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第八話 レンテリアの助言

「気に入ったものはあるか? まあ、お前ほど上手くはないが、どれも一級品だ!」

「ええ、そうですね」


 そんな気の抜けた返事をしたあと、私は自分が何を言ったのか気付いて、気まずくなった。傍から聞けば、まるで自分の才能を鼻にかけたような応答の仕方だ。


 アルタミラーノははっきりと面食らって、それから心配してきた。


「どうした、ピエロ。いつもと様子が違うじゃないか! 何かあったのか? 絵は順調か?」

「順調ですよ。ただ、インスピレーションが欲しくなったんです」


 また嘘を吐いてしまった。私は内心、激しい自己嫌悪に襲われた。北国の王立美術館から頼まれている絵はまだ下書きの段階だ。それに絵が欲しいわけでもない、インスピレーションなんて求めてもいない。ただなりゆきでアルタミラーノの画廊へ行くことにして、ただ会話を求めて入ってきて、とりあえず当たり障りなく見も知らぬ他人の描いた絵を見ている。


 しかし、アルタミラーノは私の言葉を疑うこともなく、それならばと提案してきた。


「そういうことなら、絵よりテレビでも観ればいい。最近、大きな映画祭があったから映画の放送が多くてな! たまには違う視点から美意識を養ってみろ、他人の絵を見るのはそれからでも遅くない!」


 アルタミラーノが、下手に他人の絵に影響されてはたまらんからな、とつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。


 その言葉は心の中の引き出しに入れておくとして、テレビや映画という単語は私にとっては懐かしい響きさえ持つほどに縁遠いものだった。マナイスにいたころ子供向けのアニメ映画を映画館でいくつか見たくらいで、まともに視聴した憶えがない。それもそのはずで、絵を描くことに熱中しすぎて、同世代の子供たちがかじりついていたテレビ番組なんかほとんど観なかったし、マナイスを出てからは生きることに必死でそれどころではなかった。私にとって、テレビや映画というものはこれまでの人生に必須のものではなかったのだ。


 とはいえ、これから先の人生でテレビや映画と和解することはやぶさかでもないし、今の私には懐にも心にも若干余裕がある。


「そうですね。テレビ、買って帰ろうかな」


 私は画廊の天井からぶら下げられたレトロ感溢れるブラウン管テレビを見上げた。我が家にはテレビがない、音がするものはわずらわしいから買わないようにしていた。さすがに玄関のブザーや電話がないと他人に迷惑をかけるから設置しているが、それだけだ。


 遠い昔、マナイスの我が家にあったテレビは映像投影型で、見た目は一枚の有機ガラスが立てられているだけ、というものだったのだが、どうやらマナイス以外の国では普及していないようで、現在でもせいぜいがただの薄型テレビだ。それだけマナイスの科学工業技術は発達していて、世界一を誇っていたのに——それは過去の栄光となってしまった。


 アルタミラーノが手元にあったテレビのリモコンのボタンを押した。電気が弾ける音がして、ブラウン管テレビが一瞬の灰色の砂嵐を映し、それからじわりとカラーの映像が現れた。おそらくエスベリアの報道番組だろう、白髪の背筋の通った老人のニュースキャスターが慣れた口調でニュースを読み上げていく。


「次のニュースです。エスベリア北部鉱山労働組合によると、今年の鉄鋼業界の株価急騰を反映した賃上げを要求しており、これに対し鉄鋼大手三社は友好的な回答をしたと発表しました。近年は労使交渉が難航していましたが、ここにきて一気に風向きが変わった形です」


 かけらも興味のないニュースに、私とアルタミラーノの目は釘付けになる。気まずい雰囲気が緩和されるなら何でもよかった。


 画面が変わり、老人のニュースキャスターの横にいた金髪の中年女性が現れる。老人のニュースキャスターは話を振った。


「これによりエスベリア株価市場はさらに続伸し、年初来高値を更新しました。サフラさん、鉄鋼業界の好景気の背景には何があるとお考えですか?」

「そうですね、去年の話になりますが、シャイナーヴ政府が石油放出量を大幅に増やすと発表したことで世界的にタンカーの需要が高まったことにより、造船業界が活気付きましたね。そのためタンカーに使われる鉄鋼の増産も予想され、鉄鋼業も引っ張られるように景気がよくなりました。しばらくはこの調子が続くかと思われます。従って」


