少女と少年①
「ということで。私は付き合いましたよ。今度はお兄さんの番です」
「お兄さんの番です、って。あのドラマじゃないんだから……」
「まさか、拒否るんですか?」
「やっぱさ、きみに話すようなことじゃないよ。今日会ったばっかなのに」
別に話しても構わないと思っていたが、少年は心変わりをして渋った。友達や家族に話しても胸の内が晴れ渡ることがなかったのに、少女に打ち明けてもどうせルーチンは変わらないと。
「私だって、受けた辱めを乗り越えて話したじゃないですか」
(そこは悲しみじゃなくて、辱めなのか)
「対価を支払ったんですから、フェアであるべきです。話してくれなきゃ、私、帰りませんから。やっぱり、毎回約束ドタキャンされてるんですか?それがからかわれてるってことに気付かずに毎回素直に来て、毎回ハメられてるんですか?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ……目当ての女の子をストーカー」
「それは絶対にないから!」
これ以上汚名を着せられたくない少年は、全身全霊で否定した。
「ドタキャンじゃなければ、ストーカーが最有力なんですけどねー」少女は、“犯罪者レッテル”をちらつかせる。
「……話さなきゃダメ?」
「等価交換です」
「きみには十分捧げてると思うけど」
「スイーツは損害賠償ですから」
少年がいくら渋っても、少女は頑として前のめりの姿勢を崩さない。少年は動揺する。少女と“彼女”の顔が被る。しかし似ているのは、黒髪とハキハキした元気さで、顔は似ていない。でも、“彼女”が横にいて、「話して」と言っているような気がしてくる。
今日、理由の告白を回避できたとしても、少女は引っ越しするまで少年を見つけては追いかけて来そうだ。本当にストーカーになられては困る。
少女も話してくれたのだし、アンフェアなのはやはり申し訳ない。少年は不可避と悟り、諦めの溜め息を吐いた。
「きみに話したって、どうしようもないんだけどね……」
芳春を攫うように、強い風が吹いた。少年の心にも、唸りながら吹き抜けた。
「……きみは、桜が好き?」
「好きですよ。お母さんが好きだったし」
「僕は、好きじゃない。辛くなるから」
「辛くなる……?なのに、ここに来てるんですか?」
「そう。罪滅ぼしをしたくてね」
少年は何気なく手元の本に視線を落とし、ルーチンを始めるいきさつを話し始めた。
「同じクラスに、気になる女の子がいたんだ。黒髪がきれいで、勉強ができて、友達がいっぱいいて、いつも元気な子だった。告白したかったんだけど、全然話したことなくてさ。それまでの人生で殆ど女の子とつるんだことがなかったから、告白なんて高いビルからバンジージャンプするくらいの根性がなきゃだめだった」
「私とは普通に話せてますよ?」
「こうして女の子と普通に話せるようになったのは、彼女のおかげなんだ」
話をするのは気が進まなかったが、彼女との楽しかった日々が蘇ってくると、少年の浮かない表情も次第に穏やかになっていく。
「ある日僕は、このベンチに座って、そこのコンビニで買った肉まんを食べてたんだ。そこへ偶然、彼女がやって来て、初めて話しかけられた。僕はドキマギしっぱなしで、その時の記憶はあんまりないんだけど、多分、上手く話ができてなかったと思う。でも、彼女が始終笑顔で話してくれたのは覚えてる」
「その人は、公園に何しに来たんですか?」
「彼女は読書が好きで、時々ここに来て読んでたんだ。しかもこのベンチで。いつも使ってる場所に来たら僕がいたから、他の所に行こうと思ったらしいけど、クラスメートならいいかって思って話しかけてくれたみたいなんだ」
「まさか、予想してなかった恋バナ的展開ですか!」
胸が踊る展開に期待する少女は、少年の恋バナに更に前のめりになる。さすが、韓流と恋バナに敏感な十代女子。
「始めて彼女と話した時、僕は好きな歌手の曲をイヤホンで聞いてたんだ。何を聞いてるのか聞かれたから答えると、彼女は興味を持ってくれた。そしたら、お互いの好きなものを交換しようって話になって、僕は聞いていた歌手の曲を紹介して、彼女からはおすすめの本を貸してもらった。それから、毎週日曜日の午後二時にこのベンチで待ち合わせして、お互いに感想を言い合ったりしてた」
「と言うことは。好きな人とまず友達になれたってことですね!一歩前進じゃないですか!」
少年の話し始めの様子など忘れて、少女のテンションが上がってきている。少女の高揚が伝染したように、少年の頬が少しだけ紅潮する。
