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そもそも認知症とはどんなものなのか

 ここでは認知症について、少しだけ説明をしたいと思っています。

 主に学校で使用している教科書と、授業で習ったこと全般を参考にして書いていきます。間違っている部分はご指摘ください。


          *


 認知症はとても難しいものだというのが私の見解です。

 疫学的に言えば、認知症とは疾患名ではなく状態名らしいのです。あまり小難しいことを書いてもわかりにくいと思うので、そちらはまた追々書いていきたいと思っています。

 認知症の初期症状は物忘れから始まるものが多いです。どちらかというと、昔のことは覚えていて最近のことを覚えてないケースが大概を占めているようです。ちょっと前の、例えば「夕飯は食べたっけ?」とか。

 それだけではなく、症状は精神面で現れるものと、行動面で現れるものがあります。

 まず精神面として現れるのは“不安”“焦燥”“妄想”“幻覚”“抑うつ”などです。

 私の祖父の場合で言えば、顕著に表れているのは“妄想”だと思われます。

「金がない。誰かが家に入ってきて持っていったんや」

 これはいわゆる、物盗られ妄想というものです。他にも歯ブラシ、髭剃りなどが目につかない場所にあると「誰かに盗られた」と錯覚を起こすようです。

 次に、行動面として現れるのは“徘徊”“多動”“不潔行為”“収集癖”“暴言・暴行”“介護への抵抗”など。多動とは落ち着きがないといった風な、動きが多いことです。

 私の祖父は、大方が当てはまります。ただ、完全介護ではなく、日常生活はほとんど自分でこなせているだけマシなのでしょうね。ただ、問題はやはり挙がるものです。

 中でも一番困ることが、よくある夜中の「ちょっと散歩に出てくるわ」。

 いわゆる深夜徘徊というもので、特にもう家に帰ってくることもままならない祖父を繰り出すのは怖いです。ですが、ここで引き止めると逆上します。どうすればいいものか、ほとほと困ることが多々あります。

 どうやらいつかのテレビ番組でやっていた認知症特集では、その徘徊(番組内では歩き回りと言われていました)を大まかに「不安困惑型」「確信型」「散歩型」の三つに分類していました。

 さすが万人の観るテレビ番組というべきか、すごく解りやすかったです。ですから、ここではその三つで説明したいと思います。

 まず「不安困惑型」について。

 これは文字通り、何かに不安を感じていたり困惑していたりするらしいです。例えば物音。小さな物音ですら不安に感じたり、困惑してしまったりして家を出るといった感じだと思っていただければいいかもしれません。

 挙げられた対処法は三つ。「不安の原因を見つける」「落ち着くきっかけを見つける」「他のことに興味を向ける」ことがポイントになってくるようです。

 そして「確信型」。

 これは自分が一番生き生きとしていた時代に記憶が返ってしまうそうです。つまり、男性であれば仕事をしていた時期。女性であれば育児をしていた時期などが相当します。ふと「仕事に行かなきゃいけない」「子どもが家で待ってるから」という理由で徘徊を始めるようです。

 対処法は同じく三つで「気持ちに共感する」「しばらく歩き回りに付き合う」「理由をつけて延期する」。

 最後に「散歩型」

 見たままの文字通り「散歩にでかけてくる」というやつです。私の祖父がこれに当たります。

 この対処法は二つ。「誰かが付き合ってあげる」「出る前にこちらから誘う」です。

 どれもありがちなことであって、対処法も難しいことではないと思います。否定だけはしないでくださいね。それでも頑固な人であれば簡単に収まる話ではないんでしょうが、根気よく接していればわかってくれるのではないでしょうか。

 認知症になって、一番困るのはきっと本人であり介護者です。認知症の方、本人もとてもつらいことだと思います。ですが、支える側が心身ともにへとへとになっては成り立ちません。何より大切なのは、介護者側のケアも同じなのです。

 私の場合は祖母で、頻繁に顔を出すことでお手伝いや愚痴を聞くことをしています。休日には車に乗って、私の家族と祖父母でよく買い物に出かけます。買い物の間は私と父が面倒を見て、母が祖母の傍につくことで負担軽減を試みているところです。

 ちょっと題からズレてしまいました、すみません。

 ですが、これも大切なこととして覚えておいていただけるとありがたいです。

 少し話を戻して、認知症のことを書きたしますね。

 認知症の人にはノンバーバルコミュニケーションも大切だということ。ノンバーバル、いわゆる非言語的なコミュニケーション。中でもアイコンタクトや表情、声、ジェスチャーなどです。

 だって認知症になったって目は見えるし、声だって聞こえる。加齢で耳が遠くなっているなら、なおさらアイコンタクトや表情は大切になってきますよね。それと同じなんです。

「ねえねえ」と話しかけても返事がない、聞いていない。そう思っても、案外聞いていたりするんですよ。ちょっと嫌な顔したら「そんな顔せんといてくれよ」とか言われたりね。そりゃそうだ、私だって嫌そうな顔されたら気分悪くなるんですから。

 だから、そういうところにも気を配るべきなんですね、きっと。

 そして、認知症になってから性格が大きく変わる人もいないわけではありません。

 私の祖父がいい例で「あ、ちょっと違う」と思ったときにはよく怒り、よく話す人になっていました。昔は寡黙で怒らなくて、よくテレビや新聞を読んでいる人でした。だからこそ、祖母はその大きな変化に戸惑いが隠せていませんでした。

 でもね、その人はその人のままなんです。

 そりゃあ、性格が大きく変わったから動揺は隠せないと思います。それでも、どこかで変わってない部分だってあくさんあります。すぐ怒るけど、今だって優しいんです。

 だから、ちゃんと見ていてあげてください。

 認知症でもできることはたくさんあります。

 ありがとう。その一言をあげられる場面を作ってください。

 共に生きてください。誰かが傍にいることでしか感じられないことだってあります。

 容易でないことは、私も理解しています。それでも、お願いしたい重要なことです。

 人は愛なしには生きられない。それをしっかりと、覚えていてほしいです。

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