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第3話 都市アリエッセ



「……ちょっと、外に行ってみようか」


シエラの一言にティナは小さくうなずいた。

ベッドの端から、そろりと足を床に下ろす。


その瞬間、ぴた。

と足の裏に“世界”の感触が届いた。

なめらかで、ほんの少しあたたかい床。

空調の風が足首を撫で、しっぽがわずかに揺れる。


ティナはゆっくりと立ち上がり、壁に手を添えながら一歩ずつ踏み出す。


歩ける。


重心がしっかりと足に乗って、自分の身体が自分のものとして動いている。

その実感が胸の奥を静かに震わせた。



「ここは“ノクス区”っていってね、研究と医療を中心にしたエリアなんだ」



隣を歩くシエラが、何気ない調子で言う。




「この都市アリエッセは7つの区画で出来ていてさ。

 今はそのひとつノクス区の再生医療棟にいるんだ」



「アリエッセ……」



ティナは口の中でその名前を繰り返した。

どこか透明で、冷たくて、でも不思議と馴染む音の響き。



「中央の“セントラルコア”が全体を制御してて、

 他には商業の“オーレ区”、暮らしの“セイル区”、

 自然融合の“ヴァルト区”、輸送の“リンクライン区”、外縁防衛の“エクソ区”……まあ、そのうち全部見ることになると思う」



廊下を歩く足音が静かな空間にトン、トンと響く。

ティナは、その音さえも愛おしく感じた。


足の裏から床の質感が伝わる。

空調の風が肌にふれて、前髪を揺らす。

耳の先がそれを感じてぴくっと動く。

世界が、自分の感覚のすぐそこにある。



「……なんか、全部が“近い”感じがする」



「それは、君がちゃんと“センティエンツとしての感覚”を使い始めてる証拠だよ」



シエラはちょっと得意げに笑った。



「耳やしっぽだけじゃない。

 嗅覚や聴覚、それに運動神経も。

 身体全体が、いまチューニングされてるって感じかな」



シエラに導かれながらティナは白く光る廊下を歩き、やがて高層棟のエレベーターにたどり着いた。


無機質な銀の扉が、ティナの存在を感知して自動で開く。


 


「最上階、行ってみるかい?」



「……え?」



「せっかくだからちょっと景色、見せたくてさ」


 


扉が閉まると、ふわっと無重力になる感覚。


静かな電子音と共に、エレベーターが滑るように上昇していく。


途中、壁がふっと透明になった。


ティナは思わず目を見開く。


 


眼下に広がるのは…圧倒的な光の都市だった。



整然と並ぶ高層ビルの群れ。

その壁面には、巨大なホログラム広告が浮かんでいる。

街路を縫うように走る輸送レーン、浮遊するカプセル型のモビリティ。

その全てがきらめくように光を放ち、静かに流れていく。


遠くにはドーム型の施設がいくつも連なっている。

研究区か、教育区か……その奥に、森のような緑が広がっていた。


 


「これが……アリエッセ……」


 


「うん。わたしたち“センティエンツ”が暮らす、いまの世界の中心地だ。実はセンティエンツの街は、人間の目からは見えない場所にある。ここ、アリエッセもその1つさ」


 


シエラの声はどこか誇らしげだった。

けれど、ティナにはそれが遠い世界のようにも思えた。


自分の五感は確かにここにある。

でも、心がまだついていけていない。


 


「……すごい。全部が、知らないものばかり……」


 


「まぁそりゃ驚くか。

 慣れてないと、うちの都市って派手すぎるからな」




エレベーターが静かに停止し、扉が左右に開く。


目の前に広がっていたのは、まるで宙に浮かぶような展望フロアだった。


足元は強化ガラスと光のパネルが交互に敷かれていて、都市の遥か下を見下ろすことができる。

天井は透明ドーム状になっていて、人工気象によってつくられた青空と、

ホログラムで投影された雲がゆっくりと流れていた。


 


ティナは一歩前に出て、思わず息をのんだ。


遥か遠くまで、ビル群がきらめいている。


それぞれのビルには巨大なホログラム広告が投影されていて、立体的に浮かび上がるブランドロゴや動くキャラクターが、空中で踊るように回っていた。


浮遊式の交通ラインを滑る乗り物。

空中に張り巡らされた光のレール。

遠くで、センティエンツ達がすごい速さで高架を駆けていく影が一瞬だけ見えた。


 


「……すごい……」



ティナが思わず呟くと、シエラは隣で肩をすくめた。


 


「ここは見せておきたくてな。うちの都市、アリエッセの顔だから」


 


そして、展望フロアの奥へと歩いていくと

そこには小さなバーカウンターがあった。


無人のはずなのに、カウンター奥のアームが自動で動き、ティナたちに気づいてスタンバイする。


 


「……え、ここって……」



「展望用のラウンジバー。疲れたらここで一息つくってわけだ」


シエラは慣れた手つきで端末に触れ、メニューを呼び出す。


立体投影されたメニューには、色とりどりのドリンクがホログラムで回転していた。


 


「何か飲む? ノンカフェインもあるし、味覚の調整もできるよ」



ティナはずらりと並ぶドリンクの中から、鮮やかな青の液体に目をとめた。

どこか引き込まれるような色。

けれど、名前は意外にもシンプルだった。


 


《VALQ Blueヴァルクブルー

・アリエッセのヴァルト区から名前を取ったジュース。自然融合系の成分で作られたテクノ・オーガニック系。


 


少しだけ戸惑いながらも、ティナはその名前をタップしてみる。

自動抽出されたカップが、目の前にふわりと出現した。


 


受け取ったカップは、手にしっくり馴染む軽さ。

指先に触れたときのひんやりとした感触が、少し心を落ち着かせた。


 


一口、口に含んでみる。


 


甘くて、ほんのり酸味があって……でもそれだけじゃない。

飲んだことのない、不思議な味。

けれど、どこか懐かしくてやさしい。


 


「……おいしい」


 


思わず口に出たその一言に、隣でシエラがにやりと笑う。


 


「でしょ。味覚センサーで調整してるからね。

 センティエンツの好みに合わせて微調整されるんだ。

 あんまりハズレ引かないようになってんだよ」


 


彼女はそう言って、自分のカップにも口をつけた。

無造作な仕草なのに、どこか余裕のある動き。


ティナは改めてカップの青を見つめながら思った。

この世界では、すべてが自分の知っているものとは違う。

でも…案外悪くないかもしれない。


 

ふたりの視線の先には、アリエッセの果てまで広がる都市の光景があった。


 


いくつもの区画が違うリズムで脈動している。

遠くの空にはゆっくりと流れる情報ホログラム。

遥か下層に広がるネオンの海と、その上にそびえる塔の数々。


 


ティナの足元には、確かにこの場所の重さがあった。

ここは夢でも幻でもない。

間違いなく、自分がこれから生きる世界の“現実”なんだ。


 


風がふわりと吹いて、しっぽの毛並みが揺れる。

ティナはそっと目を閉じ、静かにその空気を受け止めた。


 


そして、少しだけ目を細めて、こう呟いた。


 


「……私、ここで――ちゃんと、生きていけるかな」


 


シエラは返事をしなかった。

けれど、その静かな横顔にはどこか優しさが滲んでいた。


 


都市の灯りは、空の向こうまで続いていた。




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