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第4話 ティナ、はじめて走る



「付き合ってくれてありがとう、戻ろうか」



シエラの言葉に導かれて、ティナは再びラボへと足を進めた。

ノクス区の施設内、白と黒を基調にしたシンプルな廊下の先。

その一角、扉がひとつすっと静かに開かれる。


中は広々とした空間だった。

天井の高い室内にはホログラム装置や端末がずらりと並び、壁の一面が滑らかに光っている。



「この部屋は、仮想空間と接続してる観測ルーム。

 簡単なテストやリハビリもできるようになってるんだ」



シエラは、部屋の中央に設置された円形の装置の上をぽんぽんと叩いた。


「ティナの身体はね、見た感じでもかなり良好。

 ちょっと中に入って、自分の“今の動き”を体験してみるといいよ」


ティナは戸惑いながらも、ゆっくりと装置の中心に立つ。

淡く光るリングが彼女を囲み、柔らかなセンサーが足元をスキャンしていく。




『──リンク開始、仮想レイヤー展開──』




シエラの指がタップパネルを走ると視界が一瞬、光に包まれた。


 


次の瞬間、風の匂いが鼻をくすぐった。


 


目の前に広がるのは、見渡すかぎりの仮想空間。

都市と草原が混ざり合った、なめらかなシミュレーションフィールド。

空には仮想の太陽が輝き、遠くでは仮想ドローンが巡回している。



「まずは歩いてみて」


シエラの声がどこかから響いた。

ティナは一歩、踏み出す。

地面の感触、足に伝わる重みがリアルすぎて一瞬たじろぐ。

けれど、数歩も歩くと驚くほど自然に身体が動く。



「……すごい、ほんとに……動ける……」



「いい感じだ。よし、次はちょっと走ってみようか」



シエラの軽い口調に、ティナは息を呑んだ。

緊張と期待が入り混じったまま1歩、2歩そして、思いきって地面を蹴る。


 


風が頬を強くなでていく。

いや、それどころじゃない。


 


ティナの身体は、思っていた以上に速かった。


 


「うわっーちょ、ちょっと待って!」


 


足が勝手に地面を捉えて、跳ねるように進んでいく。

床の角度や微妙な傾斜に合わせて、無意識に重心を調整している。

加速が止まらない。

止まる気配すらない。


まるで自分の身体じゃないみたいなのに、完璧に馴染んでいる。


 


「シエラぁ!? これ止まれ――!」


 


勢いのままスロープを駆け上がり、

身体はふわりと宙へ浮かぶ。



そして、自然にくるりと一回転して着地。

まるで猫のように、しなやかに足を滑らせてピタリと止まった。


 


「……は?」


 


あっけに取られて、その場にへたり込む。


でも…息は切れていない。

むしろ、心臓が興奮で跳ねている。

足が、まだ走りたがっている。


 


「……やば……なにこれ……」


 


ティナは両手を見下ろし、それからふくらはぎ、足元へと視線を移す。


走ったのは確かに自分。

でも、これは明らかに「今までの自分」とは違う


 


体中が、熱を帯びていた。

筋肉が目覚めたようにしなやかに躍り、神経が研ぎ澄まされたようにすべてがつながっている感覚。


初めてなのに、どこまでも走れそうだった。


 


「わたし、走ったんだ……」



その実感はどこか現実離れしていて。

でも確かに、さっきまでのティナが“駆けていた”。


 


「うん。やっぱり速いな。予想以上だ」


 


部屋の上部に浮かぶパネル越しに、シエラの顔が映り込む。

指でホログラムをなぞりながら、にやりと笑ってみせる。


 


「調整なしであの加速は、完全に走ることに特化してる“センティエンツ”の足だ」


 


「いやいやいや、説明なさすぎでしょ!?」


ティナがパネルに向かって叫ぶ。



「てか、ブレーキどこ!?」



 


「え? 脚だろ?」


 


「むりだって!!」


 


