1.25年ぶりの再会
「旦那様。身の回りのお世話を行う侍女を新たに雇いましたのでご紹介いたします」
ある日、家令のロシターが突然そんなことを言い出した。
「待てロシター、近侍ではなく侍女だと…… 私の側仕えに女性を登用するというのか?」
「若様のご手配にございます」
「ジョンが? まあいい、来てしまったものを追い返すわけにもいかぬであろう」
「ありがとうございます。お許しが出た、入って参れ」
ロシターに促され、入ってきた1人の女性。
年の頃は30……いや、40代であろうか。動きの1つ1つに無駄が無く、洗練された仕草は、おそらくどこか高貴な家で侍女を経験してきたのであろうことがよく分かる。
「面を上げよ」
「はい……」
「…………!! ……もしや、マリーか……?」
「エドワード様、ご無沙汰しております」
最後に会ってから25年は経っているが、彼女を忘れるはずが無い。顔は相応に年月を重ねているが、あの頃の面影は十分に残っている。
何故君がここにいる! と叫びたいのをグッと堪えてロシターの方を見ると、温かい目をしてこっちを見ておる。
待て……先ほどジョンの手引きと申しておったな……どうして息子が彼女のことを知っているんだ。
「そう言えばあのとき……そういうことか」
◆
<半年ほど前のこと>
「やはり隠居のご意志は変わりませんか?」
「ああ、そろそろ代替わりするいい機会だ」
「何を仰いますか、父上はまだ働き盛り。身を退くなど早うございます」
妻が亡くなって早十数年。親バカかもしれんが、一人息子も立派な青年に成長し、若年ながら王宮政務官として着実に実績を上げているので、そろそろ頃合かと代替わりを決めた。
息子はいつか来る日であると理解はしていたが、まさかこんなに早く私が隠居するなどと言い出すとは思っていなかったようで、打診してから何度も引き留めをしてきたが、もう私が当主である必要はないのだ。
「お前ももう重臣として一人前に仕事をしている。文句の付けようが無い素晴らしい女性を妻に迎え、跡継ぎの孫までおる。ここらが潮時であろう」
この侯爵家は建国以来の名家であったが、国全体を襲った疫病で、当時侯爵を継いだばかりの当代を喪い、その妹が後継として成長するまでの間、先代が復帰するという状況であった。
この妹が我が妻のルチア。私エドワードはその入り婿で、元はしがない子爵家の次男。入り婿を選ぶにあたり、当時学園で秀才と呼ばれていた私がその候補に選ばれ、突然の話ではあったが、実家が侯爵家に対してかつて恩義を受けていたこともあって、学園卒業と同時に3歳年上の彼女と結婚することになった。
突然家の都合で引き合わされた仲ではあるが、ルチアは私に最大限気を遣ってくれたし、私も望まれて婿入りした以上、恥ずかしいマネは出来ないと努力したので、夫婦仲は悪くなかったと思う。結婚して2年後、今私の目の前にいる嫡子ジョンが生まれ、順風満帆に家庭を築けていたかに思えたが、それから10年後、ルチアもあっけなくこの世を去ってしまった。
多感な年頃の息子を遺し亡くなった、妻の無念はいかばかりかと思うが、遺された我々も中々に大変な日々を送ることになる。
私の使命はジョンを立派に養育し、一日でも早く侯爵家を背負って立つ人物とすること。
幸い息子や私の世話ならば使用人が大勢いるし、侯爵家に忠誠を尽くす彼らは、愛情をもってジョンを養育してくれた。時には反発されて親子喧嘩になることもあったが、彼らの協力のおかげで、息子はどこに出しても恥ずかしくない男に成長してくれたし、美しい妻を娶り、後継となる男子も生まれ、将来も安泰だ。
「元々侯爵位はお前のものだ。父の役目はここまで。そろそろ解放してはくれんか」
私は入り婿。正当な継承権は妻、そして息子という系譜で受け継がれるもの。私はジョンが成人するまでの間、形式上侯爵を名乗っていただけで、成人した息子が跡を継ぐのになんの問題も無い。
「いや、しかし……」
「別にどこかへ消えるわけではない。領地に籠ってのんびりするだけだ。必要があれば領地経営の面倒見くらいはするから、お前は王宮での職務に専念しておればよい」
「もう都にはお戻りにならぬと申されるか」
「必要もないのに隠居が社交の場にノコノコ出ていくこともあるまい」
領地から都は馬で1日もあれば届く距離。何かあれば駆けつけるのは難しくないが、しばらくは領地で隠棲するつもりだと伝えると、ジョンは諦めたように話題を変えてきた。
「分かりました。それでこの後、身の回りのお世話はいかがします?」
「領地の邸にも使用人がおるではないか」
「いえ……そういうことではなく、後添えという話です」
ジョンが言うのは後妻の話。隠居して悠々自適の生活を送るにしても、親しく世話をする女性が側にいた方がよいのではと提案してくる。
「何を今更……今までだって必要と思わなかったのだ。今後も必要ないだろう」
