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悪役令嬢ですわ

 数日前のことだ。

 この茶会の準備中、エリザベートの台本に目を通したケネスは呆れて言った。


「そもそもどうして貴女はこんな苛めを知っているんだ? そちらの世界ではこんな所業が当たり前に行われているのか」

「ええ、当たり前ですわ。これらは全部わたくし自身が受けた覚えのある扱いですもの」


 エリザベートの答えにケネスたちの動きが一瞬止まった。

 言葉を探すケネスに代わってテオが発言する。


「エマ殿は悪役令嬢、なのですよね?」

「今はそうですわ。苛めを受けていたのは昔の話ですの」


 エリザベートは一口お茶を飲む。


「わたくし、子供の頃、敵国に人質として預けられていましたの」


 それは本来なら王家の誰かが果たすべき役目であった。けれどどうしても身内を差し出したくなかった国王は、系図を辿り、あるかどうかもわからぬような血筋を無理やりこじつけて、公爵家のエリザベートを王家の者として隣国へ送ったのだ。

 急遽言い訳のように第二王子の婚約者という肩書もつけ加えて。


「……それはひどい話だ」

「ええ、ひどいお話。『安い』人質であるわたくしは当然あちらで苛められましたわ。子供同士ですもの、時には加減がわからず危うく命を落としかねないこともありました。……時が経ち、隣国の王女が我が国の第一王子に嫁がれる際、わたくしもようやく共に帰ることを許されましたのよ」


 ケネスは少し考える。


「貴女は……祖国の者を恨んでいるのか? それで今度は苛める側に回ったと?」


 いいえ、と首を振る。輝く縦ロールがゆるやかに揺れた。


「嫁がれてきた隣国の王女は……わたくしにとって特別な方だったのです。あの方だけがわたくしを、他の者たちと同じに扱ってくれたんですの」

「同じに……」

「ええ。それがわたくしは嬉しかったのですわ。あの方は、とても優しくて……ただ優しいだけの方。ですからわたくしは、あの方の引き立て役になるようあちらの王妃様に頼まれた時、喜んでそれをお引き受け致しました」

「つまり貴女は悪役を、自ら望んで演じていると?」


 驚くケネスにエリザベートは微笑む。


「わたくしが暴れ回り、あの方が咎めることでそれが収まればあの方の価値が上がるでしょう? もちろん貴族令嬢を掌握するという目的もあります。それに、たまにわたくしがあの方に皆の前で叱責されれば誰かの憂さ晴らしにもなるでしょう」


 なるほどとテオがうなづいた。


「貴女がこちらへ呼ばれた理由は……エマ殿の自認が『悪役令嬢』だったからなのですね」

「あれ達がどこまで考えて術を構築したのかはわからんがな……」


 ケネスは自国の令嬢たちを思い出してまたため息をつく。

 そこでエリザベートはふと思い出した。


「そう言えば、例のご本。あの物語を真似るのなら真っ先に狙われるのが王族ではないかと思うのですが。そちらの方はどうなってますの?」


 この質問に、ケネスの眉間の皺が深まる。


「ああ、狙われたとも。周囲の静止も聞かず我が兄弟に群がる令嬢たち。下手に触れれば傷者にされた責任を取れと言われるので手出しも出来ない。テオなど危うく妾を持たされるところだった。なあ?」

「あれはひどい災難でした……」


 思い出すだけで疲れるのだろう、ぐったりと肩を落とす。


「弟の婚約者が令嬢の一人に視線をやった時には『睨まれましたひどいわ』と号泣しながら我々に訴え出た。それに怯えてその方はそれ以降人の多い場所には出向かなくなってしまったよ」


 王族に嫁ぐ者が社交を放棄してどうするのかと思うが、許されているなら問題ないのだろうとエリザベートは勝手に納得する。


「だが私の婚約者は気が強く誇り高い女性でな。そういう騒ぎに出食わす度にきっちり相手を諫めていたら、すっかり悪役令嬢認定されてしまって……」

「まあ」

「彼女が歩けばそれだけで周囲に集まった令嬢がばたばたと勝手に転び、『突き飛ばされましたわ』と訴える。最後には階段から転がり落ちて大怪我をする者が現れ、彼女自身も取り調べを受けることになってしまった。あまりの馬鹿馬鹿しさにこの国の未来を見切った我が婚約者殿は私との婚約を解消し、国を飛び出して行ったよ。……もともと世界を股にかけた仕事をしてみたいと夢みていた女性だったからな」


 エリザベートはケネスのどこか遠くに思いを馳せるような切なげな瞳に気付いた。


「……お寂しいのでしょうね」

「うん。まあ、共に歩んできた戦友を失ってしまった気持ちだな」


 これまでエリザベートは今回の件でケネスは為政者側だけの苦労をしているのだと思っていた。けれど今、話を聞いて、ケネス自身も一人の人間としてこの騒動の被害者になっていたことを初めて知った。


(お気の毒ですわ)


