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ニオイが判る男≪天使と悪魔の話題≫2

ニオイが判る男

≪天使と悪魔の話題≫




【前作のあらすじ】

普通のサラリーマンとして働いていた犬走(いぬばしり) 壮太(そうた)は、周りで起こった人の死をきっかけに、自分には不思議な能力が有るのではと考えるようになった。

その死とは、通勤途中に偶然出会った男性の死、友人のお義母さんの死、いづれも死ぬ前に、異変には気付いていた。

壮太は自分が潜在的に持つ不思議な能力が、確実となった今、その能力を活かし人の命を救いたいと転職を決意した。

転職先は『心の窓』というNPO法人で、県民の相談窓口といったところだ。

県や市町村と連携し、悩んでいる県民を救うことが目的だが、一番重要な役割は、自殺者を減らすことだった。

壮太は自分の能力を活かし、人々を悲惨な死から守りたい。

その一心で、今日も『心の窓』で相談を受けている。



もくじ


【前作のあらすじ】

一.また出会ってしまったニオイ

二.初めてのニオイ

三.黒い悪魔の仕業

四.天使の光り





一.また出会ってしまったニオイ


犬走(いぬばしり) 壮太(そうた)は新たな職場で働き始め、すでに半年が経とうとしていた。

壮太が転職したきっかけは周りで起こった不思議な出来事。

そこで自分には特殊な能力があるのではと感じ、その能力を活かして人を救いたいと思ったからだ。

その能力とは……死が直ぐ側まで迫っている人が判るというものだった。

だが、こんなオカルトな話は時として人間関係を拗らせてしまうこともある。

転職をする前の職場で、仲が良かった同僚とは絶交状態になってしまった経験がある。

ごく普通のサラリーマンであった壮太は、自分の能力を活かして絶対に助けることができる命があるはずと転職を決意した。

転職した先は『NPO法人 心の窓』という相談所で、自殺者を減らす事が一番の目的である。

壮太は心の窓で働きはじめた半年間だけで、五人もの自殺を止めることができていた。

しかし、その壮太でも止めることができなかった死がある。

会社で酷いイジメにあっていた若い女性は、職場では味方になってくれる人がいないという環境の中でも、いつかは分かって貰える日が来るだろうと一人で頑張っていたのだが、彼女が頑張れば頑張るほどイジメはどんどんエスカレートしていった。

彼女はそれに耐える力を失い限界がやって来た時、最後の手段として会社のトイレで自殺をしてしまった。

この事件をきっかけに壮太は、人の心と気持ちに対して、絶対に気を緩めてはいけないということを学んだ。

日々、心の窓に持ち込まれる悩みというのは人それぞれ違うものなのだが、中には死に繋がってしまうような案件も持ち込まれている。

ここ最近で増えてきた悩みというのは、お金と孤独という問題だ。

収入が減り生活が厳しいという金銭的な苦悩や、孤独で寂しいといった相談が多くなっている。

この日も数多くの相談者が心の窓を頼り訪ねて来た。

「あのーー、よろしいでしょうか」

心の窓の受付に一人の高齢女性が立っていたが、この女性からは微かにあのニオイ、死のニオイがしていた。

その人の名前は、(あがた) 光子(みつこ)さん、年齢は八十四歳、六年前に夫を亡くし、現在は県営住宅で一人暮らしをしている。

縣さんには謙二(けんじ)という息子さんが一人居たのだが、その謙二さんは十七歳の時に事故を起こしてこの世を去っている。

当時の謙二さんは『黒般若』という暴走族に属していた。

真夜中に友人とバイクで走ることは日常茶飯事だったのだが、あの夜も仲間九人と、八十キロ以上の速度を出し国道を走行していた。

そこは走り慣れた道、爆音でどんどん進んでいった。

そんな謙二さんのバイクの前に突然、一匹の白いネコが飛び出してきた。

謙二さんは咄嗟にブレーキをかけ、体重移動とハンドルで何とか回避しようとしたのだがバランスを崩してしまい転倒、バイクは大きな音を立て、火花を散らしながら道路を滑っていった。

