少年と少女①
春爛漫の景色を人々が楽しむ中、少年はいつものルーチンでいつものベンチに座り、今年も美しい景色を意識的に見ようとしない。閉じ籠もるようにイヤホンで音楽を聞き、持って来た本を何気なく開いても全く読んでいなかった。
俯きがちな少年は、ふと溜め息を漏らした。
「……何やってるんだろ」
(最近、自分がやってることの意味がわからなくなってきた……て言うか、本当はわかってるんだ。こんなことをしてても、意味はない。)
いつも何気なく利用していた公園だが、ある日から意味が付けられ、やがて意義となり、そして意味は別のものへとかたちを変えた。どんな理由が付いていても、意味が存在する限り少年はここへ来た。しかし、意味のかたちが輪郭を失いかけていた。春霞がかかったように。
「もう、やめた方がいいのかな……」
その時、公園に春一番が吹き荒れた。桜の花びらが風に舞って、春の雪を降らせた。
「あっ!」
その風に乗って、開いていた本から押し花のしおりが飛び立った。少年は掴もうとして手を伸ばしたが、掴みそこねた。しおりは花びらと一緒に風に乗り、歩道を何処までもひらひら飛んで行った。
「……やっぱり、もうやめろってことなのか」
(会いたくて来てた。会えるかもしれないと思って来てた……わかってた。最初から何となく。意味はないって……)
少年は、繰り返してきたことをこれで終わりにしようと、罪過をこれからも忘れずに生きていくしかないと区切りを付けて、いつもより早く帰ろうとした。開いていた本を閉じかけた、その時。
「あの。このしおり、お兄さんのですか?」
少年の前に、さっき飛ばされたしおりが差し出された。拾うのを諦めたしおりが、戻って来た。区切りを付けようとしていたのに。少年は顔を上げて、拾ってくれたその子を見上げた。
「………」
胸くらいまである黒髪に、はっきりした二重の少女の姿は、少年の記憶の中であの日のあの一瞬と重なった。彼女が来てくれた。そう思ってしまった。
「あ……ありがとう」
しおりを受け取って、本に挟んで飛ばされないように閉じた。
区切りを付けようとしていた少年は、少し複雑な心境だった。二年以上も忘れられなくて、それは忘れてはダメだということだと思って、過去の記憶の地縛霊になったように過ごしてきた。少年は、まだ成仏してはならないのだろうか……と、鬱々となりかけた。
仕方がない。もう一度ここに来る意味を考えて心の整理を付けようと、少年は気持ちを切り替えた。それはそれでいいのだが。
しおりを届けてくれた少女は、何故か去ろうとしない。何やら様子がおかしい。視線が何度も、少年と地面を往復している。
「えっと……何か用?」
「えっ!?えーっと……」
少年が聞いても、告白を迷っている思春期の女子ばりにもじもじするだけで、目的がはっきりしない。少年がその顔をよく見てみると、少女は自分よりも年下のようで、本当に思春期真っ只中の中学生くらいだった。
しおりを受け取っても居座っているし、これだけモジモジしているのだから、自分に何か用があるんだろうと思い、少年は少し待ってあげた。
「あの……隣。座ってもいいですか?」
「え?…………うん。まあ」
数十秒のモジモジを待っての少女の要望に「何故?」と疑問に思ったが、もじもじを待てた少年は右にズレて一人分の席を空けた。少女は何やら緊張した様子で、互いのパーソナルスペースを守るように空けられた席に座った。
ベンチを半分譲ったはいいが、少年は若干訝しりながら隣に座った少女を横目で窺う。
(何なんだこの子。知り合い……じゃないよな。中学の時の後輩とか?でも見覚えないし。そもそも、年下の女子の知り合いなんていないしなぁ……)
部活など校外での交流や文化祭、友達の紹介など色々思い出してみたが、少女と知り合ったような機会は思い当たらない。
少年が懸命に記憶を漁っていると、緊張が解れない少女がモジモジながら口を開いた。
「あの。私、時々この公園を通ったりするんですけど、たまにお兄さんのことを見かけてて。いつも同じベンチに座ってるなーって思ったりして。見かける度に何か気になって、何しに来てるんだろうって思い始めて。それで、陰からこっそり観察したりしてて……」
(えっ。何。もしかして、いきなり告白!?僕たち初対面だよね!?そっちは僕を知ってるかもしれないけど、僕は全く知らないよ?え。ヤバい子じゃないよな?観察してたって、ずっと?いつから?……ま、まさか……ストーカー!?)
