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ヴァレリー法律事務所

ブラックコーヒー

作者: 飛鳥京子

ニ〇一九年 秋  パリ



1


 最初の一滴を頭のてっぺんに感じたと思う間もなく、雨脚が強まった。エラリイは自転車のペダルを踏み込み、雨を避けられそうな場所を目指した。

 人の背丈よりも高い、黒いボックスに突き当たりそうになって、慌ててブレーキをかける。

 その途端、水たまりの中にまともに足を降ろしてしまい、小さく悪態をついて顔を上げると、ボックスにあいた穴の一つに、何やら黒いものがうごめいている。

 この巨大ボックスは、パリのビン用ゴミ箱だ。穴は、ワイン、ビール、ワインビネガー、オリーブオイル、ジャム等々のビンを捨てるための口なのだが、うごめく物体は明らかにビンではない。

(猫……?)

 頭が抜けないのか、外に出ている後脚を弱々しくばたつかせている。エラリイは自転車を立てて近づくと、スーツの上着を脱いで猫の下半身を包み、脇に抱え込んだ。右手の指先を穴に差し入れると、ふくらんだビニール袋のような感触のものに触れた。

 上着の中でもがく猫に、

「今出してやるからじっとしてろ」

と声をかけ、袋のようなものに爪を立てて引き裂いた。すっと圧力が抜け、猫の頭部が引き出された。

 猫は、目の上をガムテープでぐるぐる巻にされていた。その上からビニール袋を被せられて、ゴミ箱の穴に突っ込まれたようだ。

(どうやって突っ込んだんだろう)

という疑問がよぎったが、それよりも獣医に連れて行かなければ。エラリイは片手で携帯を取り出した。端末が見る間に雨滴をまとう。ここから一番近い動物病院を検索し、猫を上着ごと自転車の前カゴに放り込んで、再び走り出した。



 エティエンヌ動物病院の診察室で、エラリイは、獣医に借りたバスタオルで体を包み、ヒーターの前で震えていた。

 診察台の上では、ガムテープから解放された猫が首を振っている。テープをはがす時に目の周りの毛を切ったので、青い目がぐるりとまつ毛に囲まれているように見える。目が青いのは、生後一か月にもならない仔猫だからだ。ニ、三か月もすると、メラニン色素が働いて、本来の目の色になるはずだ。この猫は白黒のハチワレぶち猫なので、緑色にでも変わるのだろうか。

 獣医は骨ばった指で猫の首すじを撫で、

「チップが入っていないようだな。路上で生まれた野良の子だろう。親とはぐれたか、死に別れたか」

 フランスでは、動物を飼う際、マイクロチップを皮下に埋め込むことが義務付けられている。チップごとに、一五桁の番号、飼い主の氏名・連絡先、動物の特徴などが記録されている。

 この猫はおそらく路上で生まれ、何らかの理由で親兄弟と離れて、おぼつかない足取りで独り歩いているところを、嗜虐心のある人間に見つけられたようだ。

「で、どうするんだ?」

 獣医はエラリイに訊ねた。

「この猫を引き受ける気があるのか? それとも、こいつらみたいに、ここへ置いていくか?」

 言いながら、獣医は診察室の隅を囲ったカーテンを引いた。

 カーテンの中には、キャットベッドがあり、その上に、点滴に繫がれた猫が横たわっていた。灰色の長毛種で、黒っぽい縞模様が入っている。三匹の仔猫がその乳首に懸命に吸いついていた。

「こいつら、どうしたの?」

「今と全く同じ格好で、石畳の上に転がっていたらしい。今朝方、心優しい学生さんが連れて来て、自分は飼うことができないからと、一回分の治療費を払って置いていったのさ」

 猫の首の背面にはチップが入っていたので、獣医は飼い主に連絡したそうだ。

「その返事がふるっててな」

 彼は口元を歪め、その口真似をした。

−−おれは騙されたんだ。偽の血統書をつかまされて、そこそこの値段で買い、ジュヌヴィエーブと名付けて可愛がってた。ところが、猫に詳しい友人が、見るなり、「これは雑種だ」つうんだよ。そう言われてみりゃ、たしかに、顔つきが少しがさつだと思ってたんだ。だが、行儀はいいし、毛並みもきれいだから、そのまま飼ってたんだよ。でも、やはり血は争えねえ。そいつはとんでもねえあばずれだった。どこかの雄猫とさかって、いつのまにか孕んでやがったんだ。こんなふしだらはとてもじゃねえけど許せねえ。早速たたき出してやったよ。はぁ? ガキを三匹も産んだ? とにかく、その猫とはもう縁を切ったんだ。あんたんとこでチップを取り出せるようなら、取り出して貰えねえかな。

(勝手なこと言ってらあ)

 エラリイは開いた口がふさがらない思いだ。猫に妊娠してほしくないなら、避妊処置をするのが飼い主の責任だろう。それを雑種だからふしだらだとは、何という言い草だ。しかも、猫に品格を要求している割に、本人はガラが悪い。

「で、こいつら、どうなるの?」

 エラリイは、ぐったりとキャットベッドに横たわる母猫と、三匹の痩せた仔猫に目をやった。

「一応知り合いにあたってみるよ。貰ってくれる奴がいれば、八週齢を過ぎるのを待って引き渡す。それまで母猫が生きていてくれればの話だが」

 ジュヌヴィエーブは、捨てられてすぐ路上で出産したようだ。そのままずっと動けず、何も食べていないのではないかと、獣医は言う。

「だから、ガキ共も、一生懸命乳を吸ってる割にガリガリだろう。きっと、ほとんど出てないんだよ。ああ、こいつはもう、離して育てにゃならんな」

 獣医は、三匹の中で目立って小さい灰色の仔猫をつまんだ。

「他のきょうだいに押しのけられて、なかなか乳首に吸い付けねえんだ。子供が複数匹生まれると、なぜか一匹だけドンくさいのがいるんだよな」

 獣医がそう言った時、玄関でカランコロンとベルが鳴った。ドアに取りつけられたカウベルが、開閉にともなって音を立てるのだ。先刻、エラリイが飛び込んだ時もそうだった。

「今日はやけに人が来る日だな」

「多分、おれを迎えに来たんだと思う」

 エラリイは言った。はたして、診察室のドア越しに、

「すみません」

と呼びかける声は、友人の、ラエスリール・エースナイトのものだった。

 獣医に診察室へ招き入れられた彼は、大きな紙袋と、小動物を入れるためと思われるキャリーケースを持っていた。

「おまえ、何持ってきたんだよ、エース」

「こっちは、きみの着替え」

 エースは紙袋をエラリイに手渡した。

「こっちは、猫を拾ったっていうんで、ダンテが持たせてくれたんだ。彼、以前、猫を飼っていたことがあるんだって」

 ダンテは、エラリイとエースのルームメイトだ。あと一人、セルジュという画家と四人で、ロフトをルームシェアしている。

「拾ったつうか、虐待されて死にそうになってたから医者に連れてくっつっただけじゃん。気が早ェよ」

 エラリイは紙袋を引っつかむと、バスルームを借りて、衣服を身につけた。

 診察室では、獣医がエースに、もしこの猫を飼うことになった場合、必要となる検査や予防接種、それらにかかる費用を説明していた。エースはチラシを手に、生真面目に頷いている。

「キャリーケースがあるなら、ちょうどいい。処方箋を書くから、猫をラボに連れて行って、血液検査を受けさせてくれないか。ここへ持ち込んだ責任として、その費用だけは負担してほしい」

「ちょっと待てよ。それじゃ、結局、猫を連れて帰れっつってんのと同じじゃねえか。うちは四人でルームシェアしてるんだ。全員が賛成してくれなきゃ、動物なんか飼えねえよ」

 エラリイが気色ばむと、獣医は、

「採血がすんだら、ここへ戻してくれたらいいから」

と、軽く答えた。どうも、ペースに巻き込まれないよう気をつけねばならないタイプのようだ。エラリイは、処方箋と一緒に手渡されたラボの案内書に目を落とした。

「結構遠いじゃん」

「大丈夫だよ、エラリイ。車で来てるから」

 エースが穏やかに口をはさんだ。

「タクシー呼んだのか?」

「いや、ダンテの車だ」

 ダンテはこういう時、実に面倒見がいい。イタリア人気質というものなのだろうか。

 イタリア人というと、派手なスポーツカーを思い浮かべてしまうが、ダンテの車は、小回りがきく軽自動車だ。色は鮮やかなブルー。生まれ故郷サントリーニ島のシンボルカラーのような色らしい。たしかに、観光パンフレットの写真にも、青い丸屋根を頂いた白壁の建物が写っている。今は日が暮れてしまった上に雨まで降っているのでさだかではないが、この車の色はたしかに、あの丸屋根の青である。

 エースが運転席に乗り込み、エラリイは猫を入れたキャリーケースを膝にのせて、助手席におさまった。



 一週間後、エラリイは猫をロフトへ連れ帰った。

 仕事帰りにラボに寄って検査結果を受け取り、エティエンヌ医師に見せると、多少栄養不足の気味はあるが、他に問題はないとのことだった。

「あの時は野良だったから、栄養が足りなくてもしょうがないだろう。ここへ来てからは、ちゃんと栄養補給しているから、大丈夫だよ」

 なるほど、猫は見違えるように肉付きがよくなり、毛並みにも艶が出ていた。

 警戒してなかなか近づこうとしない猫を、エラリイはダンテに借りた猫じゃらしでおびき寄せ、最後は獣医が半ば強引にキャリーケースに押し込んだ。

 後をついてきたらしい二匹の仔猫が、戸口から顔を半分出してこちらを覗いている。

 グレイと白のハチワレ猫と、灰褐色の長毛種だ。ケースの中のぶち猫に、呼びかけるように鳴きたてている。ぶち猫もそれに応えてニィニィ鳴いた。

「こいつら、先生の猫?」

 エラリイは二匹を指さして訊いた。

「いいや。ジュヌヴィエーブの子供だ」

 ジュヌヴィエーブは、あれから三日後に息を引き取ったそうだ。以来、エティエンヌが親代わりになって、仔猫を育ててきたらしい。一匹だけ他の兄弟より小さかったグレイと白のハチワレは、前脚の力が足りないのか、ほとんど床にへばりついている。 

 予め説明されていた通り、猫はその日予防接種を受けていた。アナフィラキシーショックなどが出ても対応してもらえるよう、エラリイは三〇分ほど待合室にいた。二匹の猫達は、獣医が奥へ連れて行った。

 幸い、猫に異常はなく、エラリイは自転車のサドルにキャリーケースをくくりつけて帰宅した。

 家に入るなり、たちまちロフトの住人達が猫を取り囲んだ。ダンテは、手元にある猫用グッズを残らず並べてみせ、絵描きのセルジュは早速スケッチを始めた。隻眼隻腕の彼は、左手一本で巧みに猫の姿を写してゆく。

「名前はもう決めたのか?」

 ダンテに訊かれて、エラリイはぼそっと答えた。

「ブラックコーヒー」

 カルテに名前を書かねばならないからと獣医にせっつかれて、やむなくその場で決めた名だ。体の半分が黒いので、とっさにコーヒーを連想したのだ。

 セルジュが指先で猫の毛をすくと毛先が部屋の照明を受けて、かすかに茶色がかって見えた。

「黒は黒でも、ランプブラックだな」

と、彼は呟いた。

「首輪かなんかつけてやれよ。飼い猫だってわかれば、虐待されにくくなるかもしれないぞ」

 ダンテが言う。エラリイもそのつもりだった。首輪の色は赤がいいと思っている。

「そうだな。どんな赤が似合うかな」

 セルジュは絵の具箱を開けた。赤系だけで何色もある。カーマイン、シグナルレッド、バーミリオン、スカーレット、トマトレッド……

 見ているうちに、エラリイはめまいがしてきた。自分が今まで赤だと思っていた色は、どれなのだろう。

「ペット用品なら、サン・ミシェル橋を降りたところにある、『ロイロット』って店がいいぜ。変わった店だけど、いい品物をお手頃価格で置いてるんだ。何より、店長が本物の動物好きでな。色々親切に教えてくれるから安心だぜ」

 そう言って、ダンテは簡単な地図を描いてくれた。



2


 サン・ミシェル橋は、セーヌ川の二つの中州の一つ、シテ島からセーヌ左岸にかかる橋だ。

 シテ島に隣接するもう一つの中洲、サン・ルイ島は、シテ島と橋一本で結ばれており、エラリイとエースが勤めるヴァレリー法律事務所はこの島にある。

 二人はその日の仕事が終わると、自転車を連ねてシテ島に渡り、サン・ミシェル橋を渡って、ペットショップ『ロイロット』の前に立った。

『ロイロット』の入口はガラス張りで、店の中央の太い円柱が目を引く。円柱の周囲はさらに透明な壁に囲まれ、その間にできたドーナツ型の空間の、向かって右半分には仔犬、左半分には仔猫が入れられていた。ころころとじゃれ合うもの、遊具に戯れるもの、爪研ぎに余念のないもの、骨の模型にかぶりつくもの。それらの姿を、円柱の周囲を巡るスロープから、客が微笑ましそうに眺めている。

 左右の壁には、一つ一つに小動物が入ったガラス張りの間仕切りが並んでいた。

 エラリイとエースは、壁に沿って店の奥に歩いていった。首輪や給餌トレイ、キャリーケースなどのグッズは、つきあたりの小部屋のような空間に並んでいた。

 進むにつれて、この店には、壁の裏にもう一つ、同じぐらいの床面積の売場があることに気づいた。そちらを覗き込むと、トカゲやヘビなどの爬虫類を扱っているようだ。二つの売場の分岐点のどんつきにある壁の前で、二人の女性が何やら話をしている。

 一人は亜麻色の髪を背中の真中あたりまで伸ばした娘で、その手がクリーム色の壁を押すと、魔法のように裏口があらわれた。ドアと壁が同じ色に塗られているので、そう見えるのだ。

 もう一人の栗色の髪の女性は、枝切りばさみのようなものを手に彼女を送り出した。ドアが閉じて、再びクリーム色の壁の一部に戻る。

 栗色の髪の女性は、エラリイ達に気づくと、持っている道具を壁にたてかけ、微笑みながら歩み寄ってきた。胸に、『店長 フランシーヌ・ロイロット』という名札をつけている。

 エラリイとエースが、

「ボンジュール」

と挨拶すると、フランシーヌも、

「メシュー、ボンジュール」

と返した。

「猫の首輪とか、見たいんだけど」

「こちらにございます。どうぞ」

 フランシーヌは、二人を奥まった空間にいざなった。首輪は丸テーブルの上に整然と並べられていた。

「これ、あいつに似合いそうじゃねえ?」

 エラリイは、鮮やかな朱赤の首輪を手に取った。ブラックコーヒーの、光の加減で焦茶に見える毛色と、いずれは薄緑色になりそうな目にしっくりとなじみそうだ。

 猫用グッズは、ほとんどダンテに譲って貰ったので、あとは首輪と給水器とキャットフードを買えばよかった。フランシーヌは、ピンクと白の紙袋にそれらを入れてくれた。



「あの店長はヘビが好きでさ。あの店も、本当は爬虫類専門店にしたかったんだって」

 エラリイ達が『ロイロット』へ行ったと話すと、ダンテは言った。さすがにそれでは採算がとれないだろうと周囲に忠告しまくられて、哺乳類も扱うことにしたと、本人が言っていたそうだ。

 エラリイは、艷やかな髪を肩のあたりで切りそろえたフランシーヌの風貌を思い出した。ブラックコーヒーの首輪を手早く小袋に入れてくれた、ほっそりと長い指。あの指がヘビを愛でるところを想像してみる。

「で、ブラックコーヒーはどこ? 首輪つけてやりたいんだけど」

「本当だ。まだ散歩から帰ってないのかな」

 ダンテののんきな返答に、エラリイは思わず大声をだした。

「今日はうちにいるから、みててやるって言ったじゃねえか」

「みてたよ。でも、いつの間にかいなくなってたんだ」

 ダンテの部屋には、猫の出入り口になる小さな開き戸が作られている。パリでは普通、飼猫を外に出さないので、これは珍しい造作といえる。ブラックコーヒーはそこから出ていったのだろうと、ダンテは言う。

「おまえ、無責任だぞ。あいつはまだほんの仔猫で、この辺の地理だってわかってねえのに」

 だからイタリア人は、と言いたくなるのを、エラリイは懸命にこらえた。それを言ってしまうと、お互い感情的になるからだ。不思議なもので、日頃、自国に批判的な気持ちを抱いている者でさえ、外国人に対するとナショナリストになってしまう。

