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2.思い出の味

「旦那様、お茶をお持ちいたしました」

「ああ、そこに置いておいてくれ」

「かしこまりました」


 あれからマリーは私付きの侍女として、甲斐甲斐しく世話をするようになった。……とは言っても、元々私は貧乏子爵家の育ちなので、使用人の仕事を奪わない程度に、自分のことは自分でやるというスタンスを侯爵になっても変えなかったため、大して世話を焼かれることもないのだが。


「お茶菓子もこちらに置いておきます」

「ああ。片付けるときにまた呼ぶから、終わったら下がって構わないよ」


 そこはマリーもよく承知しており、不必要なことはしない。普通の侍女ならば私がお茶を飲む準備が整ってから、器に注ぎ始めるのだろうが、自分のタイミングで私が自らやることが分かっている彼女は、言葉に従い、何も疑うことなくテーブルにティーセットを用意すると、部屋を出ようとする。


 その彼女の動きを目で追っていると、テーブルに置かれたお茶菓子が視界に入った。




「そのお菓子は……」


 私の微かな呟きに反応したマリーが足を止め、覚えておいででしたかと話しかけてくる。


「エド……旦那様が、昔よく美味しいと言ってくださっていたパウンドケーキです」

 

 覚えているとも……懐かしいな……



 ◆



<エドワード16歳の頃>


「いい加減にしてください! いくらお貴族様だからって、言っていいことと悪いことがあります!」

「なんだと! ちょっと顔がいいくらいで調子に乗りおって!」


 マリーとの出会いは学生の頃、学園の廊下でとある男子が彼女に絡んでいたので、生徒会の役員であった私が事を収めるため仲裁に入ったのがきっかけであった。


「公子殿、これは一体何の騒ぎです」 

「この女、平民の分際で私に暴言を吐きおった」

「いくらお貴族様だからって、いきなり妾にしてやるとか失礼なのはそちらではありませんか!」


(そういうことね……)

 

 男の方は隣国から留学に来た公子。留学と言えば聞こえは良いが、女癖が悪くて自国で面倒見切れないからと、ほとぼりが冷めるまで我が国に留学と言う名の所払いにされた男といういわく付きで、隣国の王家からも宜しくして欲しい(こらしめてもOK)と言われており、生徒会でも要注意人物としてマークしていたが、留学早々やってくれたものだ……


「公子殿、貴国では例え平民とはいえ、見ず知らずの女性にいきなり妾にしてやると申すのが流行なのか?」

「なんだ貴様、何者だ」

「生徒会副会長の5年、エドワード・モレルにございます。生徒会役員は留学初日に顔合わせしたはずですが、覚えておいでではありませんでしたか」

「……ッ! 知っておるわ! 念のため確認したまでだ」

「ならようございました。で、先ほどの私の問いは如何に?」


 答えは聞くまでもない。隣国とは文化風習が異なるとはいえ、女性に対しそのような行いをするのは不埒者と呼ばれる者くらいしか思い当たらないわけで、言い返すことの出来ない彼は、こちらの家格を確認すると、身分を傘に発言を封じようとする。


「子爵のせがれ風情がこの私に意見するとはいい度胸だな」

「学園の中で身分を傘に着るなど笑止。非があるのは学園の風紀を乱す言動をした貴殿にある。貴国でどのように扱われていたか知らぬが、我が国には我が国の、この学園にはこの学園のルールというものがあり、例え王族であろうと守っていただくのがルールでございます」

「そういうことだ公子殿。強制送還されたくなければ、おとなしく引き下がった方がよろしいぞ」


 そう言って現われたのは3年に在籍するブライアン王子。その姿に、ぐうの音もでない公子はすごすご引き下がるしかなかった。


「エドワード先輩、余計なお世話だったかな」

「さっさと隣国に報告して、本当に強制送還させた方が良かったのではないかと思いますが」

「そうは言ってもいきなり追い出しては隣国の面目もあるだろう」

「殿下がそう仰せならば」


 この学園では王族が入学する場合、上級生が世話役を任されており、私がその役に就いている。世話役は家格に関係なく成績優秀者が選考される。さすがに平民に任せることはないが、私のような貧乏子爵家でも選ばれることはあるのだ。


