第31話 絶対王者
大会の熱狂は、中間地点を過ぎて、新たな次元へと突入していた。
東京湾岸エリアに新設された巨大ドーム型転移施設、『アーク・ゲート・アリーナ』。その内部に設置された数万の観客席は、もはや一つの巨大な生き物のように、どよめき、歓声を上げ、そして目の前で繰り広げられるあまりにも理不尽な光景に、息を呑んでいた。
巨大なホログラムモニターに映し出されているのは、各チームの進捗状況を示す、無慈悲なタイムライン。
その、一番上。
他の全てのチームを、絶望的なまでの大差で引き離し、ただ一つのパーティだけが、まるで未来から来たかのように、そのバーを突き進んでいた。
ギルド名、『アフターファイブ・プロジェクト』。
解説者A: 「速い!速すぎる!アフターファイブ・プロジェクト、他を寄せ付けない圧倒的なスピードで、早くも最終エリアに突入だーっ!2位のアストライアとの差は、もはや2分以上!これは、もう勝負あったかーっ!?」
その熱狂の中心で。
『アフターファイブ・プロジェクト』のメンバーは、ただ淡々と、自らの「業務」を遂行していた。
「――輝、左翼から回り込んでくるドローンを3体、頼む。陽奈、正面のゴーレムに火の矢を。俺が、ヘイトを取る」
佐藤健司(35)の声は、どこまでも冷静だった。
彼の脳内では、もはやこのレースは、ただの数字のゲームと化していた。敵の出現パターン、最適な移動ルート、そしてメンバーのスキルクールダウン。その全てを、彼はシステム管理課の課長として長年培ってきた、驚異的なマルチタスク能力で、完璧に処理していく。
「りょーかい、ボス!」
輝の、その快活な声と共に、緑色の毒の瓶が美しい放物線を描く。
「はい、健司さん!」
陽奈の、その健気な声と共に、小さな火の矢が、ゴーレムの赤いコアを正確に撃ち抜いた。
そして、その後方で。
「…うーん、まだかなー」
兎月りんごが、暢気に欠伸をしながら、その星のワンドを、ただひたすらに振り続けていた。
その、あまりにもシュールな光景。
だが、それこそが、このパーティの、絶対的な「勝ち筋」だった。
◇
そして、彼らはついに、その場所へとたどり着いた。
D級ダンジョン【弾丸の隧道】の、最深部。
ひときわ巨大な、円形の闘技場。
その中央に、このダンジョンの主が、その巨体を休めていた。
【トンネル・デストロイヤー】。
全長10メートルを超える、巨大なモグラ型のモンスター。その全身は、黒曜石のように硬い甲殻で覆われ、その巨大な両腕は、岩盤すらも容易く粉砕するという、ダイヤモンド製のドリルと化していた。
その、あまりにも圧倒的な、プレッシャー。
だが、健司の心に、もはや焦りの色はない。
彼は、その三人の、あまりにも手のかかる「部下」たちへと、そのリーダーとしての、最後の、そして最も重要な指示を、下した。
「――りんご」
彼の、その静かな声。
それに、それまで欠伸をしていたりんごの、その大きな瞳が、カッと見開かれた。
その瞳には、もはや遊びの色はない。
ただ、自らに与えられた役割を、最高の形で果たし遂げるという、絶対的な自信だけが宿っていた。
彼女は、そのARウィンドウに表示された、凍てついた時計のアイコンを、指先で、そっと撫でた。
『奇跡のストック:【超・火炎球】』。
「ボス!ストック、できたよ!」
「よし…!」
健司は、ゴクリと喉を鳴らした。
そして彼は、その全ての魂を込めて、叫んだ。
「――今だ、やれ!」
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでも理不尽な、神々の戯れ。
それを、大会の公式配信で見ていた、数百万人の視聴者たちは、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
解説者A: 「アフターファイブ・プロジェクト、速い!速すぎる!他を寄せ付けない圧倒的なスピードで、早くも最終ボス部屋に到達だーっ!このまま勝ちかーっ!?」
彼が、そう絶叫した、まさにその瞬間だった。
りんごの、その小さな体から、この世界の理を、完全に焼き尽くすほどの、純粋な破壊の奔流が、解き放たれた。
詠唱は、ない。
ただ、彼女が「放て」と念じただけ。
直径5メートルを超える、巨大な、そしてどこまでも凝縮された炎の球体。
それが、ボス部屋の扉を突き破り、その奥でまだ眠っていたであろう、哀れなモグラの王を、完全に飲み込んだ。
