第24話 ギルドマスター、最初の仕事
日曜日の昼下がり。
西新宿の空は、久しぶりに雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていた。だが、その晴れやかな空とは裏腹に、東京湾岸エリアの一角に立つ、巨大な倉庫の内部は、ひんやりとしたコンクリートと、乾いた埃の匂いに満ちていた。
佐藤健司(35)は、そのがらんとした、だだっ広い空間の中央で、腕を組み、深く、そして重いため息をついた。
(…なんで、こうなった)
彼の脳裏に、数日前の悪夢のような光景が蘇る。
「ギルドを作ろう!」という、輝のあまりにも無邪気な(そして、どこまでも強欲な)提案。それに、キラキラとした瞳で賛同する、陽奈とりんご。
そして、多数決という名の民主的な暴力によって、彼は不本意ながらも、新設ギルドの、初代ギルドマスターに就任させられてしまったのだ。
彼の、孤独で、静かだったはずの冒険は、今や、三人の女子高生を抱える、弱小ギルドの経営という、あまりにも重い責務を背負うことになってしまった。
「いやー、それにしても、やっぱ広いねー!ここ!」
彼の、その絶望的な感傷を、一つのあまりにも明るい声が、断ち切った。
声の主は、星野輝だった。
彼女は、まるで自分の城を手に入れた王女のように、その広大な倉庫の中を、嬉しそうに走り回っている。
「**あたしたちの城!**これだけ広ければ、ドロップ品も置き放題じゃん!マジ、最高!」
「広いです…!」
陽奈もまた、その隣で、自分のことのように嬉しそうに、感嘆していた。
「おーい!ヤッホー!」
りんごは、その声が反響するのを楽しんでいる。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも彼の神経を逆なでする光景。
それに、佐藤は再び、深いため息をついた。
そうだ。
ここは、彼らのギルドハウス(仮)だ。
彼が、昨日、なけなしのパーティ貯蓄(という名の、ほぼ彼の私財)をはたいて契約した、月額50万円の、ただの倉庫。
彼の、サラリーマンとしての魂が、警鐘を鳴らしていた。
固定費の増大。それは、事業経営において、最も避けるべきリスクだと。
だが、彼のそのあまりにも真っ当な意見は、少女たちの「夢」と「希望」の前では、ただの老人の戯言として、あっけなくかき消されてしまった。
彼は、そのあまりにも大きな先行投資に、一人静かに胃を痛めていた。
彼が、そのあまりにも大きな先行投資に、頭を抱えていた、まさにその時だった。
彼の目に、一つの異様な光景が、飛び込んできた。
倉庫の、一番奥。
そこに、一つの巨大な「山」が、築かれていたのだ。
不良資産の山
それは、彼らがこの数週間でダンジョンから持ち帰った、おびただしい数のドロップ品だった。武器、防具。その全てが、何の分類もされることなく、ただ無作為に、そして高く、積み上げられている。
その、あまりにも混沌とした、そしてどこまでも非効率的な光景。
彼の、システム管理者としての、そしてこのギルドの(不本意ながらも)マスターとしての魂が、その乱雑さを、許さなかった。
健司は、倉庫の隅に築かれた、ドロップ品の巨大な山を発見する。それは、輝が複製したものの、市場に出せば「複製スキル」の存在を疑われかねない、きわどいレアアイテムやマジックアイテムの山だった。
「――おい。なんで、あそこに山になってんだよ」
彼の、その低い、そしてどこまでも冷たい声。
それに、それまではしゃいでいた少女たちの動きが、ぴたりと止まった。
三人の視線が、一斉に彼へと向けられる。
輝が、その視線から逃れるように、口笛を吹いた。
「え?ああ、あれ?」
彼女は、できるだけ平静を装って、しかしその目は明らかに泳いでいた。
「いやー、売っても良いけど、流石に複製品のレアやマジックは、コピー品とわかるとまずいから、あそこに置いてるだけだよ」
その、あまりにも苦しい、そしてどこまでも子供じみた言い訳。
それに、佐藤の額に、青筋が浮かんだ。
彼は、そのゴミの山…いや、不良資産の山へと、ゆっくりと歩み寄っていく。
そして、その頂上に置かれた、一つの青く輝く革の手袋を、指先でつまみ上げた。
「…ほう。これは、マジック等級の【俊敏のガントレット】。攻撃速度が5%上昇するか。悪くないMODだな」
彼は、そう言って、その手袋をひらりと手の中で弄んだ。
そして、彼はその山の、少し下の部分から、全く同じ形、全く同じ輝きを持つ、もう一つの手袋を、引きずり出した。
「そして、こっちもだ」
彼は、その二つの手袋を、輝の目の前に、突きつけた。
「『置いてるだけ』じゃないだろ!これは資産管理じゃない、ただのゴミの山だ!」
彼の声は、静かだった。だが、その奥には、地獄の底から響いてくるかのような、絶対的な怒りが宿っていた。
