4.決意と心残りと
<エドワード18歳のとき>
「婚約の申し出……ですか?」
学園の卒業を数ヶ月後に控えた初冬の頃、突然そんな話がもたらされた。
相手はギブソン侯爵家の長女ルチア様。
「ああ。ギブソン侯爵家は当主を流行病で喪って、ルチア様が後継となられる予定であることはよく知っておろう」
知らぬ訳がない。その流行病に併せて大水害というダブルパンチで領地経営もままならぬ我が子爵家を助けてくれたのが、ほかでもないギブソン家なのだから。
「ルチア様のお相手として、彼女の眼鏡に適う人物を選んでいたようだが、お前の学園での成績を聞いて、是非にも婿に迎えたいと仰せだ」
父は余程興奮しているのか、非常にありがたい話だと連呼しており、その勢いに気圧されそうではあるが、気持ちは分かる。
俺が婿入りすることでこれまでの恩も返せるし、何より今後、両家に強い繋がりが出来る。聞いた話を総合すれば、跡目争いがいささか厄介であるという不安要素はあるが、我が子爵家にとって悪い話ではない。むしろ当主としては諸手を挙げて喜ぶ案件なのだから。
「ルチア様は私でよいと?」
「そなたのことは幼い頃からよく知っておられる方だ。お前なら是非もなしと言っておられるそうだ」
「そうですか……」
「何か問題でもあるのか」
「いえ……できればルチア様と一度お話しする機会を設けてもらえませんか。色々とお伺いしたいこともありますので」
「なんじゃそんなことか。心配せずとも近いうちに顔合わせの機会はあるぞ」
元々継ぐ爵位もなく、卒業後は王宮の役人に採用されることも決まってはいるが、家を出れば元貴族の平民となる身に、急に降って湧いた侯爵家への婿入り話。とりあえずは事情を聞いてみないとなんとも判断がつかないからな……
「ルチア様、お久しぶりでございます」
「エドワードこそ久しぶりね。しばらく見ないうちに立派になっちゃって」
後日用意された顔合わせの席。
ルチア様には幼い頃よく遊んでもらったものだが、それも学園に入学する前の話。最近はお互いに会うことが目的で接触するということもなく、公式の場などでたまに顔を合わせたときに軽く挨拶するくらいだ。
「それでルチア様、私を選んだ理由とは」
「突然のことで驚いたわよね。貴男には申し訳ないと思っているわ……」
そう言うと彼女は、現在の侯爵家を取り巻く状況について説明を始める。
彼女には年の離れた兄君がおり、当主として務めを果たしていたが、数年前の流行病でお亡くなりになってしまい、一族の中から、血縁の男子を養子に迎え入れ、後継者とする動きがあったという。
当主に復帰したルチア様の父上は、娘という正当な後継者がいるのに養子を入れる必要がないと、一族の申し出を突っぱね、ルチア様を後継者に指名すると共に、彼女の後継者教育並びに婿選びが終わるまでは、自身が当主として政務にあたるとしたのだ。
「後継者教育なんか受けてなかったから、そこに時間を費やす間に婿捜しも並行したんだけどね、一族も他の家も侯爵家の恩恵に与りたいと考える奴しかいなくて困ってたのよ」
侯爵の縁者は取り立てて野心家の集まりというわけでは無かったが、当代の突然の死は、そんな彼らの小さな野心を大きく膨らませるのには十分な出来事だったようで、婿探しは難航しているようだ。
今のところはお父上が睨みを利かせているものの、あまり長いこと相手を決めないと、煩く口出しする一族の者が、またやいのやいのと言ってくるのが目に見えている。そんなところへ私を推薦する声が出たと言うのだ。
「貴男の成績は調べさせてもらったわ。条件としては十分すぎるくらいよ」
「ありがたいお話ですが、元々は継ぐ爵位も無い次男坊。市井に降りて役人にでも就こうと思い、付き合っている彼女もおります。侯爵家の跡継ぎなど、とてもとても……」
「それも調べさせてもらったわ。マリーさんだったよね」
私の身辺調査をすればそれくらいのことはすぐに判明するのであろうが、ここでルチア様から意外な提案をされる。
「エドワードが望むなら、彼女を第二夫人として迎え入れても構わないわ」
無論侯爵家の血が入っていないので、子を成しても継承権は発生しないが、相応の待遇で迎え入れると言われます。
「そこまで私に拘る必要が……」
「話したとおり私の立場は非常に脆い土台の上にあるの。一族は虎視眈々と私が失策するのを狙っているし、よその高位貴族から迎え入れても、その家の影響力が強くなる。でも貴男は子爵家の出でありながら、ブライアン殿下の信頼も篤い。迎え入れるのに最善の人なのよ。それに少なくともどこの誰とも分からない男より、気心も知れてるし。一緒にこの家を守ってもらえないかしら?」
ルチア様は遅くに生まれたこともあって、父上はすでに老齢の域に入っている。今は元気に指揮を取られているが、いつ何が起こってもおかしくない年齢であり、残された時間はそれほど多くないのだ。それゆえ信頼できる者を、好待遇で迎えようと言うことか……
