第30話 開幕!揺るがない本命
大会当日の朝。
西新宿の空は、これから始まる祭典を祝福するかのように、雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていた。だが、その晴れやかな空気を吸い込む余裕もなく、佐藤健司(35)の心は、どんよりとした灰色の雲に覆われていた。
彼の城であり、聖域であったはずのタワーマンションのリビング。そこは今や、三人の女子高生の、甲高い、そしてどこまでも能天気な声によって、完全に占拠されていた。
「ねえねえ、輝ちゃん!今日の髪型、どうかな?気合入れて、編み込みしてみたんだ!」
「んー、まあまあじゃん?でも、あたしのこのサイドポニーの方が、100倍イケてるけどね!」
「二人とも、可愛いよー!あ、健司さん、あたしのワンドの先に、リボン結んでくれない?」
陽奈、輝、そしてりんご。
彼女たちは、これから歴史的な戦いに赴く戦士の顔ではない。ただ、文化祭のステージに立つ前の、女子高生のそれだった。そのあまりにも平和な光景に、健司は深いため息をつくと、ARウィンドウに表示させた自作のパワポ資料を、三人の目の前に突きつけた。
「…おい、お前ら。少しは緊張感を持て」
彼の、その低い、そしてどこまでも中間管理職的な声。それに、三人の少女が、きょとんとした顔でこちらを向いた。
「今日の作戦を、最終確認する。いいか、これは遊びじゃない。1億円がかかった、プロジェクトだ。失敗は、許されん」
彼は、その完璧に作り込まれたフローチャートとリスク分析表を指し示しながら、最後のブリーフィングを始めた。
「道中の雑魚は、陽奈のバフを受けた俺と輝で、AルートからCルートまでを最短で突破する。りんご、お前は絶対に前に出るな。後方で、ひたすらルーレットを回し続けろ。ボス部屋に到達するまでに、『当たり』をストックできなかった場合…その時は、プランBに移行する」
「プランB?」
輝が、尋ねる。
「ああ」
健司は、その死んだ魚のような目で、言った。
「――陽奈のバフを信じて、俺たち三人で、普通に倒す。タイムは落ちるが、C級標準装備の我々でも、十分に勝機はあるはずだ。リスクヘッジは、社会人の基本だ」
その、あまりにも真っ当なリスク管理能力。それに少女たちは、感心と信頼の眼差しを向けた。
健司は、その視線から逃れるように、話を締めくくった。
「…以上だ。準備しろ。30分後には、ここを出る」
◇
東京湾岸エリアに新設された、巨大なドーム型転移施設、『アーク・ゲート・アリーナ』。
その内部は、これから始まる祭典への期待と熱狂で、沸騰していた。
ドーム中央には、百を超える転移ゲートが円環状に並び、青白い光を放っている。その光景を、数万人の観客がスタジアムのような観客席から見下ろし、巨大なホログラムモニターに映し出される各チームの紹介映像に、歓声を上げていた。
『第一回・ルーキー・グランプリ』。
その記念すべき最初の大会には、世界中から、未来の英雄を夢見る100以上のチームが集結していた。
「――すごい…」
天野陽奈は、そのあまりにも壮大な光景に、ただ息を呑んだ。
彼女たちの待機エリアから見えるのは、まさに百花繚乱。世界中の才能が、この場所に集っている。
ひときわ大きな存在感を放っているのは、アメリカからの招待チーム**『スターリング・イーグルス』。スターリング・ファンドの奨学生で構成された彼らは、全員が最新鋭のユニーク装備で身を固め、その佇まいには絶対的な王者の風格が漂っていた。
その隣で、静かな、しかし鋭い闘気を放っているのは、韓国からの刺客たち。一糸乱れぬ動きを見せる『ソウル・インビクタス』と、個々のプレイヤースキルを極限まで高めた個人主義の集団『釜山ナイツ』。
そして、中国からは二つの巨大な龍が牙を剥いていた。ギルドハウスのような揃いのユニフォームに身を包み、アナリストたちが持つタブレットのデータを入念に確認している、超エリート集団『崑崙ゲーミング』。対照的に、派手な装飾の装備と不遜な笑みで、周囲を威嚇する攻撃的なチーム『紅い台風』。
ヨーロッパからも、ドイツの伝統ギルドが送り込んだ、鉄壁の連携を誇る『ドイツ騎士団』**など、強豪の名が連なっている。
その、あまりにもレベルの高い、そして国際色豊かなライバルたちの姿。
それに、星野輝は不敵な笑みを浮かべていた。
「へえ。面白そうな奴ら、いっぱいいるじゃん。最高に、燃えるね」
だが、その隣で。
このパーティのリーダーであり、ギルドマスターである佐藤健司(35)の心は、深い、深い絶望の海に沈んでいた。
(…帰りたい)
彼の脳内には、その一言だけが、無限にリピート再生されていた。
スーツ姿のサラリーマンが、一人もいない。