謙二さんの身体は大砲から発射された玉のように空中を真っ直ぐ飛んでいき、そのまま頭から電柱に激突した。

ヘルメットを被っていなかった謙二さんは即死だった。

その時は、あまりにも突然の出来事で何が起こったのかすら正確に理解することができなかった縣さんは、どうして良いのかすら分からない状態となり、その当時は一滴の涙も出なかったそうだ。

それを悲しみとして理解できたのは、謙二さんの死から一ヶ月が経った頃からだった。

今日、心の窓を訪れた年配女性の縣さんからは、微かにあのニオイがしている。

この人の相談とはいったいどんな相談なのだろうか。

壮太が尋ねてみると、縣さんの口から出た言葉は一言「寂しい」だった。

縣さんの親戚は皆な他界している。

仲の良かった友人も次々と亡くなり、今は話しをする相手すら周りには居ない。

家に一人で居ると孤独と寂しさに耐えられなくなってしまうことがあるらしい。

外に出るのは定期的に行っている病院と近所のスーパーぐらいだ。

だから今日の縣さんは勇気を出して心の窓を訪れたそうだ。

そんな縣さんに対し壮太は「縣さん、寂しくなったらいつでもここに来て下さい。縣さんは決して一人ではありません。この犬走壮太が居ますからご安心ください」

「ありがとう。これからはその言葉に甘えさせてもらうよ」

縣さんは笑顔を見せ元気を取り戻し自宅へと帰って行った。

壮太は良かったと思いながらも、微かに出ていたあのニオイのことが気になっていた。

『自殺してしまった、あの女性のニオイとは違っていたが、あれは間違いなく死のニオイだ。そういえば亡くなった叔母も、あのニオイに近いものが出ていたような気がする。ということは……縣さんは大きな病気でも患っているのだろうか、定期的に病院にも行っていると言っていたし。縣さんのニオイはまだまだ薄いが、油断をせずに対応してかないといけないな』

