大切なことを、忘れないでください
拙い文章で、少ない知識で書いていきます。
認知症になった祖父と、その家族がどう関わっていくのか。
少しずつしか更新できませんが、どうぞお付き合いくださると嬉しいです。
おじいちゃん、あのね。
私の名前を覚えていなくてもいいんだよ。私は解ってるから、それでいいよ。
覚えてないからって、そのことを謝らなくてもいいんだよ。それは仕方ないんだから。
迷子になっても迎えに行くから、心配しなくていいんだよ。散歩にも行ってね。
おじいちゃん、あのね。
迷惑なんて考えなくていいから、長生きしてください。
それが、私たちみんなの願いです。
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祖父の物忘れが多くなったことに気づいたのは、今からもう六・七年前のことでした。祖母が言ったのか、はたまた母が言ったのか。それはもう、覚えてはいません。
いわゆる、認知症というものだと。
それまではまったく自分に関係のなかったことが、一気にやってきました。叩きつけられてしばらくは「変わらないんじゃないか」「ただの物忘れだ」と、そう思うことが家族の心理だと思います。
でも、認知症は誰にでも起こりうることです。
“私や家族に限って、そんなことはない”って。それは保証できません。今や何百万人といる、ごくありふれたものなんです。加齢が原因にもなりうるそれを、予防する手立てはあれど、絶対にならないようにする手立てはないのですから。
実際に私も、そう思っていました。
新聞やニュースで見ても、どこか他人事で。心のどこかで、うちに限ってと聞き流していました。でも違うんだと、そうじゃなんだと今になって痛感しています。
それから、祖父が認知症だと理解してすぐ、今でもはっきりと覚えていることがひとつ。
祖父が真っ先に忘れたのは、私の名前でした。
あのころは初孫の姉だけが祖父の記憶に鮮明に残っていたのか、度々会話の中に姉の名前が入ってきていました。私にはそれが羨ましくて、泣きたい気持ちでいっぱいでした。泣いたとしても、覚えていない祖父が悪いわけじゃありません。それを責めるのは、お門違いです。
気づいたころにはもう名前を呼ばれることはありませんでした。今では呼ばれるどころか、顔も覚えていないようです。
つい数か月ほど前までは「孫だよ」と言えば「そうか、覚えてなくてごめんな」と言ってくれていました。ですが、今はもう「わしに孫はおらん」の一点張りです。でも、否定すると逆上してしまうので否定はしません。
上手い切り返し方が見つからず、ただただ苦笑いしかできない日々です。
もう六・七年も認知症の祖父を傍で見続けてきました。
もう六・七年も祖父を支える祖母を見続けてきました。
今、私に何ができるのか。そう考えて思いついたのが、こうして記すことでした。
認知症というものは、外傷ではありません。そのぶん、人には見分けがつかないのです。ただの知らない人から見たら“はた迷惑なおじいさん”といったところでしょうか。その“はた迷惑なおじいさん”が何を思っているのか、私にもわかりません。
私はこの六・七年を認知症と向き合う家族として生きてきました。知識はまだまだ少ないですが、それなりに向き合ってきたつもりです。
この文章を書くことで、祖父との思い出を少しでも残したい。
それと同時に、少しでも誰かと共有して、誰かの役に立つものになればいいと思っています。
どうか、これだけは忘れないでください。
認知症になっても、その人の本質が変わることはありません。
人としての心や感情だってあります。ちゃんと話を聞いて、根気よく話してください。目の前の家族が人であると、忘れずにいてください。昔から傍にいてくれた、大切な人だということを忘れないでいてください。
その向き合う気持ちひとつで、きっと変わるものはあると思います。




