5.後押しする妻の手紙
ロシターから渡された1通の手紙は、病身で書いたせいか字は細く、ところどころ書体が乱れる箇所もあるが、間違い無く亡き妻ルチアの筆跡であった。
『エドワードへ
貴男がこの手紙を読んでいるということは、私の予想が当たっていたということね。侯爵のお役目お疲れ様でした。そして、ジョンを一人前に育ててくれてありがとう。
当時は突然の結婚で困惑したことと思います。でも、貴男はそんなことおくびにも出さず、侯爵家のためにと汗水流して働いてくれました。妻としてこれほど誇らしい夫は他にはいないと胸を張って言えます。
結婚する前に約束したことを覚えていますか? 貴男はあのとき、二人で力を合わせて侯爵家の安泰に力を尽くすこと、そして、夫婦として、家族として、幸せな家にすることを誓いましたよね? マリーさんとの別れを選んでまで、力を尽くしてくれた貴男を夫に迎えることができて、私は幸せでした。ですが、私は貴男に頼りっぱなしで、幸せにすることが出来ませんでした。
ようやく家のことも落ち着いて、さあこれからというときにこの有様です。この命が続くならば、この先もきっと貴男を幸せにするよう努力したのでしょうが、余命幾ばくもない今となってはそれも叶わぬ身となってしまいました。
ただ、私だけが幸せに人生を終わりながら、貴男には私という枷をはめたままにするのは本意ではありません。でも、きっと貴男のことだから、誰が何と言おうと後添えを娶るなんて考えていないんだよね。
何で分かったなんて野暮なことは言わないで。貴男のことは小さいときから知っているし、妻なんだからそれくらい分かるわよ。侯爵の位にいる間は、後ろ暗いことをせず、身を律していたいと思っていたんでしょ。貴男らしいわ。
だけど、もういいんだよ。
貴男は私との約束を立派に果たしてくれた。だから今度は貴男自身が幸せを掴んでいいんだよ。本当はその隣に私が立っていたかったけど、その役目はマリーさんにお願いしました。
貴男には内緒にしていたけど、ある方にお願いして、彼女の身の安全と生活の保証は担保してもらっていました。定期的にその方を通じて、マリーさんの安否も確認していました。そこで彼女が結婚せず独身を貫いていることを聞いたのです。
でも勘違いしないで。結婚しなかったのは決して貴男のせいではなくて、彼女自身が仕事が楽しくて結婚願望が無かったのが理由らしいから。なので失礼を承知で、彼女に貴男の側に付いてもらえないかお願いしたら、その日が来るまでお待ちしていますと了承してくれたのです。
貴男が隠居して、憂いが無くなって自由に生きられる日が来たら、側に付いてもらうようにお願いしておきました。今は貴男の侍女になっているのかな?
