第一話〈欠けたモノ〉
初めまして。
興味を持っていただきありがとございます。
私の世界を楽しんでもらえたら嬉しいです。
足元の土は乾ききって、ひび割れた大地がどこまでも続いていた。
石畳はすでに数日も前に途切れ、草の生えた獣道がかろうじて街道の名残をとどめている。
リオはその道を、ひとり歩いていた。
背中には古びた荷袋と、肩から下げた小さな楽器──弦の緩んだリュートだけが荷物だ。
旅はもう、何度目になるのか覚えていない。ただ、どこへ行っても冷たい目と、蔑みの声がついてくる。
理由はひとつ。
自分が、“無魔”だからだ。
魔法の存在が当たり前のこの世界で、魔力を持たぬ者は生きづらい。
火を灯すのも、水を引くのも、病を癒すのも、戦うのも──魔法が支配する。
だがリオの体には、その“力”がまったく流れていなかった。
生まれてすぐ、親に捨てられた。
育った孤児院では、「厄介者」と罵られ、教会の掃除と裏方仕事だけを押しつけられた。
やがて追い出され、盗賊にもなれず、物乞いも拒まれ、最後に残ったのは──唄、だけだった。
「唄うしかない、か」
リオは独りごちて、乾いた風に晒された喉を鳴らした。
今日も、宿場町で声を張り、わずかな路銀を稼ぐしかない。
やがて、木の柵と看板が見えた。
『ルフの小屋』と、剥げかけた文字が揺れている。
道端にぽつんと建つ、古びた宿場町だ。旅人と行商人が集まり、夜を明かすだけの場所。
扉を押せば、薄暗い灯りと、濁った空気が迎えた。
酔いどれた男たちの笑い声と、酒の臭い。 リオを見た者たちが、口をつぐむ。
ボロをまとい、楽器だけを抱えた若者。無魔の匂いは、すぐにばれる。
宿屋の主人が、嫌そうな顔をした。
「泊まりか、流しの唄か」
「両方、できれば」
主人は渋々と、手を振った。
「今夜は満席だ。だが、唄次第だな」
こういう場所では、唄で稼ぐしかない。
リオはリュートを構え、乾いた指先で弦を鳴らした。
音はわずかに歪んだが、誰も気づかない。
リオの唄は、魔法のそれとは違う。けれど、不思議と耳に残る力を持っていた。
ゆるやかな旋律が広がり、誰かの怒声が消える。
別の誰かの笑い声が、穏やかになる。
そして、唄う。
──遥かなる鉱の谷に、光をまとう竜ありき──
リオの声は澄んでいた。
唄の内容を知らぬ者も、どこか懐かしさを覚える旋律。
竜の唄。かつて谷を飛び、空に煌めいた存在の唄だ。
蒼き空 熱き土
その狭間に舞い降りしは
鱗透き通る光の竜
客たちが、少しずつ耳を傾ける。
リオの歌声は、語り部のように物語を紡いだ。
数百年を ふたりで刻む
再び生まれ 再び飛ぶ
鱗を砕き 巣に戻りて
命を継ぐは 結晶の理
やがて、唄は終わる。
熱気を残したまま、宿屋には静けさが戻った。
唄い終えたリオに、宿屋の主人がしぶしぶと手を叩いた。
ほかの客たちも、ポツリポツリと小さな拍手を返す。中には、酒の酔いが回ったのか、微かに涙ぐむ者もいた。
「思ったより、まともな唄だな」
「珍しいな、あの唄……」
「どこの谷の話だ?」
そんな声がまばらに飛ぶ。
リオはそれらを聞き流しながら、リュートを背に戻した。
銀貨が数枚、テーブルに投げられた。ありがたいが、今日の宿代には足りない。
「部屋はどうする?」
宿屋の主人が、まだ胡散臭げな目で睨んでくる。
「納屋でいい。屋根があれば」
「納屋か……まあ、好きにしろ」
やはり、この世界は無魔に優しくない。
リオは苦笑しつつ、納屋へ向かった。干し草の匂いと埃っぽい空間だが、夜露を避けられるだけマシだった。
夜半。
リオは納屋の隅に身を縮め、干し草の上に腰を下ろした。
肩にかけたリュートが、膝の上でわずかに揺れる。
壁の隙間から冷たい夜風が忍び込み、古びた木の梁が軋んだ。
この生活にも、もう慣れた。
街を歩き、唄を歌い、幾らかの路銀を稼ぎ、夜を越える。
それだけだ。ほかに何もいらなかった。
魔法はなくても、唄があれば、どこへでも行ける。
リオは静かにリュートの弦を弾いた。
乾いた音色が納屋の空間をわずかに満たす。
――遥かなる鉱の谷に、光をまとう竜ありき――
誰にも聞かせるつもりはなかった。
だが、この旋律だけは、自然と口をついて出た。
いつから覚えていたのかは思い出せない。
けれど、リオにとっては、それがすべてだった。
蒼き空 熱き土
その狭間に舞い降りしは
鱗透き通る光の竜
夜の闇に、透き通るような旋律が揺れる。
谷に降りた竜、光の鱗、命の結晶。
意味は分からなくても、歌い続けることで、胸の内のざわつきが消えていく。
ふたつの竜は結び合い
零れし涙 重なれば
命の晶核 地に芽吹く
リオは目を閉じて、静かに唄い終えた。
遠くで、街道を渡る風の音がする。
梟が低く鳴き、また夜が静まり返った。
これが、リオのすべてだ。
唄がありさえすれば、どこへでも行ける。
それだけを信じて、また歩く。
──
夜が明けるころ、宿場町はまだ静まり返っていた。
リオは荷物を背負い、ひとりで街道へ出た。
夜露の残る地面を踏みしめ、次の町を目指す。
唄があれば、また歩ける。
そう信じて、リオは東の空へ向かった。