「これは、資産管理じゃない。ただの、証拠隠滅だ。そして、そのやり方が、あまりにも杜撰すぎる」
彼は、そのゴミの山を、足で蹴った。
ガラガラと、無数のアイテムが崩れ落ちる。
「大体、自分の複製品だし、自宅に置いとけよ!なんでここに置いてるんだ!」
この口論を通じて、健司は自分がギルドマスターであると同時に、この厄介な「不良資産」の倉庫番であることを、改めて自覚させられる。
その、あまりにも正論で、そしてどこまでも真っ当な叱責。それに、輝はぐうの音も出なかった。彼女は、俯き、その唇を、悔しそうに噛みしめた。
だが、彼女は決して、謝罪の言葉を口にしようとはしなかった。
なぜなら、彼女には彼女なりの、「正義」があったからだ。
「…はぁ?」
彼女は、顔を上げた。
その瞳には、反省の色はない。ただ、どこまでもふてぶてしい、反抗の色だけが宿っていた。
「あたしの家、ワンルームなんだけど?こんなガラクタ置くスペース、ないし!」
その、あまりにも開き直った、そしてどこまでも自分本位な一言。
◇
倉庫の片付けもそこそこに、彼らはリビングで最初の「ギルド会議」を開く。
その日の夜。健司のタワーマンションのリビングは、これまでにないほどの、奇妙な熱気に包まれていた。議題は、ただ一つ。ギルド名の決定だ。
「はーい!じゃあ、あたしから!」
輝が、そのサイドポニーを揺らしながら、元気いっぱいに手を上げた。
「ギルド名は、『ザ・ゴールドラッシャーズ』!どうよ、これ!あたしたちの、金脈を掘り当てるっていう熱い魂が、こもってるっしょ!」
その、あまりにも分かりやすく、そしてどこまでもDQNなネーミングセンス。
「却下だ」
佐藤は、即答した。
「じゃあ、次は私、いいですか…?」
陽奈が、おずおずと手を上げる。
「私は、**『ひだまりのクローバー』**がいいなって…。みんなで、ひだまりみたいに温かい場所を作れたらなって、思います…」
その、あまりにも少女趣味で、そしてどこまでもポエミーな名前。
「却下だ」
佐藤は、再び即答した。
「はいはーい!じゃあ、次はあたし!」
りんごが、そのふわふわとしたツインテールを揺らしながら、叫んだ。
「ギルド名は、**『ミラクルマジカルるんるん団』**がいいなー!なんか、強そうで、可愛くない!?」
その、あまりにも幼児的で、そしてどこまでも意味不明な文字列。
「…却下だ」
佐藤の、その声は、もはや何の感情も宿していなかった。
会議は、紛糾した。
三人の少女たちが、それぞれ自らのセンスを主張し、一歩も引かない。
その、あまりにも不毛な、そしてどこまでも非生産的な議論。
それに、佐藤の、サラリーマンとしての、そして中間管理職としての精神力が、ついに限界を迎えた。
彼は、その場で頭を抱え、うずくまった。
そして、彼は呟いた。
その声は、もはや魂が抜け殻になった、老人のようだった。
「…もう、何でもいい…」
「…会社の、新規プロジェクト名みてえなので、いいよ…」
「…**『アフターファイブ・プロジェクト』**とかで…」
その、あまりにもサラリーマン的で、そしてどこまでも夢のない名前。
それに、それまで言い争っていた三人の少女たちが、ぴたりと、その動きを止めた。
そして、彼女たちは顔を見合わせた。
そして、彼女たちは同時に、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。
「…え」
輝が、言った。
「『アフターファイブ・プロジェクト』…?」
陽奈が、続けた。
「なんだか、秘密結社みたいで、格好良くないですか…?」
りんごが、とどめを刺した。
「うん!逆に、オシャレじゃない?」
最終的に、その名前が、なぜか少女たちに採用されてしまう。
◇
彼の、孤独で、静かだったはずの城は、今や、三人の女子高生たちの笑い声と、食べ散らかしたピザの匂いで、満たされていた。
少女たちは、彼の部屋の一室を、勝手に自分たちの寝室へと改造し、今はそこで女子会を開いているらしい。
キャーキャーという、甲高い、しかしどこか楽しそうな声が、壁の向こうから、微かに聞こえてくる。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも彼の日常を侵食する光景。
彼のARウィンドウには、新しく発行されたギルドマスターライセンスが表示されている。
『ギルド名:アフターファイブ・プロジェクト』
『ギルドマスター:佐藤健司』
彼は、その文字を、死んだ魚のような目で見つめる。そして、深いため息と共に、こう呟くのだ。
「……なんで、こうなった…」
彼の、哀れで、そしてどこまでも面倒くさい「新たな人生」は、また一つ、その面倒くささのステージを上げたのだった。