勝手なことしてゴメンね。ロシターやみんなを責めないであげてください。
みんなには貴男がしっかりとお役目を果たしたときには、笑顔で受け入れて欲しいとお願いしました。だから、みんなが貴男とマリーさんの仲を応援するのは、貴男が今までやって来たことが間違っていなかったとみんなが認めているということなのよ。
私の我が儘だということは百も承知です。何を勝手なことしているんだというお叱りは、いつか貴男が私の元へ来たときに甘んじて頂戴します。だからそれまでは、この先の人生は、マリーさんと共に幸せに歩んでほしい。
貴男を幸せにしてあげられなかった、そしてマリーさんに迷惑をかけてしまった愚かな妻のせめてもの願いと思って、切にお願いいたします。
貴男の妻、ルチアより』
「これは……?」
「お嬢様は旦那様が後妻を娶らぬであろうと予想されておりました。ゆえに、この手紙は『旦那様が独り身のまま若君に跡目を継がせて隠居なされたときにお渡しするように』と申し受けておりました」
「そんなことを言ったって、マリーが結婚するという可能性もあったであろう……。私が再婚するという可能性もあったであろう」
当時彼女が独身であったとしても、その後、別の誰かと家庭を築く可能性は大いにあったわけで、ルチアの申し出はその未来を閉ざすものだ。それに私の方だって、心変わりしてしまっていたかもしれないというのに……
「彼女も承知の上です」
マリーは私と別れた後、特定の男性と懇意になることもなく、仕事一筋であったという。
ルチアは私がマリーと別れた後、密かに彼女と会って話し、信頼できる人に彼女の身を託したこと伝え、それからもその仲介人経由で定期的に連絡を取っていたそうだ。独身であることを聞き、彼女さえよければ第二夫人に迎えようとしていたそうだが、折り悪く病に倒れてしまい、自分がいなくなれば、私がマリーを後妻に迎え入れることはしないだろうと予測し、隠居した後に側に仕えるように頼んだのだとか。
「仮に旦那様の気が変わって後妻を娶っていても、勝手に決めたことなので恨む筋合いでは無いとマリーは申しておりました」
「なんでそこまで……私はあの子を捨てたんだぞ」
「それだけ慕われていたということではありませんか。男として人として、喜ぶべきことです」
実現するかも分からない未来のために、彼女は今まで独り身でいたというのか……
「ロシター、マリーを呼んできてくれ」
「かしこまりました」
そこまで皆が言うのなら、妻が望むなら、私も覚悟を決めよう……
「旦那様、お呼びでしょうか」
「ああマリー、そこにかけてくれ」
ロシターに呼びだされたマリーをソファーに座らせ、王城で開かれるパーティーの話を切り出す。
「たしか3ヶ月後ですね。準備は万端に整えておきます」
「私のことはいいので、自分の準備をして欲しい。パートナーには君を連れて行くから」
「私をで……ございますか?」
「何を今更驚く。ブライアンだって君の知己なのだから、臆することはないだろう」
マリーは、そうは言っても平民の自分がパートナーでは何を言われるか分かりませんと断りたいようであるが、今更退くわけにもいかん。
「そうか……ならば私一人で出るしかないか。困ったね……ご婦人やらお嬢様がわんさか押し寄せてきてしまうな」
年はいってるけど金は持ってるからなあ、金目当ての女性が一杯来ちゃうなあ、困ったなあとわざとらしくとぼけてみせると、マリーはそういう言い方はズルいですと目で訴えてくる。
「仕方ないだろ。私はこう見えても女性にはモテるらしいからな」
「でしょうね。私も学生時代に、女子生徒から随分と妬まれていましたので」
付き合っていた当時、マリーは私との仲を当てこするような発言を多く受けていたようである。
「旦那様は跡継ぎの男子がいないお家の、婿入り候補として人気でしたから」
否定はしない。実家の方にもそういうお声掛かりはいくつもあったんだが、父が本人に任せていると取り合わなかったので、自由にさせてもらっていた。さすがに大恩あるギブソン侯爵家の申し入れは受けざるを得なかったが。
「ルチア様から、お世話をお願いするのは受けましたが、今になってまたあのような当てこすりを受けるのも嫌なので、旦那様がどうしてもと仰るなら考えます」
「ルチアにも頼まれたんだろ」
「ええ。一人寂しく老後をお過ごしになる旦那様の茶飲み友達にってね」
マリーがちょっと怒ってるな。ルチアが言っていた話とちょっと違うぞ。
「どうしても」
