第12話 足し算される幸運と、掛け算される恐怖
「さて、と」
佐藤は、その面倒くさい感情を、仕事用のポーカーフェイスの裏に隠し、言った。
「パーティを組んだ以上、最低限の連携はしてもらいます。いいですね、星野さん」
「りょーかい!ボス!」
輝は、ふざけたように敬礼してみせた。
「で?あたしは、何をすればいいわけ?」
「あなたは、前衛です。私と陽奈は後衛からサポートに徹します。あなたが、敵のヘイトを引きつけている間に、陽奈の魔法で削り、私がとどめを刺す。これが、基本的な戦術です」
その、あまりにも教科書通りの、そしてどこまでも安全マージンを重視した作戦。
それに、輝はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「へー。地味だね」
「安全が、第一ですので」
佐藤は、きっぱりと言い切った。
彼の、そのあまりにもサラリーマン的な、そしてどこまでも退屈な戦術。
だが、その退屈さこそが、このパーティの生命線となることを、輝はまだ知らない。
◇
そこから、彼らの奇妙な、そしてどこまでもぎこちない三人での戦闘が始まった。
三人は、敵を倒していく。
一体の石造りのゴーレムが、その鈍重な動きで通路を塞いでいる。
「星野さん、正面からお願いします」
「うぃーっす」
輝は、気のない返事をすると、その手に持つ二本のダガーを構え、まるで踊るかのようにゴーレムへと駆け寄っていった。
彼女の動きは、確かに美しい。
だが、あまりにも無防備だった。
彼女は、敵の攻撃を避けることなど、微塵も考えていない。
ただ、最短距離で、その懐へと潜り込むことだけを考えている。
「うおおおお!」
彼女の、そのあまりにも無謀な突撃。
それに、ゴーレムがその巨大な石の拳を、容赦なく振り下ろした。
「――危ない!」
陽奈が、悲鳴を上げる。
だが、その一撃が輝の華奢な体を砕く、その直前。
一つの、巨大な影が、その間に割り込んだ。
佐藤だった。
彼は、その頑丈な革の盾で、ゴーレムの一撃を、完璧に受け止めていた。
ゴッという、鈍い音。
彼のHPバーが、わずかに削れる。
だが、彼は一歩も引かなかった。
「…星野さん」
彼の、その低い声には、明らかな怒りの色が滲んでいた。
「これが、あなたの言う『プロ』の戦い方ですか。あまりにも、リスク管理が杜撰すぎる」
「…ちっ」
輝は、舌打ちした。
だが、彼女もまた、理解していた。
今の自分の一撃が、どれほど危険なものであったかを。
そして、目の前のこの冴えない中年が、どれほど頼りになる壁であるかを。
その、あまりにも鮮やかな、そしてどこまでも計算され尽くしたタンク役の動き。
それに、彼女の、その気の強い瞳の奥で、何かがわずかに、しかし確かに変わり始めていた。
彼らは、そうして10体のモンスターを倒した。
輝の、その無謀な突撃を、佐藤が完璧なリスク管理でいなし、そして陽奈が後方から的確なサポートで支える。
その、あまりにも歪な、しかしどこまでも効果的な連携。
それに、E級の雑魚モンスターたちが耐えられるはずもなく。
そして、彼らが10体目となる、一体のひときわ巨大なゴーレムを倒し終えた、その瞬間だった。
三人の全身を、これまでにないほど強く、そして温かい黄金の光が、包み込んだのだ。
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
祝福のウィンドウが、佐藤と陽奈の視界に、同時に二度ポップアップする。
【LEVEL UP!】
そして、少しだけ遅れて、輝の視界にも、一度だけ、その祝福の光が灯った。
「やったー!」
陽奈が、歓喜の声を上げた。
「見て、健司さん!私、レベル7だよ!」
「…ああ」
佐藤は、頷いた。
だが、その表情は、喜びとは程遠いものだった。
彼の心の中は、再びあの嵐が吹き荒れていた。
(…早い。早すぎる…)
佐藤健司と天野陽奈は、レベルが7に上がった。
星野輝は、レベル5に上がった。
その、あまりにも異常なまでの成長速度。
それに、輝はただ呆然としていた。
彼女は、自らのステータスウィンドウを、信じられないというように、何度も見返している。