 エリザベートはケネスに同情する。

 さらにテオまでが本気でがっかりしている様子を見せる。


「非常に優秀な女性だったのですよ。婚約解消の際には、この婚姻で得られる筈だった利益を何一つ損なわぬよう全てご自分で調整して出て行かれました」

「まあ、すごい。では殿下にも次の縁組のお話が?」

「いや? それはなかったな」


 そこでケネスは初めて気が付いた、という顔をする。

 エリザベートの中で何かが引っかかった。


「……おかしいですわね。それだけきちんとされる方がそんな大きな不備を残していかれるのかしら」

「と言われても、実際にそうなのだからな……」


 そこでエリザベートの女の勘が働く。


「! もしやその婚約者の方は。ケネス殿下にご自分を追いかけてきて欲しかったのではなくて?」


 自分たちが消えても何も問題がないよう整えて。本当は、二人でこの国を飛び出したかったのではないだろうか。


 エリザベートの意見は初めての視点だったのだろう。ケネスは驚きで目を見開く。


「いや、それはない。私達の間に役目を越えた感情はなかった……」


 きっぱり否定しながらもケネスは何か考えている。

 そんなケネスの肩をテオが気安くポンと叩いた。


「殿下。今更考えたところで真実など知りようがありません。でも、よかったではありませんか。殿下はご自分が捨てられたという事実に深く傷ついておられた。ですが今、エマ殿のお言葉によって万に一つの希望が残されたというわけです」

「そ、そうなのか?」

「ええそうですとも。殿下。エマ殿に頂いたプライドのかけらをどうか大事になさって下さい」

「う、うむ? ありがとうエマ殿?」

「礼には及びませんわ」


 答えながらエリザベートはテオの表情を盗み見る。


(この男。気づいていて黙っていたのかもしれませんわね)


 自分が仕える相手に出奔でもされたら取り返しがつかないだろう。だから婚約者の気持ちも意図も知っていてあえて教えなかったのかもしれない。


(まあ、殿下の様子を見る限り、知らされていても結果は同じだったかもしれませんけど)


 エリザベートは黙ってカップを口に運ぶ。

 ケネスはまだ驚きの顔をしている。


「……うん。いや、そう言われると不思議なのだが……今の話で。私の心の中にあった重い塊が少しだけ軽くなったような気がするな。なんだ。結局私は寂しさよりも自分の誇りの問題で落ち込んでいたのか? ひどく薄情な男だったのだな、私は」

「ご自分を責めないで下さいませ。婚約者に捨てていかれたと認識して喜ぶ者などおりませんわ」


 ケネスがまじまじとエリザベートを見た。

 そしてフッと笑う。


「慰められてしまったか。……我が国に来た悪役令嬢殿は、とても優しい悪役なのだな」




 ケネスの言葉を思い出したエリザベートは顔には出さず心で笑う。


(わたくし、優しいだなんて生まれて初めて言われましたわ)


 しかもそれを言った相手が長く暮らした隣国でも懐かしい祖国の人間でもなく、どこともわからぬ異世界の国の王子だとは。


(人生何が起こるかわからないものですわね)


 少し前のエリザベートは祖国の社交界で悪役令嬢をやっていた。

 確かあの日は理不尽な言い掛かりで初対面の令嬢に絡み、見かねた王太子妃に人々の前でたしなめられる、という目論見をしていた日であった。

 そういう日々が死ぬまでずっと続くものだと信じていた。

 まさかその途中にこんなびっくりするような寄り道が用意されているとは思わなかった。

 

  ふと気が付くと、その場では結構な時間が経っていた。

 エリザベートが会場を見回せば、そこはものすごい空気になっている。


 令嬢にあるまじき、激しい言い合いを続けるテーブル。

 泣きじゃくる者をなんとも言えない顔で取り囲むテーブル、互いに顔を背け合いもはや誰も口を開かないテーブル。


 この場に残っていた筈の下位令嬢の半分が既に退場していた。中には高位貴族にも退場者がいた。苛める側が耐えきれなかったのかもしれない。


(あの方たちはどうしたかしら?)


 エリザベートはクラーラのテーブルを見た。

 確か彼女の家は父親の女癖がひどいらしく、その辺りを責める手筈になっていた筈だ。

 しかし見ればそのテーブルでは何故か皆、打ち解けたような顔でおしゃべりを続けている。

 クラーラ自身も和やかに会話に参加していた。


(何がどうしたものやらですわ)


 次にリリンの方を見る。

 リリンの家は貧しかった。弟妹も多く、貴族としての最低限の出費を引けば、日常の生活レベルは平民とほとんど変わらないのではないかと思われた。

 そこではひたすら貧乏叩きと金持ちマウントを取るようにと指示があった筈だが……何故かリリンは涼しい顔でお茶や茶菓子を口にしている。

 代わりに、高位貴族の令嬢たちがひきつった笑顔でお互いに向かって何かを主張し合っていた。


(対立の軸をそちらへずらしたのね。リリン様もしたたかですが、乗せられる方が困ったものですわ)


 そう言えば、高位貴族の令嬢たちの調査の方は手が回らなかったかもしれない。


(準備不足でしたわね。反省ですわ)


