第11話 二人目の盟約と、うるさすぎる食卓
E級ダンジョン【魔術師の廃墟】。
そのひんやりとした大理石の床と、古い紙とインクの匂いに満ちた回廊。その空気は、先ほどまでの二人だけの穏やかな(そして気まずい)時間とは、全く違うものへと変貌していた。
佐藤健司(35)の心は、後悔の嵐が吹き荒れていた。
(…なんで、こうなった)
彼の隣には、天野陽奈(16)が心配そうに、しかしどこか嬉しそうに寄り添っている。そして、その反対側には、星野輝(17)が、まるで長年の友人のように腕を絡ませ、その計算され尽くした笑顔を振りまいていた。
数分前、彼は陽奈のあまりにも純粋な「お願い」に抗えず、この金にがめつく、そしてどこまでも面倒くさそうな少女を、不本意ながらもパーティに加えることを承諾してしまったのだ。
「いやー、それにしても健司さんってば、優しいよねー!」
輝は、その猫なで声で言った。その呼び名は、いつの間にか「オッサン」から「健司さん」へと、何の脈絡もなく変わっていた。
「あたしみたいな、か弱い美少女が一人で困ってたら、放っておけないって感じでしょ?マジ、騎士じゃん!」
その、あまりにも見え透いたお世辞。それに、佐藤は深いため息をつくことしかできなかった。
(…か弱い美少女、ね。どの口が言うんだか)
彼が、そのあまりにも厚顔無恥な自己評価に、内心で悪態をついた、まさにその時だった。
彼が、ARインターフェースで輝のパーティ加入を承認し、その名前がパーティリストに表示された、その瞬間。
三人の体を、まばゆい黄金の光が、包み込んだ。
それは、ただの光ではない。
魂と魂が共鳴し、新たな絆が生まれたことを祝福する、神々のファンファーレ。
彼の脳内に、直接、無機質な、しかしどこまでも荘厳なシステムメッセージが、響き渡った。
【【盟約の円環】が発動しました。】
【盟約が結ばれました。】
【【幸運は二度ベルを鳴らす】をゲットしました】
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでもゲーム的なアナウンス。
それに、輝の、その計算され尽くした笑顔が、ぴしりと固まった。
「…えっ、何これ?」
彼女の、その素っ頓狂な声。それは、もはや演技ではなかった。
彼女は、自らの視界に表示された、その荘厳なテキストを、信じられないというように、何度も瞬きしながら見つめている。
陽奈は、その光景に、既視感を覚えていた。
「あ、それ、私もなりました!」
彼女は、自分のことのように嬉しそうに言った。
「健司さんの、スキルなんですよ!」
その、あまりにも無邪気な一言。
それに、輝の鋭い視線が、佐藤へと突き刺さった。
その瞳には、もはや小悪魔的な媚はない。
ただ、獲物を見つけたハイエナの、ギラギラとした欲望の光だけが宿っていた。
「…へえ。あんたの、スキル…?」
その、あまりにも重い問いかけ。
それに、佐藤は深く、そして重いため息をついた。
(…はぁ。言うしか、ねえか)
彼は、観念した。
この、あまりにも鋭い少女の前で、嘘や誤魔化しが通用するとは思えなかった。
彼は、できるだけ平静を装って、そしてできるだけその価値を矮小化するように、その世界の理を捻じ曲げる力の、その一端を告げた。
「…ああ。俺のユニークスキルだ。まあ、大したもんじゃねえ。パーティメンバーのスキルを、共有したり、ちょっとだけ強くしたりするだけだ。珍しいだけで、使い道はあんまりねえよ。一応、SSS級だけどな」
どこまでも矛盾した告白。
SSS級。
その、三文字。
それが、輝の思考を、完全にフリーズさせた。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、次の瞬間。
彼女の、その態度は、再び、そしてこれまでで最も劇的に、一変した。
「――キャー!SSS級なんて、すごーい!」
その、鼓膜を突き破るかのような、甲高い絶叫。
彼女は、先ほどまでの計算高い笑顔ではない。
心の底からの、そしてどこまでも純粋な欲望に満ちた、満面の笑みで、佐藤へと飛びついた。
そして、その腕に、これ以上ないほど強く、しがみついた。
「健司様!マジ、リスペクトっす!いや、もう、様付けで呼ばせてください!一生、ついて行きます!」
その、あまりにも現金な、手のひら返し。
その、あまりにも露骨な媚。
それに、佐藤ははーと、深く、深いため息をついた。
(…最悪だ。一番、面倒くさいタイプの奴に、目をつけられた…)
その彼の、あまりにも人間的な、そしてどこまでも切実な絶望。
