第4話 最初の盟約
ゴブリンを斬り伏せる。
彼が、ドロップした紫色の小さな魔石を拾い上げた、その時だった。
ポポンッ!という、間の抜けた効果音と共に。
彼の目の前の、何もない空間に、一体の奇妙な生命体が、現れたのだ。
頭に小さな冒険者のヘルメットをかぶった、デフォルメされたピンク色のタコ。フロンティア君だった。
「ナイスキルだッピ、健司!今のゴブリンの致死角度は、完璧だったッピ!」
その、あまりにも甲高く、そして元気いっぱいの声。
それに、佐藤は深いため息をついた。昨夜、彼の部屋に突如として現れたこのARマスコット。強制表示で消すこともできず、彼はこの厄介な同居人(?)を受け入れざるを得なかったのだ。
「…お前、いちいち出てくんなよ。気が散る」
「そんなこと言わないでほしいッピ!」
フロンティア君は、その8本の足をばたつかせながら抗議した。
「僕は、君の冒険をサポートするためにいるんだッピ!そして、今こそ僕の真価を発揮する時だッピ!」
彼は、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。
「健司、配信オンにしないッピ?」
その、あまりにも唐突な提案。
それに、佐藤は心の底から嫌そうな顔をした。
「は?なんで俺が、そんな面倒くさいことを…」
「面倒くさくないッピ!」
フロンティア君は、彼の目の前にARウィンドウを強制的に表示させた。そこには、ギルドが算出したという、詳細なデータが表示されていた。
「ギルドの統計データによれば、F級ダンジョンでの初挑戦配信は、新規視聴者の獲得率が平均で17.8%も高いんだッピ!そして何より!」
彼は、ウィンドウの一つの項目を、強調するように点滅させた。
「**スーパーチャットもあるし、配信オンがオススメだッピ!**ドロップ品とは別に、直接的な収益が見込める。これは、君のローン返済計画において、極めて合理的かつ効率的な選択だッピ!」
その、あまりにも的確で、そしてどこまでも彼の弱点を突いてくるプレゼンテーション。
それに、佐藤はぐうの音も出なかった。
(…ローン…)
その言葉が、彼の脳内で重く響く。
そうだ。
俺は、遊びに来ているわけではない。
これは、仕事なのだ。
税金控除と、そしてローン返済のための。
「……はぁ」
彼は、この日一番の、深いため息をついた。
「…うーん、じゃあオンにするか」
その、あまりにも不本意な承諾の言葉。
それに、フロンティア君は歓喜の声を上げた。
「やったーッピ!」
佐藤は、ARインターフェースを、面倒くさそうに操作した。
配信プラットフォームにログインし、配信開始のボタンを押す。
彼は、タイトルを入力するのも億劫だった。
ただ、その場の思いつきで、最もシンプルで、そして最も面白みのない文字列を打ち込んだ。
『兼業冒険者 F級ダンジョン初挑戦』
彼が「配信開始」のボタンを押した、その瞬間。
彼の視界の隅に表示された、視聴者数のカウンター。
その数字が、「0」から、「3」へと変わった。
その、あまりにもささやかな、しかし確かな反応。
それに、佐藤は思わず呟いていた。
「…おっ、意外と来てくれるんだな」
彼の、哀れで、そしてどこまでも面倒くさい「新たな人生」のショーが、今、その幕を開けた。
そして、彼はその三人の名もなき観客たちに、自らの冴えない冒険譚を晒しながら、洞窟の奥深くへと進んで行った。
◇
「…それにしても、暇だな」
佐藤は、一体のゴブリンを斬り捨てながら、ARカメラの向こうの三人の観客に語りかけた。
「敵は弱いし、単調だし。これなら、会社のサーバー室でエラーログを眺めてる方が、まだスリルがあるぜ」
その、あまりにも正直な感想。
それに、チャット欄が、くすくすと笑った。
『wwwwwwwww』
『社畜の鑑』
『でも、分かる。F級、退屈だよな』
その、あまりにも平和な、そしてどこまでも退屈な時間。
それが永遠に続くかと思われた、その時だった。
彼の耳に、これまでとは質の違う声が届いた。
それは、戦闘の雄叫びではない。
一方的な、罵声だった。
「おい!聞いてんのかよ、天野!」
甲高い、リーダー格であろう少年の声が、岩壁に反響する。
「マジで使えねえな、お前!さっきから、俺たちの後ろで突っ立ってるだけじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい…」
か細い、少女の謝罪の声。
(…うわ、始まったよ)
佐藤は、思わず足を止めた。
彼の、サラリーマンとしての長年の経験が、告げていた。
これは、パワハラだ、と。
彼は、深く、そして重いため息をつくと、観念してその声がする方へと、その重い足取りを向けた。
岩陰から、そっと様子を窺う。
そこに広がっていたのは、彼の予想通りの、そしてどこまでも胸糞の悪い光景だった。
三人の、冒険者学校の制服を着た少年たち。
その中心で、一人の少女が、俯いて震えていた。
天野陽奈。
その、あまりにも理不尽な光景。