「ルチア様、顔を上げてください。そこまで言われては断りようもありません。不肖の身ではありますが、ご期待に添えるよう努力します」
「エドワード、ありがとう……」
「ですが、第二夫人の件はお断りします」
「……なんで! 悪い話ではないでしょう!」
ルチア様はまさか拒否されるとは思っていなかったようで驚いておられるが、侯爵家を取り巻く環境は外から見ている以上に、お世辞にも良好とは言い切れない。隙を見せれば、たちどころに食い潰される。ならば、こちらも覚悟を決めなくてはいけない話だ。
「ご提案は非常にありがたい話です……が、侯爵家を取り巻く環境を考えれば、早々に第二夫人を娶るとか、結婚前から繋がっている女がいるとなっては、格好の攻撃材料になります。それに形だけであろうともルチア様と夫婦になるのであれば、私は貴女と共に良き家庭を築きたいと願います」
「それではマリーがあまりにも不憫ではありませんか」
「その責は全て私が背負います。その代わりに約束してください。侯爵家の安泰に力を尽くすこと、そして、私と夫婦として、家族として、幸せな家にすることを」
「……分かった。ならばよろしくお願いするわ旦那様。今から様付けは無しね」
「よろしく、ルチア」
その後、私はマリーと会い、別れを切り出した。
「……そっか」
「すまない……」
マリーは沈痛な面持ちで話を聞いていた。泣いたり喚いたりなどせず、ただじっと、私の話に耳を傾けている。
「謝ることなんかないよ。むしろおめでとうだよ」
「おめでとうって……祝うような話ではないだろう」
「何言ってるんですか。侯爵家の婿殿ですよ、大出世じゃないですか」
彼女もこれまでの間、学園で貴族の流儀を多く学んでおり、今回の私の話が滅多に無い話であることをよく理解している。だからこそ、このチャンスを逃すべきではないと言う。
「エドワード先輩が王宮の下級役人では役不足です。もっと重要なお役目を果たすためにも、侯爵様になられるのは僥倖ではありませんか」
「マリー……」
「先輩、ルチア様のこと幸せにしてあげてくださいね。そして、国のために立派な大臣になってくださいね。約束ですよ」
「ああ、もちろんだ」
「それが聞ければ私は十分です。今までありがとうございました。先輩に出会えて、一緒にいることが出来て、私は……幸せでした」
「私もマリーに出会えて幸せだったよ」
「さようなら。お元気で……」
彼女は私の幸せを祈っていると気丈に振る舞って、最後は笑って別れの挨拶をしてくれたが、私の心の中は晴れはしない。
◆
「その私が……いまさらどの面下げてではないか……」
マリーが再び私の前に現れたとき、一体今までどこで何をしていたのか、そして、ロシターやジョンが彼女の所在をどこで掴んだのか、色々疑問が湧いたのは事実。なぜならあの後、彼女が学園を卒業して隣国へ旅立ったというところで消息が分からなくなったのだ。
調べれば探すことは出来たのだろうが、当時私は侯爵家の内政、王宮の官僚としての職務、そして権力を奪い取らんと画策する一族に目を光らせるなど、二十歳そこいらの若造がこなすにはあまりにも重荷と言える仕事のため多忙を極めていた。
そしてルチアからもマリーのことは心配するなと言われ、自分から振ったという負い目もあってか、彼女の行方を気に留めることはしなかった。侯爵家を盛り立てるという約束を言い訳、免罪符にして、過去のことと割り切った薄情な人間なのだよ……
二度と会うことも無いと思っていた彼女に再会し、嬉しかったのは事実。ジョンやロシターが私のためにと手配してくれたものだから、すっかり甘えて彼女の世話にもなっている。だが、肝心なことは聞けずじまい。今までどこで何をしていたのか、結婚はしなかったのか、何故我が家の招きに応じたのか。
本人やロシターにでも聞けば答えてくれるのであろうが、自分で勝手に負い目を感じているためか、そのことを問うことが出来ていない。使用人達は私達の仲を応援してくれているようだが、流されてよいものであろうか……
「旦那様のお考えはよく分かっております。ですが、それはマリー殿にもお約束になられたことではありませんか」
「そうだ。あんな別れ方をしておいて、力不足で侯爵家を潰しましたとは出来ないからな」
「そうです。そして旦那様は見事に侯爵家を立て直された。ルチアお嬢様との約束は見事に果たされました。マリー殿がここに現われたのもその結果でございます」
「どういう意味だ?」
「お嬢様の、ルチア様のご遺言なのです」
「……ルチアの、遺言?」
ロシターが一通の手紙を渡してくる。封筒には忘れもしない、亡き妻の筆跡で『エドワードへ』と書かれている。
「お嬢様がお亡くなりになる前、私がお預かりした物です。お読みください」
お読みいただきありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。