壮太はあの女性以来となる久しぶりに死のニオイ嗅ぎ、この日から縣さんを注視していくことになりそうだ。






二.初めてのニオイ


『んっ! 何だ、このニオイは?』

縣さんが訪れた翌日、心の窓に来た相談者から、今まで嗅いだことのないニオイを放つ男性が心の窓にやって来た。

とてつもなく強烈な臭いニオイだ。

何がどうなったら、こんな臭いニオイになるのだろうか。

相談者の姿は高身長でしかもガッチリとした体型の男性なのだが、目はうつろで全くと言って良いほど覇気がない。

男性は地元のBCリーグで野球をしているプロ野球選手であった。

トップ十二球団のNPBとは差がある階級なのだが、日の当たる十二球団からのスカウトを目指して日々頑張っていたらしい。

しかし自身が所属するBCリーグの中でも、近年はポジション争いが激しくなっていた。

その彼も年齢を重ね今年で三十歳、実態はレギュラー争いから徐々に後退していた。

そして昨日、所属するチームのオーナーからクビを宣告されていた。

年俸は二百万、ただでさえギリギリの生活を送っていたのだが、契約が終了となれば収入ゼロ、それに無職になってしまう。

彼にも家族があり、妻がいて子供はまだ四歳と二歳だ。

妻は過去に自身が所属していた球団のホーム球場でチアリーダーをしていた。

プロ野球選手とチアリーダーとして出逢った二人は、その後付き合い結婚をした。

結婚当初は幸せ一杯だったのだが、今は一転して泥沼状態に陥っている。

彼の名前は、星願(せいがん) (かなめ)、高校は野球の名門校に入学をして一年生の時からレギラーを勝ち取っていた。

早い段階からプロが注目するほどの超スラッガーではあったが、三年生の夏の地区予選の試合で大ケガをしてしまった。

その試合というのは甲子園をかけた決勝戦で、終盤になっても両チームは激闘と言える接戦を展開していた。

その最終回、星願さんはライトの守備につき、ここを守り切ることができれば甲子園という緊迫した場面。

相手の攻撃はツーアウトながら二塁と三塁にランナーを抱え、一打逆転の大ピンチを迎えていた。

打者の打った球が星願さんが守るライトに飛んできた。

ボールはグングン伸びて星願さんの頭上を越えていきそうな勢い、星願さんは必死にフェンス際まで走り、そして最後ボールに飛びついた。

ボールは星願さんのグローブの中に収まったのだが、星願さんの身体は勢いよくフェンスに激突した。

それでもボールを離すことなく、ボールはグローブにしっかりと掴んだままで試合は終了した。

そして星願さんの学校は甲子園出場の切符を掴んだ。

しかしフェンスに激突した星願さんは、その場から全く動くことができなくなり、そのまま担架に乗せられ病院に救急搬送されていった。

診察を受けた大学病院で骨盤の骨折が判明して緊急手術となった。

星願さんはその時点で、甲子園を断念することになってしまった。

星願さんの夢だった甲子園をかけた予選最後の試合、甲子園出場の切符となったウイニングボールを星願さんは掴んだものの、そのボールには悪魔が宿っていたのだろうか、大ケガを負い選手として甲子園には行くことはできなかった。