 そこへ、セルジュが仕事から帰ってきた。彼は、モンマルトルの丘にあるテルトル広場で似顔絵描きをして、日銭を稼いでいる。

「ただいま」

という彼の肩から黒い影が飛び降り、空気を嗅ぐようにしながら、エラリイの足元に近づいた。

「ブラックコーヒー」

 エラリイが人差し指を突き出すと、猫は軽く鼻先を触れ合わせて、彼の腕に抱かれた。

「仕事道具をひろげたら、そいつが入ってたんでびっくりしたぜ」

 セルジュは、肩にかけた巾着袋をおろした。中には、絵の具箱や、スケッチブックなどが入っている。テルトル広場に着いて、袋の口を開けたら、猫が顔を出したので驚いたのだそうだ。

 その口調が上機嫌なのは、ブラックコーヒーと一緒に描いてほしいという客が殺到したせいらしい。ブラックコーヒーもおとなしくモデルをつとめたので、今日の売上は上々だったようだ。

「だからって毎日連れては行けないぜ。そいつがふらふら歩きだしたら、責任持てねえからな」

 セルジュは、巾着袋からスケッチブックを取り出し、猫の毛を払った。その拍子に、何枚かの紙が床に落ちる。エラリイとエースはかがみ込んで、散らばった紙を拾った。

「ハハ、本当に可愛いな」

 エラリイは自分が拾ったスケッチを見て言った。おめかしした女の子が、ブラックコーヒーを抱いて小首を傾げている。この構図では平凡なのでもう一枚描いてくれと言われ、そちらに色をつけて渡したのだそうだ。

 エースは、一人の少年の絵に見入っていた。暮れかけた空の下、パリ市街を見下ろす横顔は、深い憂いを湛えているように見える。頼まれて描いた絵ではなく、セルジュが心ひかれて描き留めた絵だという。エラリイも横から覗き込みながら、

(上手いなあ)

と、感心した。少年の瞳がパリの街並みなど見ておらず、何か他のことに心を奪われているのが、簡単なスケッチから伝わってくる。筆のひと刷毛で描かれた雲の色だけで、一日のどの時間帯か想像がついた。

「何か思い詰めてる様子なんだが、おれは上手く声なんかかけられないからな。そうしたら、こいつが寄っていったんだ」

と、セルジュはブラックコーヒーの頭に手を置いた。



 ブラックコーヒーがおずおずと少年に歩み寄ると、少年は顔をほころばせ、じっと自分を見上げている仔猫の首筋を慣れた手つきで掻いた。

 セルジュが、

−−そいつはブラックコーヒーって名前なんだ。イギリス人が飼ってるんで英語風なんだよ。

と言うと、少年は、

−−ボンジュール、ブラックコーヒー。ぼくはヴィクトル。

と、名乗った。ブラックコーヒーを抱き上げ、

−−ぼくのうちにも猫がいたんだ。

 猫にとも、セルジュにともなく言った。

−−真っ白なきれいな猫だった。もうすぐ子供が生まれるのを、家族みんなで楽しみにしてたんだ。

 ところが、何者かが、その猫の腹を裂き、胎児を引き出して、遺骸をヴィクトルの家の前に置き捨てた。犯人は、どこの猫なのか知っていたのだろうか。

−−もしかしたら、よく知ってる奴の仕業なのかもしれないと思うと、たまらなかった。誰があんなことをしたのか、つきとめずにはおれないよ。今のところ、手がかりは何もないんだけどね。

 ヴィクトルは携帯を取り出して、動画サイトにアクセスした。

−−ちぇっ。まだ削除されてねえや。

と呟いて、『やけたトタン屋根の上の猫』と題された動画を再生した。一面だけ透明な金属の箱に猫を入れ、ガスコンロにかけるという内容だ。猫が熱がってもがく様子を一分程映している。

−−ひどい動画だな。炎上してるんじゃないのか?

 セルジュが顔をしかめると、

−−それが、そうでもないんだ。

 ヴィクトルは画面をスクロールして、最新コメントを表示した。

『もっと踊ってくれるかと思ったけど、いまいち物足りなかった。次は、肉球、ライターで炙って下さい』

 ヴィクトルは、この動画を投稿した人物が犯人かもしれないと考えたが、どこの誰だか見当もつかない。背景に映り込んでいるものに目を凝らし、投稿者を特定できるものがないか、吐き気をこらえて探したという。

 セルジュは暗くなり始めた空を見上げて、ようやく大人らしいことを言った。

−−何かせずにはおれない気持ちもわからんではないが、やみくもに動きまわりゃいいってもんでもないぜ。とりあえず、おまえの年頃のガキが、こんな時間にモンマルトルをうろついてるのは感心しねえな。

 モンマルトルはヨーロッパ屈指の歓楽街だ。セルジュは仕事を手仕舞うと、ヴィクトルを連れて、テルトル広場をあとにした。実は、テルトル広場自体、観光客を狙ったスリなどがいて、あまり治安がよくないのだ。

−−ありきたりの説教になっちまうが、おまえに何かあったら、それこそ猫が悲しむぞ。たとえ犯人の見当がついても、自分一人で何とかしようとするな。

 別れ際にそう言うと、ヴィクトルは素直に頷いたように見えた。



「本当にわかってくれてたらいいね」

 エースは、絵をセルジュに返しながら言った。

「おまえなら、上手いこと丸め込んだだろうにな」

 セルジュの返事を聞いて、エラリイは噴き出しそうになった。エースは、普段は口数が少ないが、ここぞというところで、人の心をつかむ名文句を吐くのだ。

 エラリイは自分も動画サイトを検索し、

「その、ヴィクトルって子の猫が殺される場面は、投稿されてないの?」

と訊いた。

「ヴィクトルも毎日チェックしてるそうだが、それらしい投稿はないそうだ」

 セルジュが答える。

「てことは、やっぱり知り合いなんじゃねえ? 動画なんか投稿したら、画面から一発で正体がバレちまうような」

 エラリイは自分事のように腹が立ってきた。ブラックコーヒーだって、たまたまエラリイがあの場所に自転車を停めなければ、窒息死するところだったのだ。

「警察に届けたって、調べてなんかくれねえだろうなあ」

「何でも、ヴィクトルの姉さんの幼なじみが警察官なんだそうだ」

 セルジュは言った。

「だから、そいつに相談したそうだが、何分、人間の事件だけで手いっぱいみたいでな」

「人間の事件だって、ちゃんと捜査して貰えねえのが結構あるぜ」

 エラリイは、胸の悪くなるような動画サイトの検索をやめて、画面をホームに戻した。



 次にヴィクトルに会ったのは、エースだった。

 エラリイ達がシェアしているロフトは、ダイニングキッチンを中心に、四つのプライベート空間が配置されている。実際には、キッチンで調理するのはエラリイとエースだけで、ダンテとセルジュは、せいぜい電子レンジを使う程度だ。

 その夜も、先に仕事から戻ったエラリイが夕食を作って食べているところへ、エースが帰宅し、

「驚くような偶然なんだが、帰り道でヴィクトルって子に会ったよ」

と言った。

「へえ? どこで?」

 エラリイは、エースの分の皿を手でさした。電子レンジで温め直せば、すぐ食べられるようになっている。

「トゥルネル橋の上だよ。もう暗くなっているのに、男の子がセーヌ川の川面をじっと見つめてるんで、気になって近づいたら、セルジュのスケッチにあった顔だったんで、声をかけたんだ」

「その子、びっくりしてただろう。奇天烈な自転車に乗った、見ず知らずのオヤジに話しかけられて」

 その光景を思い描くと、エラリイは可笑しくなった。エースが通勤の足にしている自転車は、フレームの前半分がラベンダー、後半分がライラック、前カゴがパステルピンクで、荷台がミントグリーンというしろものなのだ。

「奇天烈はないだろう。きれいな色じゃないか」

「そりゃ、一色ずつ見りゃきれいかもしんねえけど」

 エラリイが先を促すと、エースはまだ渋い表情ながら話し始めた。



 エースに名前を呼ばれて、ヴィクトルは当然、驚きと警戒心をあらわにした。

−−ぼくは、ラエスリール・エースナイトといいます。きみがテルトル広場で会った、セルジュという画家のルームメイトなんだけど。

と言うと、ようやく肩から少し力が抜けた。

−−きみの顔は、セルジュのスケッチを見て知っていたんだ。

−−もしかして、ブラックコーヒーの飼い主さん?

 ヴィクトルは、わずかに目を輝かせた。

−−いや。だが、彼もぼくのルームメイトだよ。一緒にイギリスからこの国に来たんだ。

−−じゃあ、あなたも猫が好きなんだね?

−−好きだよ。だから、きみの猫の話を聞いた時はつらかった。

 ヴィクトルは、「そう」と項垂れた。彼は、あれ以来、毎日パリの街を歩き回っているらしい。あんなことをする人間ならまた虐待行為を繰り返すかもしれないと思い、野良猫の通り道や溜まり場を見回っているという。

−−それで、猫を虐待しようとする人間に遭遇したら、きみはどうするつもりなの?

 ヴィクトルは、女性が持ち歩くような防犯ブザーと、胡椒の瓶を、ポケットから取り出した。

−−それはいい考えだ。でも、それで相手がひるんだら、きみは一目散に逃げるんだよ。

 ヴィクトルが返事をする前に、別の声が彼の名を呼び、足音が駆け寄ってきた。二十代ぐらいの若者が、鋭い目でエースを睨めつけた。

−−すみません、この子が何か?

−−違うんだ、フェルナン。

 ヴィクトルが慌てて割って入った。

−−ル・レのことを聞いて貰ってたんだよ。

 この青年が、ヴィクトルの姉の幼なじみなのだろうか。エースは、コートの内ポケットに入れた名刺を一枚抜き出した。こういう場合は、手っ取り早く自己紹介した方が、怪しまれずにすむ。

−−ヴァレリー法律事務所の、エースナイト弁護士?

 フェルナンは怪訝そうに名刺を見た。

−−ル・レのことを弁護士に相談したのか?

 ヴィクトルはポカンとした顔で、エースを見上げている。

−−いえ、そういうわけじゃないんですけど。

 エースは、どう説明したものかと、頭を巡らせた。エラリイなら、こんな時、上手く機転をきかせるのにと思う。

(そういう時は、何でもいいから別の質問をして、一拍置くんだよ)

 いつか聞いたアドバイスが思い浮かび、

−−ル・レというのが猫の名前ですか?

と訊ねた。

−−そうだよ。

 ヴィクトルが答える。

−−牛乳みたいに真っ白だから、ル・レ。

文法的にはデュ・レなんだけど、ル・レの方が可愛いでしょ。ぼくの大切なたった一匹の猫の名前だから、部分冠詞じゃなくて定冠詞なんだ。

 まるで猫がそこにいるかのようにヴィクトルは現在形で言った。過去形で言いたくない気持ちが、エースにはわかる気がした。

−−彼はフェルナン。

 ヴィクトルは気を利かせて、青年を紹介した。

−−姉さんの……友達なんだ。

−−幼なじみだっていう?

−−それはパスカル。フェルナンはパスカルの後輩で、同じパリ市警本部の警察官なんだよ。

−−ヴィクトル。とりあえず、ぼくと一緒に帰ろう。もう、こんな時間だ。お母さんも、エディリーヌも心配しているよ。

 フェルナンは自分のコートでヴィクトルを護るようにして、エースの前から連れ去った。



「何だか、感じの悪い野郎だな。案外、そいつが犯人なんじゃねえか?」

 エラリイの乱暴な推理に、エースは苦笑した。

「知り合いの男の子が、もう夕飯時なのに、見ず知らずの大人と話してるんだ。心配になっても仕方ないだろう」

 エラリイを軽く睨んで、

「それも、奇天烈な自転車に乗ったおじさんだからな」

「そっかあ、そりゃあそうだ」

 エラリイは悪びれることもなく、大きく頷いた。




『パリ市警本部巡査、怪死

  「まだらの紐」の言葉残し


 パリ市内に毒性動物徘徊の危険


 昨日午後十一時頃、パリ五区をパトロール中の警察官が、道路に倒れ、右手を押さえてもがいている男性を発見した。男性は「まだらの紐」と言って意識を失い、救急搬送中に死亡した。

 男性はパリ市警本部のパスカル・ルコント巡査(ニ六)で、右手の甲に出血、壊死、浮腫が見られ、心肺停止、筋肉麻痺の症状もあったことから、毒ヘビなど、出血毒・神経毒を併せ持つ動物に咬まれたものと思われる。

 市警本部は、見慣れぬ動物を見かけたら、近寄らず、警察に通報するよう、市民に呼びかけている』



「何、これ? シャーロック・ホームズみてえな事件だな」

 朝刊の一面に大きく載った記事を読んで、エラリイは声を上げた。

 ホームズシリーズの代表作の一つ、『まだらの紐』は、たしか、怯えた女性が早朝、ホームズの事務所を訪れるところから始まっていた。女性には姉がいたのだが、その姉の不可思議な死が、今読んでいる記事に重なるのだ。

 ある夜、姉の寝室から悲鳴があがり、妹が驚いてかけつけると、姉が寝室の戸口によろめき出て、「まだらの紐が」と謎の言葉を残して絶命する。呆然とする妹の耳に、不気味な口笛の音が聞こえてくる。

「死亡の現場が戸外だったことと、口笛がなかったこと以外、そっくりじゃん」

 エラリイは首をひねった。

「見慣れぬ動物って、どんなんだよ。死んだ警官は、『まだらの紐』っつったんだよな」

 エースは別のことに気をとられているようだった。エラリイの肩越しに、新聞に目を落とし、

「こないだ、トゥルネル橋の上で、ヴィクトルって子に会ったって言っただろう」

「ああ。それで、その子の知り合いの警官に、胡散臭いオヤジって目で見られたんだよな?」

 エースは、まだ記事を凝視している。

「うん。フェルナンていう警察官にね。最初は、フェルナンが、ヴィクトルの姉さんの幼なじみかと思ったんだが、それは、パスカルという名の別の警官だった」

「パスカル」

 エラリイはオウム返しに呟いた。

「亡くなった巡査と同じ名前だね」

 エースは言った。



 ヴァレリー法律事務所も、今朝報道された事件の話でもちきりだった。

 二人が出勤するなり、イタリア人事務員ベアトリーチェのかん高い声が、耳に飛び込んできた。

「何なのよ、『まだらの紐』って。見慣れない動物だけじゃ、わかんないじゃない」

「今朝のニュースで、咬み痕からするとヘビと思われるって言ってなかったか?」

 これは、ロシア人事務員イスカンデールだ。

「思われる、じゃ困るのよ。はっきりさせて貰わないと」

 エラリイとエースが顔を出すと、ベアトリーチェは獲物を見つけた女豹のように食いついてきた。

「あんた達、イギリス人なら、ホームズに詳しいでしょう? どんな生き物がうろついてるかわかんないの?」

「この際、ホームズは関係ないと思うけど。ニュースでヘビだって言ってたんなら、そうなんじゃないの?」

「もう、なんで、みんな、そんなにのんきなの?」

 ベアトリーチェが唇を尖らせた時、

「ギャー、まだらの紐ー!」

という悲鳴が響いた。日本人弁護士竜導幸葉(りゅうどうゆきは)の部屋だ。

 エラリイは階段を駆け上がって、幸葉の執務室に飛びこんだ。机に突っ伏した彼女の頭に、何やら黒いものがまとわりついている。

「ブラックコーヒー!」

 エラリイは駆け寄ると、猫の首筋をつまんだ。

「何で、おまえがこんなところにいるんだ」

 他の所員もわらわらと戸口に集まってきた。ベアトリーチェは、イスカンデールの大きな体越しに、部屋の中を覗き込んでいる。

 おそるおそる顔を上げた幸葉の眼前に、エラリイはブラックコーヒーを突き出した。

「どこをどう見りゃあ、これがまだらの紐に見えるんだ」

「だって、いきなり頭の上にとび乗ってきたんだもん。何かと思うじゃない」

 幸葉は乱れた髪を手で整えながら、

「それ、エラリイの猫なの?」

と訊いた。エラリイも猫を見た。首もとにふっさりと生えた白毛に、買ったばかりの首輪の赤が映っている。ダンテに頼んでうちに置いてきたはずなのに、なぜ幸葉の執務室にいるのだろう。

