勝者はどなた
エリザベートは時間を確認した。
決行を取りやめるならここで休息の指示を出す予定だった。
だがそれはしない。作戦を実行する。
(……そろそろかしら)
「あのー、すみません!」
そこで声を上げる者があった。リリンだった。彼女に皆の注目が集まる。
「これは退場じゃなくて。少し休憩時間を取ってもらえますか。そのう、皆さん少しお疲れのようだし」
言われてエリザベートは会場を見回す。
さすがに貴族令嬢たる者誰も顔には出していなかった。
だがそろそろ兆しを感じ始めていることだろう。……エリザベートがお茶に仕込んだ利尿剤の効果の。
ちなみにエリザベートも含めた高位貴族にはあらかじめ魔法でそのような事態にならないようなっている。
「休憩は行いません。貴族たるもの半日くらいは立ち続けでいなければならないこともあるのです。これくらいの時間は身動きできなくて当然です」
悲鳴が上がった。
「ちょっと。いくら苛めと言ったってこういう病気になりそうなものはやり過ぎなんじゃないですか?」
「わたくしが強要するのではありません。どうぞお好きに退場なさって? お体を壊してでもここに残ろうというのはご自身の選んだ判断ですわ」
エリザベートは扇で口元を隠しほほほと笑う。
絶望のため息をついた令嬢たちが次々と手を上げ、退場していった。
エリザベートの予想では、いくらなんでもここでほぼ全ての女性が退場する筈だった。
だが意外にも4名の令嬢がまだこの場に残っている。
(無理をしている……?)
二人の令嬢は涼しい顔をしていた。
ハッとなったエリザベートは二人のカップを見る。彼女たちは最初からお茶に手をつけていなかった。
マナー違反と言えば違反なのだろうが、今日は特殊な状況だ。
(やりますわね)
次にクラーラを見る。
彼女はふつうにお茶を楽しんでいるようだ。
(そういう体質なのかしら?)
そしてもう一度リリンを見る。
リリンは額に脂汗をかいていた。そうしながら、会場中をせわしなく見回している。
(何かしら。どこかに抜け道がないか探している? 手引きしてくれる者があるとか?)
やがてリリンの目は会場の端の茂みに向けられぴたりと止まった。
その手がドレスの裾をつかむ。
(? ……‼)
そこでエリザベートは全てを察した。
そして叫んだ。
「よろしいですわ! 今から休憩時間に致します! 会場を離れる方はなるべく早く戻っていらして!」
エリザベートの言葉と同時に、リリンがその場から飛び出して行く。残りの三人も念の為なのだろうか、一旦席を外す。
ホウ、と息をついた後、エリザベートは持っていた扇を握りしめた。
(負けましたわ……!)
まさかそこまでしようとする者がいるとは思わなかった。
貴族令嬢とはなんぞや、という自問に入り込むほどの衝撃だった。
やがてすっきりした顔のリリンと他の令嬢たちが戻ってくる。
一応公正を期す為にこの段階で降りた者たちを追いかけさせ声掛けもしてみたが、改めて戻ってくる者はいなかった。既に心が折れたのか、これ以上何をされるかわかったものじゃない、という判断なのかもしれない。
残った下位令嬢たちをエリザベートは中央へ集めた。
「皆様のお強い心、わたくし感服致しましたわ。ここまで耐えてこられた皆様にはわたくしからお話があります。どうぞついていらして」
エリザベートと下位令嬢たちは茶会の場から離れ王宮の庭を歩く。
「驚きですわ。まさかここまで残る方がいると思いませんでしたもの。きっと皆様よほどの覚悟がおありなんでしょうね」
「お褒めに預かり恐縮です!」
堂々と答えたのはリリンだ。他の者はつつましやかに微笑んでいるだけ。
ですが、とエリザベートは続ける。
「わたくし、なんとしてでもヒロイン志望を排除するようケネス殿下からお願いされておりますの」
令嬢たちが疑問の表情を浮かべる。
その目の前で。
エリザベートは突如、「あれぇー!」と大声で叫びながらその場にあった池へと飛び込んだ。
上がる水しぶきと令嬢たちの悲鳴。
池はそれほど深いものではないので、びしょ濡れのままのエリザベートはその場で立ち上がる。
「すぐに殿下たちがここへと駆けつけてきます。わたくしは、皆様に突き落とされたと証言致しますわ」