 その役目は学園内での生活・勉学のサポートなど多岐に渡り、学園内での執事役のようなものであるが、それで主に気に入られれば、将来の側近ルート一直線なので、非常に美味しい仕事でもあるし、幸いにして私は殿下とは馬が合うようで、彼は私のことを先輩と呼んで慕ってくれている。


「ま、何事も無くて良かったです」

「君、大丈夫だったかい」


 声をかけられた少女はマリーという平民の子。彼女はペコリと頭を下げて礼を言うが、助けたのが王子や私ということもあって、戸惑っているようだ。


「あ、ありがとうございます。私、お貴族様の礼儀とか知らなくて……こういうときどうやってお礼したらいいか分からなくて」

「いいんだよ。ちゃんと自分なりにお礼が言えればそれでいい」


 気にしていないことを伝えると、顔をほころばせて喜ぶマリー。


 成績優秀な平民の女の子がいるとは聞いていたが、それが彼女である。遠目から見たことはあったが、改めて間近でよく見ればたしかに可愛い。あの公子(スケコマシ)がちょっかい出したくなる気持ちも分からなくはない。


「先輩、この子どうします。執行猶予にはしたけど、彼のことだ。まだぞろやらかすぞ」


 やらかすとすれば、先日の仕返しにとマリーが標的になる可能性は高く、そのときに自分たちが助けに入れるとは限らないと言う殿下。


「ならば生徒会に入れてはいかがでしょう」

「僕達の側に常に置いておくということだね」

 

 マリーは殿下と同じく3年生。この学園は6年制で、最初の2年間は学園生活に慣れることが第一なので、生徒会活動は3年生以上に限られる。もっとも活動の主体は5,6年の上級生なので、3年生は雑用主体ではあるが、事情が事情なので加入を勧めてみる。


「マリー嬢は成績優秀だと聞いている。身分など関係なく優秀な者に手伝ってもらえると嬉しいし、今の生徒会には華が無いからな」

「先輩、それが目的だとさっきの公子と大差ないよ」

「華という意味では殿下にも参加してもらいますから」

「え? 僕も!」

「将来国王になったら、他人に直接奉仕することなど無くなりますから、今のうちにその心を学んでください」


 殿下はちょっと待てよと及び腰ですが、マリー嬢を守るのに事情を知る者が多い方がいいと、強引に参加させることにします。


「私が参加していいんですか」

「第一には君の身を守るためでもあるから。気兼ねしなくていいよ」

「そうそう、先輩はこういうとき強引だから。甘えちゃっていいよ」

 

 殿下の一言が余計ではあるが、マリーもそれならばよろしくお願いしますと、一緒に生徒会活動に参加することになった。






 それから間もなく生徒会に参加し始めたマリーは、最初こそ戸惑っていたが、その堅実な仕事ぶりに、私達が何かをするまでもなくその評価は高まり、すぐに皆から重宝されるようになった。


「お疲れ様でーす」

「おっ、マリーちゃん。今日もよろしくね」

「よろしくお願いします」


 そして今日も彼女が生徒会室に顔を出す。


 集まる役員達は貴賤を問わず優秀な人材が集まってはいるが、唯一足りないのが華やかさ。そんな中にある彼女は、荒野の中に奇跡的に咲いた一輪の百合。


「先輩、これ作ってきたんでお茶請けにどうぞ」


 彼女が現われると、部屋一帯がぱあっと明るくなる……のだが、彼女が自分で焼いたというパウンドケーキを私に渡してくると、部屋の中は氷点下。射殺されるのではないかというくらいの視線を一身に浴びることになる。