 幸葉が言うには、突然、上から何かが落ちてきて、髪をかきまわされたという。

「だから、まだらの紐が天井裏にひそんでたのかと思ったのよ。五区だったら、すぐ近くじゃない」

 ヴァレリー法律事務所のあるサン・ルイ島は四区にあり、トゥルネル橋を渡れば五区に入る。たいていの動物なら、たやすく移動できる距離だ。

「おどかしてごめん。多分、こいつ、おれのデイパックにもぐりこんでたんだ。こないだも、セルジュの仕事袋の中に、いつのまにか入ってたから」

「なんて名前だって?」

「ブラックコーヒー」

 猫はその間、前脚をしきりに幸葉の方に伸ばしている。

 幸葉はこの国に来たばかりの頃、

−−パリの美容室なんて、気後れがして入れない。

と、中途半端に伸びた髪を後ろで一つくくりにしていた。

 最近になって、ついに美容室に足を踏み入れたらしく、髪型が変わった。肩の少し上ぐらいのセミロングを思いきりすいてボリュームダウンし、顔の両サイドに細く垂らした髪の先をリボンのついたゴムで結んでいる。ブラックコーヒーはそれにじゃれつきたいようだ。あるいは、幸葉の黒髪が母親を思わせるのかもしれない。初めて接する相手なのに、まるで警戒しなかった。

 エラリイは猫を連れて部屋を出、

「どうするんだ。ここにはトイレも餌もないのに」

と呟いた。

 仕方がないので、小さなダンボールに新聞を裂いて敷き詰め、そこに猫を入れた。食べものは、昼休みに『ロイロット』に走って、買ってくればいいだろう。

「静かにしてろよ」

 エラリイは机の下にダンボールを押し込んだ。

 ブラックコーヒーは、自分の立場を理解したのか、時折ガサガサ音を立てるだけで騒がなかった。おかげで、昼前の仕事は無事にすんだ。

 フランスの「昼前」は、午前中とイコールではない。フランス人が昼食をとるのは、一三時からが一般的なのだ。そこから、ゆっくり時間をかけて食事を楽しむ。会社員でも、二時間以上、かつ食べ、かつおしゃべりを楽しむことが少なくない。だから、昼休みに『ロイロット』へ猫の食事を買いに行っても、さほどせわしなくはならなかった。

 エラリイが前回と同じキャットフードをもとめると、フランシーヌは目を見開いた。

「もしかして、もう全部食べさせちゃったんですか?」

「いいや。実は、かくかくしかじか」

と説明すると、ホッとしたような笑みを浮かべた。

「それならいいんですけど。初めて動物を飼う方の中には、手のひらにエサをのせて出すと、動物がいくらでも食べるからと際限なく繰り返す人がいるんです。動物の方は人間が差し出すから口に入れるだけで、別にお腹がすいてるわけじゃないんですよ。だから、餌皿に適量を入れて、どうしてもほしがる時だけ、少し足してやって下さいと言ってるんですけどね」

「わかったよ。気をつける」

「それから、そんなに好奇心旺盛で、どこへでも入り込んでしまうような猫ちゃんなら、しばらくの間、室内でケージに入れておいた方がいいかもしれませんね」

「ケージ?」

「ええ。まあ言えば、お宅の中に猫の部屋をつくるんです」

 フランシーヌは、グッズ売場の奥の小部屋にエラリイを案内した。壁と同じ色のドアが開くと、

「へえ、ここも魔法のドアみたいになってるんだ」

 エラリイは言った。

「魔法のドア?」

「ほら、店の裏手に出るドアも、壁と同じ色に塗ってあるだろ。知らないと、壁が突然ドアに変わったように見えるんだよ」

「え? あ、ああ……」

 フランシーヌがまごついたようだったので、エラリイは説明を加えた。

「初めて来た日に、たまたま見かけたんだ。髪の長い女の人を、あなたが送り出してた」

「ああ、あの時ですか」

 ケージは、エラリイには檻にしか見えなかった。見本なのだろう、一つだけ、給水器、餌皿、キャットベッドなどが装備されたものが置いてあった。

「こんな時ですから、外歩きする猫ちゃんなら、ご主人がお留守の時は入れておいた方がいいと思います。今なら、レンタルでも結構ですよ。運動不足解消にキャットタワーもおつけします」

 エラリイは、陶器の人形のようなフランシーヌの顔をじっと見た。

「それって、『まだらの紐』に襲われないようにってこと?」

 フランシーヌは頷いた。

「店長さんは、まだらの紐の正体って何だと思う? 今朝のテレビじゃ、毒ヘビだっていってたらしいけど」

「咬み痕からそう判断したなら、十中八九、そうでしょうね。出血毒と神経毒を併せ持つというのも、毒ヘビの特徴です。ただ、そんな猛毒を持ったヘビが、どうしてパリに現れたりしたのか」

 フランシーヌは細い指を頬に当てた。何でも、四大毒ヘビと呼ばれる有名な毒ヘビは、インドやその周辺地域、つまり、かなり熱い地域に棲息しているということだ。

「でも、そんなところから、こんな時季のパリへ来たら、ヘビなんかすぐ死んじまうんじゃねえの? 変温動物だから」

 フランシーヌは首を振った。

「変温動物にも、不完全ながら体温調節機能はあるんですよ。体を動かすことで体温を上昇させたり、日向へ移動したり、種によっていろんな体温制御方法があって、最近は、変温動物と恒温動物を区別すること自体が誤りだとされているんです。それに、熱帯だって、年がら年中四〇℃超えというわけではないですからね。最も寒い月なら二〇℃ぐらいになることもありますから、今頃のパリの昼の気温とたいして変わりませんよ」

「じゃあ、まだらの紐は、パリ中を元気に動き回ってるってこと?」

「元気ってわけにはいかないでしょうけど」

 フランシーヌは微苦笑した。

「人間に例えれば、雪山にいるようなものかしら。運良く、暖かい空気が吹き出る排気口とか、熱いお湯が通っている配管の側にいられたら生き延びられるかもしれませんが」

「じゃあ、部屋を寒くしといた方が、入ってこられないのかな?」

「そんなに神経質になる必要はないと思いますよ」

「でも、毒ヘビなんだろう?」

 フランシーヌはまた目を細めた。

「毒ヘビなんか……本当に恐ろしいのは、人の形をした生き物ですよ」

 フランシーヌは、キャットフードと一緒に、ケージのパンフレットを、ピンクと白の紙袋に詰め込んだ。

 


 エラリイはブラックコーヒーを連れて、再びエティエンヌのもとを訪れた。二度目の予防接種を受けさせるためだ。まだ個体が小さいので、前回、必要なものを一度にまとめてするわけにはいかなかったのだ。

 今日は診察室に先客がいるらしく、ガラス扉に照明が透けて見え、低い話し声がした。

 エラリイは待合室のソファに座った。ブラックコーヒーは、キャリーケースの中でおとなしくしている。ここにいたことがあるので、安心できるのだろう。

「だから、資格がないじゃわからないんだよ。もっと具体的に説明してくれないと」

 不意に、獣医の声が響いた。エラリイは、ハッと顔を上げた。

「だって、それが理由なんですから、仕方ないですわ」

 女性の声が、それに応えた。

「ル・レのことか? あいつを守れなかったことに負い目を感じてるのか?」

 女性が椅子から立ち上がる気配がした。

「先生には本当に申しわけないと思っています。でも、わたしにはもう、獣医になる資格がないんです」

 診察室のドアが開き、中から出てきた女性とまともに目が合った。はしばみ色の、意思的な目。

 亜麻色の長い髪に、エラリイは見覚えがあった。初めて『ロイロット』に行った日に、裏口のドアのところでフランシーヌと話していた娘だ。

「エディリーヌ」

 獣医の声を振り切って、彼女は外へ飛び出した。ドアにつけられた鐘が、カランコロンと鳴り響いた。

「おまえだったのか」

 獣医は息をついて、エラリイの隣に腰を降ろした。

「今日は何だ? ああ、予防接種の残りか」

 エティエンヌは立ち上がると、エラリイを診察室に招き入れた。

 猫が具合悪くならないか確かめるために医院にとどまっている間、エティエンヌは、エラリイにもエスプレッソをいれてくれた。エラリイはドリップしたコーヒーの方が好きだったが、フランスでカフェといえばエスプレッソなのだから致し方ない。

「さっきの人、獣医になるんだったの?」

 小さなカップに入ったエスプレッソは、一口で半分くらいすすれてしまう。

「そうだよ」

 エティエンヌは、もう空になったカップを置いた。

「リヨン獣医大にいった才媛だ。医師免許を取ったら、うちに来てくれるはずだった」

「で、こんな、しけたとこ来んのイヤになったって?」

「そういうことならいいんだ」

 獣医は額にかかった髪をかきあげた。

「もっと設備の整った大きな病院や、研究機関に行きたいならいけばいい。彼女にはそれだけの能力がある。だが、自分には獣医になる資格がないと言われてもなあ」

「それって、そもそも獣医にはならないってこと?」

「どうもそうらしい。実習で何かやらかしたのかと思ったが、そういうわけでもないようで、ただ、自分には根本的に獣医の資格が欠けていると言い張るんだよ。なぜそう思うのか、具体的に聞かせてくれなきゃ、こっちだって納得できんだろう。でも、彼女はどこまでも、資格がないの一点張りなんだ」

「何か、他の仕事がしたくなったわけでもないの?」

「それなら、そう言うだろう。資格がない、なんて言い方はしないんじゃないか?」

「うーん」

 エラリイも考え込み、ふと浮かんだ可能性を口にした。

「まさか、実習先の研究施設から、毒ヘビを逃がしちゃったとか……?」

 獣医は、ありえないというように手を振った。

「もし、そうなら、彼女はすぐに名乗りでるよ。たとえ自分の責任じゃなかったとしてもね。そういう娘なんだ。潔癖で、責任感が強い。組織の中じゃ、かえって上手くやっていけないだろうから、うちで働くことになったんだ」

 獣医はそう言って、大きく息を吐いた。

「さっき、ル・レっつってたよな。それって、殺された白猫のこと? もうすぐ子供が生まれるところだったのに、腹かっさばかれた」

「おまえ、ル・レを知ってるのか?」

 獣医は身を起こした。

「直接は知らないよ。おれのルームメイトが、たまたま、その猫を飼ってた男の子と知り合って……」

「ヴィクトルだな。さっきの女性の弟だ」

「おれが聞いた話じゃ、かなり思いつめてるみたいだぜ。猫の仇をとるって、動物を虐待するやつが現れそうなところを探し回ってるんだ。ルームメイトは、危険なことをするなって言い聞かせたようだけど、本人が納得したかどうか」

 獣医は、また、ため息をついた。

「あの姉弟は性格が似てるんだ。一本気で、損ばかりしてる」

「いるよな、そういう奴。バカ正直っつうか、要領が悪いっつうか」

「だから、エディリーヌが、自分は獣医の資格がないって思い込んじまった原因も、案外、他の奴なら気にもかけないことかもしれないんだよ」

 エラリイの膝の上で、ブラックコーヒーがにゃうと鳴いた。そろそろ退屈してきたようだ。エラリイは時間の経過を確かめ、

「もう帰っていい?」

と訊いた。

「ああ、もう大丈夫だろう」

 獣医は疲れたように言った。


 


  『まだらの紐』捕獲さる

   正体はラッセルクサリヘビ


 本日早朝、パリ市警本部の巡査を死亡させたと思われる毒ヘビが、ペットショップの店主により捕獲された。

 ヘビは、インド四大毒ヘビの一種といわれるラッセルクサリヘビで、道路清掃用水の排水口付近で動けなくなっているのを、ペットショップ『ロイロット』の店主、フランシーヌ・ロイロット氏に発見・捕獲された。

 当局は、遺体に残った咬み痕や解剖所見から、死亡した巡査はこのヘビに咬まれたと考えて間違いないとの見解を示している。



 新聞記事を読むうちに、エラリイは鼻孔に水の匂いが広がるのを感じた。初めてパリで迎えた朝、水音に驚いて目がさめ、窓から外を見ると、歩道と車道の間にある排水口から、水が噴水のように噴き出している。水は路肩に沿って流れ、路上のゴミを押し流していった。これが、パリならではの道路掃除で、エラリイが最初に目にしたこの街の風物だった。

(ヘビも、あれにはぶったまげたかもしんねえな)

 一歩外に出た途端、街の空気が目に見えて安堵しているのを、エラリイは感じた。この数日間、『まだらの紐』がいかにパリを脅かしていたかが、改めて身にしみた。

 ヴァレリー法律事務所も同様で、ベアトリーチェなど、スキップせんばかりだ。

 幸葉だけは少しうかない顔で、

「本当に、あれ一匹だけなの? そんな、手放しで喜んでていいの?」

と、眉をひそめている。

 彼女によると、ヘビが自らパリまでやってきたとは考えられないから、あれは研究所か業者のもとから逃げ出したのであろう。だとすると、

「たとえば、雄と雌が手に手をとって脱出してさ。つかまったのは、エサを探しに出た雄の方で、どこかで雌が雄の帰ってくるのを待ってるとかいうことないの?」

「おまえ、よくそんなこと考えつくなあ」

 エラリイは、あきれるのを通りこして感心してしまった。

 幸葉のこういうところを、事務所の同僚達はよく笑いの種にする。日本人て、本当に神経質でネガティブだねと。

 エラリイも最初はそうだった。だが、ある時、エースが言ったものだ。

−−幸葉さんの言うことって、その時は取り越し苦労に聞こえても、後になってみると、けっこう的を射てることがない?

 言われてみればたしかに、野放しになった毒ヘビが本当に一匹だけだったという保証はない。毒牙を持った動物がまだパリを徘徊している可能性など考えたくはないが、「考えたくない」と「ありえない」はイコールではない。

 そうだ、そろそろキャットフードを買う頃合いだから、『ロイロット』へ行って、フランシーヌに、毒ヘビがあれ一匹だけだと思うか訊いてみよう。できれば、自分も幸葉も安心できる話を聞かせてほしいと、エラリイは期待した。

 しかし、サン・ミシェル橋を渡って、『ロイロット』の前に立つと、店にはシャッターがおりていて、臨時休業の貼り紙がしてあった。

 ヘビを捕獲したことは手柄話のはずだから、店の宣伝になるだろうに、よほど野次馬がうるさかったのだろうか。

 グレーのシャッターは、まるでこの世の全てを拒絶しているように見えた。



 それから何度足を運んでも、『ロイロット』は閉まったままだった。

 ついにある日、シャッターが半分開いているところへ行き合わせ、エラリイは胸をはずませて覗き込んだ。中には、内装を解体しているとしか思えない作業員達の姿があった。

 犬や猫が遊んでいた円柱は取り払われ、壁面を埋めていたケージも、床に重ねられている。

(リニューアル? それとも閉店しちゃうのか?)

 エラリイは呆然と店の前に立ち尽くした。

 隣に、やはりお百度参りをしていたらしい男性がいて、

「いやな予感はしていたんですが、やっぱりでしたね」

と、呟いた。

「困ったなあ。こんなに爬虫類コーナーが充実している店は滅多にないのに、これからどうしよう」

「リニューアルとかじゃなくて、閉店なんですか?」

「そうだと思います。少し前に、偶然店長さんに会ったんですが、ちょっと様子がおかしかったんですよ。休業の理由を訊いたら、『申し訳ありません。わたしには、もう、動物を扱う資格がないみたいで』って、逃げるように行っちゃったんです」

(資格がない?)

