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帰りますわ

 その時だった。


 一人の高位貴族令嬢が発言の許可を求め、皆の前に出てくる。


「どうしても、今この場ではっきりさせておきたい事実がございます。すぐ外に待機させておりますわたくしの知人をここに呼び入れてもよろしいでしょうか」

「今でなければ駄目なのだな? わかった。許そう」


 ゲルダと名乗ったその令嬢の合図で騎士が会場の外に出る。

 そこでエリザベートは気が付いた。

 その令嬢が発言してから、クラーラの顔つきが強張っている。


(お知り合いなのかしら……?)


 やがて護衛騎士は一人の貴族令息らしき者をつれて戻ってくる。

 見目はよいが、ひどくうろたえた態度はこの場に相応しくない。

 それでも一応ケネスに向かって最低限の自己紹介と挨拶はしてみせた。ジイクと名乗ったその男性の隣にゲルダが並ぶ。


「殿下。ジイク様はわたくしの婚約者です。わたくしは今この場でジイク様に確認したいことがありますの」


 ゲルダは背筋を伸ばし、ジイクと正面から向かい合った。


「ジイク様。貴方はわたくしがもし性根の腐った極悪令嬢だったとして、わたくしとの婚約解消を求めますか?」

「ええっ? 君の性格と我々の婚姻に何の関係があるんだ。貴族の結婚の意味は家同士の繋がり、家の存続と発展だけだろう? 君はそんなことも教わってないのかい?」

「いえわたくしは存じております。ですからわたくしも、例え貴方がどうしようもない女好きの癖に女性を蔑視するクズ人間であっても婚約を続行するつもりでございます。ですが……そうは思わぬ相手もおられますのよ?」


 ゲルダの視線はクラーラに向けられた。

 そこで初めてジイクはクラーラの存在に気が付き、驚く。


「ジイク様」


 クラーラの大きな瞳がうるんでいた。

 ジイクは言葉を失くしている。


「お話が……お話が違うのではありませんか」

「クラーラ、君、なんで……」

「お二人は共に婚約を解消したがっているのではなかったのですか」

「いやそれは、」

「もしも婚約者の方がお家の家風に合わない暴力女性と認定されれば……それを理由に婚約を破棄し、私を妻に迎えて下さると言った貴方のお話は、嘘だったのですね……!」


 ぽろぽろと涙をこぼす。

 ジイクはただあたふたとあちこちに目をやっては助けを求めるが誰も動かない。会場の女性たちはひたすら冷たい目を向けるだけである。


(クラーラ様はせっかく強運の持ち主なのに、男性運だけはないタイプの方だったのね)


 エリザベートは同情する。

 そんなエリザベートにクラーラが顔を向けた。


「エマ様。私……ヒロインを辞退させてもらいます……!」

「……そう。どなたか、クラーラ様をどこかで休ませて差し上げて。その後落ち着いたらご自宅までしっかり送り届けるように」

「では私が」


 言い出したのは魔法師だった。

 失恋の隙を見て、彼女を王宮魔法師に勧誘するつもりなのかもしれない。


 エリザベートは想像してみた。

 クラーラのような魔法使いがヒロインの権利を得て最後の一歩を躊躇う理由がなくなったとすれば、きっとゲルダが陥れられるのはあっという間だったろう。

 そう思えば、そうなる前にこの場で片を付けたゲルダの立ち回りをエリザベートはこっそり賞賛する。


 さて、と気分を変えた。

 エリザベートは残されたリリンを見る。


「貴女は既にお目当ての殿方は決まっていますの?」


 高位令嬢たちに緊張が走った。

 けれどリリンはぶんぶんと首を振る。


「いえ、そんな! 私なんかを見染めてくれる方がいればどなたでもいいんです、ただお金持ちかどうかは重要ですけど!」

「……まあ」


 エリザベートは拍子抜けする。


「豊かな暮らしがお望み……ということかしら」

「お恥ずかしい話ですが、我が家はとても貧しいのです。その上弟妹がたくさん。ですから我が家の困窮を助けて下さるような余裕のある方に嫁ぎたいのです」


 わざわざヒロインとして振舞って高位貴族を狙わなくても、貧乏男爵家を養える程度の貴族などその辺にいくらでもいるだろうに、とエリザベートは疑問に思う。

 だが。リリンは自分の家があまりに貧しすぎるので、他の下位貴族も同じようなものだと思い込んでいるのかもしれない。


 観察するエリザベートの目を非難と受け取ったのか、リリンは少しうつむき苦笑いを見せた。


「……本当は、私に稼ぎがあればそれでよかったんですけどね。せっかく就いた王城庭師の職を少し前クビになってしまいまして……」

「まあ。貴女が? 庭師?」

「はい。私、草魔法が使えるんです。草魔法で得られる最高のお給金がここでの仕事だったんですが、それを逃がしてしまったのでじゃあ代わりにお金持ちの旦那さんを捕まえようかと……」