「…うそ。なんで…?あたし、今日だけで、レベル2も上がってるんだけど…」
その、あまりにも素直な驚きの声。
それに、佐藤は深いため息をついた。
だが、本当の「異常」は、ここからだった。
彼らが倒した、10体目のゴーレム。
その光の粒子の残骸の中から、魔石が複数、落ちる。
だが、そのうちの一つ。
ひときわ大きく輝く、E級の魔石が、突如として、まばゆい光を放ち始めたのだ。
そして、その光が収まった時。
そこには、全く同じ形の魔石が、もう一つ、生まれていた。
複製。
「――出た!」
輝が、この日一番の、歓喜の絶叫を上げた。
「見た!?見た、陽奈ちゃん!健司さん!あたしの、ユニークスキルだよ!」
彼女は、そう言って、その複製された魔石を、宝物のように拾い上げた。
その瞳は、これ以上ないほど、ギラギラとした欲望の光で輝いていた。
だが、その彼女の、あまりにも無邪気な喜びの、その隣で。
佐藤は、ただ静かに、そしてどこまでも冷徹に、自らのARウィンドウに表示された、パーティの戦闘ログを、分析していた。
彼の、システム管理者としての脳が、そのログの中に、一つのあまりにもありえない「異常値」を、発見していた。
「…おい」
彼の、その低い声。
それに、まだ興奮冷めやらぬ輝が、振り返った。
「なんだよ、健司さん!すごいっしょ、あたしのスキル!」
「ああ、すごいな」
佐藤は、頷いた。
「だが、おかしい」
「は?」
「お前のスキル、【幸運は二度ベルを鳴らす】。その発動確率は、5%のはずだ。だがな、今、このログを見る限り、10回に1回、つまり10%の確率で発動している。**魔石が、1割くらいの確率で複製される。**これは、どういうことだ?」
その、あまりにも的確な、そしてどこまでも本質を突いた指摘。
それに、輝はきょとんとした顔をした。
「え?そうだよ?だから、すごいんじゃん」
「違う」
佐藤は、きっぱりと言い切った。
「確率が、倍になっている。そんな、都合の良いバグが、あるわけがない。つまり…」
彼は、そこで一度言葉を切った。
そして、彼はその恐るべき、そしてどこまでも論理的な結論を、口にした。
「これ、つまり、加算されて計算されてるという事では?」
その、あまりにも衝撃的な仮説。
それに、輝と陽奈の時間が、止まった。
「…どういう、ことですか?」
陽奈が、おそるおそる尋ねる。
「俺の、ユニークスキル。【盟約の円環】。あれは、パーティメンバーのスキルを、共有する」
「つまり、今このパーティには、星野さんの【幸運は二度ベルを鳴らす】が、三つ、同時に存在していることになる」
「そして、その5%が、3人いるから、加算して、15%の確率で複製される。…おそらくは、そういうことだろう」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、その沈黙を破ったのは、輝の、震える声だった。
それは、もはやただの驚きではない。
一つの、世界の理を超えた奇跡を目の当たりにした者の、畏敬の念に満ちていた。
「…うーわ、インチキ過ぎるでしょ…」
彼女は、そう呟いた。
そして、次の瞬間。
彼女の、その盗賊としての、そして金にがめつい少女としての魂が、歓喜の絶叫を上げた。
「…いや、取り分増えるから、嬉しいけどさ!」
その、あまりにも現金な、そしてどこまでも彼女らしい一言。
それに、陽奈はくすくすと楽しそうに笑った。
そして、佐藤の配信を見守っていた数十人の視聴者たち。
そのコメント欄もまた、爆発した。
『SSSスキルとはいえ、インチキ性能だな』
『なんだよ、これ…。確率まで、上乗せされるのかよ…』
『このパーティ、マジでヤバすぎるだろ…』
その熱狂と興奮の渦の中心で。
佐藤は、ただ一人、静かに、そしてどこまでも深く、ため息をついた。
彼の、ゲーマーとしての魂が、警鐘を鳴らしていた。
(ヤバいなぁ、どう見ても)
(経験値だけじゃない。ドロップまで、バグり始めたぞ、このパーティは…)
彼は、自らが足を踏み入れてしまった、このあまりにも甘美で、そしてどこまでも危険な沼の、その底知れない深さに、将来を心配して、ただ戦慄していた。