 似たような言葉を、彼はつい最近聞いたばかりだ。

「なあ、おれ、イギリス人だからわかんねえんだけど、フランス人て、仕事やめる時に、よくそういう言い方するの?」

「そんなことないですよ。まして、ああいう仕事でそんなこと言ったら、今まで無免許でやってたのかと思われますよ」

「なるほど」

 では、エディリーヌとフランシーヌの言葉遣いの、この符合はどういうことだろう。二人は少なくとも顔見知りだ。彼女達の行動には、共通の背景があるのだろうか。

 隣の男性が、また呟いた。

「ロイロットさんはすごく動物を愛していて、店にくる客でも、適切な飼い方をしていないとみると、びしっと注意するんですよ。それがけむったくってよそへ行く人もいるんですが、ぼくは信頼してました。資格がないどころか、ああいう人こそ動物を扱ってほしいのに。ここにかわる店を見つけるのは難しいでしょうねえ」

 言い終わると、彼は長いため息をついた。



 今日はおとなしく留守番していたらしいブラックコーヒーが、エラリイの足音を聞きつけて走ってきた。とりあえず、彼を飼い主と認識したようだ。

 驚いたのは、後から、

「すごいや。ちゃんと足音がわかるんだね」

という声が追いかけてきたことだ。

 声の主は、まだ十代ぐらいの少年だった。セルジュも帰ってきていて、ロフトの共用スペースに絵の道具を広げている。どうやら、少年とブラックコーヒーを描いていたようだ。

「何だ、おまえか。エースの方に帰ってきてほしかったんだがな」

「ご挨拶だな」

 エラリイは頬を膨らませた。

「エースは、もう少ししないと帰らないと思うぜ」

「あの……あなたはエースナイト先生のお友達なんですよね」

 少年がおずおずと声をかけた。そのはしばみ色の目を見て、エラリイには彼が誰かわかった。

「きみ、エディリーヌさんの弟?」

「はい。姉をご存知なんですか?」

「たまたま近くで見た程度だけど。きみ、お姉さんによく似てる」

「ぼくはヴィクトルといいます」

「おれはエラリイ」

 名乗り終わると、ヴィクトルの顔がクシャっとゆがんだ。少し気がゆるんだらしい。エラリイは、彼をキッチンのテーブルに座らせると、コーヒーをいれてやった。フランス人がカフェと呼んでいるエスプレッソではなく、ドリップしたコーヒーだ。

「こういうのもうまいだろ?」

 ヴィクトルは頷いて、目尻を拭った。カップを置いて、居ずまいを正し、

「すみません。こんな風にいきなりおしかけてきて。でも、ぼく、どうしていいかわからなくて。ル・レが死んでから、何もかもおかしくなっちゃったみたいだ。姉さんは獣医になるのをやめるなんて言い出すし、フェルナンとの婚約も解消しちゃって、何が起きてるのかさっぱりわからないんです。こんなこと、友達に相談しても埒が明かないし、誰か大人の、しっかりした人に聞いて貰いたくて。エースナイト先生なら相談にのってくれるかもって思ったんですが、事務所に訪ねていくのは気後れがして……」

「それで、テルトル広場のおれのところへ来たんだよ。エースのルームメイトなら、引き合わせてほしいって」

 セルジュが、途中から説明を引き取った。

「お姉さんて、リヨンの獣医大学に行った人だよね」

「そうです」

「おれがこいつの予防接種に行った日、たまたま、お姉さんとエティエンヌ先生が、その話をしてたんだ。獣医になったら先生んとこで働くことになってたけど、ダメになったって」

「そうなんです。自分にはもうその資格がないからって。父さんも母さんもびっくりして、でも、最初は、フェルナンと結婚して家庭に入るつもりなのかと思ってたんですよ。なのに、エディリーヌは、結婚もしないって」

「その、資格がないって理由だけど、どういう意味なのか、きみはわかる? で、フェルナンて誰?」

 ヴィクトルはまず首を横に振り、ついで、

「フェルナンは、パリ市警本部の警察官なんだ。死んだパスカルの後輩だったんだよ」

と説明した。

「パスカルっていうのは、お姉さんの幼なじみだった人だね?」

 ヴィクトルは頷いて、続けた。

「エディリーヌはただの幼なじみとしか思ってなかったけど、パスカルの方はずっと姉さんが好きだったんだ。警察官になった時も、手柄をたてて出世して、エディリーヌにふさわしい男になる、なんて言ってたんだよ」

「わかりやすい奴だなあ」

 女が好きな男のために美しくなろうとするように、男は力をひけらかす。子供の頃なら腕力を、大人になると地位や経済力を。

「だから、エディリーヌがフェルナンと婚約した時は、少し荒れたんだ。やっぱり、エディリーヌもエリートが好きなのかって」

「エリート?」

「フェルナンはグランゼコールの卒業生なんだ」

 グランゼコールは、フランスの高等職業教育機関である。理工系を中心に、政治経済、軍事、芸術、ビジネススクールなどがある。合格率は低く、卒業生の多くは国の支配階層に入るため、エリート養成学校と呼ばれている。

 警察官の場合、パスカルのような叩き上げは巡査からのスタートだが、グランゼコールの卒業生は、一足飛びに警部補候補生になる。

 フランスは、なかなかシビアな学歴社会なのだ。

「てことは、パスカルって人より後輩だけど、階級はフェルナンの方が上なわけ?」

「うん。でも、彼らが入庁すると、パスカル達は現場を見せたり、毎日の業務を教えなきゃならないんだ。実際彼らがそういう仕事をするわけじゃないけど、現場がどんなことしてるか知っておく必要があるんだって」

「そいつは、やりにくいだろうなあ」

 エラリイが言うと、ヴィクトルはくすりと笑った。

「でも、パスカルは意地の悪いところがあって、上手いこと新人いじめをするんだよ」

 フェルナン達グランゼコール組は、いずれ自分達の上司となる者達だ。その時に仕返しをされないよう、皆、おべっかを使うのだが、パスカルは実に巧妙ないやがらせをするらしい。

「やられた本人はもやもやするんだけど、それが悪意に基づくものだって上手く説明できないんだ。一度手口を聞いて、感心しちゃったんだけど、どうやったのか忘れちゃった」

「残念。教えて貰いたかったな」

 その時、玄関から賑やかな気配が押し入ってきた。

「おーい、おまえら、晩飯、もう食った? まだなら、ピザがあるぜ」

 ダンテが肩にかけた大振りのバッグに、細かい水滴がついている。また小雨が降り出したらしい。最近、パリはやけに雨が多い。ダンテの背後には、エースの姿もあった。ヴィクトルを認めて、少し目を見張る。

「おまえに会いにわざわざ来たんだってよ」

 エラリイは言った。

「奇天烈な自転車に乗った親父でも、ちっとは頼りになりそうな大人に見えたみたいだぜ」

「もうちょっと違う言い方ができないのかい?」

 エースは、ヴィクトルの前に屈んで目線の高さを合わせた。挨拶をかわすと、

「きみのご家族は、きみが今ここにいることをご存知なのかな?」

と訊ねた。

「ノン」

「それなら、まず家に連絡しよう。もう夕ご飯時だから、きっと心配していらっしゃるよ。ピザでよかったら食べながら話をして、終わったら家まで送っていこう」

 ヴィクトルは頷いて携帯を取り出した。こういうところに気がつくのはエースの育ちの良さだと、エラリイは思う。他の三人は、家に連絡することなど考えつかない者ばかりだ。

 ヴィクトルから携帯を受け取ってエースが話し出すと、ダンテは特大ピザを四枚、テーブルに並べていった。ヴィクトルが来なければ、このお化けピザを各自一枚ずつ食べねばならなかったのか。チラリとセルジュを見ると、彼も少々呆れ顔をしていた。

 エラリイは大急ぎで簡単なサラダを作り、食後は皆で紅茶を飲んだ。

「結局、食べてる間はゆっくり話せなかったね。遅くなったけど、聞こう」

 エースがヴィクトルの方に身を乗り出すと、セルジュは席を立とうとした。

「デリケートな話みてえだから、おれははずした方がいいかな」

「あ、でも」

 ヴィクトルが止めるように手を伸ばした。

「ここにいらっしゃる方はみんな、大体の事情はご存知なんですよね?」

「おれは、おまえの猫が殺されたことしか知らんよ」

 セルジュはそっけなく言う。エラリイは、

「おれが知ってるのは、猫のことと、エディリーヌさんが自分には資格がないから獣医になるのをやめるってエティエンヌ先生に言ったことと、フランシーヌさんも同じようなこと言って店を閉めちまったことだけだ」

と続けた。

「え? フランシーヌも関係あるの?」

 ダンテが素っ頓狂な声を上げた。

「関係あるかどうかは知らないけど、そもそも、エディリーヌさんとフランシーヌさんて知り合いなの?」

 後半はヴィクトルに向かって訊ねた。

「うん。フランシーヌさんはリセの上級生だったんだ。何かのきっかけで親しくなって、それからずっとつきあいが続いてるんだよ」

「ふうん。おれは、二人がどっちも、資格がないって言葉使ったのがちょっと引っかかってるんだけど」

 エラリイは訊いた。

「ぼく……」

 ヴィクトルは、膝の上に両の拳を置いて、項垂れた。

「すみません。ぼく……考えたら、皆さんにどうこうして貰えるようなことじゃないのに……ただ、ル・レが死んでから、ショッキングなことが立て続けに起きて、どうしていいかわからなくって……」

「うん、辛かっただろうね。まあ、せっかく来てくれたんだから、とりあえず、起こったことを順番に話してみてくれないか」

 エースが穏やかに言った。こいつは人の気持ちを落ち着かせるエキスパートだなと、エラリイは思った。

 セルジュ達も座り直し、ヴィクトルはぽつりぽつりと話し始めた。



 ぼくのうちでは白い猫を飼ってました。ル・レって名前で、家族みんなで可愛がってたんです。ル・レは、飼猫のくせに外歩きが好きで、よく真っ白な毛にゴミやら何やらくっつけて帰ってきました。猫は水に濡れるのを嫌がるので、その度に身体を洗ってやるのが、すごく大変だった。

 大人になっても、ル・レは外にいる時間の方が長い猫でした。妊娠してからも毎日出ていって、そのうち残酷な心を持った人に目をつけられちゃったんですね。お腹を割かれて、胎児を引きずり出された状態で、うちの前に放り出されてました。

 最初、ぼくは目の前にあるものが信じられませんでした。目が見ているものを、脳がなかなか受け入れられないって感じだった。そもそも、こんなことができる人が存在するっていうのが信じられませんでした。

 たかがペットと思う人もいるかもしれませんが、ぼくらにとって、ル・レは家族でした。父も母も子供を亡くしたみたいに沈み込んでしまって、ぼくは何が何でも犯人を見つけなきゃ気がすまない思いでした。セルジュさんやエースナイト先生は、危険な真似をするなと言って下さいましたが、正直、あの時点ではやめるつもりはなかったんです。でも、フェルナンから事情を聞いたエディリーヌが、そのことは自分にまかせてほしいって言うんで……はっきりそうとは言いませんでしたが、姉には犯人の見当がついているようでした。

 結局、姉がどう始末をつけたのかは知りません。

 ただ、その後間もなく、姉は獣医になるのをやめると言い出し、フェルナンとの婚約も一方的に破棄してしまったんです。理由はぼくも知りません。まさか、フェルナンがル・レを、なんて、馬鹿げた想像をした瞬間もありましたが、それはエディリーヌにはっきり否定されました。



「ごめん、今話してくれたことって、この時系列表のどこに入るのかな?」

 エースが、先刻から何やら書き込んでいた紙を持ち上げた。チラシの裏紙だ。一同は揃って覗き込んだ。


 ・猫の死

 ・パスカル、毒ヘビに咬まれて死亡(一〇月一五日)

 ・毒ヘビ捕獲(一〇月二八日)

 ・ロイロット閉店(一一月七日)


の三行が、間隔をおいて書いてある。

 法律紛争では、事実の先後が重要な意味を持つことが多いので、弁護士はまず最初に時系列順に事実関係を整理する。エースは、その癖で時系列表を作成したのだろう。あるいは、ヴィクトルに「時間の順番に」と言った手前、作らねばならないと思ったのか。

「何で、『まだらの紐』まで出てくんの」

 ダンテが訊いた。彼は紅茶を一杯飲むと、二杯目はエスプレッソに切り替えていた。

「パスカルはエディリーヌさんの幼なじみで、彼女にずっと片想いしてたんだよ」

 エラリイが説明すると、ダンテは、

「へえ? 世間狭すぎ」

と、頓狂な声を上げた。

 ヴィクトルはチラシの上に上体をかがめて、エースの質問に答えていた。

「どっちもここですね。ヘビが捕まった後。『ロイロット』が閉店したのは知らなかったけど、この日付よりは前です」

「お姉さんが獣医をやめるって言ったのと、婚約解消は、どっちが先かわかるかな?」

「獣医の方だと思います。一〇月ニ五日がパスカルの葬儀だったんですけど、姉さんは参列しなかったんです。どうも、その日にエティエンヌ先生のところへ行ったみたいで、そのニ、三日後くらいかな。フェルナンが血相変えてうちへとんできたのは」

「お姉さんがそんなことをした理由はわからないんだね?」

「はい。自分には獣医になる資格も、フェルナンの妻になる資格もないって言うんですけど、フェルナンもわけわかんないみたいです」

「資格がない」「資格がない」。エディリーヌはなぜこの言葉を連発するのだろうと、エラリイは首を捻った。

 ヴィクトルによると、フェルナンとエディリーヌが知り合ったのは一年程前で、二人を引き合わせたのは、皮肉なことにパスカルだったそうだ。三人で食事する場をパスカルがセッティングしたらしい。

「パスカルはちょっと単細胞なところがあって、グランゼコール出の後輩にえらそうにしてるところを見せたら、姉さんが感心すると思ったらしいんだ」

 しかし、実際には、それがきっかけとなって、二人は惹かれ合ったという。パスカルはとんだ道化になってしまったわけだ。

「パスカルさんて言えば、一つ気になることがあるんだけど」

 エースが言った。

「あの事件の日に、彼はなぜ仲間の警察官に、『まだらの紐』なんて言ったんだろう。推理小説じゃないんだから、そんなダイイングメッセージみたいな言い方じゃなくて、はっきりヘビに咬まれたって言えばよかったんじゃないのかな。そうすれば、病院の方でも血清を用意しとくなりできて、場合によっては助かったかもしれないだろう。まあ、彼の場合は搬送中に亡くなってしまったけど」

「夜だったから、ヘビだってわかんなかったんじゃねえ? なんか、紐みたいなのがあるなって近づいたら、いきなり咬みつかれたのかもしれないぜ」

 エラリイが言った。

「パスカルは、その時パトロール中じゃなかったんだよね?」

「んー、新聞に、その日は非番だったって書いてあったように思うけど」

 ヴィクトルが言う。

「事件が起きたのは、午後十一時頃だった。そんな時間に、彼は外で何をしてたんだろう?」

「そんな時間て、まだ宵の口じゃねえか」

 ダンテが言うのへ、

「そりゃ、おまえはな」

 エラリイが合いの手を入れた。

「それはそうと、フランシーヌが捕獲したヘビを入れてたキャリーケース、おしゃれだったと思わない?」

 ダンテは突然、話題を飛躍させた。何でも、とぐろを巻いたヘビがちょうど入る程度の大きさの、ピンクと白のケースだったそうだ。ニュースにそんな画像があったらしい。

「あんな大きなケースって、それだけでダサく見えるのに、配色がいいからこ洒落て見えた」

 すぐファッション的なところへ目がいくのは、イタリア人の性なのだろうか。エラリイは彼の首元に巻かれた細いストールに目をやった。マフラーのように厚ぼったくなく、巻き方と色模様が洒落ているので上着を脱ぐとアクセサリーのようだ。

「で、ヘビって、枝切り鋏みたいなので、首のあたりを掴むんだね。でも、いくら長い柄がついてても、猛毒を持ったヘビなんか、よく掴む気になれたよな。彼女、やっぱり、烈女だなあ」

「おまえ、やけによく知ってるような口ぶりだけど、フランシーヌさんと親しかったの?」

 エラリイが訊くと、

「親しくなりたかったけど、向こうが寄せつけてくれなかった」

 ダンテはあっけらかんと答えた。

「て、言い寄ったの?」

「知り合いがイタリア料理店を開いたんで、一緒にピザでも食べに行きませんかって誘っただけだよ。そうしたら、『わたしはこの子達の世話がありますから』って、冷ややか〜に受け流されてさ」

 ちなみに、今夜のピザはその店のものだと、ダンテは空き箱をテーブルに立てて、ロゴを見せた。

「でも、おれだって、その程度のことで引き下がる男じゃないからさ。でも、あなただって、この仕事してる間、一度たりとも外で楽しむことがないわけじゃないんでしょう?、って訊き返したんだ。ところが向こうは、『そんなことを考えていたのでは、この仕事はできませんわ』って、さらに冷ややかに言い放つんだよ。さっき、おれ、烈女って言葉使ったけど、あの人はむしろ冷血動物だな。爬虫類が好きな人って、そういうとこあるのかね」