 待て、と口を挟んできたのはケネスだった。


「王城庭師はよほどのことがない限りクビにはならんぞ? そもそもどうしてそうなったんだ?」

「ええと、温室の奥に国王陛下の許可なしでは食べられない異国の珍しい果物があるのはご存じですか?」

「……ああ」

「それが、いつの間にか一房なくなっておりまして。皆しっかり管理してたし誰が悪い訳ではないけど誰かが責任を取らなければ、という訳で、入ったばかりで影響の少ない私がクビになりました」

「……そうか」

「……殿下? どうかされまして?」

「いや、別に……」


 ケネスの目が泳いでいる。

 エリザベートはピンと来た。一応人目があるのでケネスだけに聞こえるよう扇で音を隠す。


「殿下が盗んだのですわね」

「いや、あれは婚約者に逃げられた日で少し自棄になっていたというか悪さをしたくなった日で……」

「ご自身の行動の影響というものをお考え下さいませ」

「うむ。面目次第もない」


(また簡単に謝って)


 思わず笑いそうになったエリザベートはぐっと堪える。

 そしてケネスから離れたエリザベートは今度は他に聞こえるよう言った。


「殿下。いかがでしょう。ここはリリン様をもう一度庭師にお召し抱えするということになさっては」

「! そうか!」

「リリン様。もしそうなれば新たにヒロイン騒ぎを起こすのは止めて頂けますかしら」

「! それはもう! 正直私、高位貴族の奥方はちょっときついかなー、と自分でも思っていたんで! 好きな仕事が出来て高額なお給金を頂ければ最高です!」

「わかった。責任者には私から話を通しておこう」

「ありがとうございます!」


 リリンは飛び上がる。

 そしてどこか遠くに向かって腕全体で手を振った。

 ここからかなり離れた辺りで振り返す者たちがいる。あれはおそらく王城の庭師たちだった。


(誰かが池に落とされるかもというのはあらかじめ情報が入っていたのかもしれませんわね)


 それがエリザベート自身だったとは思わなかったかもしれないが。


 仲間へ存分に手を振ったあと、リリンはエリザベートの下へ走り寄ってくる。


「エマ様。本当にありがとうございました。私、今日一日、とっても楽しかったです!」

「……苛められて喜ぶなんて。やはりこの世界の令嬢はわたくしとは分かり合えませんわ」


 エリザベートは苦笑いを見せた。


 そうして無事、ドドン王国のヒロイン志望たちは一人残らず消え去った。

 エリザベートは大きな達成感と共に、一抹の寂しさを持って今日のこの日を終えたのだった。




 その夜。

 せめて翌朝にすれば、というケネスの言葉を振り切ってエリザベートは今夜中にあちらへ帰ると告げた。

 エリザベートは来た時と同じ姿に身支度を整える。

 この国の主だった者に簡単な挨拶をしたあと、エリザベートとケネスは別室で別れの時間をもらう。


「エマ殿。貴女が現れなければこの国は滅茶苦茶になっていた」

「そうですわね。次に何かあってもその時はこの世界の者だけで対処して下さいませ」

「ああ。そうしよう」


 膝を折ったケネスがエリザベートの手を取り、そこに口づける。


「悪役令嬢エマ殿へ最大級の感謝を。もしも再び縁あって貴女がこの世界を訪れることがあれば、その時こそ私は貴女が望むどんなものでも全力で用意して捧げよう」

「まあ。もう二度と会わないと思って随分と大きく出ましたこと」


 自分で口にした言葉でエリザベートは少し切なくなった。

 こんな短い期間の関りで。エリザベートの中でケネスの存在はすっかり心に根を張ってしまっていた。


(わたくしの涙一つであんなにもうろたえてくれた方はきっとこの方が最初で最後ですわ)


 ふ、と気づくとケネスはエリザベートの手を不自然に長く持ち続けていた。

 不思議そうなエリザベートを、ケネスはまっすぐに見上げてくる。


「……ここに残るという選択は?」


 エリザベートが息を飲む。けれどすぐに表情を取り繕った。


「……与えられた役目を全うするのが貴族の誇りだと思っていますわ」


 そう答える。

 そしてケネスは寂しそうにその手を離したのだ。




 王城を出たエリザベートは召喚陣のある最初の古い神殿跡へやって来た。

 小部屋へ辿り着くと、召喚陣は既に光を放っていた。帰還の条件が満たされたからかもしれない。

 エリザベートの身の潔白を向こうで証明する為に、魔法師も一人同行することになった。クラーラの助言によってこちらから向こうへの行き来も出来るようになったのだ。


 魔法師に促され、踏み出そうとしたエリザベートの足が一度止まる。

 一瞬の躊躇のあと。

 再び顔を上げたエリザベートは陣に足を踏み入れた。

 その瞬間、目の前の景色が消え失せた。




「エリザベート様……?」

「エリザベート様だ……!」


(あら……? ここは……?)