「エドワード先輩ばっかりズルくない? (パクッ)おー、美味しいね」


 そう言って私が手を付けるよりも早く、殿下が1切れパクッと食べてしまった。


「殿下! 毒味していないのに食べないでください」

「必要ないでしょ。マリーが()()()()()()心を込めて焼いてきたんだもの。毒なんか入ってないでしょ。ね?」


 殿下がマリーに同意を促すので、彼女の方を見やると、耳まで真っ赤になっている。というか、殿下が『私のために』というところだけ妙に強調するものだから、自分も顔に血が昇っているのが分かる。こんなところでからかわないで欲しいものです。


「ひどーい、先輩のために焼いてきたのに……」


 からかわれたマリーは手で顔を覆い、泣いているようだ。


「殿下、レディを泣かせるとは最低ですね」

「いやいやいや待って待って。マリー、冗談だよ、泣かないでよ~」

「……って、こっちも冗談ですよ。この程度で泣くほど弱くありませんよ」


 マリーが顔から手を払うと笑っていて、涙など一筋も見えない。何となくそんな気はしたが、嘘泣きでしたね。


「あっ! 騙したな!」

「殿下、一本取られましたな」

「うふふ、ゴメンナサイ。皆さんの分も用意したので、遠慮せずお召し上がりください」


 マリーはそう言って、みんなにもケーキを振る舞うと、私にも一切れ差し出してくる。


「お口に合うといいんですが……」


 遠慮がちにそう口にする彼女であるが、ケーキからは香料を使っているのか甘い香りがする。


「(モグモグ)……十分すぎるくらい美味しいよ」

「ホントですか!」


 有名パティシエの味、とまでは言い過ぎかも知れないが、自作であれば十分に胸を張れる出来映えである。


「また作ってきてくれるかい?」

「先輩がお望みならいくらでも作ってきますよ」

「エドワード先輩、そういうのは人のいないところでやってください。見てるこっちが恥ずかしくなります」


 他愛もない会話であるのに、周囲の視線が痛い。


「マリーちゃん、エドワードはこう見えて女子受けがいいから、しっかり見張っておきな」

「もちろんです」


 生徒会の仲間が余計なことを言い出す。


「先輩、マリーちゃんはどこをどう見ても可愛いと男子の間で評判なんで、奪われないように気をつけてくださいよ」

「な! 何を言われるのですか殿下」


 それに乗っかるように殿下まで私達を茶化し出す。


 子爵の息子と平民の娘。身分違いの恋などと言う者もいないわけではなかったが、からかってきたり、なんだかんだ言ってはきたが、殿下や生徒会のみんなが私達のことを暖かく見守ってくれていたこともあって、こんな毎日を経て、二人が恋仲になるのにそう時間はかからなかった。



 ◆



 ……なんて過去のことを思い出しながら、久しぶりにあのパウンドケーキを口に運ぶ。


「(モグモグ)……あの時と変わらないな」


 侯爵となってから、旨いものはたらふく食べてきたつもりだが、やはりこの味は忘れ難い。


 有名店のケーキと比べれば、100人中99人はそっちの方が美味いと言うかもしれないが、残る1人、私はこのパウンドケーキが好きだ。それだけ思い出の詰まった味なのだ。


「旦那様……美味しくなかったですか……」

「そんなことはない。あの時と変わらず美味しいよ」

「では、何故泣いていらっしゃるのですか?」


 泣いている? 私が?


 ああ本当だ。この頬を伝うものは涙か……

 いかんな……年を取ると涙腺が弱くなると言うが、身をもって体験するとは思わなんだ。


「格好悪いところを見せてしまったな。昔のことを思い出しながら食べていたら、感傷的になっただけだよ」

「良かった……美味しくないのかと思いました」

「いい年した大人が、食べ物が不味いからって泣くことは無いだろう」


 オロオロしていたマリーであったが、私に笑みが戻ると安心したかのように、それもそうですねと笑い返してくる。


「相変わらず美味しかった。また作ってきてくれるかい?」

「旦那様がお望みならいくらでも作ってきますよ」


 先輩が旦那様に変わってはいるが、あのときと変わらぬやりとり。思い出として記憶の底に封じていたが、忘れることなど出来るはずもないさ……

お読みいただきありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

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