「フランシーヌさんは、そんな冷たい人じゃないよ」

 思いがけず語気を荒げたのは、ヴィクトルだった。

「あの人は、人間にも動物にもすごく優しい人だよ。姉さんが獣医になるのをやめるって言い出した時も、どこからか聞きつけて、説得しにきてくれたし」

 家族の耳がない方が話しやすいと思ったのか、フランシーヌはエディリーヌを家から連れ出し、何時間もこんこんと説得したらしい。

「それは、フェルナンが来たのより前? 後?」

「後だった」というヴィクトルの返事を、エースはチラシの裏の時系列表に書き加えた。



 ヴィクトルは、ちょうどすり寄ってきたブラックコーヒーの方にかがんで、首筋をさすっている。その手つきからも、安心しきったようなブラックコーヒーの表情からも、ヴィクトルが本当に猫好きなのがわかる。

「ねえ、何でブラックコーヒーって名前なの? 全身真っ黒な猫じゃないのに」

「知るか。エティエンヌの野郎が、考える間もなくたたみかけてくるから、つい、その場で浮かんだ単語を口走っちまったんだ」

 ヴィクトルは初めて声を立てて笑った。

「あの先生は短気だからなあ。でも、この猫に似合ってる」

 結局、結論めいたものはでないまま、ヴィクトルは、セルジュのスケッチを抱きしめて帰って行った(ダンテが車で家まで送って行った)。

 エースは椅子に背を預けて、チラシ裏の時系列表を眺めている。

「何かわかったか? 名探偵」

 エラリイがからかい気味に訊くと、

「いいや。ただ、ダンテじゃないけど、ちょっと世界が狭すぎる気がしないか?」

 エースは言った。

「猫の死、パスカルの死、エディリーヌさんの進路変更と婚約解消、『ロイロット』の閉店。起こったこと自体はてんでんばらばらで、何の関係もないように見えるのに、関わってる人物がみんな知り合いだっていうのが」

「フーン。エディリーヌさんはフェルナンの婚約者で、パスカルとは幼なじみで、フランシーヌさんとは友人同士だった。フランシーヌさんも、エディリーヌさんを通じてパスカルやフェルナンと会ったことぐらいはあるかもしれない……」

 フェルナンをエディリーヌに引き合わせたのはパスカルだったというから、この二人も単なる職場の先輩後輩ではなく、個人的にある程度親しかったのかもしれない。

「でも、その程度の偶然ならあるんじゃねえ? パリって、わりとコンパクトな街だから」

「ただ、相関図を作ると、全ての中心にエディリーヌさんがいるように見えるんだよね」

 エースは、イニシャルを矢印で結んだ、簡単な図を指した。

「でも、人間関係なんて、そんなもんじゃねえの? 自分の知り合い同士を引き合わせるのが上手い人だっているし」

「多分、そうなんだろうね」

 エースはチラシを指で弾いた。



 その日も、エラリイの方がエースよりも先に帰宅した。そういう場合の常として、二人分の夕食を作ろうとした時、携帯が鳴った。エースからだ。

−−ごめん。今、フェルナンさんに会って、一緒にカフェに行くことになったから、ぼくの分はいいよ」

「わかった」

 それから二時間程して、エースが帰ってきた。

「飯食ったの?」

「軽くね」  

 エラリイは、エースに紅茶をいれてやった。

「フェルナンと、どんな話をしたの?」

「んー。ヴィクトルがこの間、うちで夕飯を食べたお礼とか、初めて会った時の態度を詫びてくれたり。あと、これが本命の用件だったんだろうけど、ヴィクトルがぼく達とどんな話をしたのか、差支えなければ教えてほしいって」

 エースはあの夜の会話をかいつまんで話した後、エディリーヌがフェルナンやエティエンヌ医師に言った、「資格がない」という言葉の具体的な意味がわからないか訊ねたという。フェルナンはため息をついて首を振り、どんなに問い詰めても、エディリーヌは決してそれ以上のことを言おうとはしないのだと答えた。

「フェルナンさんは、エディリーヌさんが猫の死に責任を感じてたんじゃないかって言うんだ」

「だって、あんなの、不可抗力じゃねえ」

「虐待にあったこと自体はそうだけど、出産が近づいたら家から出さないようにするとか、エディリーヌさんは専門知識があるだけに、後から悔いることがあったんじゃないかって」

「だからって、獣医になることまで断念するかなあ」

 エラリイは眉を寄せた。

「そんなこと言ったら、婚約解消はどうなるのさ。パスカルの死に責任感じてるってことか?」

 エースは片眉を上げた。実は、彼も同じことをフェルナンに訊いたらしい。

「そうしたら、彼もそれはないんじゃないかって。彼はパスカルの直属の後輩で、彼とのつながりは濃かった。でも、

パスカルの死の直前、パスカルとフェルナン、そして、パスカルとエディリーヌさんの関係は、かなり険悪になっていたようなんだ」



 死んだ人を悪く言ってはいけないといいますが、パスカル先輩は、人間としても、警察官としても、尊敬できる人ではありませんでした。

 ぼく達グランゼコールの卒業生は、新人なのに、いきなり叩き上げの先輩達より上の階級になるので、反感を持たれても仕方ないところはあると思います。でも、他の先輩方は仕事に私情を持ち込まないようにしているのに、パスカル先輩は仕事の上でも足を引っ張るようなことを平気でするんです。たとえば、重要な伝達事項があった時、たまたまぼくがその場にいなかったとします。パスカル先輩は、そんな時、絶対、その伝達事項を教えてくれないんです。後で、「あれ、おまえ、知らなかったの?」なんてすっとぼけられて、随分腹立たしい思いをしたことがあります。ぼくは、そういう、仕事に支障が出るような形で意地悪をする人間は嫌いですし、先輩にもはっきりそう言いました。

 そもそも先輩には、どういうつもりで警察官になったのか、理解に苦しむところがありました。

 パトロールをしていて、アフリカ系の(見た目がひ弱そうな)少年なんかを見つけると、いいがかりのような職務質問をかけて、ねちねちいたぶったり、路地に引きずり込んで暴力を振るったりするんです。ぼくがその場にいる時は全力で止めましたが、パトロールの組み合わせが違った日なんかは、署に帰ってきてから、よくそういう話を武勇伝のように語っていました。

 当然、ぼくは先輩のそういう人間性を軽蔑しました。先輩は、それでなくてもグランゼコール出に敵意を持っていますから、ぼくが学歴をかさにきて自分を馬鹿にしていると受け止めていたようですが、大学を出ていなくても尊敬できる先輩はいくらでもいます。

 今思えば、先輩の学歴コンプレックスは、エディリーヌに由来していたのかもしれません。ご存知のように、フランスには獣医大学が四つしかなく、エディリーヌはその一つであるリヨン大学に入学した才媛です。先輩は子供の頃からエディリーヌに好意を持っていましたが、一方で、男の自分が優位に立てない関係に苛立ちを感じていたようでした。それでいて、自分はこんな優れた女と親しいのだと、ぼくに見せびらかしたがるような、屈折したところもあったのです。

 ぼくが初めてエディリーヌに会ったのは、彼女が夏休みに帰省していた時でした。パスカル先輩が彼女を自分の恋人のようにいうので、ぼくは最初、こんな男とつきあっている女性なんてろくなものじゃなかろうと思っていました。しかし、すぐに、二人は恋人同士などではなく、パスカル先輩が勝手にそう言っているだけだとわかりました。

 誤解が解けると、彼女の人柄の美しさがぼくにも伝わり、ぼくらはあっという間に惹かれ合いました。そして、彼女が医師になったらすぐ結婚しようと約束したんです。

 獣医学部で学んだ者がいつ一人前の医者になるのか、外部の人間にはわかりにくいところがあります。学生の時から実際の診療に関わっているかと思えば、インターンやレジデントといった制度もあって複雑だからです。

 ぼくらは、彼女がパリに戻って、エティエンヌ先生のもとで働くようになったら一緒になるつもりでした。ぼくはその日を指折り数えて待っていたのに、突然、彼女から、獣医にはならない、あなたとも結婚できない、わたしにはその資格がないから、と言い渡されてしまったんです。ぼくは途方にくれました。これなら、まだリヨンで浮気された方がマシだとすら感じました。少なくとも、それなら納得できますからね。

 ぼくは、彼女の不可解な態度の裏にはパスカル先輩が影を落としているように思えてならないんです。

 先輩は、ぼく達の婚約を知ると、ぼくのこともエディリーヌのことも裏切者呼ばわりしました。ぼくにも当たり散らしましたが、エディリーヌにはもっと陰湿ないやがらせをしていたようです。

 エディリーヌは、ぼくと先輩の仲がこれ以上こじれて、仕事がやりにくくならないよう、極力隠していましたが(彼女はそういう気の遣い方をする人なんです)、携帯の番号を頻繁に変えたり、連絡をとるときは二人だけの暗号のようなものを決めたりするので、おかしいとは感じていたんです。

 一度など、クリスマス休暇中に、まるで自分の家ででもあるように、先輩が彼女の家に入り浸っていたことがあって、さすがに彼女の家族も閉口したようでした。ぼくも、ディナーに招かれた時に、先輩と顔を合わせた時の気まずさといったらありませんでした。

 しかし、エディリーヌ以外の家族にとってパスカルは昔なじみです。何よりヴィクトルを傷つけたくなくて、彼女は強い態度を取れなかったようです。

 そんな三すくみのような状態が続いていた矢先に、パスカルが死んだので、ぼくは正直、ホッとしたものです。これ

で、ぼくらを苦しめていた障害物がなくなったと。警察官としてあるまじき考えですが、あのヘビに感謝したい思いでした。

 なのに、なぜ、エディリーヌは、獣医をやめるとか、婚約を解消するなどと

いうのか……

 彼女もおそらく、一度はぼくと同じように、先輩がいなくなったらと考えたことがあったと思います。ところが、本当にパスカルが死んでしまったので、自分のせいのような気がしたんでしょうか。



 フェルナンはそこまで話すと、顔を両手で覆ってしまった。



「まあ、そりゃ、死んじまえと思った奴が、その後すぐ死んじまったら、後味悪いかもしんねえけど……」

 エラリイは首を傾げた。

「うん。非科学的だとわかってはいても、自分がそんなことを考えたせいみたいな気がしちゃうよね」

「だからって、就職や結婚までやめちまうか?」

「フェルナンさんがいうには、エディリーヌさんはそんな風に思い詰めかねない潔癖な性格なんだそうだ」

「馬鹿野郎。ノロケてんじゃねーよ」

「ぼくが言ったんじゃないだろう」

 エースは、眉を八の字にした。





 モンマルトルの丘の頂きに登るケーブル線の発着所で、竜導幸葉は小ぶりの本を読んでいた。おそらく、日本のブンコボンだろう。

「悪い、待った?」

 エラリイとエースが近づいて声をかけると、

「うひゃあ」

と飛び上がった。本を読んでいる時の幸葉は、周りが見えなくなるところがある。二人が来たことに全く気づかなかったようだ。

 三人はこれから、サクレ・クール寺院を見物に行くところだ。

 寺院は、急坂につくられたテラス式公園の上にあり、徒歩で階段を上って行くこともできる。そのルートは幸葉が断固拒否したので、彼らはケーブルに乗ることにした。ケーブルにはメトロのチケットで乗車することができる。

 テラスの最上段に着いて、寺院入口正面前で振り返ると、パリの街が一望できた。誰もが思わず歓声を上げるパノラマだ。

 観光名所ではあるが、サクレ・クール寺院には普通に信者が祈りに来、ミサも行われている。現に今も、何列も並んだ長椅子のあちこちで、手を合わせている人達がいた。

 そのうちの一人の亜麻色の髪に、エラリイは見覚えがあった。

「エディリーヌさんだ」

「どこ?」

 エースがささやき声で訊ねた。

「あの、髪の長い女の人。顔が見えないけど、多分そうだと思う」

「悪いけど、ぼくを紹介してくれないか? 聞きたいことがあるんだ」

 エースは、あまり自分からお節介を焼くタイプではなかったので、エラリイにはこの申し出が意外だった。

 幸葉が気を利かせて壁画の方へ歩いて

行ったので、エラリイはエースをエディリーヌのところへ連れて行った。エディリーヌは驚いたようだったが、ヴィクトルが世話になった礼を言い、エースが座れるよう位置をずらせた。

 エラリイが小走りに幸葉の傍らに戻ると、

「あたしのことなら、気を使わなくていいよ。これ見てるだけで面白いし」

「いいんだ。エースが何を話すつもりかしらねえけど、どうせ、おれ達が関わっても、どうこうなることじゃないから」

 エラリイはそう言って壁画に目を凝らした。が、やはり、二人が気になって、結局、幸葉の手を引いて、エース達のすぐ後の列に座った。

「何であたしまで」

「シッ」

 高い背もたれの陰に上体をかがめると、小柄な二人はとりあえず姿が隠れた。前の席の会話に耳をすませた途端、

「ル・レを殺したのは、パスカルだったんじゃありませんか?」

 ギョッとするようなエースの質問が飛び込んできた。

 エディリーヌの髪の先がぴくりと動いた気配を、エラリイは感じた。思わず顔を上げて、前列を覗き込む。

「なぜ、そんな風にお考えになったんですか?」

「全くの憶測です」

 エースはこういう時、まことに正直だ。

「パスカルさんの人柄について聞きかじったことから、彼は陰湿で底意地が悪く、弱い者いじめをする人のような印象を受けました。そういう人なら、動物虐待もするんじゃないかと。あなたが、ヴィクトルに、猫の件は預けてくれとおっしゃったのは、それがパスカルさんの仕業だと考えたからじゃないですか?」

 しばしの沈黙の後、次のような答えが返ってきた。

「パスカルは、ル・レのお腹を割いて胎児を引きずり出すところを動画にして、わたしの携帯に送ってきたんです。おれをコケにしていると、おまえの大事なものを一つずつこうしていってやるぞと、そういう意味のメッセージをつけて」

 エディリーヌの声が辛そうにかすれる。

「おっしゃる通り、パスカルにはサディスティックなところがあって、子供の頃から何となく怖かったんです。大人になるにつれて、彼はそれを巧みにカムフラージュする術を身につけていったので、わたしはますます恐怖を感じるようになりました。そんな彼が警察官になったのも不思議でしたが、その理由はすぐわかりました。彼は、権力という隠れ蓑がほしかったんです」

 エディリーヌの顎の線に、きっと力が入った。

「たとえば、動物を虐待死させても、警察官なら、なかったことにできるでしょう?」

「しかし、彼が動画を送ってきたのなら、それが動かぬ証拠になるんじゃないですか?」

 エラリイの眼前で、亜麻色の髪が揺れた。

「パスカルは悪知恵が働く人です。動画の送り主が自分だとわかるようなやり方はしませんよ」

 画面は巧みにトリミングされており、せいぜい、ナイフの刃先や、手袋をはめた指先が映っている程度だったという。

 ところどころ、字幕で入るメッセージも漠然とした言葉遣いで、自分とエディリーヌの間だけで通じる符牒が織り込まれていたそうだ。

「そんな動画をもとにパスカルを告発したら、どうなると思いますか? 警察は身内意識が強い組織です。パスカルが一言否定すれば、たちまちわたしは頭のおかしい女に仕立て上げられてしまいます」

「でも、パスカルはもういませんよね?」

エースが言った。

「彼はもう、あなたを脅かすことができないところへいってしまった。それなのに、なぜ、あなたは、獣医にならないの、フェルナンと結婚しないのとおっしゃるんですか?」

 それは、エラリイも聞きたいところだった。エディリーヌが黙っているので、エースがまた口を開いた。

「すみません。あなたとぼくは今日が初対面なのに、こんな詮索がましい質問をして。ただ、ぼくは、ヴィクトルに相談を受けていたので……もちろん、あなた達の問題を解決したりはできないでしょうが、あの子の気持ちを少しでも落ち着けてやれたらと」

 エラリイは息を詰めてエディリーヌの返事を待った。数秒の間をおいて、彼女が答えた。

「おっしゃる通り、パスカルは、もう誰のことも脅かせないところへいきました。わたしは、その代価を支払わねばならないんです」



「何だか、もってまわった言い方をする人だったなあ」

 下りのケーブルの中で、エラリイは口を尖らせた。

「資格がないとか、代価を支払うとか、ドラマの台詞みてえ」

「すみません、幸葉さん。観光が二の次になってしまって」

 エースが詫びると、幸葉は、

「そんなことないよ。天井の絵もゆっくり見れたし」

と言って、首筋をトントン叩いた。ドームの天井に描かれたキリストのモザイク画を見上げていたせいで、首が痛くなったようだ。

 幸葉がエディリーヌのことを詮索してこないのが、エラリイにはありがたかった。

(やっぱり、島国の人間は慎みってもんを知ってるぜ)

