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無神経な隣人

作者: 相野仁

 鶏が鳴く前に目が覚める。

 隣から大きな物音が聞こえるせいだ。

 俺は舌打ちをして、身を起こす。

 空調機のタイマーを入れていない時間帯だから、少し肌寒い。

 一枚上から羽織り、抗議の意を込めて壁を叩く。

 音は鎮まるどころか、かえって激しくなった。

 ふざけるな、逆切れしやがったのか。

 負けじとこちらも激しく叩く。

 が、思ったよりも手ごたえがありすぎ、壁の強度が不安になったので手を止める。

 すると向こうは勝ったと言わんばかりに激しさを増した。

 ……さすがにこれは少しおかしい。

 ここは安いアパートだし、壁も薄い。

 これだけ激しく叩いたら、ヒビの一つや二つ入っても不思議じゃないはずだ。

 という事は、この音は壁を叩いて出しているわけではないという事になる。

 つまりは何か、どこかで録音してきたものを再生しているというわけか。

 

「ふざけるなっ! 警察を呼ぶぞっ!」


 思いっきり怒鳴りつけてやる。

 あまりにも酷い騒音被害に関しては、警察が動いてくれるという前例はあるのだ。

 その事は隣の奴も知っていたのか、ぴたりと音が止んだ。

 最初からこう言えばよかったのか。

 俺は舌打ちし、再びベッドの中へと戻った。

 目覚まし時計が仕事を始めるのは、まだかなり先の時間である。

 二度寝しなければもったいないというものだ。

 睡魔はすぐにやってきて、俺は夢の世界へと旅立った。



 目覚まし音と共に体を起こし、時計のボディをタッチする。

 今日もお勤めご苦労さん。

 俺は思いっきり背伸びをし、カーテンを開けて朝日を浴びる。

 やっぱり朝一番で太陽を拝むのは気持ちいいよな。

 そして手鏡で寝癖を確認した。

 トーストを焼き、目玉焼きを乗せて口へと放り込む。

 新聞を見て、ニュースとスポーツ欄をチェックする。

 やがて時間が来たので大学へと向かった。

 鍵をかけて隣の扉の前を通過する。

 昨日もうざかったな。

 そう言えば、ここに住んでいる奴って一体どんな人間なんだろう。

 一回会って直接文句を言ってやった方がいいのか?

 そう考えた時、このアパートの管理人がほうきとチリトリを持って外に出てきた。

 ちょうどいい、一言言っておこう。


「すみません、今大丈夫ですか?」


「ああ、綿貫さん。何かありました?」


 管理人は五十代の柔和な男性で、息子ほど年が離れているはず俺に対しても丁寧に接してくれる、とても感じのいい人だ。

 だからこっちもあまり強く言えないんだが、それでも黙っている気にはなれない。


「隣の部屋の事なんですが、夜中にどんどんうるさいんですよ。管理人さんから注意してもらえませんか」


「ああ。またですか」


 管理人さんは渋い顔をした。

 どうやら前にもあったらしい。


「一時期はマシになっていたというのにねえ」


 弱ったような口ぶりだ。

 管理人さんを困らせるのは本意ではない。


「一応、伝えておこうと思っただけですので」


「分かりました。どうもありがとうございます」


 丁寧なお辞儀にお辞儀を返し、俺は歩き出した。   

 ふー、何と言うか苦手なんだよな、あの管理人さん。

 いい人だけに失礼な事をしちゃいけないって緊張してしまう。



 大学の帰りバイトをして、まかないを食って帰宅する。

 隣の部屋はしまったままだ。

 一度も会った事がないのは生活のリズムが違うからなんだろうな。

 郵便ポストを見ると、くだらないチラシが入っていたので舌打ちをする。

 飛び込み訪問だけでなく、こういったチラシの投函も禁止してくれないかなあ。

 それかチラシと一緒に金でも入れてくれよ。

 そうすれば一応目を通してやってもいいんだが。

 とりあえずシャワーを浴び、歯を磨いてさっさと寝る事にする。

 明日は早朝からバイトだしな。

 今朝、思いっきり怒鳴りつけてやったし、管理人さんからも注意はいっただろうし、しばらくは大人しくしているだ。



 ……そう思った俺が馬鹿だった。

 けたたましい音に起こされてしまう。

 例の如く隣の方からだ。


「てめー、いい加減にしろ!」


 力の限り怒鳴りつけ、壁を蹴りつけてやる。

 すると音はぴたりとやんだ。

 もしかして俺を起こす為だけにしてやがるのか?

 その事に思い当たるとカーッと頭に血がのぼる。

 隣の部屋に怒鳴り込んでやろうと服を着こむ。

 そして玄関のドアを開け、すぐ隣の前に立った。


「おいこら、毎晩毎晩迷惑なんだよっ!」


 力任せにドアをガンガン蹴るが、何の反応もない。

 人を起こしておいて自分はぐっすり寝たとか言うんじゃないだろうな。

 冷たい空気が俺の頭も冷やしてくれる。

 このまま騒いでいたら、警察を呼ばれるのは俺の方じゃないか?