「そうだね。僕もそれが嬉しくて、毎週日曜日が来るのが楽しみだった」
「学校で話してないんですか?」
「学校だとみんながいるから、恥ずかしくて……」
「うぶな小学生ですか。かわいいですね」
「かわいいとか言われても嬉しくないし。肘で小突いてこないで」
「それで?毎週日曜日に会うようになって、仲も深まっていったんですよね。その後は、その人とはどうなったんですか。上手くいきました?」
少女の脳内には、少年と顔の知らない彼女の二人が、手を繋いでデートするシチュエーションが浮かんでいた。その先は、そうなる未来しか想像できない。しかし、キラキラする少女の脳内と真逆の記憶が、少年の表情を段々と沈ませていく。
「……離ればなれになった。それから彼女には会ってない」
「転校しちゃったとか?」
「そうなんだ」
「えー。それじゃあ、お兄さんの恋バナ完結ってこと?でも、その話と罪滅ぼしがどう関係してるんですか?あ。もしかして、転校する前に大ゲンカしたから謝りたいとか。だから待ち合わせの約束して、ずっと待ってるんですか」
「それだったら、まだよかったんだけどね。この話には、まだ続きがあるんだ」
心の中で唸る風の音が、少年の青春の悪夢を呼び起こす。その音は、この世に密かに棲む者の声のようだった。
「……その前に、彼女が転校して行った理由なんだけどね。彼女は、クラスでイジメにあったんだ」
「イジメ……何で?友達いっぱいいたんですよね?それがどうして……」
「きみは、桜の木の噂を知ってる?」
「噂?……あ。あれですか。『桜の木の枝を折ると、“悪いこと”が必ず起きる』ってやつ」
「うん、それ。彼女もその噂を知っててさ、突然、噂が本当か確かめてみようって言い出したんだ」
「意外とトリッキーな人なんですね。話を聞いて、元気キャラだけど文学少女だから、頭がいい人なのかと思いました」
「自分が知らないことに、興味を持つ子だったみたいでさ。だから話したことがない僕とも友達になってくれたし、好きなものの交換もしたんだよ」
「それにしても、噂を検証しようだなんて怖いもの知らずですね。それで、本当に折っちゃったんですか?」
「彼女は、何の躊躇いもなく折ったよ。きみが毎月手紙を結んでる、あの木の枝をね」
「一本折れてるのって、その人の所為だったんだ」すると、少女は怪訝な顔をする。「……え。まさか。その所為でイジメにあったって言うんですか」
「そうだよ」
「いやいや。あんなのただの噂じゃないですか」
「僕は、桜の木の枝を折った人に降りかかった“悪いこと”の話を聞いたことがあるよ。階段から落ちて両足を骨折したとか、酷いものだと、近い親族が急に亡くなったとか」
恋バナから急転、身の毛がよだつホラーに少女は顔色を変えた。ただの風が吹いただけなのに寒気がし、必死に噂の否定をし始める。
「ま……まっさかぁ!嘘ですよ、うそ!そんな祟りみたいなこと、ある訳ないじゃないですか!どこの村ですか!ここは都会とは言えないですけど、都市部ですよ?しかも今は2000年代ですよ?21世紀ですよ?祟りとか古臭いですって!」
「きみは、そういう噂は信じない派なんだ?」
「噂は、信じるものと信じないものがありますけど。そういう怖いやつは、信じたくない派です」
どうやら怖い話は苦手らしい。話す少年の顔すら見られなくなっている。
「ホラーとか苦手なんだ?」
「怖いけど、観ちゃう系です」
「怖い噂は信じたくないけど、ホラーは怖いもの観たさで観るんだ。矛盾してるね」
「だって、好きな俳優さんが出てたら観たいじゃないですかぁ」
「そういうもの?僕なら、怖い思いしてまで観たくないけど」
「そういうものなんです!イケメンはどんな役やっててもイケメンだから、観たいんです!もうホラーの話はいいですよ!」
少女は何かを追い払うように、両手をぶんぶん振った。
「それよりも!イジメと桜の木の枝を折ったことは、因果関係の証明のしようがないじゃないですか」
「確かに、それが原因とは誰も証明できない。でも、イジメが始まったのは彼女が枝を折ってすぐだった。因果関係は証明できないけど、イジメが始まったのは事実なんだ」
この世の事象には必ず、何かしらの理由が付随して起きている。花が咲くのも。季節が巡るのも。過去の記憶を忘れないのも。しかし、彼女へのイジメが始まった理由はわからなかった。だから少年には、桜の木の枝を折ったことが原因としか考えられなかった。