 エラリイとて、自分をさほど慎み深い人間だと思っているわけではないが、それでも、大陸の人間の自己主張の強さには辟易することがある。

「でも、西洋の人って、何で天井に絵を描きたがるの? 神様に見おろされてる感じがいいの?」

「え?」

 思いもかけない質問に、エラリイはどぎまぎした。

「さあ……何か、そんなもんだと思ってたから」

「あの、ドーム天井がそそるのかなあ。

あそこに何か描きたいって」

「うーん。帰ったら、セルジュに訊いてみようかな」

 セルジュは何と言うだろう。天井画の依頼がきたら、画家冥利につきると喜ぶだろうか。危ないの、首が痛いのとぼやくだろうか。



 あの人と話していて、カシオペア座の話を思い出した、とロフトに帰るとエースは言った。

「うろ覚えなんで違ってるかもしれないけど、カシオペアは何かで神の怒りをかって、椅子に縛りつけられたまま天空を永遠にまわらなきゃならなくなったみたいな話を聞いたような気がするんだ」

「昔の神様って大人気ねえから、そういう話が山ほどあるからな」

 エラリイは言った。

「で、エディリーヌさんの何が、カシオペアを思い出させたわけ?」

「上手く言えないんだけど、色んなしがらみにがんじがらめになってるような印象を受けたんだ」

「だから、あんな意味不明なことばっかり口走ってんのか?」

 エースは真面目な顔で頷いた。

「おそらく、あれが、彼女に言える精一杯なんだろう」

 エラリイには理解不能だ。

 パスカルがいなくなった今、エディリーヌは一体、何にがんじがらめになっているのだろう。



 薄くピンクがかった淡灰色の雲が、夕空とやわらかく溶け合っている。その下に佇む少年の姿に、エラリイはかすかな既視感を覚えた。

 ロフトの前に所在なげに立っている少年がヴィクトルだとわかると、エラリイにはその既視感のわけがわかった。

 セルジュが最初に描いた彼のスケッチだ。画家が筆のひと刷毛で表現した雲の色が、ちょうど今のような色合いだった。少年の悩ましげ悩ましげな表情も似通っている。

 自転車の前かごにのっていたブラックコーヒーが、素早く飛び降りて、ヴィクトルの方へ駈けていった。ヴィクトルがかがみ込んで喉を掻いてやると、ブラックコーヒーは気持ち良さそうに目を細めた。

 エラリイが自転車から降りると、少年は立ち上がって、ペコリと頭を下げた。

「ごめんなさい。この間、家まで送って貰った後、親にも姉さんにも叱られたんです。弁護士さんていうのはお金を払って相談しなきゃならない人なんだから、気安く頼っちゃだめだって。でも、ぼく、どうしていいかわからなくて、気がついたらここへ来ちゃってたんだ」

「別にかまわねえよ」

 エラリイは玄関の鍵を開けた。もっと悪いところへ行かれるより、はるかにマシだ。

「何か飲むか?」

 ヴィクトルをダイニングキッチンに招じ入れると、エラリイは訊いた。

「コーヒーがほしいな。エスプレッソじゃなくて、この間いれてくれたみたいなやつ」

「ドリップだな。オーケー」

 二人分のコーヒーをいれてテーブルに運ぶと、

「で、今度は何があったんだ?」

と訊ねた。

「姉さんが修道院に入るって言い出して」

「ハァ?」

 思いもかけない成り行きに、エラリイの声がひっくり返った。エディリーヌのストイックな佇まいに尼僧は似合うかもしれないが、これはまたどういう進路変更であろう。

「おまえの姉ちゃん、悪いけど、ホント、次から次から人騒がせな女だな」

 ヴィクトルは一瞬目を丸くしたが、ややあって、クスッと笑った。

「本当だね」

 昨夜、ヴィクトルは早々と寝室へ追いやられ、エディリーヌと両親の三人が遅くまで話し合っていたそうだ。

−−せめて、納得のいく説明をしなさい!

と父親が怒鳴る声が、一度だけ聞こえたという。

(また、わけのわかんねえこと言ってんだろうな)

 コーヒーを一口飲んでカップを置き、エラリイはヴィクトルの方に身を乗り出した。

「なあ、おまえんちはきっといい家庭で、これまでも家族仲良くやってきたんだろうから、そう簡単には割り切れないかもしんねえけど、もう、姉さんの人生は姉さんの人生でいいんじゃないか?」 

「……」

「もちろん、みんなでよく話し合ったり、説得したりはいいと思うよ。でも、本人がその上でどうしてもっつうんなら、しょうがねえんじゃねえかな」

「そうなのかもしれないね」

 ヴィクトルもいささか疲れた様子だった。ブラックコーヒーを抱き上げ、額の真ん中で白黒に毛色が分かれた顔に頬ずりした。

「ああ、ル・レが生きてた頃に戻りたいなあ。あの頃は何もかも上手くいってて、みんな幸せだった。特別なことは何もないけど、毎日が楽しかった」

 その様子をしばらく見つめて、エラリイは言った。

「よかったら、その猫、やろうか?」

「ダメだよ」

 ヴィクトルは慌てて、ブラックコーヒーを放した。

「そんなこと言ったら、ブラックコーヒーがかわいそうだよ。この子はもうあなたの猫なんだから。あなたが救けて、名前をつけて、今日まで面倒みてきたんじゃないか。この子はもう、ここが自分の家だと思っているよ。ぼくのことを思って言ってくれたのはわかるけど、そんなの、ブラックコーヒーに失礼だよ」

 ムキになって言い募る少年を見て、エラリイはしみじみ思った。

(ああ、こいつは本当に育ちがいいんだな)

 エラリイにとって「育ちがいい」とは、きちんと愛情に包まれて育ったという意味だ。そういう人間は、愛し愛されるということについて、具体的なイメージを持っている。夕飯時になっても戻ってこなければ心配する人がいるとか、家族として暮らすとはどういうことかとか。

 再び玄関ドアが開く音がした。ロフトの住人がまた一人帰ってきたのだ。

 ブラックコーヒーがダッと駈けてゆく。

「こら、そんなところにまつわりついたら歩きにくいよ」

という声の主はエースだった。

 彼はヴィクトルの姿を認めると、柔らかく微笑んだ。

「ボンジュール。いや、もうボンソワかな?」

「どっちでもいいよ。一日中ボンジュールって言ってる人もいれば、日が傾くとすぐボンソワになる人もいるし」

 ヴィクトルの返答に、エラリイは噴き出しそうになった。なるほど、たしかに、フランス語の挨拶にはそういうところがある。

 エースが自分の部屋へ向かうと、ブラックコーヒーも一緒にダイニングキッチンを歩き出ていった。ややあって、エースが楽な服に着替えて戻ってくると、

「あれ? 猫は?」

 ヴィクトルが訊いた。

「エラリイの部屋へ入っていったから、またキャリーケースにでももぐり込んでるんじゃないかな」

「キャリーケース?」

「ああ。ここに来た最初の日は、すぐこれにもぐりこんでた。今でもなにかというと入っちゃうよ」

「へえー。ル・レはキャリーケースを嫌がったから、予防注射の時なんか大変だったよ」

「見に行ってみるか?」

 エラリイが立ち上がり、エースとヴィクトルが後に続いた。

 三人が部屋に入ると、ブラックコーヒーはキャリーケースの扉から顔だけを覗かせたところだった。

 それを見て、ヴィクトルは声を立てて笑った。

「これって、『ロイロット』のケースじゃないんだね」

「ああ。ダンテが以前飼ってた猫のを借りてるんだ」

『ロイロット』のキャリーケースは、ピンクと白の二色使いだ。それが『ロイロット』のテーマカラーだった。フランシーヌがヘビを捕獲して当局に届けた時もその色のケースに入れていたと言ったのは、ダンテだったか。

「初めて『ロイロット』に行った時」

 エースが呟いた。

「エディリーヌさんがあの店の裏口から出ていくところだった」

「ああ、フランシーヌさんが送り出してたな」

 エラリイも思い出して言った。

 ヴィクトルが言う。

「きっと、フランシーヌさんがお客さんのペットを預かってあげた時だ。その子には特殊な持病があったんで、姉さんみたいにプロフェッショナルな知識を持ってる人間が様子を見てやらなきゃならなかったんだ。一週間ぐらい、毎日のように通ってたから、母さんはちょっとおかんむりだった。タダでいいように使われてるって」

「そんな長いこと、飼い主はどうしてたんだ?」

 エラリイは思わず訊いた。

「おれ達が見かけた頃なら、もうバカンスのシーズンじゃなかったけど」

「うん、つい最近だよ。ちょうど……」

 ヴィクトルはハッとしたように口籠った。

「パスカルが死ぬ直前だった」



 その晩、エースはいつになく遅くまでダイニングキッチンにいた。

 コーヒーを飲みに降りてきたエラリイは、彼がまだそこにいるのを見て驚いた。

「もしかして、ずっとそこに座ってたの?」

「うん」

 エラリイはコーヒーを二人分いれて、カップの一つをエースの前に置いた。

「どうしたんだよ?」

 言いながら、彼もエースの向かいに座った。

「ダンテを待ってるんだ」

「ダンテ?」

 エラリイは狐につままれたような気分でコーヒーを飲んだ。どんな用事があるのか、まるで見当がつかない。

 ダンテが帰宅したのは、真夜中に近い刻限だった。

「ボンソワ。おや、珍しく夜更かしだね、お二人さん」

「きみを待ってたんだ」

 エースは言った。

「おれは待ってないぞ」

 エラリイが言うと、ダンテはハハッと笑った。

「何か深刻そうな雰囲気だな」

「きみ、『ロイロット』の店長さんだったフランシーヌさんの連絡先を知らないか?」

「自宅の場所なら知ってるよ」

 こともなげに答える。

「一度、送ってったことがあるんだ。もちろん、門前払いだったけど」

「案内して貰えないだろうか」

「いいけど」

 ダンテはあっさり承知した。イタリア人にはこういう気さくさがある。

 エースが早い方がいいと言うので、翌日、午後五時に、ダンテに事務所の前まで迎えに来て貰うことになった。



 サントリーニブルーの車が停まったのは、庭のマロニエが目を引く二階建ての家の前だった。

「すげえ。戸建てなんだな」

 エラリイが感心したように言うと、

「両親が遺してくれた家なんだそうだ。動物を自宅で預かることもあるから、アパルトマンじゃまずいらしい」

 ダンテが説明した。

 勝手知ったるという足取りで、彼は黄葉したマロニエのアーチをくぐってドアの前に立った。

 ブザーの音に応えてドアを開けたフランシーヌは、いつにもまして硬い表情をしていた。

「突然、ごめん。こいつら、おれのルームメイトなんだ。何か大事な話があるみたいだから、聞いてやってよ」

 ダンテは屈託なく言うと、さっと身を翻して車に戻って行った。フランシーヌは小さくため息をついて、二人を招じ入れた。

 一応、応接セットに座らせてくれたが、飲物を出す気はないようだ。

「大事なお話って何ですの?」

 温度の感じられない声で言う

「申し訳ありません。実は、ぼく達、最近、エディリーヌさんの弟のヴィクトルと知り合って、悩みを打ち明けて貰える程度に親しくなったんです」

 エースが口を切った。

「悩み? 可愛がっていた猫が無残に殺されたことですか?」

「それもありますが、今はむしろそれに続く一連の出来事−−エディリーヌさんが獣医にならないと言い出したり、フェルナンさんとの婚約を解消したことに胸を痛めているようです」

「わたしもそれにはびっくりさせられました」

 フランシーヌは抑揚のない声で言った。

「随分説得もしたんですが、エディリーヌには、一度こうと決めたらテコでも動かないところがあって」

 白い指がものうげに、まっすぐな髪をかきあげる。

「エディリーヌさんは、理由を訊かれても、資格がないからとしかおっしゃらないんだそうです。どういう意味だか、おわかりになりますか?」

 フランシーヌは首を振った。

「わたしにも、それ以上のことは何も。エディリーヌ本人に聞いて頂くしかありませんわ。話してくれるかどうかはわかりませんが」

「先日、サクレ・クール寺院で偶然、エディリーヌさんに会いました」

 エースは言った。

「その時に同じことを訊ねましたが、彼女の答はこうでした。パスカルさんはもう誰のことも脅かせないところへ行った。自分はその代価を支払わなければならないと」

 フランシーヌは瞬きもせずに聞いていた。

「それで?」

「エディリーヌさん一家が可愛がっていた猫を殺したのはパスカルだということはご存じですか?」

「ええ。彼はエディリーヌのことが好きだったんです。彼女がフェルナンと婚約したことを逆恨みしたんですわ」

「パスカルは、猫を殺す場面の動画をエディリーヌさんの携帯に送りつけました。第三者には送信者が誰だかわからないよう巧みに編集し、しかも、エディリーヌさんにだけ伝わるような脅迫的なメッセージが添えられていたそうです」

 フランシーヌは額に手を当てた。

「パスカルには一、二度会ったことがあります。何だか、偏執狂的な目をした人だと感じたのを覚えています。でも、まさか、それほどとは」

「ここまでの話だけからすると、エディリーヌさんはパスカルの脅しに屈して、獣医になることを断念したり、フェルナンさんとの婚約を解消したように見えます」

 エースは胸ポケットから、折りたたんだ紙片を取り出した。

「ただ、それだと、時間の順番がおかしくなるんですよね」

 彼は紙片を、フランシーヌにも見えるように広げた。どうやら、あの時系列表らしい。

「エディリーヌさんが獣医にならないと言い出したり、婚約を解消したのは、パスカルさんが毒ヘビに咬まれて亡くなった後なんですよ」

「失礼ですが、先生が何をおっしゃりたいのか、よくわからないんですけど」

 フランシーヌは、また髪をかきあげた。

「そうですか? 彼女を苦しめていたのがパスカルだったなら、その彼が亡くなった後に、彼女が自分の道を枉げる必要はないはずですよね」

「本人にそのことを訊ねなかったんですか?」

「訊きましたよ。彼女は、その理由を、パスカルが誰のことも脅かせないところへいったことの代価だと言ったんです」

 フランシーヌはため息をついた。

「エディリーヌは時々、そういう芝居がかった物言いをするんです。普段は飾り気のない性格なのに。結局、秘密主義なんでしょうね。自分のことをダイレクトに話せないんです」

「では、あなたが『ロイロット』をたたんだのはなぜですか? 聞くところによると、あなたはお客さんの一人に、ご自分はもう動物を扱う資格がなくなったとおっしゃったそうですが」

「そんなことを先生にお話する必要がありますの?」

「できればお聞かせ下さい。エディリーヌさんのことと無関係だとは思えないので」

 フランシーヌは微苦笑を浮かべて小首を傾げた。

「それこそ無関係ですわ。うちは、エティエンヌ先生のところのように、エディリーヌが獣医になったらどうこうという約束をしていたわけでもありませんし」

「しかし、時期があまりにも近接していますよね。しかも、お二人とも、『資格がない』という言葉を使っていらっしゃる」

「それは偶然の一致ですわ。言葉遣いについては、エディリーヌにつられたようなところがあったかもしれませんけど」

「では、あなたの『資格がない』は、どういう意味でおっしゃったんですか?」

「言葉の通りですわ」

(この女、のらくらかわしやがって)

 エラリイはじりじりしてきたが、ここは慎重に話を進めねばならない場面だ。とりあえずエースに任せて口を噤んでいることにした。

「エラリイとぼくが初めて『ロイロット』へ行った時」

 エースが呟くように言った。

「あなたは店の裏口からエディリーヌさんを送り出すところだった。ヘビを捕獲する高枝切り鋏のような道具を持って」

「あら、そうでしたかしら」

「あれは、パスカルさんがヘビに咬まれて死ぬ前日だった」

「……」

「ヴィクトルに聞いたんですが、その一週間ぐらい前から、エディリーヌさんは『ロイロット』に詰めていたそうですね。あなたがお客さんから預かった動物の面倒をみるために」

「ええ。その子には特殊な持病があったんで、うちでは預かれませんと断ったんですが、どうしてもと頼まれたんです。エディリーヌが協力を申し出てくれたので、本当に助かりました」

「その動物って、何だったんでしょう?」

「それこそ、わたしの口からは申し上げられませんわ。お客様の個人情報になりますから」

「ラッセルクサリヘビだったのではありませんか?」

 エースの問に、フランシーヌは柳眉を逆立てた。

「先生、さっきから、一体何をお訊きになってるんですの?」

 エースはまた時系列表を広げた。最初に書かれたことの他に、いくつかの項目や日時が書き加えられているようだ。

「素人考えではありますが、ぼくは、あのヘビがこの時季のパリでなぜこれほど長く生き延びられたのか、不思議でならないんです。パスカルが死んだ夜から、あなたが捕獲するまででも二週間近くありましたよね?」

