中編
六畳一間の質素な部屋であった。小さな机に小さなテレビ。小さな箪笥に小さな冷蔵庫。あるものはみな、すべからく小さい。
褐色の女性に連れられて、政吉はこのアパートにやって来た。ホテル街からは歩いて十分かからなかった。
「適当に座んな」
女性にそう言われたものの、政吉はこの事態に戸惑いを隠せない。左の耳から右の耳へ、言葉は彼方に消えてしまった。立ち尽くし、呆然と部屋を眺め続ける。
「ちょっと、聞いてるの?」
女性に肩を叩かれて、ようやく我に返る事が出来た。
俺は生まれて初めて、何らかしらのドラマに参加しつつあるーー。
大いなる収穫だと思われた。まさかあの質問が、この様な結果をもたらすとは。
『あんた、セックスがしたいの?』
『いえ、見たいんです』
『はぁ?何故?』
『見てみたいからです』
『それ、理由になってないね』
『でも見てみたいんです』
『お金は?』
『あまり持っていませんが、少しは』
『いくらある?』
『千五百円です』
『話にならないね。それに親の金だろ』
『はい』
『あんたが自分で稼いだ金なら考えなくもないけど、それだったら出直してきな。何をするにも、金は自分で稼ぐものさ』
『自分で稼いでいたら、セックスを見せてくれたんですか?』
『まぁ、考えた程度だけどさ』
『それなら、相当する労働を与えてください。それをこなしたら見せてくれますよね?』
『やれやれ、あんたみたいなスケベな子供がいるから、この国は駄目になっていくんじゃないの?まぁ、でも、どうしてもって言うなら、ついておいでよーー』
ついてきた。
これからどんな労働を課せられるのだろう、その果てにどんなセックスを見れるのだろう、そこにはどんなドラマがあるのだろうーー。
政吉は高揚していた。
女性は名前をリエと名乗った。職業上の名前だった。本名は名乗らなかった。
リエは出稼ぎに日本へとやって来た外国人だ。日本に来れば、金が稼げると思っていたらしい。
稼げなかった。日本に行くために密入国組織に借金をし、密入国組織に売春機関を紹介され娼婦になる。稼いだ金は仲介料として七割が消え、残りで借金を払う。
「私は故郷に残した家族を少しでも楽させようとこの国に来たんだけどさ、そんな事もままならないよ。稼ぐどころか、借金が増えただけさ」
皮肉に笑いながら、政吉にリエはそう言った。
「ま、こんな話をしても仕方ないね。あんたにはこれから仕事をしてもらう。セックスが見たいと言っていたけど、ちょうどいいかもしれないね。あんたの仕事は正にそれさ」
願ってもいない言葉だった。セックスを観賞するのが労働ならば、それもまた一つのドラマに繋がる。
「いいかい。私の店は派遣型なんだ。子供のあんたに解るかどうか知らないけれど、簡単に言えば店に客から電話がかかってきて、店は待ち合わせ場所を指定する。それで私が出向いていく寸法さ。ただ、客に気に入られれば、個人的に仕事をもらえる事がある。もちろん店には内緒でね。そうすればお金は全部私の懐に入る。今日の仕事は、個人的の部類に入る方だ」
政吉にもその言葉の意味するところは理解出来た。
「その客は、まぁいわゆるサディストでね。私、生意気そうな顔をしているだろ?そういう私をいたぶるのがその客にはたまんないらしくてさ、えらく気に入られたよ。
ある時、そいつは私に、子供はいないか、と尋ねてきたんだ。
いるけど、日本には連れてきていない、と答えた。
もし子供の前でヤラセてくれれば、三倍の金を払うとそいつは言ったよ。子供の前で犯されるのは最高の屈辱だからって付け加えてね。下卑た野郎さ。ま、それでも商売さね。金になるんなら私はどんな事でもするよ。さすがに自分の子供は無理でも、あんたなら問題ない。さて、そんな訳だけど、あんた、この仕事を受ける気あるかい?」
酷く蒸し暑かった。この部屋にエアコンが設置されていない事が原因なのか、それともリエの言葉が耳から体内に熱を発生させたからなのか、政吉には解らなかった。
「はい」
と政吉は答える。一辺の躊躇もない、キッパリとした声で。
「その返事、覚悟もキチンと伴っているだろうね?」
果たして、どのような覚悟が必要なのか、政吉には理解出来なかったが、ひとまず首を縦に振る。
リエは政吉を、小さなラブホテルに案内した。外観は古く、所々に汚れが見えた。個人的な仕事の際に、よくここを利用するらしい。少し多めの賃金を払えば、従業員は室内で起こった出来事には関知しないそうだ。殺人でも起こらない限りは。
政吉はリエと共に中へ入った。機械的にいらっしゃいませという声が流れる。
たくさんのパネルに、室内の写真が表示されていた。リエは303号室のボタンを押す。パネルの横の小さな窓から鍵が出てきた。リエはそれを受け取ると、仕事、と呟いて、一万円札を無造作に投げ出す。
エレベーターで三階へ。303号室の扉を開けた。
異質な匂いが政吉の鼻をつく。それは政吉が嗅いだ事のない匂いであった。股間が疼いている事に気付く。
この匂いは何だ?何故俺の性欲はこんなにも膨れあがっているーー?
政吉の想像とは大分異なる内装だった。ラブホテルと言えば、ピンクの薄暗い照明で鏡ばりの部屋で、ウォーターベッドなんだろうと思っていたが、部屋は明るく、鏡もなかった。ベッドはセミダブルで、白い小さな机と、黒いソファーだけが目についた。
「適当に座りな。十分くらいしたら客が来る」
政吉はソファーに腰掛けた。心臓が高鳴る。
ついに、俺の目の前でドラマが展開する。しかも、俺自身が登場人物となってーー。
リエは煙草を取り出して、一本吸い、机に置かれた鉄製の四角い灰皿に捨てると、おもむろに服を脱ぎ始める。
目を疑った。まだ客は来ていないのに、何故?まさか、俺とーー。
妄想が頭の中で暴走する。
下着だけの姿となったリエの肉体は、恐ろしく妖艶であった。大きめの胸に、くびれた腰。足は見事な曲線を描いている。褐色の肌に、純白の下着がやけに眩しい。
「何馬鹿みたいに口を開けてるのさ。あんたと何かする気はないよ。勘違いなさんな」
そう言うとリエは手提げ鞄を探り、何かを取り出した。
何かーー赤い首輪だった。それを自ら首に装着する。
「これはその客に貰ったものさ。そいつの仕事の際には、必ず付けるように言われてる」
それは政吉に、ある種の支配を思わせた。多分それは運命という種類の支配なのだろう。リエはこの首輪を通して、リエ自身の運命に支配されている。確信に近い閃きであった。
これは何を意味するのだろう。このドラマにおいて、俺は何をするべきだろうーー。
政吉が思案を巡らせてから数分後、ドアを叩く音が聞こえた。