少女の様子と台詞から、少年は危険な匂いを察知した。しかし、相手は年下の少女。危害が加えられる心配はなさそうだ。だが、大人ぶってあまり冷淡に対処してしまうと、純粋な思いが溢れ過ぎて行き過ぎた行動に……ということもあり得るかと考えた。
少年が思考を巡らせる間、モジモジが止まらない少女も、勇気という選択肢を選び取る勇気を選ぶか否か逡巡し、僅かな沈黙を置いて、勇気を振り絞る決意をした。
「あの!率直に聞いてもいいですか!」
「な、何!?」
それまでのモジモジがバネになって、少女の勇気が勢いよく飛び出した。思考を巡らせていた少年は、告白に対して構えるのを忘れてびっくりしてしまった。
「いつもここで、何してるんですか?」
「………え?」
予想外の質問だった。あまりにも予想外の何でもないごく普通の質問だったので少年は拍子抜けして、告白に対して考えていた台詞と一緒に色んな思考が全部飛んでしまった。
「僕が、ここで何をしてるか?」
「だって、お兄さんがいつもこのベンチに一人で座ってるから、ものすごく気になっちゃって。約束を毎回ドタキャンされてるかわいそうな人なのかなとか思ったり、そうじゃないなら何だろうってひたすら観察してて……」
「ひたすら観察!?て、やっぱストーカー!?」
「ストーカーじゃないです!誤解しないで下さい!」
「いや!こっそり観察してるとか、やってることストーカーだろ!」
「誤解ですってば!確かにやってたことがそれっぽいことに気付いて、やめた方がいいかなって思ったんですよ。だから今日は、思い切って話しかけようと思って。そしたらタイミングよく風が吹いて、お兄さんのしおりが私の方に飛んで来て……」
「本当かよ。超能力であの風吹かせたとかじゃないよな」
「私は平凡な女の子です!」
「じゃあ、身分証見せてよ。万が一何かあったら困るし」
「わかりました。その代わり、お兄さんも見せて下さいよ」
二人はお互いに、身分を証明しようとした。しかし冷静に考えたら、休日だから学生証は持っていないし、保険証も家だ。保険証を持っていたとしても、プライバシー保護の観点から見せるのはよろしくない。
という思考がお互いに合致したので、検討した結果、二人はスマホの写真の中から制服で撮った写真を見せ合った。
「この高校、頭がいいとこじゃないですか」
「そんなことないよ。ただ勉強が少しできる奴らが集まってるだけ。きみだって有名中学校じゃん」
「いえいえ、そんなこと」
「動作と表情がちぐはぐだぞ」
少女はジェスチャーでは否定するが、表情はあからさまに照れが隠せていなかった。さっきまでしていた緊張も、すっかり忘れているようだ。
「写真ですけど身分は明かしたし、これで一応誤解は解けましたよね」
「こんなんで解いていいのか?」
制服の写真一枚でお互いを信じられる程社会は甘くないが、本当に少女はストーカーではなさそうだし、追及の意味はないと少年は判断した。
「という訳で、聞かせて下さいよ。お兄さんがここに来てる理由」
しかし、少年自身への追及が始まってしまった。会ったばかりの少女に話すようなことでもないが、ひた隠しするようなことでもない。友達に相談したこともあるし、家族にも胸の内を明かしたこともある。けれど、毎週日曜日に来続けているということは、少年の中では何も解決していないということだ。
「話してもいいけど……」だが、少年は話すのを渋った。「じゃあその前に。一つだけ僕に付き合ってよ」
「付き合ったら、話してくれるんですね。わかりました。いいですよ」
少年は時間稼ぎをして、少女の気が変わるのを期待した。
「僕はずっと、気になってることがあるんだ」
「気になってること?」
「向こうに、他のと比べて幹が細い桜の木があるだろ。あの木の枝に月に一度、誰かが手紙を結んでるんだ。時々ここを通ってるなら、きみも一度くらい見たことない?二年くらい前からなんだけど」
「ああ。それ、私です」
少女は右手を挙げて、あっけらかんと名乗り出た。少年はまた拍子抜けしてしまう。
「えっ……きみ?」
「はい。私がずっとやってました」
「何だ。きみなのか」
あまりにもあっけなく現象を起こしている張本人が見つかり、張り合いのなさに少年の探求心は一気に萎れてしまう。しかし判明したのは張本人で、手紙を結んでいた理由はわからない。少年は少女に聞いた。
「どうして桜の木に手紙を結んでるの。最初はおみくじだと思ってたんだけど、多分おみくじは僕が見かけた最初の一度だけだよな」
「そうです。おみくじを結んだのは一度だけで、あとはずっと手紙を……」
少年からの質問に答えようとした少女は、おかしなことに気付いた。
「ん?ちょっと待って。お兄さん。何で、結んであるのが手紙だって知ってるんですか?」
「あ。それは……」
(しまった!)