「それは……爬虫類だからといって、寒い場所に放り出されたらすぐ死んでしまうわけではありませんわ。そちらの先生にはお話ししたことがあると思いますが」

 フランシーヌはちらりとエラリイを見やった。

「人間だって、極寒の雪山で、救助がくるまで何日も生き延びることがあるでしょう? それと同じようなことなんじゃないでしょうか」

 その例えに、エラリイは確かに聞き覚えがあった。思えば、あの日が、『ロイロット』へ行った最後ではなかったか。

「それに、熱帯といえども、最寒期には気温が一八℃ぐらいまで下がるんです。逆に、今頃のパリでも、暖かい日の日中は、それぐらいになりますよね」

「でも、日が傾くと、気温はぐっと下がりますよ。パリは都会ですから、人工的に暖かくなっているところもあるでしょうが、パスカルさんが咬まれたのは夜の戸外です。紐のようなものを見つけて触ろうとしたのなら、ヘビはしばらくの間そこにいたことになります。爬虫類の体感はぼくにはわかりませんが、かなり凍えていたんじゃないでしょうか。パスカルさんに咬みついたのは、咄嗟の反射行動だとしても、その状態ですぐ暖気のある場所へ移動できるものでしょうか?」

「さあ、わたしも、ラッセルクサリヘビの生態に−−それもかなりイレギュラーな状況下での−−に、それほど詳しいわけではありませんから。ただ、現実にはヘビは生きていたんですから、どうにかして命をつないだんでしょうね」

「あるいは、ヘビはパリの街を徘徊してなどいなかった。パスカルさんを咬み殺した前後は、どこかで保護されていたとしたら−−」

 陶器の人形のようなフランシーヌの顔に細かいひびが入るのを、エラリイは見たような気がした。何か言い返そうと唇が動いたが、声にはならない。嘘をつきなれていない人なのだとエラリイは思った。

 エースが静かな声で続ける。

「あのヘビが、インドから貨物か何かに紛れ込んでパリにやってくるということも、ありえなくははないかもしれませんが、やはり、パリかその近郊の飼育施設から逃げ出したと考える方が自然だと思います。それなのに、あなたがヘビを見つけた後、どこも名乗りをあげないのは、少しおかしい気がするんですよ」

「人が……咬み殺されたりしたので、怖くなったんじゃありませんか? 責任をとらされたり、罰せられたりしそうで」

 フランシーヌは喘ぐように言った。

「だからって、隠しおおせるものでもないでしょう。そういう意味でも、ヘビを所持していたのは個人かもしれない」

「その個人がわたしのお客様だとおっしゃるんですか?」

「いえ。お客さんから預かった動物に厄介な持病があったというのは、口裏合わせの作り話ではないかと、ぼくは思っています」

 エースは悪怯れもせずに言った。

「大変失礼な推測をしていることは重々承知です。ですが、あなたがヘビを入手し、一週間かけてご自身とエディリーヌさんに慣らし、あの夜、ヘビを連れてパスカルさんに会いに行ったというのが本当だったのではないですか? ヘビがパスカルさんを咬み殺すと、あなたはまたヘビを引き取り、頃合いを見計らって当局に届け出た。そう考えると、ヘビに関して不審に思ったこと全てに説明がつく気がするんです」

「それは、つまり、わたしがあのヘビに、パスカルを咬み殺させたとおっしゃってるの?」

「そこまでは、ぼくにはわかりません。パスカルさんから直接被害を受けていたのはエディリーヌさんのようですから、あの人が無関係だとは思えません。あれが殺人だったとするなら、お二人は何らかの共犯関係にあったというところでしょうか」

「違います!」

という声と共にドアが開けはなされた。

 三人が揃って振り向くと、エディリーヌが戸口に仁王立ちになっていた。エースとフランシーヌのやりとりが緊迫してきたので、誰もエディリーヌがやって来た気配に気づかなかったのだ。

「違います。フランシーヌはわたしに騙されて、研究のためと信じて、ヘビの面倒を見てくれたんです。共犯なんかじゃありません」

「エディリーヌ、黙って。この人は憶測でものを言っているにすぎないのよ。余計なことを言っちゃダメ」

 エディリーヌは首を振って、友人に歩み寄った。

「警察はバカじゃない。ちゃんとあれを事件として捜査してる。この間、フェルナンが言ってたの。今、この一か月ぐらいの税関の記録を調べて、ラッセルクサリヘビを輸入した事業者を探してるって。EU域内で取引してる事業者なら登録識別(EORI)ナンバーを持ってるから、それをたどればヘビをパリに持ち込んだ者を特定できるそうよ」

 フェルナンは、何とかエディリーヌを翻意させようと、しばしば彼女のもとを訪れているようだ。そして、彼女を説得するために、

−−ぼく達は必ず、パスカル先輩がなぜあんな死に方をしたのか、解明する。だから、きみが変な負い目を感じる必要はないんだ。

と言ったらしい。

「わたし、愚かだったわ。長年の夢だった仕事を捨てて、愛する人ともお別れして、残る人生を神様に仕えて暮せば、知らん顔をしていられるなんて、そんな虫のいい話が通るわけないのに」

「エディリーヌ」

 エディリーヌは顔を上げた。

「わたし、これから警察に行きます。でも、絶対、あなたに迷惑はかけない」

 フランシーヌは苦笑した。

「エディリーヌったら、自分の甘さを認めたそばから、もうそんなことを言ってるんだから。実際にわたしが関わっている以上、警察は必ずつきとめるわ」

「だから、それはわたしが巻き込んだからで」

「そんな話、通るわけないでしょ。現に、たった今、わたし達が考えたシナリオの一つが、いとも簡単に見破られたばかりじゃない」

 フランシーヌは、エースに向き直った。

「先生。エディリーヌをパスカルから解放するためにあのヘビを使うことを考えついたのは、わたしなんです」

 エースは人差し指を合わせて、言った。

「お二人とも、とりあえず、かばいっこはなしで事実だけをありのまま話して頂けませんか。ぼくは官憲ではないので、何を聞いても告発する義務はありません。エディリーヌさんが警察に行くとおっしゃるのなら、事実関係を把握した上で、どのように話したらいいかを考えましょう。といっても、黒を白と言いくるめるわけじゃありません。犯罪にあたる行為をしたのなら処罰されなければなりませんが、必要以上に重い処分を受けることもありません。言い方一つで不当な処罰を受けることにならないよう、考えようというだけです」

「では、まず、わたしから話させて頂きます」

 フランシーヌが、エディリーヌを押しのけるように、ずいと前に出た。



 わたしがこの件に関わったのは、パスカルのことでエディリーヌから相談を受けたのがきっかけでした。

 パスカルは卑劣な男です。

 幼なじみだというだけで、エディリーヌが自分を思っているものと勝手に思い込み、彼女がフェルナンと愛し合うようになると、心変わりしたの、裏切られたのと、被害妄想を抱くようになりました。パスカルには根深い学歴コンプレックスがあったようで、フェルナンもエディリーヌも高学歴だったことが、よけいに彼の神経を逆撫でしたんでしょう。

 彼は、エディリーヌにいやがらせメールを送ったり、彼女がパリに戻る度にしつこくつきまとうようになりました。パスカルの家とエディリーヌの家は子供の頃から家族ぐるみのつきあいをしてきたので、エディリーヌは自分の家族に相談することができなかったんです。それをいいことに、パスカルの行為はどんどんエスカレートし、ついには彼女の家の飼い猫を殺してしまいました。それも、到底許せないような残酷なやり方で。

 わたしが彼に目にもの見せてやらねばならないと決意したのはこの時です。

 わたしが立てた計画はこうでした。

 エディリーヌが人気のない場所にパスカルを呼び出し、そこへわたしがラッセルクサリヘビの入ったキャリーケースを持って会いに行く。パスカルがケースの中の動物に手をださなければそれでよし、出せばヘビの毒牙にかかるしかないでしょう。わたしは、彼にもチャンスを与えるつもりだったんです。

 エディリーヌは、自分のことなので、自分で落し前をつけると言い張りました。ヘビを自宅に連れ帰って、何もかも一人でやると。それはいくら何でも現実的ではありませんよね。ヘビの入ったキャリーケースはかなり大きいので、当然家族の目を引くでしょう。万一、ヘビが暴れたり、ケースから飛び出したりしたら、思わぬ被害が出る可能性もあります。アリバイという点でも、エディリーヌが自宅から行き帰りするのは得策ではありません。彼女が外出した時間と、パスカルの死亡推定時刻が重なっていることに、おそらく家族が真っ先に気づくでしょう。

 そこで、ヘビは『ロイロット』に置き、エディリーヌには前日からわたしの家に泊まりに来て貰って、当日はわたしの車で待ち合わせ場所に向かいました。レンタカーを使うことも考えましたが、どうせ借りる時に免許証を出さなけばならないので、たいした違いはないと思ったんです。もちろん、ナンバープレートの数字を汚しておく程度の細工はしました。

 エディリーヌがパスカルに会っている間、わたしは少し離れた場所に車を停めて待っていました。そのあたりの店舗は皆シャッターを降ろしていましたし、アパルトマンも通りに面した窓は鎧戸が閉められていました。目撃者はいなかったと断言できます。



「そこからは、わたしが話します」

と、エディリーヌが続きを引き取った。



 パスカルは時間通りにやってきました。わたしはキャリーケースを抱えて、黙って立っていました。パスカルは、

−−とうとう、おれのもとに戻って来る気になったか?

などと、一人であれこれしゃべっていましたが、そのうち、キャリーケースに目をやりました。

−−何だ、もう次の動物を飼ってるのか?

今度のは少し大きいな。犬か? 護身用に連れてきたってわけか?

 パスカルの目に残忍な光が宿りました。ル・レを殺した時の快感のようなものを思い出したんでしょうか。

−−だが、この程度の犬なら……

 彼はキャリーケースの扉を開けると、素早く手を突っ込み、次の瞬間、

「ぎゃっ」

と悲鳴を上げて、手を引きました。

 おそらく、彼には何が起ったのかわからなかったと思います。ケースの中に手を入れたらいきなり激痛に襲われ、慌ててその手を引くと、まだら模様の紐のようなものがするすると伸びてきた。それが何なのか認識する間もなく、毒による苦痛に苛まれ、意識が朦朧としてしまったのではないでしょうか。彼がパトロール中の同僚に行き会わせても、「まだらの紐」としか言えなかったのはそのためだと思います。

 パスカルがよろめき去ってしまうと、わたしは、かねて調教していたとおり、口笛でヘビを呼び戻そうとしました。でも、情けないことに、唇の間で息がひゅうひゅういうだけで、音にはなりません。フランシーヌが車から飛び出して、ヘビをケースに戻してくれなかったらどうなっていたかと、自分が情けなくなりました。

 わたし達は車に転がり込むと一目散に『ロイロット』に逃げ帰り、二階の飼育室に置いてあったケージにヘビを入れました。ケージを毛布で覆ってパネルヒーターをつけると、ヘビが段々落ち着いてくるのがわかりました。それにつれて、わたしも自分が何をしてしまったのか、その重みに思い至ったのです。



 エディリーヌはそこまで話すと、両腕で自分の身体をかき抱いた。細い体が小刻みに震えている。

「すみませんが、少し確認させて頂けますか?」

 エースは言った。

「あなたがパスカルさんと会っていた間のことですが、あなたの方は何も言わずに、ただ立っていたんですか?」 

「はい。彼が一人でしゃべって、キャリーケースの中に手を入れたんです。パスカルは腕力があるので、中の動物を引きずり出して捕まえておけると思ったんでしょう。わたしがいうことをきかなければ、目の前で動物にひどいことをするつもりだったんだと思います」

「パスカルさんがケースに手を伸ばした時も、あなたは何もおっしゃらなかったんですね」

「『やめて』と言おうと思ったんですが、口を開く前に彼が手を突っ込んでしまったんです」

「ヘビをパスカルさんにけしかけるようなことを何かしませんでしたか? 音を立てたり、ケースをゆすったり」

「いいえ。あの子への合図は口笛だけです」

 フランシーヌが怪訝そうにエースを見つめている。エラリイには、彼が何を確かめたがっているのかわかった。エディリーヌがキャリーケースを抱えて立っていただけなら、それを殺人行為といえるかが法律上の争点の一つになる。考えようによっては、パスカルが勝手にケースに手を突っ込んで毒ヘビに咬まれただけといえないこともない。

 問題は、中に危険な動物が入っていることを告げなかった不作為が、銃で人を撃ったり、ナイフで心臓を一突きにする行為と同視できるかだ。

 エースは、今度はフランシーヌに訊ねた。

「あなたがエディリーヌさんに相談を受け、その解決法として、毒ヘビにパスカルさんを咬み殺させようと思いついたのはなぜですか?」

「それは……直接の死因が動物なら、事故として処理される可能性が高いからです」

「それにしても、わざわざインドから危険な毒ヘビを取り寄せるのは手間だったでしょう」

「パスカルがいったん手を出したら、確実に死に至らしめる動物でないと困るからです。助かって、わたし達のことをベラベラしゃべられては具合が悪いですから」

 フランシーヌの両眼は、白目の部分が妙に青みがかって、ちろちろ炎が燃えているようだった。

「それに、毒ヘビを使うことは、わたし達にとっても危険なことでした。いつ、自分達が毒牙にかかるかわからなかったからです。もしわたし達が間違っているなら、神様は、ヘビにわたし達を咬ませるでしょう。逆に、パスカルがケースの中の動物に手を出さなければ、死ななくてすんだはずです。わたし達は、双方に平等にチャンスとリスクを割り振ったんです」

「フェアプレイってわけかよ」

 エラリイは背筋に寒さを感じた。

「人殺しはスポーツじゃないぜ」

 エディリーヌが両手で顔を覆った。

「おっしゃる通りです。パスカルがヘビに咬まれた時の、恐怖と苦痛に歪んだ顔。あれを見た瞬間、わたしは自分のしたことを思い知りました。よく、『殺してやる』と言ったり思ったりするのと、実際に殺すのは大違いだといいますよね。猛毒におかされた彼の断末魔を目の当たりにして、わたしは自分が越えてはいけない一線を越えてしまったことを悟ったんです」

「わたしは、パスカルを殺したこと自体は後悔していません」

 フランシーヌは冷ややかに言い放った。

「あんな男は、死んだ方が世のため人のためです」

 ヴィクトルは、彼女を情の厚い女性だと言っていたが、エラリイには、爬虫類よりはるかに冷たい動物に見えた。

 その目がフッと伏せられた。

「でも、彼を抹殺するために動物を使ったことは悔やんでいます。熱帯に棲息するヘビを、どんどん寒くなる時季のパリへ連れて来て、エディリーヌとわたしのいうことをきくように手なずけ、パスカルを咬み殺させてしまった。そして、パリ市民を安心させるためとはいえ、見知らぬ他人にあの子を引き渡してしまいました。あの子のストレスはどれほどだったでしょう。あの子をそんな目に合わせた自分に、これ以上動物を扱う仕事をする資格はないと思い、店をたたんだんです」

 なるほど、「資格がない」とはそういうことだったのか。エディリーヌが獣医にならないと決めたのも同じ理由だろうか。

 人の命よりも動物のストレスの方が気がかりなのかと眉をひそめられそうな物言いだが、動物を飼っている者なら、さほど違和感を感じないかもしれない。彼らだって、人間と同じ生き物なのだ。案外、この事件で一番迷惑を被ったのは、凶器に使われたヘビかもしれない。

「フランシーヌさん、一つお聞きしたいのですが、パスカルさんがあの場面でケースの中の動物に手を出す確率はどれくらいだと思っていらっしゃいましたか?」

 エースの問に、

「一〇〇パーセントです」

 フランシーヌはきっぱりと答えた。

「エディリーヌはフィフティフィフティだと思いたがっていましたが、わたしは必ず手を出すと確信していました。彼は、ル・レにあんなことをした人間です。エディリーヌがいいなりにならなければ、同じことをしようとするに決まっています」

「パスカルさんがケースに手を出そうとしなかった場合は、どうするつもりだったんですか? たとえば、パスカルさんが言葉だけでしつこくエディリーヌさんを責め立てたり、脅迫めいたことをしたら?」