「エリザベート!」


 次に視界が開けた時、そこは見覚えのあるようなないような室内だった。


 それは祖国の王城の大広間。エリザベートも何度も通った場所ではあるが、この日はいつにないほどきらびやかに飾り付けられ、一瞬、またどこか違う世界へ来たのかとも思ってしまう。


 戸惑うエリザベートの前に駆け付けたのは華やかな礼装を着たエリザベートの父親だった。


「エリザベート……そなた1年もの間どこへ行っていたのだ……!」

「あらお父様。……1年?」


 エリザベートは首を傾げて周囲を見回した。

 そこにいるのは見知った顔ばかりだった。けれど、本当に少しだけ、皆、以前と様子が違う。


「何故今になって戻った。今更お前をどうしろと……!」

「あのう、お父様? どうと申されますのは……」

「レイムス殿下とマリーは本日正式に婚約した。ここはその祝いの会場だ」

「……まあ」


 マリーとはエリザベートの妹の名前だった。


「では……こうしてわたくしは無事戻りましたので、元の状態に戻すということに……」

「できる訳がなかろう。マリーはレイムス殿下とも王太子妃殿下とも非常に仲良くやっている。それを退けてお前のような評判の悪く、これほど大きな瑕疵のついた娘を王家に嫁がせる理由がない!」


(わたくしは、評判が悪かったのですわね。……まあ、当然かしら)


 会場にいる者たちの好奇の目を確認する。親しかった令嬢たちは、水に落ちた紙切れを見下ろすような目でこちらを見ていた。


 壇上に目をやれば、ただ驚きの顔の国王夫妻。そして仲睦まじく身を寄せ合う王太子夫妻とレイムスとマリーがいた。


「ということは、わたくしはマリーの婚約者だった方と結婚を……?」

「そちらへはもう我が家が責任を取って代わりの良縁を用意した」

「まあ……」


 では、ここでの自分の役目は何なのだろう。エリザベートは途方に暮れる。

 そこでエリザベートは突然抱きしめられた。母親だった。


「エリザベート。わかってちょうだい。マリーを醜聞に巻き込まない為に……貴女には王都を離れてもらうわ」

「うむ、そうだな。我が家に縁のある修道院へ行ってもらおう。静かな田舎だ、あそこならきっとお前の心の傷も言えるだろう」


(別に何も傷ついてはいないのですが……)


 エリザベートは困惑する。

 気が付けば、自分の知らない所で自分の身からは何もかもが剥がれ落ちてしまっていた。

 ケネスの言葉を思い出す。

 この会場にいる一体誰が、エリザベート自身を案じてくれているのだろう。


(わたくしの選択は、正しくなかったということかしら)


 そこで。

 エリザベートについてきた魔法師がいきなり被っていたローブを振り払った。

 その顔を見てエリザベートは驚く。


「ケネス殿下⁉」

「ああ、私だ。すまない。貴女が心配のあまりついてきてしまった」


 魔法師のローブを取り、華麗な第二王子の正装になったケネスは会場を見回す。


「私はドドン王国第二王子ケネス・ドドン! 我が国の危機をこちらの貴族令嬢エ……リザベート殿に助けて頂いた! この国の方々には感謝申し上げる!」


 謎のポーズを取る。

 だが、と続ける。


「この国の者の我が国の英雄への待遇は受け入れ難し! よって私はこの方をもう一度我が国へ攫っていこうと決めた!」


 膝をついたケネスがエリザベートの手を取った。


「貴女はもう自由の身だ。この場所で貴女はどんな役目も期待されていない。エリザベート殿、どうか私と一緒に来てもらえないだろうか」

「自由……」


 エリザベートは繰り返した。

 そんな言葉は、自分とは一生縁のないものだと思っていた。


「我が国に戻れば貴女が望むどんな願いも叶えたいと思うが……まずは私の婚約者の席が空いている、という事実を第一に考えてもらいたい」

「……憐れみを向けられるのは迷惑ですわ」

「異世界渡りという危険を冒してまで貴女を追ってきた私にこれ以上何を証明しろと?」


(まあ。異世界への移動は危険を伴いましたのね)


 エリザベートは少し呆れて片眉を上げる。

 自分の失言に気づいたケネスは咄嗟に謝り、エリザベートは声に出して笑う。


 それから。


「それで? 殿下の往復の条件はなんですの?」

「エリザベート殿。貴女の心からの笑顔をこの目で確かめることだ」

「……エマ、とお呼び下さいませ。古い名はここに捨てていくことに致しましょう」


 エリザベート改めエマが、目の前のケネスだけではない、その会場に居合わせた誰もが初めて見るこの上なく晴れやかな顔で微笑んだ。


 その瞬間、二人の足元に光る円陣が浮かび上がる。

 ケネスの腕がエマの体を抱き寄せた。エマはその胸に身を任せる。


「それでは皆様ご機嫌よう! この国の皆様のご多幸を、遠くより心から祈っておりますわ!」




 ―――― 後に。

 人質として敵国の地で儚い生涯を終え、けれど自らの婚約者と妹の結婚式には魂となって祖国へ舞い戻り、祝福の言葉を残して消えたエリザベートという奇跡の令嬢は聖女としてこの国に祀られたが、異世界でその幸福な人生を全うしたエマ本人には全くどうでもいい話であった。

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