妻を亡くした当時は、当主の突然の死から私が婿入りするという過程で、一族の中に燻っていた権力争いがようやく収まった頃であり、侯爵家の権力を手中に収めた私のおこぼれに与りたいと願う有象無象が、男やもめの我が家に取り入ろうとしていたのだ。
後妻の地位を狙う女性や、その地位に血縁をねじ込みたい貴族が大勢現れ、男手一つでは大変とか、幼い子には愛情を与える女性が必要だとか、誰もが判を押したようにもっともらしいことを言ってきたものだ。
それまで侯爵家を守るため、政務に没頭していた私が、これから家族と共に過ごす時間を増やそうと思っていたのは事実であるが、それはルチアとジョンの2人と共に過ごすという意味であり、他の誰かを迎えたところで意味がないし、私としても無用に子を成してしまうと、侯爵家の血を継いでいないにもかかわらず、背後にいる奴らが相続に口出しをしてきて面倒なことになりそうなので、申し出は全てお断りしていた。
だが、それでも誰それの娘だとか、どこそこの姪だといった若い女性を紹介されることが多く、いい加減辟易していたものだが、立場上、社交や公式の場に立たないわけにいかないので、逃げようもなく困っていたのは遠い昔の思い出である。権力のおこぼれに与りたいとはいえ、30過ぎの子持ちによくもまあ身内を紹介できるなと思ったが、意外にも女性本人が希望して売り込んでくることも多かった。
後で聞いたら、「旦那様は奥方様以外の女性に目もくれないのでお気付きではありませんが、女性におモテになる要件を数多くお持ちですよ」と言う。ロシターは旦那様の男としての魅力ですよなどと言っているが、その魅力とは、要は子持ちなんて大したデメリットに感じない程の、金と権力にあるということであろう。
貴族の結婚にはよくある話だが、そもそも私は本当の当主ではない。今の地位は幸いにルシアとの仲が良好だったおかけで得た物であり、無理に後妻を娶る必要性を感じず、気が付けば40も半ばに差し掛かろうとしていた。
「これまでは母上に義理立てされておられたのでしょうが、本来なら望めば後妻の1人や2人、お迎えになられたとしても誰も文句は言いますまい」
「お前は父が欲望を我慢していたとでも言いたいのか?」
「いえ、そういうわけではございませんが、息子として今まで後妻を娶られなかったことに申し訳なさも感じております」
「それこそ無用の気遣いだ。ルチアやお前の存在が関係しなかったとは言わないが、全て自身で決めたこと。10年ちょっとの夫婦生活ではあったが、この邸は私と妻、そしてお前という家族の思い出が詰まった場所なんだよ」
「父上……」
「さあ、つまらぬ話はここまでじゃ。爵位の引継ぎなどやることはたんまりとある。新しき当主として気を引き締めていけよ」
「はっ」
◆
「つまり、ジョンもその事を知っていたということか」
「正確には旦那様の隠居の話が出たタイミングで、私から若様にお話しいたしました」
「余計なことを……」
ロシターは私の隠居に合わせて自身の息子とその役目を交代し、一緒に都から領地へ同行してきた家令で、私の先代、つまりルチアの父の代から仕える老臣。マリーと私の関係もよく知っていたのだが、なんでまた今になって召し出すようなことをしたのだろうかと思い、彼女が部屋を辞して後、その真意を質すことにした。
「旦那様は奥方様……いえ、ここではあえてお嬢様と呼ばせていただきましょう。旦那様はお嬢様や侯爵家のことを想い、身を粉にして働いてくださりました。古くから仕える者は、そんな旦那様を皆心底敬愛しております。すでに若様が当代となられ、爵位継承の問題もございません。旦那様のこれまでのご苦労を思えば、隠居となられてからは心安らかにお過ごし頂きたいと、老婆心ながら彼女を召し出しました」
「彼女はそのことを知っておるのか」
「はい、知っております。ですが彼女は話を持ち込んだ折、例え旦那様にその気が無くても、笑い合って話せる相手が1人でも多くいた方がいいだろうから、喜んで参りましょうと言っておりました」
後添えということに拘らず、嫌でなければお側に仕えさせてやってくださいと言うロシターに、そのとき私はどんな顔をしていたのだろうか。諦めていた想いへの渇望、閉ざしていた心をこじ開けられたことへの怒り、そして単純に彼女に再会できた事への喜び……色々な感情がないまぜになっていたように感じる。
「そこまで言うのであれば、否やは無い。だが、私の身の回りの世話など、ほとんど必要ないのはお主もよく知っておろう」
「そこはマリーとてよく存じているはず。ご懸念は無いかと」
そうして私付きの侍女としてマリー〈かつての私の彼女〉を採用することが決定した。
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