「自分で勝手に飛び込んだんじゃないですか!」
「いいえ。今日の意地悪に腹を立てた貴女方に仕返しをされたのです。そして渡り人への危害はこの国では重罪。数年かかって罪を償ったあとヒロインとして戻ってくるか、この場で退場するかのどちらかしかありませんわ」
ざわざわと人の声がして、ケネスを先頭にした茶会の出席者がこの場に集まってくる。
「さあ。いかがします?」
辺りはそろそろ日が傾きかけていた。
王城の中庭にはオレンジ色の夕日が差し込んでいる。
水面にきらきらと照り返る光を受け、髪も化粧もドレスも水に濡らされたエリザベートはそれでも呆れるほど美しかった。
「貴女は池に飛び込むのが好きなのか?」
茶会の台本の最終稿を確認した時、ケネスは言った。
「いいえ? 何故わたくしにそんな特殊な趣味があるとお思いに?」
「好きでないならやらなくていい。貴女はこの計画において何一つ不利益になることはしなくていいんだ」
「それではわたくしの覚悟が伝わりませんわ」
「伝わらずともよい。貴女が害を被るくらいならこんな策は失敗しても構わん」
エリザベートは首を傾げる。
せっかくここまで準備をしてきて、この相手は一体何を言っているのだろうかと思う。
(! もしや。この世界では王城の池に飛び込むというのは何かとんでもない不敬にあたるのでは……?)
思いついたエリザベートは直接尋ねてみた。
そんな不敬はない、とテオが答える。エリザベートは混乱した。
「では殿下は何が気に入りませんの?」
その問いに、ケネスは一度ため息をついた。
「エマ殿。こうして同じ作戦に携わり、私は貴女の人となりを多少わかったつもりだ。……貴女があれらの為に自己犠牲を払おうと、向こうは迷惑にしか思わんぞ」
「……何のお話かしら」
目を逸らすエリザベートにテオが続ける。
「エマ殿は、わが国の令嬢たちの将来を憂いてこの騒動を収めようとして下さっているのですよね? ですがそんな貴女のお気持ちが理解できるくらいならあの者たちは最初からこのような騒ぎは起こさないでしょう」
「やってみなければわかりませんわ? このわたくしが体を張ることで、そこまでして排除されなければならないものかと初めてことの重大さに気付く者が現れるかもしれません」
「貴女は支払えば必ず対価が得られると信じているのだな。……祖国でもそのような感じだったのか?」
「ええ、そうですわね。昔から重要な問題の際にはわたくしは我が身を削る方を選びました。大きく支払えば、その分皆様に喜ばれますのよ」
隣国行きを妹とどちらにするかと両親に問われた時や、王太子妃の引き立て役になってもらいたいと頼まれた時もそうだった。貴女がいて本当によかったと彼らに言われた。なのでエリザベートは自分が正解を引いたと理解したのだ。
だが、ケネスの眉間の皺は深まった。
「エマ殿。人は己を大切にしない者を侮る。貴女の選択を周囲は喜んだろう、だがそこに貴女自身を案じる心があったと思うか?」
当然ですわ、と言いかけて、何故かエリザベートの口からは言葉が出てこなかった。
エリザベートは一つのことを思い出していた。
あれは、帰国後半年ほどしてから王太子妃に呼び出された時の話だ。
エリザベートの策はうまくいっていた。社交界での王太子妃は評価され、受け入れられ、居場所を見つけていた。
もしやお褒めの言葉を賜るのかもしれない、と密かに胸をときめかせてエリザベートは王太子妃と対面したのである。
「エリザベート様は祖国に帰られてすっかり変わられてしまいました。以前の貴女はとてもおとなしい方で、わたくし、この方とならこちらに来ても仲良くやれると楽しみにしていましたのに。残念ですわ」
優しく、貴族の中では気が弱いとさえ言っていいような性格の王太子妃。
そんな彼女が勇気を振り絞るように声と体を震わせながらエリザベートに訴えてきた。
ああ、伝わらないのだと。
エリザベートはこの時初めて思い知らされたのだ。
(あの時だけは……さすがに心が揺らぎましたわ)
「! エマ殿⁉」
「え?」
そこでエリザベートは自分がぽろりと涙を流していることに気が付いた。
「あ、あら失礼致しましたわ。申し訳ありません、少し気が緩んでおりまし……て⁉」