轟音。
閃光。
そして、絶対的な静寂。
数秒後。
彼らの目の前のARウィンドウに、無慈悲な、そしてどこまでも美しいテキストが、表示された。
【ボス討伐完了】
【クリアタイム:8分15秒】
解説者B: 「おおーっと!ワンパンだーっ!兎月りんご!道中、全く出番がありませんでしたが、溜めに溜めたこの一撃!まさに奇跡!ボスを一撃で粉砕ーっ!」
解説者A: 「勝った!勝ったぞ!優勝は、『アフターファイブ・プロジェクト』で決定だーっ!」
その、あまりにも劇的な、そしてどこまでも理不尽な幕切れ。
それに、会場と、配信のコメント欄は、爆発した。
「なんだ、今の魔法は!?」「バグか!?」「不正では!?」という驚愕の声で、埋め尽くされる。
『アフターファイブ・プロジェクト』は、そのあまりにも鮮烈なデビュー戦で、世界の頂点へと、その名を刻み込んだのだ。
◇
数分後。
大会の、表彰式。
アリーナの中央に設えられた、きらびやかなステージの上。
そこに、健司たち四人の姿があった。
巨大な優勝トロフィーと、そして『賞金:壱億円』と書かれた、あまりにも現実的なプレートを前にして、三人の少女たちは、抱き合って、その喜びを分かち合っていた。
その、あまりにも眩しい光景。
それを、健司は少し離れた場所から、いつもの死んだ魚のような目で、ただぼんやりと眺めていた。
やがて、大会の公式インタビュアーが、その興奮冷めやらぬ声で、マイクを彼へと向けた。
「優勝、おめでとうございます!しかし、あなた方の強さは、もはや他のチームの心を折るほどでした!この圧倒的な力の秘訣は、一体…!?」
その、あまりにも紋切り型の、そしてどこまでも熱狂的な質問。
それに、健司は、世界中が見守る中、心底面倒くさそうに、こう答えた。
「いやー…ユニークスキルが強いからですね!」
その、あまりにも気の抜けた、そしてどこまでも他人事のような一言。
それに、会場は、爆笑と、温かい拍手に包まれた。
**「ええ!SSS級に相応しい、素晴らしい活躍でした!」**と、解説者もまた、その偉業を讃えた。
インタビュアーは、さらに続ける。
「その、優勝賞金1億円!その使い道は、もうお決まりですか!?」
その、誰もが興味津々の質問。
それに、健司は、少しだけ遠い目をした。
そして彼は、そのあまりにも人間的で、そしてどこまでも哀愁に満ちた「夢」を、語った。
「いやー…ギルド本部兼家のタワマンのローン返済ですね。半分くらい、それで消えますよ」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、次の瞬間。
会場は、この日一番の、そしてどこまでも温かい、爆笑の渦に、完全に飲み込まれた。
その、あまりにも現実的な、そしてどこまでも共感を呼ぶ、中年男性の魂の叫び。
それが、この歴史的な一日の、最高の締めくくりとなった。
インタビュアーが、涙を拭いながら、最後の質問を投げかける。
「で、では、残りは…?」
その問いに、健司は、少しだけ未来を見据えるかのような目で、答えた。
「残りは、B級に挑むための、装備代にします」
その、あまりにも前向きな、そしてどこまでも力強い宣言。
それに、会場は再び、割れんばかりの拍手と、声援に包まれた。
◇
後日。
西新宿の、タワーマンションの一室。
佐藤健司は、ネットバンクの画面を、ただ静かに見つめていた。
彼は、その震える指で、一つのボタンをクリックした。
『住宅ローン:50,000,000円、一括返済を実行しますか?』
【はい / いいえ】
彼は、迷わず、【はい】を押した。
画面に、『返済が完了しました』という、無機質な、しかし彼にとっては世界の何よりも美しいテキストが表示された。
彼は、その場で椅子に深く、深くもたれかかった。
ただ、彼の、人生を縛り付けていた、重い、重い鎖。
それが、確かに、砕け散った音がした。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、これまでにないほど、穏やかだった。
リビングでは、三人の少女たちが、次の冒険の計画を立てて、姦しく騒いでいる。
その、あまりにも騒がしく、そしてどこまでも愛おしい光景。
それに、彼はふっと、息を吐き出した。
そして彼は、呟いた。
その声は、新たな、そしてより騒がしい日常の始まりを告げる、合図だった。
「…金もあるし、お疲れ様会でもするか」




