の状況すら駆使し、若いながらも確かな実力を持ったセイムを目の当たりにしていたミーナは伏し目がちに、あるいは遠慮がちに言った。

 だがセイムはそんなことをものともせず、半分ほど残っていたビールを一気に飲んで、山の頂を夢見て微笑む登山家のように笑う。

「上には上がいるんだよ。だからこそ、俺はもっと上に行きたい。強くなりたい。だから今度ミーナに魔道士への対処法を教わらないとな」

「むふふ、無料ただじゃないわよ?」

 ミーナはこれ見よがしの嫌らしい笑いを返して、セイムも「当然だ」と席を立つ。女主人にグラスと食べかすを渡し、服を着てミーナと共に湯屋を後にした。




セイムは、途中でミーナと別行動を取り、昨日の報告も兼ねて組合へと向かっていた。護衛のために彼女を連れて行く案も考えたが、部屋で一眠りしたいと言ったことと、白昼堂々と敵も反撃をしては来ないだろうとお互い合意し、人だかりを避けて路地へ入る。

 路地裏を歩きながら、ふとミーナのことを考える。異性として強く意識しているというわけではないが、今まで彼の中では女はか弱く、頼りなく、まして戦いの場で出て来られては迷惑だという思いが少なからずあった。

 しかし彼女は、今まで見たこともない次元で魔法を使いこなし、武器を持った相手にも物怖じしなかった。仕事柄敵でも味方でも魔道士との面識はあったが、それらはほとんどが男であり、ミーナのような自分と同年代の少女ではなかった。セイムの武器が剣や己の肉体であるように、ミーナにとっての武器が数々の魔法と、学んだ知識。彼女はただ守られるだけの対象ではない。

 壁に寄り掛かってうつらうつらしているほこりまみれの乞食と、風呂上りで髪を濡らしたミーナを再び思い返す。

 出来ればこの任務が終わっても、仕事の相方として同行して欲しいとすら考えていた。

 傭兵稼業は仕事の内容如何では数人で行なうこともあり、時に他愛ない会話や冗談めかしたやり取りをすることもあった。しかしセイムにとって、人との他愛ないやり取りがここまで楽しいと思えたことは初めてだった。

 ミーナがどう思っているかは分からないが、不思議と馬も合い、退屈なはずの時間が退屈ではなくなっていた。

 傭兵は背中と寝床の注意を怠るな。

 元来話し上手ではないと自覚していたセイムは、初対面なのが信じられないくらいにミーナへ素をさらけ出せることに、師匠からの教えが思わず頭に浮かんでしまうくらいに戸惑っていた。

 もちろん、見た目麗しいのも無視は出来ないだろう。

 下らないことを想像するうちに組合へ到着し、セイムは受付へ顔を出す。

「おや、セイム=ワドルか。昨日の一件どうなったのかな」

「残念だが、あと一歩で逃してな。今は仲間と一緒に情報集めしてるとこだ。俺も組合を通して情報を集めたい。アイロア=テッド=サニーストックを知ってるか? この辺のごろつきを今まとめてるのは恐らくそいつだ」

 受付の顔が意外そうに口を引き結んだ。

「……ふむ。リックベートで造反を企てた騎士団長だったか。顔は知らないが」

「こいつの来歴と、逃げた後の潜伏先を知りたい。町からは出てないはずだ」

「すぐに調べさせたいところだが、まだあまり人員が集まっていない」

「だろうな。自分たちでも調べるから、何か重要なことが分かったら教えてくれ」

「ではそうしよう。その時は宿へ使いを?」

「ああ、頼む。いなければ主人に預けといてくれ」

 長居してもお互い会話など弾まないので、宿の名を伝えセイムはすぐに組合を出た。来た道を戻り、あと二つ角を曲がれば宿の入口が見えるところで、セイムは地面にこびりついていたものに気づいて足を止めてしまう。

 セイムが拾い上げたのは、白っぽいぶよぶよしたもの。だが彼はこれに見覚えがあった。

「地下道に生えていたきのこ……?」

 すぐさま振り返り、きのこの切れ端を手に路地を走り回る。

 そして路地裏で声を掛けたのは、先ほどから眠りこけていた乞食だった。しかしもう深い夢の中なのか、揺すっても一向に起きようとしない。仕方なくセイムは銅貨を一枚取り出し、腕を投げ出した乞食の手元へと放る。すると乞食は目を開くより先に左手で転がる銅貨を捉え、盲人の如き動きで手中に収めて感触を確かめ、ようやく目を開いて眩いものでも見るようにセイムをまじまじと見つめた。