聞こえてくるのは、勝利への渇望と、若さゆえの万能感に満ちた、キラキラとした会話だけ。
あまりにも、アウェイ。
あまりにも、場違い。
彼の、サラリーマンとしてのHPは、戦う前からすでにゼロだった。
彼の、そのあまりにも人間的な絶望。
それを、断ち切ったのは、大会運営委員会による、一つの無慈悲なアナウンスだった。
『――これより、本大会に参加する全チームの、申告スキル及び主要装備一覧を、公開します!』
その声と共に、会場の巨大なホログラムモニターに、おびただしい数のテキストデータが、洪水のように表示された。
そして、その瞬間。
会場の、そしてこの配信を見ていた全世界の、全ての時間が、止まった。
誰もが、その一つの名前に、釘付けになった。
ギルド名、『アフターファイブ・プロジェクト』。
そして、その横に記された、あまりにも常軌を逸した、情報の羅列。
佐藤健司:
スキル: 【盟約の円環】 (SSS)
主要武器: 【憎悪の残響】 (Unique)
天野陽奈:
スキル: 【至福のひとさじ】 (D) - 効果:攻撃力100%アップのバフを付与
兎月りんご:
スキル: 【気紛れな奇跡のルーレット】 (B) - 効果:奇跡のストック
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、次の瞬間。
会場は、爆発した。
「なっ…なんだ、あれは!?」
「攻撃力100%アップ!?嘘だろ!?」
「S級魔法を、ストック!?そんなスキル、聞いたことがないぞ!」
その熱狂の中心で、大会の公式配信の解説者席が、映し出された。
解説者A: 「な、何ですかこれはー!?攻撃力100%アップ!?つまり、ダメージが常に2倍になるということですか!?そんなスキル、前代未聞です!」
解説者B: 「兎月選手のスキルも異常です!S級魔法を『ストック』できるとなれば、ボス戦の概念が根底から覆ります!これは…これは、とんでもないチームが現れました!」
解説者A: 「来ました!今大会最大の注目株、『アフターファイブ・プロジェクト』!申告されたスキルは、まさに神の領域!天野選手の攻撃力100%バフは、道中において絶対的なアドバンテージとなるでしょう!」
解説者B: 「そして、兎月選手の奇跡のストック!これがボス戦で炸裂すれば、もはや他のチームに勝ち目はありません!問題は、その『当たり』を引けるかどうかですが…!」
ライバルチームの控室では、剣崎達也がモニターを見つめ、険しい表情で呟いていた。
「…佐藤さん。面白いカードを隠していたじゃないか…」。
その、あまりにも重い、そしてどこまでも面倒くさい注目。
それに、健司はただ、天を仰ぐことしかできなかった。
やがて、運命の開始を告げる、ブザーが鳴り響いた。
『――レース、スタート!』
その号令と共に。
100を超えるパーティが、一斉に、それぞれのインスタンスダンジョンへと、その身を投じていく。
健司たちの戦いもまた、始まった。
そして、それは解説者の予想を、さらに上回る、あまりにも一方的な蹂躙劇となった。
ダンジョン名は、『弾丸の隧道』。
その名の通り、ただひたすらに真っ直ぐな一本道の洞窟。小手先の戦術は通用しない。ただ、純粋な殲滅速度だけが問われる、究極のレーストラックだった。
「陽奈、バフを!」
「はい!」
ダンジョンに突入した瞬間、陽奈が懐から取り出した、ストロベリー味のアイスを一口食べた。その瞬間、健司と輝の全身を、黄金のオーラが包み込んだ。
ダメージ、100%アップ。
その、あまりにも理不尽な力の奔流。
「――行くぞ!」
健司の号令と共に、二人の前衛が、モンスターの群れへと突撃する。
輝の【ポイゾナスコンコクション】が、緑色の死の霧となって敵陣を包み込み、健司の【憎悪の残響】が、その霧の中で苦しむ敵を、追加冷気ダメージと共に切り裂いていく。
雑魚モンスターたちは、その暴力の前に、ただの経験値となって消えていくだけだった。
解説者A: 「速い!速すぎる!アフターファイブ・プロジェクト、道中の雑魚モンスターを、まるで障害物として認識していません!ただ、通り過ぎるだけで、敵が溶けていくーっ!」
解説者B: 「そして、後衛の兎月りんご選手!彼女は、やはり戦闘に参加していない!ただ、後方で楽しそうに、ワンドを素振りしているだけだ!これは、一体どういう作戦なのでしょうか!?」
彼らの進捗バーは、スタート直後から、他の全てのチームを置き去りにして、トップを独走。
もはや、それはレースではなかった。
ただ、絶対的な王者が、その力の差を、世界に見せつけるための、公開処刑だった。
中間地点。
彼らのタイムは、2位の『アストライア』に、すでに1分以上の差をつけていた。
その、あまりにも理不尽な光景。
それに、世界は、ただ戦慄するしかなかった。