「ヘビをけしかけるつもりだったのかという意味なら、そんなことをするつもりはありませんでした」

 エディリーヌが、エースをまっすぐ見つめて言った。

「言葉の暴力としかいいようのないモンを浴びせられたら? あるいは、あいつがあんた自身に直接暴力を振るおうとしたら?」

 エラリイの問に、エディリーヌは、今度は彼をひたと見すえた。

「もちろん、その場合もです」

 確かに、この人は頑ななまでに行動を起こさないだろうと、彼も思う。だが、じれたパスカルが彼女の体をつかんだ拍子に、ケースが開いてヘビが出てくる可能性ぐらいは予測していたのではないか。それに、彼女の身が危ないと見たフランシーヌが、車の中でじっとしているとも思えない。二人がヘビをどう調教したのかは知らないが、ウインドウを開けて合図の口笛を吹いたら……

 やはり、「わたしは毒ヘビの入ったキャリーケースを持って、黙って立っていただけでした」という言い分は通りそうにない。エラリイがそう考えて、かすかにかぶりを振った時、

「そんな風にエディリーヌを責め立てないで!」

 フランシーヌが叫んだ。鞭でピシリと打つような鋭い響きだった。

「あなた達男が、セクハラやストーカーや性犯罪を、自分達の下世話な興味を満足させるストーリーみたいに扱わなかったら、わたし達だってこんなことしやしなかったわ」

 フランシーヌの瞳はきらきらと輝き、頬には紅く血がさしている。怒った時に一番きれいに見える女性を、エラリイは初めて見た。

 彼女の両手は強く組み合わせられ、胸が小さく上下している。ヴィクトルが言った通りだ。一見クールに見える彼女の中には、熱い情念が秘められている。

「エディリーヌが自首すると言い出した時、わたしは必死に止めました。警察があてにならないからこそ、わたし達はこんなことをしたんじゃないかって。事前に、パスカルからストーカー被害を受けて困っていると相談して、きちんと対応して貰えるなら、そうしてたでしょう?、実際には、何もして貰えないばかりか、被害者であるあなたが貶められ、傷つけられるだけだってわかっていたから、こうしたんじゃないって」

 フランシーヌの両眼は燃え立つようだった。

「あなたは……今おっしゃったような経験をなさったことがあるんですね」

と、エースが訊ねるまでもなく、そうであることがエラリイにも想像できた。

「ええ。直接の被害者は妹でしたけど」



 妹は、ごく普通に可愛い女の子でした。派手に人目をひくタイプではありませんが、親しみやすくて明るい子だったので、年頃になるとアプローチしてくる男の子もいたようです。でも、本人はそういうことには奥手というか、面倒な恋愛より本を読んでいる方が好きな子だったんで、相手にされなかった男の子の中には、そんな妹を、「お高くとまっている」と誤解する子もいました。妹は単にそういうことに興味が持てなかっただけなのに。

 しかし、そんな妹の態度が、ある一人の男をひどく刺激してしまったのです。

 その男は最初、からかい半分の軽い気持ちで妹にちょっかいを出したんだと思います。妹が驚いたり、困ってドギマギするのを見れば、それで満足だったんでしょう。でも、妹がきっぱりと黙殺したので、プライドが傷ついたのです。

 彼は妹にしつこくつきまとい、次第に陰湿ないやがらせをするようになりました。妹はこのことを誰にも話せませんでした。なぜなら、彼はその当時、わたしとつきあっていたからです。

 彼はうちに遊びに来た時も、隙を見ては妹にせまっていたので、ある日とうとう、わたしもその場面を目撃しました。

 正直、眉間を殴られたようなショックを受けましたよ。わたしは男をたたき出し、二度と来るなと言い渡しました。

 その時、初めて妹から全てを打ち明けられ、さらなる打撃を受けました。あの男は地元の不良グループとグルになって、何度となく妹を人気のない場所に連れ込み、服を脱がせたり、卑猥なポーズをとるよう強要していたのです。

 わたしは、妹と一緒に警察へ行きました。その日、わたし達の話を聴いた警官は最悪でした。わたし達が姉妹で一人の男を取り合ったあげく、今度はかわいさ余って憎さ百倍になり、二人して彼を陥れようとしていると決めつけたのです。

 何を言っても曲解され、揚げ足をとられて、そういう話に持っていこうとされるので、その日はあきらめていったん帰宅しました。

 妹は打ちのめされて寝込んでしまったので、翌日、わたしは一人でまた警察へ行きました。昨日とは違う担当者なら、ちゃんと話を聴いてくれると思ったのです。

 その日の担当者は、一応、わたしの話を最後まで聞いてくれました。でも、もっと確たる証拠がないと警察は動けないとか、もう少し様子を見てとか、まるで逃げ腰なんです。わたしはまたも、虚しく市警本部を後にしました。

 そんな風に、わたし達が警察に相手にされないのを見て、彼はさらに卑劣な手段に出ました。彼が撮影しておいた妹の動画や写真を、ネットに投稿したんです。画面には妹しか映っておらず、彼女を脅してそんな行為をさせた人達は皆、フレームの外にいました。妹の顔にはスマイルマークのような画像が貼り付けられ、そのせいで、彼女が喜々として裸になったり、卑猥なポーズを取ったりしているように見えるんです。しかも、映っている人物が妹だとわかるだけの情報は、巧みに盛り込まれていました。

 コメント欄には、目を覆いたくなるようなひどい言葉が並びました。男性のは、「ぼくにもおめこの写真撮らせて」というような下卑たものがほとんどでしたが、女性は辛辣でした。「被害者ぶっているけど、自分が淫乱なだけじゃないの」「姉の方も、二股かけられた腹いせに、警察に訴えるなんて、最低」

 わたし達はこうして、何重にも傷つけられたんです。



「妹は自殺しました。たった一四歳で。あの子が一体何をしたっていうんです? 恋愛に人並みの興味を持てなかったのが、そんなにいけないことなんですか? 姉のボーイフレンドにモーションをかけられて、応じてはいけないと思ったのが悪いことなんですか? それが一人の男のつまらないプライドを傷つけたからといって、なぜ、妹がああまで汚され、貶められ、傷つけられなければならなかったんですか? わたしは、エディリーヌに同じ思いをさせたくなかった。最初はわたし一人でパスカルを始末するつもりだったんです。でも、エディリーヌはすぐわたしの意図に気づき、自分のことなのにわたしだけに手を汚させるわけにはいかないと頑張りました。それで、わたし達は協力して事にあたることになったんです」

 フランシーヌは頭を振った。

「でも、やっぱり、わたしだけでやるべきだった。潔癖なエディリーヌは、自分を罰するように、幸せを次々に手放して」

 最後の方は声が崩れて、涙にのみ込まれた。もしかすると、エディリーヌよりフランシーヌの方が感情の量が多いのかもしれない。

「ごめんなさい」

 エディリーヌも声を湿らせた。

「でも、わたしはやっぱりパスカルを殺したのよ」

「殺したのはヘビよ。そう割りきって貰うために、色々手間をかけたのに」

「ごめんなさい」

 エディリーヌの化粧けのない唇がふるえた。仕事がら、せいぜい無味無臭のリップぐらいしか塗れないのだろう。

 フランシーヌはもはや泣き叫んでいた。

「裁判になったら、誰がわかってくれるっていうの? あなたがどんなに追いつめられていたか。しょっちゅう送りつけられるいやがらせメール、帰省すればしつこくつきまとわれ、極めつけは、愛猫が無残に殺される動画を見せられる。それが、どれほど神経をズタズタにしたか。みんな、歪められ、興味本位の視線にさらされるわ。あなただけじゃない。ご両親やヴィクトルもひどい目に合うのよ。それでもいいなら、勝手になさい」

 張り詰めた沈黙が室内に満ちた。エディリーヌがどちらに転ぶか、エラリイには予想できなかった。自分のことだけなら、彼女は決して迷わないだろう。だが、他人に影響が及ぶことを考えると、たちまちがんじがらめになってしまう。そう、カシオペアのように。

 エースが静かに立ち上がった。

「行こう、エラリイ。後は二人でよく考えて決めて貰うしかない」

「え?」

 こいつには珍しく強引に押しかけて来たのに、こんな中途半端で引き下がるのか?

 エラリイが目で問うと、こんな答が返ってきた。

「ぼく達に何が言える? ぼくには、フランシーヌさんの嘗めた辛酸も、エディリーヌさんの苦痛も、体感できない。ぼくの人生にはそういう具体的な経験がないからだ。安全地帯から傍観しているだけの立場だからだよ。自分には想像もつかない痛みをわかったように云々するのは、傲慢なんだ」

 エースはエラリイの手を引くと、挨拶もそこそこに、フランシーヌの家を辞去した。

 小門に続くマロニエの小道を歩きながら、エラリイは、

「いいのか?」

と訊いた。

「多分……二人とも聡明な人だから」

 門の前には、あたりを何度も走り回っていたらしいダンテの車が、ちょうど停車したところだった。




 その後のことは、報道でしか知ることはなかった。

 二人の女性の自首は一大ニュースになってパリを騒がせた。フランシーヌの妹の事件も、改めて蒸し返された。ただ、今回は、一四歳の少女を自殺に追い込んだ者達に対する怒りの声も少なからず上がり、市警本部は被害者対策体制の見直しを表明した。

 二週間ほどして、ヴィクトルがロフトを訪ねて来た。両親と共にパリを離れることになったという。

「自首する前に、姉さんに先生達のこと訊かれたんだ。どんな人達なんだって。特に何かしてくれたわけじゃないけど、ぼくが行くと家に入れてくれて、親身に話を聴いてくれた。おいしいコーヒーを飲ませてくれたりして、気持ちを落ち着かせてくれたって言ったら、小さく頷いて、それからすぐ警察へ行ったみたいだった」

(どうせ、特に何にもできなかったよ)

 エラリイは苦笑した。

「ぼく、向こうへ行ったら、また猫を飼おうかな。先生みたいに野良猫を拾うか、保護センターから引き取るのもいいな」

「まあ、縁を感じる猫がいたら飼ってやれよ」

「うん」

 ヴィクトルは名残惜しそうに、腕の中のブラックコーヒーを撫でた。

「おまえの姉さんは」

 エラリイはブラックコーヒーの尻尾のあたりに目をやって言った。

「あんまり色んなことを考え過ぎて、身動きが取れなくなってたんだ。人間はそういう時、間違った選択をしがちになる。でも、姉さんは勇気を出して罪を告白した。今回のことは、パスカルの側にもかなり問題があった。そのことは裁判でも考慮されるはずだ」

 ヴィクトルは黙って、ブラックコーヒーをエラリイに返した。

「さようなら、先生。いつもありがとう」

「元気でな。Au revoir!(またな)」

 ヴィクトルはかすかに微笑んで、

「Au revoir!」

と返した。

 ブラックコーヒーも挨拶しているつもりなのか、にゃうと鳴きかけた。



 事務所の廊下を、コーヒーのいい香りが流れてくる。

 エラリイが給湯室を覗くと、幸葉がインスタントのドリップコーヒーをいれているところだった。多国籍のスタッフが集まるヴァレリー法律事務所の給湯室には、いつのまにか、あらゆる種類の飲み物が揃っていた。

 幸葉は、湯を注ごうとする度にフィルターが閉じてしまうので、困っている様子だ。彼女は小難しい法律書面は上手く書くのに、こういうなんでもないことが不器用だ。

「何やってんだよ。ここをこう広げたらいいんじゃねえ」

「あ、そうなんだ」

「おれの分もいれてくれる?」

「いいよ」

 幸葉はもう一つパックを破って、エラリイの差し出したカップの上にフィルターを広げた。

「よくできました」

 フィルターからコーヒーが滴り落ちるのを待ちながら、エラリイは幸葉に、エディリーヌとフランシーヌについて訊いてみた。

「もし、あの二人がおまえの知り合いで、おまえがいち早く真相に気づいてたら、どうしてた?」

「どうしてたって言われても」

 幸葉は首を捻る。

「常識論でいうなら、自首するよう説得する、だろうけど」

「ウン」

「パスカルさんて、何を言っても話にならない人だったみたいじゃない。そもそも理屈が通じないっていうか」

 パスカルは確かにそういう人間だっただろう、少なくともエディリーヌに関することでは。エラリイは思った。

「そういう人に自分の生活を脅かされたら、それを排除するためには極端な手段を取るしかないって考えちゃうのも、何となくわかる気がする」

「まあなあ」

「フランシーヌさんて人も、妹さんの時の世間の反応が骨身にしみたから、あんな方法を考えたんでしょう? ああいう時のリアクションて、フランスでもそうなんだって、ちょっとびっくりした」

 幸葉が言いたいのは、フランシーヌ姉妹に加えられたバッシングのことらしい。

「日本は男女平等率世界百何位って国だから、ああいうことが起きたら、よってたかって女性が悪者にされると思うのよ。欧米人の意識はもうちょっと違うのかなと思ったら、似たようなものだったんで驚いた」

「あれは、なんか、女の方がえげつなかった気がするな」

「それが男尊女卑のレーシャルメモリーなんだよ」

 幸葉が言うには、女性は長い間、男性の経済力に頼るしかない歴史があったため、男性に気に入られるよう振る舞うことが第二の本能のようになってしまっている。性犯罪について、女性が被害者に冷たい目を向けがちなのは、同性を叩くことによって、無意識に男性に媚びているのではないか。

「なるほどな」

「そういうことをあれこれ考えたら、どうしていいかわかんなくなっちゃう。今回は二人が自首を選んでくれたからよかったけど、自分達と、パスカルや、フランシーヌさんの昔の彼のどっちがより質が悪いんだって、正面切って問われたら、何て答えていいのかわからない。典型的な、正論じゃ人は救えないの場面じゃない」

「そうだなあ」

「そこで何か説得的なことを言える人がいるとしたら、それは二人の痛みを実感として理解できる人だと思う」

 あの家から去る時、エースもそんなことを言っていた。

(人の形をした生き物が一番恐ろしい、か)

 フランシーヌは、「人」というより、「男」という言葉を使いたかったのではないだろうか。いや、残酷なバッシングをした女性も、やはり含まれるか。 

 ダンテによると、それは後半部分で、彼はフルバージョンを聞いたことがあるそうだ。ヘビの魅力を力説するフランシーヌに、

−−そんなにヘビが好きなら、毒ヘビでもやっぱり可愛いと思うの?

と訊ねると、彼女は次のように答えたという。

−−毒ヘビが牙をむくのは、獲物をとる時と身を護る時だけです。生きるための必要もないのに他者を傷つけたり殺したりするのは、人間だけだわ。この世で一番恐ろしいのは、人の形をした生き物なんですよ。

 


 その朝、エラリイが仕事用のバックパックを担いで自転車のところへ行くと、カゴにかぶせているカバーが内側に落ち込んでいた。

(また、ブラックコーヒーか?)

 エラリイと一緒に出かけたい時、ブラックコーヒーはカゴカバーにのることを覚えた。そうすると、猫の体重でカバーがカゴの底へ落ち込み、内張りのように冷たい風を防いでくれることがわかったのだ。 

 しかし、今朝そこにいたのは、グレイと白のハチワレぶち猫と、体の大きな長毛種の猫だった。

 エラリイと目が合うと、二匹はそろって、な〜おと野太い声を上げた。

「おまえら、もしかして、ジュヌヴィエーブの子か?」

 確かにそうだ。間違いない。エラリイはすぐさまエティエンヌに電話をかけた。

−−なんだ、おまえんとこに行ってたのか。きっとブラックコーヒーに会いに行ったんだな」

「何、勝手にストーリー作ってんだよ。ルームメイトに預けてくから、さっさと引き取りに来い」

−−いや、ブラックコーヒーを恋しがってたのは本当なんだよ。まとめて飼ってくれたら喜ぶだろうなあ」

「てめえ、もしかして、それを狙ってこっそり連れて来たんじゃねえだろうな」

−−違う、違う。おれも今まで探してたんだから。ジーニアスは妙に頭がいいから、どうにかしてそこをつきとめたんだろう」

 ジーニアスというのは、長毛種の猫のことらしい。なるほど、きかん気そうな緑の瞳がくりくりして、いかにも利口そうだ。小柄なハチワレの方は、目がタレ気味で、タヌキのような顔をしている。

「とにかく、今日中に引き取りに来い」

 エラリイは電話を切った。

 二匹の声を聞きつけたのか、ブラックコーヒーが家の中から駆け出してきた。再会を喜び合う三匹を見ているうちに、一緒に飼うことになりそうな予感がよぎった。   (了)














 



 







 


 






 


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