それは暴走だった。まちがいなく。


でもその中に、ティナは確かに感じていた。

これまでに知らなかった、自分自身の“ちから”。


初めて走ったはずなのに、それが怖くない。

むしろ、もっと走ってみたいと思ってしまった。


 


それは、ただの運動じゃない。

生まれて初めて、“自分の身体を使って自由に動けた”という喜びだった。



「ふぅ……」


 


ティナは軽く息を吐いた。

でも身体はまだ止まってくれなかった。

走ったあとの余韻が、体中に残ってる。

もっと動きたくて、うずうずしてる。


 


そんなティナを見下ろすように、天井に浮かぶホログラムパネルの中からシエラの声が届いた。


 


「じゃ、次は…ジャンプだな」



 


「え、ちょ、ちょっと待っ――」


 


言い終わる前に、足元の床がスッと沈み込んだ。

一瞬の浮遊感。

そして視界がぱっと切り替わる。


 


仮想空間が変化する。

まるで都市の片隅を再現したような、複雑に入り組んだレイアウト。

箱の上に足場、パイプ、傾斜、壁…まるでパルクール用のアスレチック。


ティナは何かに導かれるように、無意識に走り出していた。


 


目の前に、低い障害物。


自然と両手をついて跳び越えた。


それだけじゃない。

着地した次の瞬間には、パイプの上を滑るように進み、角度のついた壁を駆け上がって上のフロアに飛び移る。


 


「なにこれ、なにこれ……!」


ティナの口から漏れたのは、混乱じゃなく興奮だった。

身体が勝手に動く。


 


まるで身体が行き先を知ってるみたいだった。

足が踏む位置を探し、手が引っかかりを見つけ、ジャンプの角度も、着地のバランスも考えるより先に身体が動く。


 


「っ、すご……!」


 


遠くに見えた高台までの距離、今なら跳べる…!

そう確信して、ティナは助走をつける。


 


「せーのっ!」


 


空中に身を投げ出す。

風を切って、しなやかに飛び

重力を切り裂くように、ティナの身体は軽やかに向こう岸へと舞った。



…そして、着地。


足裏が地面をしっかりと捉える感触。


 


「……跳べた、私……跳べた!」


 


驚きとともに、笑みがこぼれた。

仮想空間の景色がすぅっと薄れていく。

ティナの周囲は、元のラボの風景に戻る。


 


上部モニターのシエラは、コーヒーを片手に頷いた。


 


「うん。予想通りだ。ティナはたぶん運動センスあるタイプだ。反射神経もバランス感覚も、並みじゃない」


 


「いや、ちょっとこれやばすぎるって……!」


 


ティナの胸は高鳴っていた。

自分の身体が、自分の知らない可能性で満ちている。

まだ知らないことばかり。

でもそれがなんだか、嬉しかった。



ティナは、まだ軽く脈を打つ胸に手を当てたまま、静かに息を吐いた。



「……走るのって、こんなに楽しかったんだ」


 


ずっと知らなかった。

風が身体を抜ける感覚。

跳んだときの浮遊感。

足が地面を蹴るたびに、自分の“力”が確かになっていくあの感じ。


ティナは、もう一度自分の手を見た。



これが“自分”なんだ。


 


ふわりと音がして、上部のホログラムに再びシエラの姿が映る。


コーヒーを飲みながらどこか茶化すような、でもちょっと真面目な声で言った。


 


「なあティナ、"ワイルドラン"って聞いたことあるかい?」


 


ティナは、少し首をかしげた。



「なに、それ?」


 


シエラはにやりと笑う。



「走って、跳んで、滑って、風になる…そういう遊び。

 アリエッセじゃ、いま1番アツい競技なんだ」


 


その目はほんの少しだけ、ティナを試すように光っていた。



 


「……興味ないかい?」



 


ティナは目を瞬かせたまま、何も答えなかった。

けれど、その胸の奥で何かがふつふつと、静かに火を灯し始めていた。





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