それに、佐藤は思わず、その岩陰から姿を現していた。
「――おい」
彼の、その低い、そしてどこまでも気だるい声。
それに、少年たちが、一斉に振り返った。
そこに立っていたのは、よれたTシャツとスウェットの上に、申し訳程度の革の胸当てを身に着けた、どこにでもいる冴えない中年男性だった。
「…あ?なんだよ、オッサン」
リーダー格の少年が、そのあまりにも場違いな闖入者を、値踏みするように睨みつける。
「なんか、用かよ」
「ああ」
佐藤は、頷いた。
彼の口調は、驚くほど丁寧だった。彼が、会社で年下のクライアントと話す時の、それだった。
「少々、よろしいでしょうか。少し、あなた方の声が大きすぎるようでして。ダンジョン内では、無用な騒音は他の探索者の迷惑になりますので、もう少しだけ、声のトーンを落としていただけると助かります」
その、あまりにも正論で、そしてどこまでも丁寧な物言い。
それに、少年たちの勢いが、明らかに弱まった。
そして、佐藤はとどめとばかりに、その面倒くさそうな顔で、最後の提案を叩きつけた。
「…はぁ。分かりました、分かりましたよ」
彼は、頭をガシガシとかいた。
「私が、そちらのお嬢さんを引き取りましょう。ですので、あなた方はもう、お引き取り願えませんか。あなた方のその甲高い声、私の頭に響くんですよ」
その、あまりにも横暴な、しかしどこまでも合理的な申し出。
**問答の末、**少年たちは顔を見合わせた。そして、リーダー格の少年が、捨て台詞のように言った。
「…チッ!分かったよ!好きにしろよ、オッサン!」
彼らは、そう言うと、そそくさとその場を立ち去っていった。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で、まだ涙をこぼし続けている一人の少女と、その光景を心の底から面倒くさそうに見つめる、一人の冴えない中年男性だけだった。
その彼の背後で、ピンク色のタコが、嬉しそうに飛び跳ねていた。
「**健司、流石だッピ!**あの状況を、完璧な交渉術で解決するなんて!君は、最高のリーダーだッピ!」
「…うるせえ。黙ってろ」
佐藤は、フロンティア君にだけ聞こえる声で、そう悪態をついた。
気まずい、沈黙。
それを破ったのは、少女のか細い声だった。
「あ、あの…」
陽奈は、その涙に濡れた瞳で、佐藤を見上げた。
「ありがとうございました…」
「…別に」
佐藤は、ぶっきらぼうに答えた。
「俺は、あんたを助けたんじゃねえ。ただ、うるさかったから、黙らせただけだ」
彼は、そう言ってその場を立ち去ろうとした。
だが、陽奈の声が、彼の背中を引き止めた。
「待ってください!」
彼女は、慌てて彼の前に回り込んだ。
そして、彼女は深々と、その小さな頭を下げた。
「あの、もし、もしよかったら…!」
彼女の声が、震える。
その彼女の、あまりにも健気な姿。
それに、佐藤は思わず、その言葉を口にしていた。
それは、彼自身ですら、予測していなかった言葉だった。
「…良かったら、一緒にパーティ組まないかな?」
その、あまりにも不器用な、しかしどこまでも優しい誘いの言葉。
それに、陽奈の顔が、ぱっと輝いた。
そして彼女は、これ以上ないほどの、満開の花のような笑顔で、答えた。
「――はい!」
そして彼女は、意を決したように、インベントリから小さなスプーンを取り出した。
「あの…これ、基本役に立たないんですけど…」
彼女は、そう言って自らのスキル【至福のひとさじ】を発動させる。
彼女の手のひらに、ぽん、と一つの完璧な形をした、しかしどこか見慣れない、高貴な紫色の輝きを放つアイスクリームが乗ったワッフルコーンが現れた。
「アイス、食べますか…?」
「これ、今日の限定フレーバーの、『ロイヤルブルーベリー・チーズケーキ』味なんです…。私にできる、精一杯の、お礼…です…」
その、あまりにも健気な、そしてどこまでも純粋な申し出。
それに、佐藤の、常に険しかった眉が、わずかに、しかし確かに緩んだ。
「……………もらう」
彼が、そのアイスを受け取った、その瞬間だった。
彼の脳内に、直接、無機質なシステムメッセージが響き渡った。
【【盟約の円環】が発動しました。】
【盟約が結ばれました。】
【【至福のひとさじ】をゲットしました】
【【至福のひとさじ】の効果がE+になりました。】
【1日1個から1日2個にパワーアップしました。】
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでもゲーム的なアナウンス。
それに、陽奈はきょとんとした顔で、首を傾げた。
「…えーと、これ、なんですか?」
「ああ、これ、俺のユニークスキルでね」
佐藤は、なんとかそう言って誤魔化した。
だが、その心の中では、絶叫していた。
(なんだ、これ!?ただ、パーティ組んで、アイス貰っただけだぞ!?これだけで、盟約認定かよ!俺、ちょろすぎだろ!)
彼の、哀れで、そしてどこまでも面倒くさいSSS級ハーレムへの、偉大な?第一歩だった。