 早口で語られるニュースは本当に興味が湧かない事柄で、私が目を逸らそうとしたそのときだった。


「世界一位の大型輸送船舶所有数を誇るクオークランドのPSA、ペリヤ・シッピング・エージェンシーもまたクオークランド市場を押し上げ、アベレージ指数はこれからもさらに伸びると思われます。反面、陸運業界は」


 テレビから聞こえてきた、非常に聞き覚えのある言葉に、私とアルタミラーノは反応する。


 ペリヤ・シッピング・エージェンシー。あの依頼のクライアント、ブレイズ・ペリヤの会社の名前だ。クオークランドから離れたこんなところでも名前を聞くなんて、その巨大さと影響力の強さは計り知れない。


 アルタミラーノが地団駄を踏んでいた。


「またか。このごろ、あの会社の名前を聞かない日がないな! 忌々しい!」


 そう言って、アルタミラーノはテレビのリモコンのボタンを押して、遠慮なくテレビの電源を切った。


 アルタミラーノは、秘書が持ってきたまた別の、新しいキャンバスを私へ押し付ける。


「ピエロ、この絵はどうだ? 新雪の雪山だ、ちと小さいが値段は手頃だぞ!」


 私はその雪山の絵を見たが、特にピンと来なかった。理想的な写真のように美しくは描けているが、それだけだ。小手先の技術だけでは人の心は動かせないと、私は身をもって知っている。


 そんな私の冷めた気持ちは客の扱いに熟達したアルタミラーノには見抜かれてしまったのか、アルタミラーノは別の小さめのキャンバスを持ってきた。


「よしわかった! ピエロ、これだ! この天使の絵、これはお前も気に入るはずだ!」


 私の手からさっさとすり替えられ、目の前に現れたのは黄色を基調とした中性的な人物の絵だ。背後に羽がうっすら描かれており、一見するだけでは宗教画と分からない。最近はこういう絵が流行っていると聞いたことがあった。天使がただのモチーフとして人気を博し、宗教的に信じていなくても飾る人間が多いそうだ。


 しかし、売れ筋の分析という意味では参考にはなるが、この天使の絵自体は私には必要ない。天使という単語には因縁を覚えるが——あのクライアントの求めるものではなかった天使像だ。今の私にとっては、そちらの手がかりにならないなら、どんなに立派な天使の絵を見せられても心を動かされることはないだろう。


 それを伝えようと私が顔を上げたとき、画廊の扉が開き、ベルが鳴った。私とアルタミラーノは一斉にそちらを向く。


 ダークブラウンの癖毛がはねた背の高い青年が一人、布に包まれた四角く薄いもの、おそらくキャンバスを脇に抱えていた。


 人好きのしそうなその好青年は、アルタミラーノへ朗らかに笑う。


「こんにちは、アルタミラーノさん」

「おお、レンテリア! ピエロ、こいつがその絵を描いた本人だ!」

「ピエロ? って、まさか」


 レンテリアと呼ばれたダークブラウンの癖毛の青年は、信じられない、という顔をして私へ近づいてきた。一瞬逃げそうになった体を押さえて、私は握手のための右手を伸ばす。


「初めまして、ピエリック・ラペルトリです」


 私の差し出した右手は、子供のような純真な笑顔を浮かべたレンテリアの両手で力強く握られた。


「やっぱり、あのラペルトリさん? マエストロ・ピエリック・ラペルトリ? うわあ、初めまして! あなたの絵、好きなんです! どの絵も引き込まれそうになる力がありますよね! あの光の加減、どうやって出せるんですか? 全然分からなくて」

「レンテリア、そのへんにしておけ! まったく、おしゃべりが過ぎるぞ! 見ろ、ピエロの顔!」

「あ、すみません。困らせてしまって」


 そう言いつつも、レンテリアは手を離さない。


 私はまだマエストロと呼ばれるほど偉大な業績は上げていないし、まだ二十代の若造だ。その敬称はまったくふさわしくないと思ったが、いちいち指摘するのも野暮だ。それに、純真そうな青年の気分を害するようなことを口にするのはあまり楽しいことではないから、無視することにした。