少年は失態を犯していたことを自覚するが、時すでに遅し。発覚した事実に、少女から疑いの眼差しが向けられる。
「もしかして、盗み読みしてます?」
「い、いやそんなこと……」
「えっ!?うそ!最低!じゃあ私が毎月結んだやつを取ってるのは、公園の管理人さんとかじゃなくてお兄さんだったの!?人のプライベート覗き見て楽しんでた訳!?うわ、本当に最低!変人!変態!」
「変態は違うだろ!てか人がいる所で変態とか言うな!今の時代、ちょっとした発言が波紋を呼んで叩かれるから!こんな場所でそんな発言したら、最悪通報されるから!」
「でも、盗み読みはしてたんですよね?じゃないと手紙ってわからないもの!」
少女は譲る気なく問い質した。もしもSNSをやっていたら、写真付きのツイートを「変態男子高校生」のタグを付けられて速攻で拡散されそうだったので、少年は必死に誤解を解こうとする。
「だから盗み読みはしてないって!僕は人畜無害だし、そんな悪趣味ないから!」
「じゃあ何で手紙って知ってるんですか!中身見ないとわからないじゃないですか!」
「見ちゃったけど、わざとじゃない。偶然見ちゃったんだって!」
「結んであったのに、どうやったら偶然見られるんですか!魔女が魔法でも使ったんですか!悪戯好きの妖精が取ったとでも言うんですか!」
「魔女とか妖精なんて、日本にいないんじゃ……」
「じゃあお兄さんしかいないじゃないですか!犯人確定です!」
「冤罪だ!僕は無罪だよ!てか!だからこんなことろで犯人とか言うなって!」
「往生際が悪いですよ!正直に吐いて下さい!」
「正直に吐いてるよ。お願いだからきみも聞く耳持って。僕の弁解を聞いて!」
このままでは少女だけでなく、周りの他人にまで勘違いされる。噂好きの主婦の耳に入ろうものなら、死刑宣告をされたも同然。少年は汚名を着せられてたまるかと、何とか表情で懸命に訴える。その強い思いが伝わったのか、少女は詰問をやめてくれた。
「わかりました。じゃあちゃんと話して下さい」
「よかった……」安堵する少年だが。
「聞きますけど。あとで、そこのコンビニでスイーツ奢って下さい」
「えぇっ……」
「プライバシー侵害したんですよ。そのくらいは償ってもらわないと」
従いたくはなかったが、危惧する事態を避け、将来の為に保身を選択する他ない少年は、やむなく損害賠償請求を承諾することにした。
「……わかったよ。買ってあげる。だから弁解させてくれ」
「約束ですよ。逃げないで下さいね。それではどうぞ」
保身の為とは言え、自分の方が年上なのに、年下の少女に主導権を握られていることが納得いかないな思いつつ、少年は弁解を始めた。
「木の根本に落ちてたんだよ。自分の落とし物を拾おうとして屈んだら、雑草に隠れて紙が落ちてるのを見つけたんだ。もしかしたら、いつも結んであるやつじゃないかと思って内容を確認したら、手紙だと知ったんだ」
「てことは、がっつり読みました?」
「わりとしっかり読んだかな」
「どんな内容だったか、覚えてます?」
「何となくは。えっと確か……気になる男の子と初めて話せて恥ずかしかった、今度は連絡先を聞こうかな、みたいな……」
すると、たちまち少女は顔を紅潮させ、両手で覆った。
「ああーーーっ!それなの!?それなんですか!よりにもよってそれ読んじゃったんですか!何で読んじゃったんですか!純情な乙女を辱めたいんですか!」
「だから!こういう所で辱めるとか言うな!もうちょい一般常識を弁えろ中学生!」
「スイーツの追加を要求します!」
耳まで赤くさせた少女は、損害賠償の追加を求めた。
「何でだよ!しょうがないだろ。君に会うことがわかってたら読まなかったし、気になってたものが落ちてたら拾うだろ。つまり、ちゃんと結ばなかったきみが悪い」
「全部私に責任を押し付けるんですか!弱い年下ならいじめてもいいと思ってるんですか!モラハラです!」
「モラハラって。そんなつもりは……!」
騒ぐ二人の前を、小さい子供を連れた母親が子供を守るように通り過ぎた。辺りを見回せば、他にも人がいた。今日は天気がいい日曜日。桜も見頃だから人も多い。公共の場であることをすっかり忘れていた二人は羞恥し、冷静さを取り戻した。
「……まぁ。読んでしまったのだけは謝るよ。でも安心してくれ。読んでしまったきみのプライベートは、言い触らしたりしてないから」
「そんなことしてたら、スイーツ二個どころじゃすみませんけどね」
「で。話を戻すけど。きみはどうして桜の木に手紙を?相手に普通に渡せばいいだろ。そういうルールなの?」
「そういう訳じゃないです」
「じゃあ……わかった!手紙を送りたい相手の連絡先や居場所がわからないから、枝に結んでるんだ。何故桜の木なのかは、ここが思い出の場所だから」
「まぁ…大体合ってます。実は、普通に手紙を渡せない相手なんですよ。しかも勝手に、一方的にやってることなんです」