 隣人が悪いって言っても、それはそれ的な対応されたら厄介だ。

 もしもの為にも、近隣の住人を敵に回すのはまずい。

 ここは引き下がろう。

 鬱屈した気持ちを抱えながら、再びベッドへもぐりこむ。

 二度と邪魔してくれるなよ、怒りと恨みを込めて祈る。

 俺を一度起こして満足したのか、音は聞こえてこなかった。

 これで眠れるな。

 早起きしなきゃいけないだけに、一秒でも惜しい。

 俺は必死に眠ろうと努めた。



「くそっ」


 目覚ましを止めた俺はそう吐き捨てる。

 結局、あれから一睡もできなかったのだ。

 多分、隣人への怒りを鎮めきれなかったからだろう。

 全くもってふざけた奴だ。

 顔を合わせた時、殴らない自信がないぞ。

 メチャクチャ眠いけど仕方ない。

 一日休んだらバイト代に響くし、ねちねち嫌みを言われるからな。

 重い体を引きずるようにしてベッドから出る。

 後で覚えていやがれ。

    


 バイトから帰った俺はすぐにシャワーを浴び、ベッドにもぐりこんだ。

 睡魔たちが寄ってたかって襲撃して来ていたからだ。

 気づいたら俺は意識を手放していた。

 


 真夜中、またしても目が覚めてしまう。

 原因はもはや言うまでもなく、隣から聞こえてくる音のせいだ。

 何て無神経な奴なんだろう。

 俺は騒がずに壁を殴り返す。

 何度か殴っているうちに音は消えた。

 ……やっぱり俺を起こす事で満足してやがるのか?

 明日、管理人さんにもう一度言いに行こう。

 何なら立ち会ってもらって直接抗議してやる。

 一発くらい殴っても罰は当たらないはずだ。

 ムカムカする気分を何とか抑え込み、再び布団を被る。

 イライラしてなかなか寝付けない。

 クソ、隣人め、絶対に許さねえ。


 朝、俺は飯としてお茶漬けをかきこむと、さっそく管理人さんのところへ向かった。

 管理人さんはいつものようにほうきとチリトリを持って、掃除を始めようとしているところだった。

 そして俺の足音に気づき、柔和な顔であいさつをしてくれる。


「おはようございます、綿貫さん」

 

「おはようございます。すみません、隣の部屋なんですが、またうるさいかったんで、一回抗議をしたいんですけど、立ち会ってもらえませんか?」


 俺があいさつもそこそこに早口でまくしたてると、管理人さんは変な顔をした。


「え? それはおかしいですね。隣の人、昨日引っ越していきましたから」


「……え?」 


 俺は管理人さんが言っている事を飲み込めなかった。

 引っ越しした? 誰が?

 俺の部屋は二階の左端である。

 隣に無神経な奴がいた部屋があるが、その反対は空気があるだけだ。

 俺が今日の明け方に聞いたのは、幻覚か何かだったのか?

 俺の顔をまじまじと見ていた管理人さんは、穏やかな顔で言った。


「もっとも近所の悪がきが入り込んで騒いでいた可能性は否定できません。一度見てみましょう」


「あ、すみません。お願いします」


 バツが悪くなったので、いつもよりも丁寧な言葉づかいを心がけた。

 管理人は優しくうなずくといったんほうきとチリトリをしまい、カギを持ってきた。

 カギをあけ、扉が開く。

 俺の視界に飛び込んできたのは、何もない殺風景な部屋だった。


「うーん、何もありませんね」


 管理人さんがしみじみとつぶやく。

 チリ一つ落ちていないというわけではないが、荷物ものらしいものは何もない。

 誰かが住んでいたり入り込んでいたような痕跡も見つからなかった。


「すみません、もしかしたら俺の聞き違いだったのかも……」


 俺としては他に言うべき言葉が見つからなかった。


「まあ、綿貫さんも嫌な思いをしてきたんでしょうから」


 管理人さんは俺の事を咎めず、優しくフォローをしてくれた。

 くそっ、恥をかいたな。

 最後の最後までムカつく奴だ。

 ……これは逆恨みも混ざっていると自覚している。

 しかし、そもそもの原因は隣人の野郎じゃないか。

 まるっきり八つ当たりとは言えないはずだ。

 俺は管理人さんに謝罪し、大学へと向かう。

 今日からはぐっすり眠れる事を期待して。

    


 夜、今日こそ何もないよなと思いつつ、ベッドに入った。

 そして、深夜。

 やはりどんどんという音が聞こえてくる。


「何なんだよっ!」


 俺はたまらず叫んでいた。

 それから力いっぱい壁を殴ろうとして、不自然な事に気づく。

 これまでの音は壁の向こう側から聞こえてきたはずだ。

 だからこそ、俺は隣人に腹を立てていたのだ。

 でも、今はまるで俺の部屋の壁が鳴っているみたいじゃないか。

 くそ、きっと疲れているせいだ。

 部屋の壁が勝手に鳴るはずがない。

 俺は両耳を手で押さえて目をつむる。

 どんどんという音はしばらく聞こえていたが、やがて静かになった。

 そして俺は再び夢の世界に戻る。


 ……朝、時計のアラームに起こされた。

 結局あまり寝れてないな。

 目をこすりながらあくびをする。

 ドンと壁が一度鈍い音を立てる。

 何だ? いや、昨日のせいだろう。

 それとも頭がまだ寝ぼけているのか。

 あるいは早くも違う住人が引っ越ししてきたかだ。

 寝癖がついていないか、手鏡で確認をする。

 よし、ついていないな。

 そう思った時、鏡の中の俺が不意に、口を大きく開いて笑った。

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[良い点] 文章がさすがと感じさせられる上手さ。 不気味な雰囲気を徐々に盛り上げ、最後の一文にインパクトを集約させるという構成も良かった。 [一言] 最後の一文、ひやりとさせられました。 楽しませて…
[一言] 神経がテーマでしたか。 無神経な隣人が実は、己の生み出した「ドッペルゲンガー」みたいな存在だったのかな? と想像してしまいました。
[一言] 無「神」経 神そのものではなく神を使った言葉だったんですね とりあえず怖かったです 明日にでもどこからか音がなってそうで…… リアリティがあってとても面白かったです
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