「……おお、お恵みをありがとう」

「恵みでも施しでもない。聞きたいことがあるんだ」

 セイムは乞食と同じ目線に屈み、乞食もそれに応えるように眠たげな顔をこすり、真剣な顔を作る。ただし砂や泥が手についていたのか顔そのものはますます汚れてしまった。

「聞きたいこと?」

「二つある。まずはこのきのこだが、これはこの辺にたくさん生えてるのか?」

 髭も髪も伸びっ放しの乞食はセイムから白い切れ端を受け取り、しげしげと眺めた。

「白いきのこ? 初めて見るな……。この辺に生えてる雑草やきのこはだいたい知ってるが、これは今まで見たことねえよ」

「なるほど、じゃあもう一つ。ここ最近、特に昨日や今日。怪しい連中がこの辺りをうろうろしてなかったか?」

 ぴんと来るものがあったのか、手をぽんと叩いて髭に埋れて分かりづらい口元を緩ませた。

「ああ、それなら知ってる。元から俺らに交じってごろつきみたいなのがちょろちょろしてたけどな。今日なんか見慣れない男たちが路地を駆け回ってるって、俺たちの間じゃちょっとした話題だぜ。ついさっきまで俺たちもその話で盛り上がってたとこだったのさ」

 やはり。となるともしかしたら……。

 思考の糸が繋がったセイムは、ぐっと立ち上がって宿があるはずの方角を見た。

「ありがとう! あんたは命の恩人だ!」

 もう一枚銅貨を放り投げ、脱兎の如くセイムは宿へと戻って行った。

「なんだ、子供かと思ったら傭兵か」

 宙を舞う虫を捕まえるように銅貨を地に落ちる前に受け取り、乞食はまた顔を擦って汚れを引き伸ばすと、何事もなかったかのように二度寝へ戻る。

 セイムは宿の入口を開け、二段飛ばしで階段を上がって鍵の掛かった扉を叩く。

 しかしこちらも扉の向こうは静まり返ったまま、開錠どころか起きる気配も感じられず、痺れを切らして叫んだ。

「ミーナ、俺だ! 開けてくれ」

 やっと床が軋んだ音がセイムの耳に伝わり、ミーナはもごもごと扉と口を開いた。

「なになに、どうしたの……」

 ぼさぼさの寝起き髪でまぶたを擦る仕草は、やはり乞食とは雲泥の差だった。

「ここが敵に知られてる可能性が高い。暗くなる前に宿を替えよう」

「……尾けられてた?」

 うすぼんやりとした瞳がすぐさま冴え渡り、懐の杖に手を掛けながら言った。

「それはない。昨日の夜も、湯屋を行き来した時も、さっきも周りを警戒してたが、尾行する奴も宿を見張ってるような奴もいなかった。代わりに宿の裏の路地で見つけたのはこれだ」