それからはリハビリも含めて八ヶ月間の入院、卒業証書も病院で受けとることになった。

当然ながらドラフト会議で名前が上がることはなく、高校卒業後は無職からのスタートとなった。

その後、ケガは順調に回復して、再度プロの世界を目指すため、卒業した高校のグランドを借りて練習に励み、後輩と汗を流しながら体造りをおこなった。

翌年、地元のBCリーグの球団から声が掛り、なんとかプロとしての第一歩を踏み出すことができた。

入団後はケガの影響もなく力強いスイングも戻り、長距離砲のスラッガーとしてホームランを増産していった。

奥さんとはここで知り合い、お付き合いがはじまった。

彼女もできて更なるパワーを得た星願さんのBCリーグ二年目は、日本の最高リーグNPBで活躍するという目標に向け、ホームランを増産し打率でも最高の成績を残した。

そして二年目のシーズン終了後、千葉ロッテマリーンズからドラフト四位で指名を受け、翌年からNPBのパ・リーグでプレーすることが決まった。

そして奥さんとは、この年に結婚した。

マリーンズでの一年目は好調をそのまま維持することができ、開幕から一軍スタートすることができた。

星願さんは日々の厳しい練習にも耐え更に成長して、このシーズンは七番ライトという一軍のポジション枠を勝ち取った。

一年目のシーズンは持ち前の豪快なスイングでホームランを二十本打つなど、想像以上の活躍をすることができ満足いく結果を残すことができた。

年俸が上がった二年目のシーズンも体は動き、切れのある鋭いスイングで一年目よりも更に良い成績を残し、フルシーズンで一軍のレギュラーに定着することができた。

これで安泰かと思われた三年目、悪魔が悪い顔を覗かせるかのように、あの時に負うった悪魔の古キズが現れて悪さをし出した。

その影響でマリーンズでの三年目は、一軍登録すらされることはなくシーズンは終了した。

四年目も苦しい状態は続き、成果を出すことができないまま苦しい二年間を過ごしたのだが、本当の地獄はここからだった。

マリーンズで四年目のシーズンを終えた二十五歳の時、事実上のクビである戦力外通告を受けたのである。

戦力外通告を受けマリーンズを自由契約となった星願さんは、球団を退団し他の球団からのオファーを待ったのだが、最後まで手を挙げてくれる球団はなかった。

残された手段としてトライアウトにも挑戦したのだが、そこでも声を掛けてくれる球団はなかった。

星願さんは途方に暮れていたとき、元居たBCリーグの球団が声を掛けてくれ、チームに再入団することになった。

何とかプロとして残ることができた古巣では、そこそこの活躍はできたのだが、日々古キズとの闘いでベンチを温めることも珍しくはなかった。

体調面など数々の問題は発生したのだが、一番きつくのし掛かっていたのが安いBCリーグでの給料だった。

どんどん生活は苦しくなり、家庭崩壊が目の前までやって来ていた。

その問題はかなり深刻であった。

お金の問題から夫婦間での喧嘩は絶ず起こり、二人の仲は音を立てるように崩れ落ちていった。

更に追い打ちをかけるように所属球団からクビの宣告……星願さんの頭の中は真っ白になってしまった。

再び一流の十二球団から声を掛けてもらえることを目標にして、死ぬ気でこれまで頑張っては来たのだが、それも終わりを迎えようとしていた。

そんな、どうしようもない辛い気持ちから心の窓を訪れていた。

星願さんからはとてつもない悲壮感と、鼻を突く強烈なニオイ、この二つしか壮太は感じ取ることができなかった。

『今までに嗅いだことがないニオイ……しかし、これは間違いなく死のニオイではあるのだが、これまでとは絶対に何かが違う。その何かとは一体、何なのだろうか?』

「星願さんは、今後はどのようにしていきたいとお考えですか?」

「今は、何もかもがこの世からなくなってしまえば良いと考えてしまいます。私は全てを失ったというような気持ちです。いっそのこと楽になりたいと考えることも有ります」

「星願さん、ちゃんと道はあります! そんなことを言わずに、星願さんがこれから進む新しい道を一緒に見つけていきましょう」

壮太は星願さんの両手を握り、力強い言葉で話した。

「ありがとうございます」

星願さんは頷きながら何度もありがとうと言葉して、大粒の涙を流していた。

一喜一憂、情緒不安定、これが星願さんの今の状態だ。

この追い詰められた状況から脱出することは並大抵のことではないだろうが、心の窓を訪れたことで自分は一人ではないということを実感できた、そういう瞬間だったのかも知れない。

プロスポーツの世界は常に厳しい競争の世界。

チームで生き残るためには結果が全て、チームにとって重要な存在になれるのかということだけなのだ。

そんな孤独で辛い勝負の世界で生きてきた星願さんの身と心は、きっと疲れ果ててしまったのだろう。

そういう痛めてしまった心を救う場所は、やはり心の窓なのだろう。

壮太が働く心の窓が果たす役割は非常に大きいと実感した。

今回の星願さんの件は油断ができない案件である、何故なら星願さんの奥さんは夫がクビを宣告をされたことをまだ知らないからだ。

それを知った奥さんの行動までは、壮太でも読むことができないからだ。

その奥さんの態度に対し星願さんが起こす行動、それはもっと読めないことだった。







三.黒い悪魔の仕業


翌日、縣さんが心の窓にやって来た。

「今日も来てしまったが、良かったかな?」

「はい、お待ちしていましたよ」

「ありがとう、嬉しいよ」

心の窓は最寄りの駅から五百メートルほどの距離に位置していて、縣さんにとってはちょっとした体力作りにもなり縣さん曰く、この距離間が自分の体力作りに丁度良いそうだ。

縣さんが心の窓に来る前は、病院とスーパーに行く以外はずっと家にこもり、人と会話することもない一日だったそうだ。

しかし、おとといからは心の窓がきっかけとなり、外に出る機会が増えた。

そして壮太と会って話したいという気持ちにもなり、心も軽くワクワクした想いで今日も心の窓に足を運んできていた。

縣さんは常にニコニコしながら、楽しそうに壮太と会話をしている。

その光景はまるで、今まで長い間離ればなれだった親子が、失ってしまった大切な時間を取り戻すかのように夢中で話をしている。

二人の間にはとても濃い素敵な時間が流れていた。

縣さんは心の窓に一時間ほど滞在して帰宅していったのだが、壮太が心配していたのは、縣さんのニオイが前回の来社時よりも更にニオイが強くなっていたことだ。

ただ縣さんだけを気にしていられる状況でもない。

相談者は縣さん一人ではなく、この日も次から次へと相談者が心の窓を訪れていた。

ただ幸いだったのは、この日来社した多くの人の中で、あの死のニオイを発する人は誰一人いなく、先ずは一安心できる日ではあった。

できればあの死のニオイを持つ人に会いたくないというのが壮太の希望であるのだが、現状では二人いる、それが現実ではあった。

何とかしてこの二人の命を救わなければいけないという、強い使命感を持ち壮太は、この難題に挑んでいく決意だった。

縣さんは次の日も、また次の日も心の窓を訪れ、僅かな時間ではあるが壮太との会話を楽しんでいた。

しかし縣さんから、あのニオイは一向に消える気配はなく、それどころか日を追う毎に少しずつ強くなっているような気がした。

『何か重い病気を抱えているのだろうか? もしかしたら縣さんは、死期を分かった上で心の窓に来ているのかも知れない。縣さんの身体は大丈夫なのだろうか? 明日も来てくれるだろうか?』