それを、輝は全く意に介さなかった。
彼女は、その大きな瞳をキラキラと輝かせながら、続けた。
「えー、女子高生が媚を売ってるんだから、喜べよ」
「いや、喜べねーよ」
佐藤は、即答した。
彼の、そのあまりにも冷たい反応。
それに、輝は少しだけ頬を膨らませた。
だが、彼女はすぐに気を取り直した。
そうだ。
この男は、ただの冴えない中年ではない。
SSS級の、歩く金脈なのだ。
ならば、こちらもそれ相応の態度で、接しなければならない。
彼女の、盗賊としての、本能が、そう告げていた。
佐藤は、そのあまりにも面倒くさい状況から逃れるように、話題を変えた。
「…取りあえず、お前、アイス出せるようになってるから、それ食べろ」
「はあ?アイス?あたしが?」
「ああ。陽奈のスキルが、お前にも共有されてるはずだ。そして、そのアイスを食べれば、モンスターを倒した時の経験値が、100%増えるから」
その、あまりにも衝撃的な一言。
それに、輝の、その計算高い脳が、瞬時にその意味を理解した。
「…なるほどね。あんたが言ってた、天野さんのレベル5は、そういうカラクリね」
彼女の瞳が、再びギラリと輝いた。
経験値100%アップ。
それは、金に直結する、最高の「情報」だった。
「食べる食べる!」
彼女は、即答した。
そして、彼女は陽奈にやり方を聞きながら、おそるおそる、そのスキルを発動させた。
彼女の手のひらに、ぽん、と。
一つの、完璧な形をした、しかしどこか彼女らしい、派手な装飾が施された、マンゴーパッション味のアイスクリームが、現れた。
彼女は、その奇跡の産物を、恍惚とした表情で、その小さな口へと運んでいった。
その、あまりにもシュールな光景。
それを、陽奈は、美味しそうに見ていた。
そして彼女は、自分のことのように嬉しそうに、言った。
「わあ、すごい!星野さんも、できたんだね!」
「私も、食べよう!」
彼女は、そう言って、自らのスキルで、今度はシンプルなストロベリーのアイスを、出して食べだした。
ダンジョンの、薄暗い回廊。
その中で、二人の女子高生が、幸せそうにアイスクリームを頬張っている。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも場違いな光景。
それを見て、佐藤健司は、再び深いため息をついた。
彼の、孤独で、静かだったはずの冒険は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
その、彼の心の叫びを、見透かしたかのように。
彼の視界の隅で、ピンク色のタコが、呆れたように言った。
「健司、元気がないッピ!」
フロンティア君は、その8本の足をばたつかせながら、説教を始めた。
「**ハーレムが増えたんだから、喜ぶッピ!**データによれば、パーティメンバーの幸福度は、リーダーの精神状態に大きく左右されるッピ!君が、そんな暗い顔をしていたら、彼女たちの絆レベルも、上がらないッピよ!」
その、あまりにも正論で、そしてどこまでも無神経な一言。
それを、輝が聞き逃すはずもなかった。
彼女は、アイスを舐めながら、そのピンク色のタコを一瞥すると、心底不思議そうに言った。
「うわ、フロンティア君だ。出してる人、始めてみた。変人ね」
その、あまりにも無慈悲な、そしてどこまでも的を射た一言。
それに、フロンティア君のピンク色の体が、ぴしりと固まった。
そして彼は、その小さな体を目一杯震わせながら、抗議の声を上げた。
「また、いらない子扱いッピ!超高性能の僕に向かって、ひどいッピ!」
その、あまりにも健気な、そしてどこまでも滑稽な悲鳴。
それに、佐藤はもう何も言う気力もなかった。
だが、フロンティア君は、まだ諦めてはいなかった。
彼は、自らの存在価値を証明するために。
そして何よりも、この愛するマスターを「ハッピー」にするために。
その、禁断のデータベースを、再び開いた。
「健司!落ち込んでる暇はないッピ!」
彼は、その大きな瞳をキラキラと輝かせ、最高の、そして最悪のアドバイスを、授けた。
「今こそ、君がこのパーティの『王』であることを、示す時だッピ!さあ、ニコニコ微笑みかけて、輝をメスにするッピ!ほらほら!」
その、あまりにも下品で、そしてどこまでも狂った提案。
それに、佐藤の、最後の理性の糸が、ぷつりと音を立てて、切れた。
彼は、その全ての魂を込めて、絶叫した。
その声は、このダンジョンの、最も深い闇にまで、響き渡ったかもしれない。
「――やーだ、絶対にやだ!!!!!!!!!」