事態が急変した三か月
二〇一四年八月二日、祖父が入院することになりました。脳出血でした。以前は転倒による外傷性くも膜下出血もあり、広大な範囲での脳出血でしたのでもちろん入院することになりまして。
無事でよかった、というのが一番最初。
特に身体的な障害はありませんでした。少し言語障害がみられるだけで。
ただ、脳内に水が溜まる「水頭症」の結果も出てしまったんです。
「水頭症」は認知症、尿失禁や歩行障害などがみられる病気です。歩行障害はみられなかったのですが、尿失禁や認知症は顕著に表れました。とはいえ、認知症は元よりあったものですから、水頭症の結果だとは言えませんが…。
お医者様には開口一番ちゃんと言われました。
「もう、以前のように夫婦お二人での生活はできないでしょう」
わかっていたことでした。わかっていたことなのに、いつものように家に行っても祖父の姿がないことに寂しさを感じました。もう、あそこに座った祖父は見られないんだと悲しくなりました。
祖父は入院してしばらく、食事もまともに摂れませんでした。
というか、無為無欲というか心ここにあらずというべきか。抜け殻のようでした。このまま中身がなくなってしまうのではないかと思うほど。
祖父が認知症になって初めて、母が泣きました。姉が、私も。祖母は同居しておらず、詳しくは知りませんがずいぶん動揺していました。
――このままだったらどうしよう。
みんなの中に、そんな不安が巣食いました。
まるで抜け殻のような祖父は、お箸やスプーンの使い方もわからない。そこにいる人が誰なのかもわからない。物との距離感もわからない。自分がどこにいるのかもわからない。それなのに、どれも頓着がないから聞かないし話さない。そんな感じでした。
食事介助は介護士である姉が時間のあるときに行い、他の日は私と祖母と叔父でしていました。なんとなく、数を重ねるごとにコツは掴めました。
「ご飯やでー、口開けて」
声掛けは大切です。口の中を準備しておいてもらわないと。
ただ、スプーンを近づけると口を開けてくれるんですよね。かわいいじいちゃんです。
「美味しいかー?」
「…味薄い」
そりゃそうだ、病院だもの。
ただ、何回に一回は美味しいと言いました。嫌だ、もう食わんということもたびたびありましたが「これで最後やねん」という、一口コールを何度も続けてきっちり食べ続けてもらいました。
しばらくすると、徐々に回復の兆しが見えてきました。
少しずつ自分でお箸やスプーンを持ち、ご飯を食べるようになりました。遅くて、せっかちな祖母は耐えられずに食事介助していましたが。
私と姉は職業柄(私は学生ですが)、自分でできることは自分でしてもらいたかったんです。自分でして、褒めて。ちょっとだけ手助けすることは忘れなければ、実は祖父も何だってできたんです。
入院するときや、上手く食事ができなかったときは物を工夫すればいいんです。
お茶は子ども用のふた付きのプラコップで、ストローが刺せるもの。
お箸は食べこぼしが多かったので、スプーンに変更しました。
食べこぼしても注意力が途切れないよう、邪魔しないようにこぼしてもいいという意味を込めてナイロンエプロンを着用してもらうようにしていました。ちなみに、最初はかなり嫌がっていたんですが「これ付けんと食べれんのよ」と言ってなんとか説得しました。
そして、一番重要なのは環境なんです。
認知症だからどこでも気にならないわけじゃなくって、認知症だから何かと敏感になっているんじゃないでしょうか。
祖父は外界から与えられる「音」に敏感でした。だからこそ、大勢の中でご飯を食べることが難しかったんです。元より祖母と二人、静かに食事をしていた人ですから以前の環境下の影響も少なからずあったのかもしれません。
私たちはそれを、病室で食べるという方法にして祖父を落ち着かせていました。
それを続けること三週間。
ひどく長いようで短い時間でした。
祖父の症状は日によって変動すので、急に無為になることがありました。
それでも、ちゃんと話しかけて、手や顔に触れることで直接的な刺激を与えました。握り返してくれたり、笑ったり、眉間に皺を寄せたり。その一挙一動を見るだけで「ああ、じいちゃんはまだ大丈夫だ」と自分を安心させていました。
――ある日、変化が起こりました。それも、静かな変化です。
私はたった一人学生で、ずいぶんと時間に余裕があったのでよく一人で食事介助に行ってました。職員さんもいらっしゃるのですが、忙しい方たちなので「自分のペースで食べさせてあげてください」なんて迷惑な注文だということくらい理解していました。
夏の、まだ暑い日でした。
バイトが終わって青いロングワンピースのまま病院へ向かい、いつものようにスプーンを持たせて自分で食べるように促していたけれど、だめでした。まあ、いつものことなので「またあかんかったかー」といった感じです。
仕方ないとばかりに食事介助をしようとしていたら、祖父がお茶を倒しました。
それがふた付きのプラコップならよかったのですが、まさかの食事と共に出される湯呑み。それを思いっきりぶちまけて、熱いお茶が思いきり私にかかりました。
「あっつー!」
「あらら、大丈夫ですか? 拭くもの用意しますね」
なんて、私と看護師さんが話していたら、祖父がにこにこと笑っていたんです。それまではほとんど傾眠状態の祖父が、しっかりと目を開いてにこにこと。
笑いごとちゃうけど、というのが本心のはずなのに私まで笑ってしまいました。
そして、次の瞬間には驚きに目を瞠ることになったのです。
「めっちゃ上手に箸使うやん!」
なんと、お箸を使ってご飯を食べていました。お茶碗をしっかりと左手で持って、右手できれいにお箸を使っていました。まさか、と思いながら嬉しくて。
いっぱい写メを撮って、みんなに一斉送信しました。
その後わかったのですが、日によって箸が使えるようです。やはり最後まで食べるにはスプーンの方が使いやすそうでしたが…。
ともあれ、この日から迷子になる祖父を探すことはなくなりました。
代わりに、本格的に“介護”をしなければならない日が始まりました。
それでも、私たちはめげません。
祖父が笑ってくれるなら、精一杯やってやる。そう思っています。
どうか、これからもお付き合いいただけると幸いです。