 私は話題を変えようと、左手に持つレンテリアの描いた絵について聞くことにした。


「レンテリア、この天使はエスベリアの? 流行のモチーフだが、基本に忠実だから」

「ええ、シンプルに古風なエスベリア教会の言い伝えのとおりに描いています」

「そもそも、天使は国によって違うのか?」

「そうですね、俺は今の流行もあってそういう絵を頼まれることが多いんですが、確かに国によって違います。だから文献を当たって細かな違いを出さなきゃ行けなくて」


 なるほど、レンテリアは私が思っているよりも勉強家であるようだ。徹底したい性格なのかもしれないが、好青年風の外見からはそれほどこだわりが強いようには見えない。普通、そこまで細かくやるのは専門とする画家くらいなもので、レンテリアはあくまで流行だから描いているだけだというのに。


 となれば、ひょっとすると、私の知りたいことも把握しているかもしれない。あの『マナイスの天使』というキーワードに近づく手がかりがあるのではないか、私の胸には予想しなかった期待の芽が生まれていた。


 私は平静を装い、それを尋ねる。


「じゃあ、マナイスで言うところの天使は、どんな感じだ?」


 私の横で、アルタミラーノが聞き耳を立てていた。だが、何も言ってこない。


 レンテリアは素直に私の問いに答えた。


「マナイスですか。あそこは宗教色が薄いから、各地の移民ごとに違うんですよね。ただ」

「ただ?」


 前置きして、レンテリアはようやく私の右手から両手を離し、肩をすくめた。


「あくまで噂なんですが、マナイスの軍部が大戦のころに人体実験をしていた話があって。そのときの計画のキーワードに、天使っていうのが出てくるんですよ。マナイスに直接関係のある天使ってそのくらいしかなくて、まあ今は描いてくれって依頼は来ないんですけど、そのときはどうしたものかなって」


 軍と天使。私の中では、その二つは繋がっていない。マナイスという国の中にいた私でさえも、その二つの単語がなぜ繋がっているのか、見当もつかない。


 だが、先日元傭兵で庭師のガラルサが言った、マナイスの悪評。そして、絵にさえも残してはいけない『マナイスの天使』。レンテリアが言った軍の計画のキーワードである天使とこれらが何ら繋がりがない、というのは厳しいのではないだろうか。


 私はマナイスにおいて、世間知らずだった。絵を描くこと以外に国や社会へ何一つ興味を持たず、生計を立てる術さえも知らなかった。絶望に背中を押されて外国へ逃げ、運よく生き残っただけだ。そんな私は、マナイス人だというのに、マナイスの何を知っているというのだろう。


 大戦時、マナイスはなぜ天使と関わろうとしたのだろうか。


 あのクライアント、ブレイズ・ペリヤはそれを知っていて、私に描いて欲しかったのだとすれば、迂遠にもほどがある依頼だ。その意図が掴めない。大戦を経験した彼が『マナイスの天使』を知っていた可能性はあるが、私に何の情報も与えずに描かせようとした理由は、何なのか。


 現時点では定かなことはない。すべて伝聞の、噂にすぎない話ばかりだ。


 であるにもかかわらず、点と点が線で結ばれていくかのように、手がかりはさらなる手がかりへと確かに繋がっている。それを偶然で片付けられるほど、私はリアリズムの真面目な信奉者ではなかった。


 私が無言を貫いている間に、アルタミラーノとレンテリアは話を進める。


「軍? 何で軍が天使と関係があるんだ! 天使に祈れば銃弾が当たらないとか、そういうジンクスか?」

「さあ? 何かの隠語なのかもしれないですけど、そこまではさっぱり。俺、軍事方面は疎くて、マナイスの言葉もそんなに上手くはないですし、ちょっと分かんないです」

「ふぅむ。面倒な国だな! まあいい、レンテリア、何か用があるんだろう?」

「あ、はい! この絵を見てもらいたくて」


 アルタミラーノに指示されて、レンテリアはテーブルに布で包まれたキャンバスを広げていく。


 その様子を見ていたはずだが、私は上の空で別のことを考えていたせいで、レンテリアの絵についてはもう何も憶えていなかった。


 私は、海の向こうのあのクライアントへ、心の中で問いかける。


 ブレイズ・ペリヤ。あなたは一体、何を描かせたかったんだ? 消え去ろうとしているものを、この世に残したかったのか?


 それとも、私の描き求めている光を、あなたは『マナイスの天使』へ与えたかったのか?


 それを知るためには、私は二週間後にやってくる手紙を待たなければならなかった。

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