壮太の心配は悪い方に的中してしまい、この翌日から縣さんは心の窓に姿を見せなくなってしまった。

これとは逆に、久しぶりに心の窓を訪れて来たのは星願さんだった。

星願さんが心の窓の扉が開いた瞬間『このニオイは! 間違いない、星願さんのニオイだ!』と判るくらい、酷く強いニオイを発していた。

「星願さん大丈夫ですか?」

「もうダメかも知れない。昨日妻に、勇気を出して球団からクビを宣告されたことを話しをしてみた。そうしたら『もう我慢の限界よ、離婚してください』と言われてしまった。それで頭の中が真っ白になってしまい、何だか俺、壊れてしまいそうだよ」

星願さんの心理状態はとても悪い状況であり、ここは一先ず落ち着かせようと考えた。

しかし目がうつろで方針状態になっている星願さんには、壮太が発する強い言葉も全く届かない状況だった。

『いったいこの状況、どうしたら良いのだろうか』

星願さんのニオイは時間を追う毎にどんどん強くなって、それは尋常ではないレベルにまで達していた。

『これは普通じゃない。それにこれは、縣さんに対する死のニオイだけじゃないような気がする。何か別の、強烈な危険なニオイも混じっている』

その時、壮太の目の前で異変が起こっていた。

『んっ! あれは何だ!』

星願さんの背中に分厚い黒いマントが見え、星願さんはそれを羽織っているかのように見えた。

背中には真っ黒で異様な何かが漂っている。

『あの黒いものは何だ? しかも臭い! あの黒く蠢くものから臭いニオイが出ているというのか?』

そのニオイはとても強烈だったのだが、それ以上に黒く漂うものから恐怖を感じた壮太は、思わず体を仰け反らせてしまった。

「星願さん、大丈夫ですか? 体に違和感はありませんか?」

それでも星願さんの耳には言葉は届かないようだった。

「星願さん! しっかりしてください」

星願さんは完全に頭の中でパニックを起こしてしまっている。

意識がうつろな星願さんの口から時折出てる独り言がとても気になった。

「独りぼっちになるのは嫌だ。永遠に皆と居られるようにしよう」

一瞬、背筋がゾッとした……思い詰めた星願さんが、家で良からぬことを起こさなければ良いと思っていた。

これはもう既に、心の窓で対処できる範囲を超えていると感じた。

そのあと星願さんは突然立ち上がり「早く帰らなければ」そう言ってうつろな状態のまま、心の窓から出て行ってしまった。

壮太は直ぐ警察に連絡をして、星願さんの事を話して応援を要請した。

心の窓と警察は普段から密に連携しており、連絡を受けた警察官は直ぐにパトカーで心の窓まで駆け付けてくれた。

壮太はそのパトカーに同乗して、星願さんの自宅へと向かった。

星願さんのあのただならぬ様子、家でまだ何も起こっていないことを願うばかりだった。

パトカーに乗車して二十分ほどで星願さんの自宅に到着した。

星願さんの家は灯りもついており、外から見る限りでは変わった様子はなかった。

安心したのも束の間、玄関のチャイムを鳴らしてみるが応答がない。

何度も何度も鳴らしてみたが、やはり全く反応がなかった。

『何かあったのだろうか』と思った瞬間……「キャー!」

家の中から女性の叫び声が聞こえた。

警官は裏手の庭へ回り、居間に繋がる大きな窓硝子を割り家の中に侵入した。

声の発信源は二階だったため、急いで二階に駆け上がり各部屋を確認した。

いた! 女性の体に馬乗りになり、首を絞めている星願さんの姿があった。

「やめろ!」

警官の一人は星願さんを目掛けて体当たりした。

星願さんの手は女性の首から離れ、身体は部屋の隅へと吹っ飛ばされた。

壮太は直ぐ救急車を呼び、もう一人の警官は女性に人工呼吸を施した。

体当たりした警官は星願さんを押え込み、その場で現行犯逮捕した。

女性は人工呼吸の甲斐があり意識は戻り、その後、救急車で病院へと搬送されて行った。

逮捕された星願さんは抵抗することもなく、後ろ手に手錠を掛けられた状態で伏せている。

その星願さんの身体から、何やら異変が起こりはじめたのだった。

肩の辺りからは黒い影のようなものが涌き出し、黒い雲の塊のようになっていった。

暫くするとその黒い塊は、かろうじて人間だと認識できるくらいの形となり、悶えながら星願さんから離れていった。

徐々に離れていくその黒い塊は、ずっと何かを叫んでいたのだ。