エリザベートは驚く。突如立ち上がったケネスが、エリザベートの頭を抱え込んできたからだ。
「⁉ あ、あの、殿下⁉」
エリザベートが声をかけるとケネスはパっと腕を離して身を引いた。
「い、いや違うなこれは、すまん、貴女のような方の涙は見ても見せてもいけないと思い、つい、……テオは向こうを向け!」
顔を赤くしてうろたえている。テオは命じられた通りに顔を背ける。
侍女から差し出されたハンカチを受け取ったエリザベートはそれで頬をぬぐった。
(まあ、まあ、何なのでしょう。驚きましたわ。これはこちらの世界の流儀なのかしら……)
意味がわからず、ただ一緒になって顔を赤らめ、どきどきする胸を押さえる。
「お、お気遣い? 感謝致しますわ殿下」
「感謝されることでは……むしろ謝らなければ。すまない、私の言い方がきつかっただろうか」
「いいえ、殿下のせいではございません。少し、以前の悲しいことを思い出してしまっただけですの」
「……そうなのか?」
「ええ。だからお気になさらないで下さいませ」
「ああ、そうだったかあ……いや。いやいやしかし。とても焦った。こんなに焦ったのはいつ以来だ」
心底ホッとした様子のケネスだった。
あの時のケネスの動揺に便乗して、エリザベートはそのまま自身の案を通してしまった。
例え人からどう見られようとも。自分は正しい選択をしているのだと思っている。
(そして今その結論が出るのですわ)
エリザベートは池のふちに並んだ令嬢たちを見据えた。
どれくらいの時間が経ったのか。
やがて、一人の令嬢が手を挙げる。
「……私は退場を選びます」
「私も」
二人の令嬢がエリザベートと、後から集まって来た者たちに礼をして去って行く。
その間にエリザベートは魔法師によってふわりと体を浮かされて池から出る。さらに魔法で水気はきれいに乾かされていた。侍女たちが手早く最低限の身づくろいをする。
「それで? そちらのお二人はどうしますの?」
リリンとクラーラを見た。
リリンはぎゅっとドレスをつかむ。
「罰を受ける……ということは、きちんと取り調べや裁判があるんですよね?」
「まあ、そうかもしれませんわね?」
それを聞いたリリンはキッと表情を引き締めた。
「でしたら私、戦います! 私たちは無罪です! だって私知ってますから。この池、少し前までこんなに綺麗じゃありませんでした! なんか水も澄んでるし底には柔らかそうな物が敷いてあるしこれは間違いなくエマ様が自分でそこに飛び込まれることを前提とした準備がしてあります! 庭師の方々に証言してもらいますから!」
「!」
余計なことを、エリザベートはケネスを睨んだ。ケネスはサッと顔を背ける。
そこで、あのう、と発言したのはクラーラだった。
「裁判まで行かなくとも、今ここで無実を証明できますわ」
「え……」
するとクラーラはポケットから何やら小さな水晶玉を取り出した。
「こんなこともあるかもしれないと、私、本日のここでのやりとりをずっと録音させて貰っています」
「音声記録魔法……! それは随分と高度な……」
エリザベートは知らなかったが、ケネスが驚いているのでそれは何か証拠になるものなのだろう。
クラーラは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「私、職業魔法師を目指しているのです」
「……あら? 貴女どこかで見たような気がしたのだけど、確か最初の召喚の儀式の時にいらっしゃいましたわね」
詰め寄る令嬢たちの背後にこんな娘が立っていた覚えがある。
「あれは……他の方に頼まれて仕方なくあの場を整えました」
「あの召喚術を考えたのはクラーラ様でしたの?」
「はい」
「独学か。有能すぎる……!」
魔法師が感心している。
ともかく、である。
「どうするエマ殿」
隣に立つケネスが尋ねて来た。
エリザベートはゆったりとうなづき返す。
「ええ。わたくしの力ではここまでですわ。本日のお茶会、勝者はこのお二人ということで決まりですわね」
「え」
驚く二人の令嬢に向かって。
残った高位貴族、侍女、護衛騎士たちから一斉に歓声と拍手が送られた。
リリンとクラーラは思わず互いの顔を見合わせ、抱き合って喜びの声を上げる。