「……??」
「さっき、私が『どうしても』と言えば考えてくれると言ったではないか」
「もう……そういう意味ではありません!」
知ってた。ちょっとからかっただけだよ。
「冗談だ。先ほどパートナーに君を連れて行くと言ったのは、ちゃんと覚悟を決めての言葉だ。私は君に付いてきて欲しい。一緒に参加してくれるか」
「本当によろしいんですね?」
「ああ、君以外には考えられない。きてくれるか」
「はい! 喜んで」
私が差し出した手を彼女が取ると、二人同時に顔が上がり、自然と目が合ってしまった。
「今更ながらなんだか恥ずかしいな」
「ふふ、そうですね」
「お話はまとまりましたかな」
二人で見つめ合っていたら、どこからともなくロシターが現われた。気配消すの上手すぎるだろ。
「さて、こうなれば準備をしなくてはいけませんな。マリー嬢に相応しいドレスを急ぎ仕立て上げましょう」
彼女はいい年してマリー嬢なんて言われ方は恥ずかしいと顔を赤らめるが、独身女性なんだから嬢で間違ってはいないと言うと、また先輩はからかってと頬を膨らませる。
「先輩か……なんだか懐かしいな」
「あっ……申し訳ありません。つい……」
「先輩はさすがにやめておこう。今日からはエドと呼ぶように」
「エ、エド……様」
「少しずつ慣れればいい。ロシター、準備は任せるぞ」
「御意」
ロシターが年甲斐も無く、腕まくりして張り切っている。そこまで入れ込むほどのことではあるまいと申したが、これは侯爵家の威信と使用人達のプライドを賭けて臨まねばなりませんと聞きやしない。
「まったく……何をあんなに張り切っておるのか」
「旦那様が慕われているという現れでございます。この邸に来てからというもの、旦那様がこれまでいかにしてお過ごしになられていたか、多くの方に聞かされました。皆には今までの分も、これからは安らかにお過ごしいただきたい。そのためにも旦那様のことをよろしくと何度も言われました」
「そう、そのことだが……その、なんだ……マリーは結婚を考えるような男はいなかったのか?」
「既にお聞きでしょうが、職場で色々と頼りにされていたので、考えることもありませんでした」
彼女は学園を卒業後、隣国リゼル王国に渡り、王宮で侍女を務めていたという。
「王女様付きの侍女を務めておりました。王女様には非常に良くして頂いて、まあその分、仕事も色々と任されましたけど」
あっけらかんと話してはいるが、王女付きの侍女に平民、それも他国から来た者を採用するなど普通では考えられない。
(となると、ルチアの手紙にあったある方とは……いや、直に本人に会うのだ。マリーに聞くより、直接本人の口を割らせた方がいいな)
「どうされました?」
「いや、まさか王宮で侍女を務めていたとは予想もしていなかったから、少々驚いたよ。だが、王宮で勤めていれば、縁談の1つや2つくらい舞い込んできたのではないか? 平民の出とはいえ、王女付きの侍女である。君ならば引く手あまたであったろうに」
「旦那様のことが忘れられなくて……」
しんみりした表情でボソボソッと呟くようにマリーは言うが、ちょっと待て、たしか結婚しなかったのは、決して私のせいではないという話であったはずだが……
「……とでも言えば泣いて喜びますか?」
「何だよそれ」
「からかったお返しです」
「こんにゃろー」
笑っている彼女のおでこを手のひらでペシッと叩けば、マリーが笑いながら大袈裟に「ひどーい」なんて言ってくる。
「昔じゃれ合っていた頃もこんな感じで冗談を言い合っていたなあ」
「懐かしいですね。でも、奥様にお話を頂いたときに嬉しかったのは本当です。出来ればルチア様が快癒して、3人で笑って暮らせる日が来て欲しかった……」
「そうだな……」
ルチアは素晴らしい妻であった。結婚生活の大半が苦難の時代だったので、夫婦らしいことはあまり出来なかったが、それでも信頼の置ける関係であったと思う。そして死してもなお、私の行動を予測し、段取りを付けていたとは……まったく恐れ入るよ。
「ならば話しは決まりだ。当日は今までにはないくらい着飾ってもらうからな」
「まさか40も過ぎてからそんな日が来るとは思いませんでした」
関係をリスタートするのに年齢など関係ない。今日が私とマリーの新しいスタートの日である。
3ヶ月後のパーティーが楽しみだな。
お読みいただきありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。