「失敗だ、失敗だ、やっとあの世に行けると思ったのに、失敗だ! 前の時は俺だけあの世に行けなかった。今度こそはちゃんと死のうと思ったのに、失敗だ……」

どうやら星願さんにまとわり付いていた黒い影は、自殺者の霊のようだ。

この霊は過去に家族を道連れにして無理心中を図ったのだが、その時は自分だけあの世に行くことができず、その後に再度自殺を図り死ぬことはできたのだが、この霊はあの世に辿り着くことができないことから、自分はまだ死んでいないと思い込み、もう一度星願さんの体を使い無理心中からはじめて、最後は自殺をしようと考えていたのだ。

なぜ星願さんの体を選んだのか……

それは星願さんが発する負のオーラや気持ちが、この自殺者と同調してしまったからだ。

この自殺者は同じ想いを持つ人を探していた時に、偶然にも星願さんと出会ったのだ。

そして星願さんの身体を借りて、また同じように無理心中を図り、今度こそあの世に渡ろうと考えていた。

それが失敗に終わってしまい『失敗だ、失敗だ』と叫んでいたのだ。

あの黒い塊の霊は、また自分と同じ想いを持つ人を探しに行ったのだろう。

壮太はその時、あの黒い塊と長い戦いになるかも知れないと感じていた。

星願さんの背中から黒い影は離れ、あの強烈なニオイは消えてなくなった。

しかし、その黒い塊の存在に気づき叫び聞いたのは、壮太ただ一人だけだった。

当然ニオイもそうだ。

警察の調べであとから分かったことなのだが、星願さん一家が住む家の一階の部屋から、大量の灯油が見つかった。

家族全員を殺害したあと、最後に火を着けようと考えていたようだ……まさに間一髪だった。

星願さんは逮捕されてしまったが、家族の命を救うことができたことは良かったと思う。

もちろん星願さん自身の命も救うことはできたのだ。

しかし奥さんとの離婚は避けられないことだろう。

今後は罪を償い、一般社会に出ることができた時は、また心の窓を頼り、相談に来て欲しいと願う壮太であった。






四.天使の光り


星願さんの事件から暫く経ったある日、久しぶりに縣さんが心の窓を訪れて来た。

縣さんから発せられるニオイは、前回会った時よりも更に強くなっていた。

「縣さん大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないかも知れないが、大丈夫だよ。犬走さんも私ぐらいの年齢になれば分かるはず。所詮、運命には逆らえないって事がね。私は暫く入院していたの。でも貴方の顔が見たくて、外出の許可を貰ってここに来たのよ。私の色んな話に付き合ってくれて本当にありがとうございました。短い時間でしたが、成長した息子と一緒に居るような気がしてとても楽しかった。本当の息子は人生の順番すら守らず、私よりもずっとずっと先に逝ってしまったけどね。じつは私、そのことをずっと許すことができないままでいたの。それが貴方と話をするようになってから、私の考えは少しずつ変わっていった。謙二のことを、やっと許すことができました。スッキリとした気持ちで、新たな場所へ行けそうです。ありがとうございました」

そう言って『寄付』と書かれた封筒を差し出してきた。

「これを役立てて下さい。犬走さん、これからも悩みを抱える多くの人を救ってあげて下さい。私のように毎日を寂しく過ごす老人や、辛い気持ちを誰にも打ち明けることができず一人で悩んでいる人、そして辛くて死を考えている人々、そういう人達をどうか救ってあげてください。犬走さんならきっと出来ますよ。お願いしますね」

縣さんから放たれていた強烈なニオイは、心の窓を出る頃には全く違うニオイに変わっていた。

綺麗な河原に咲いている沢山のユリの花が優しく吹く風に揺られ、辺り一面を良い香りで一杯にしている、そんなニオイがした。

確実に縣さんのニオイは変わっていた。

縣さんの背中からは真っ白な光が放たれ、綺麗に輝いていた。

それはまるで天使の羽のようにも見えた。

たぶん縣さんは判っていたのだろう……これが最後の入院だということが。

その翌日、縣さんは天国へと旅立って逝った。

とても幸せそうな優しい顔で、最後の眠りについたという。




おわり



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