 今後? への戒めとして心に刻むエリザベートであった。


 その時、激しく言い争いをしていたテーブルの中から一人の令嬢が立ち上がった。

 その人間が真っすぐエリザベートに向かってくる。


(あの方は確か……)


 エリザベートは急いで手元の資料をめくった。


 レギーナ・ビルト男爵令嬢。

 元々は姉の婚約者だった相手を奪い取り婚約を結んだものの、ヒロインブームが始まると婚約者をそっちのけで高位令息を捕まえようと大暴れした一人だ。呆れた婚約者は婚約破棄を申し入れ、怒り狂った父親は金持ち商家の後妻の口を探し始めた。

 これに焦った当人は正式に話が決まる前になんとしてでも高位男性を捕まえて家から出ようと決めたらしい。最近では、意味もなく王城周りや貴族街などをうろつき回っては不審者扱いされている。


(大抵の方はあることないこと、の噂話なのですけど。この方に限ってはあることだけで話題が全く尽きませんでしたのよね)


 エリザベートの前に立ったレギーナは怒りの形相で見下ろして来る。


「貴女が皆にばらしたのね!」


(ばらさなくてもとっくに知れ渡ったお話でしてよ)


「どうして三股進行中のことまで知ってるのよ!」


(……それは知りませんでした。この国の令嬢の情報網ですわね)


「この、意地悪女‼」


 レギーナが大きく手を振りかぶった。

 この時エリザベートは同時にいくつかのことをした。


 まずは目線で護衛たちに手出し無用と伝え、次に扇でレギーナの手を止める。

 その手を背後にねじるようにしながら自らも立ち上がり、持ち直した扇を自分たちの口元の前で広げた。


「ご存じないのかもしれませんが、渡り人への加害はこの国では重罪。ここで退場するなら見なかったことにして差し上げますわよ?」

「!」


 レギーナは息を飲む。

 ほんのわずかだけ迷ったあと、悔しそうに渋々とうなづく。

 エリザベートはパっと体を離した。


「まあ! わざわざお別れのご挨拶をしに来て下さったのね? ご丁寧に、ありがとう。レギーナ様が素晴らしいお相手に恵まれますように、お祈り申し上げておきますわ」


 エリザベートは自国の挨拶のポーズを取った。

 その動きの優雅さに、見惚れた令嬢たちからため息が漏れる。


(さて、と)


 係の者に付き添われたレギーナの退場を見送って、エリザベートは気持ちを切り替えた。


(さあ、そろろろよい頃合いでしょう。ここであの方々の心を完全に折って差し上げますわ)


 会場を見渡したエリザベートは、ここで大きくスウッと息を吸う。


「皆様! お茶会を楽しんでいらして⁉ 今日は本当によいお天気ですこと!」


 エリザベートの声を聞いた高位貴族たちが一斉に動いた。

 テーブルの下に用意されていた傘を手に取り、次々と差す。その傘はエリザベートの知る物とは違い、頭上から足元までをすっぽりと透明な布で覆い隠す形の物だ。

 最後の傘が開いたのを確認したエリザベートは合図する。それを見た魔法師が動く。


 ピンポイントで下位令嬢たちの真上に湧いた小さく真っ黒な雲状の何かから、いきなり大量の水が降り注いだ。


「まあ大変! 突然のにわか雨ですわ!」


(これはこちらでしか出来ない意地悪ですわね。本当は本物の雨を降らして欲しかったのですが、さすがに天候は操作できないと言われてしまいましたわ。この小さな雲と本物の雲に何の違いがあるのかわたくしにはわかりませんけれど)


 この水で下位令嬢たちは髪型も化粧も崩れ、ドレスもびしょびしょになってさすがにその姿で人前に居続けることは出来ないから、全員が退場……する予定だった。


 だが、彼女らは全員きょとんとしている。

 降り注いだ大量の水は、彼女らの頭と雲の間に突如現れた円状の何かに吸い込まれて消えていく。


「あれは……?」


 訳がわからないエリザベートの隣に、いつのまにかテオが立っていた。


「転移魔法を展開した者がいるようです。ええと……降った水をどこかよそへ飛ばしたのですね」

「まあ! こちらの世界ではそのようなことも出来ますのね」

「あのレベルのことは滅多に出来ません。王宮魔法師クラスですよ……」


 何故そのような優秀な技能者がヒロイン志望に入っているかはわからない。

 けれどともかくエリザベート最大の策は失敗した。


(どなたか知りませんがこちらの負けを認めますわ。……この件では)


 エリザベートの視界の隅で、何が起こったのかわからない顔でテーブルの下からのそのそと出てくるリリンを確認する。おそらく高位貴族の動きを見て、咄嗟にそこへ身を潜めたのだろうと思われた。

 エリザベートは苦笑いする。


(本当ならあの方がここで勝ち残りだったのかもしれませんわね)


 なんとなく、勝利をつかみ損ねた者同士の気分になる。

 けれどエリザベートはすぐに親しみの感情を切り捨てた。


(この手はあまり使いたくありませんでしたが。わたくしにも悪役令嬢の維持というものがございますわ!)

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