「何これ」

 セイムは右手の中のものをミーナに差し出す。ただし直接手に取るのは気持ち悪いと思ったのか、じっと見ただけで受け取る様子はない。

「きのこの笠だよ。これはあの地下道に生えてたのと同じものだ」

「……あそこにいた連中がここを調べ上げたってこと? けどたまたま別のきのこを踏んだ人がそこを通っただけってことはないの?」

 掌で反り上がったきのこの破片をいじくりながら、軽く視線をミーナの奥の窓へ移した。

「もちろん、それも十分あり得る。だがもしものことを考えたいし、何より」

 一度言葉を止めたセイムに、ミーナが彼の視線に釣られて窓を振り返った。

 不覚にもセイムは首を振った拍子になびいた髪に目を奪われながら、顔を曇らせる。

「嫌な予感がするんだ。上手く言葉に出来ないんだけどな……」

 ミーナはしばし悩む素振りを見せたが、すぐに笑顔へ変わる。

「分かった。セイムを信じるよ。今すぐ引き払うの?」

「いや、次の宿を見つけてからでいい。ただし決めたら、気取られる前に荷物をまとめて移るぞ」

言うや否や、今度は二人で宿を出て、もう一度ティルの町を巡って今度はあっさりと次の宿を見つけた。

 夜が明けて、組合の使いから昨日の宿が襲撃されたと聞かされたのは、二人が朝食を買いに外に出ようとした時だった。




「……思った以上に早かったわね」

「奇襲はやるなら早い方がいい。アイロアはその辺はさすがだな」

「敵を褒めてどうするの。まああたしたちが逃げてたおかげで宿の人は巻き添えにならなかったみたいだけどね」

 報せを受けた後、二人は大事を取って日中の外出を控え、食事や連絡を組合の使いに頼むことにした。ほどなくして使いからパンと多目の銅貨を交換し、宿に戻って主人が出してくれたコーヒーと共に味わう。甘味のある柔らかいパン生地と、苦味の強いコーヒーを交互に口に入れれば、どんなに疲れて眠たくとも意識が冴え渡る。

 ただし、襲撃の報を聞いた時点で二人の眠気はとうに消し飛んでしまっていたが。

「あのまま居座ってたら、誰かが死んでたかも知れなかったからな。それでなくとも主人を人質にでも取られてたら、俺たちも手の打ちようがなかった」

 ミーナは自分のベッドで足をぶらぶらさせながら、既にぬるくなったコーヒーをすする。宿代は同じだったが、部屋も前より広めでベッドも二つ、大きなテーブルまであったのは二人にとって嬉しい誤算だった。

 二人を旅暮らしの若夫婦と勘違いしてにんまりしたふくよかな体格の主人にはこの際目を瞑る。

「ところで、ショーンはアイロアと関わりのありそうな魔道士を洗うとか言ってたが、そんな簡単に出来るのか? 魔道士だってたくさんいるんだろ?」

「何日かは掛かると思うけど、難しいことじゃないよ。だって大抵の魔道士はどこかで必ずそれぞれの繋がりがあるはずだから」

「……と言うと?」

 セイムは最後の一切れを口に放り、ミーナへ視線で返事を促す。

「だって魔法を扱うには魔力の扱い方から何百種類もある魔法文字や単語の暗唱、理論立てられた魔法陣の書き方や魔法に対応する宝石や薬草の調合まで、何年も掛けて覚えないといけないのに、素人が魔法書の一冊や二冊読みかじったくらいじゃとても身につかないのよ」

 ミーナは言葉を止めてコーヒーをもう一口すすり、おもむろに魔道紙を取り出す。

「つまり、魔道士になるには学校に通うか、名のある魔道士に師事するしかないの。あたしももちろんそうだけど、ショーンさんや他の魔道士だって、研究所に入る前は何年も魔法学校に通ってたくらいだから。学校や試験で挫折する人もたくさんいる分、魔道士そのものの数も多いとは言えないし」

「つまり、魔道士の繋がりを探っていけば確実に辿り着けるってことだな。しかし魔法を使うってそんなに難しいもんなのか」

「もちろん魔法ごとに難しさはばらばらだし、同じ魔道士でも得意不得意はあるわよ。魔法は大まかに初級・中級・上級で難しさの区分があるけど、その中では上の下ってところ。属性魔法とはまた違った種類の魔法なんだけどさ、人一人を正確な位置に予定通り、しかも術者がその場にいない状態で遠くに飛ばすのは並大抵のことじゃないよ。あたしは自信ないわ」

「……そうか。ところで昨日は何やってたんだ?」

 ベッドに座るセイムはそう言いながら、広いテーブル一杯に並べられた本や紙の列をしげしげと見つめる。ミーナが夜な夜な何冊も本を開き、ぱらぱらとページをめくりながらぶつぶつと呟いていたことを思い出した。

「胸当てに残ってた詠唱文と魔法陣を改めて解析してたのよ。資料を引っ張り出すのに手間取っちゃってさ」

「胸当てはショーンが持ってるだろ」

「うん。だから記憶を頼りに色々調べてみたんだけど、全然収穫はなかったな。びっしり書かれてたから全部は思い出せないわ」

 骨折り損のくたびれもうけとでも言いたげにミーナは出しっ放しの本などを片づけた。

「あのアイロアと組むような相手だ、仮に一筋縄じゃ行かないはずさ」

 石膏を塗り固めたような白い壁を見据えて、二人は揃ってため息をついた。


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