リリィとルルガー
ここはとある森の魔女の家。
ここでは魔女と2人の弟子が共に暮らしている。
「師匠ーっ! 今日こそ私に奥義を教えてくださいっ!」
栗色の髪の少女が師匠である魔女に迫る。
「師匠っ! こんなドチビほっといて、俺にっ!俺に奥義を教えてくださいっ!」
銀色の髪の少年が少女の頭を押しのけて、魔女に迫る。
妙齢の黒髪の魔女はいつものごとく、翼の生えた兎の使い魔を一匹ずつ耳に押しあてて聞こえないふり。弟子たちは横からご丁寧に使い魔を耳から引っぺがして「ししょーっ! きこえてますかーっ!? 耳遠くなってませんーっ!?」と大声をあげると師匠のゲンコツが飛んだ。
「うるさいうるさーいっ! 何が奥義ですか! 昨日の儀式を大失敗させたお前たちに教えられる奥義はありません!」
「あれはルルガーが大きい音出すから、呼び出した精霊が逃げちゃったんじゃないですかー。私関係ないしー」
「リリィが変なとこにバケツ置いとくからひっくり返しちゃったんだろ。お前が悪い」
「共・同・責・任です!」
ぎゃあぎゃあと責任逃れをする弟子たちをもう一度ゲンコツで黙らせる。
魔女の弟子、リリィとルルガーは共に14才。魔女の森に捨てられていた幼い二人は魔女に拾われて、弟子として育てられてきた。
「だいたい、お前たちはどうしてそう落ち着きがないんですか! お前たちが優秀な魔法使いになれば我が一門は安泰、依頼もお金もガパガパ……のはずだったのに……! お前たちがっ、お前たちがっ、事あるごとにケンカするせいで儀式は失敗、貴重な魔道具もおシャカになって、我が一門は貧乏から抜け出せないんでしょうがっ! ちったぁ反省して仲良くしなさいっ!」
「えー? 私のせいじゃないしー……」
「俺のせいでもねーしー……」
「仲良くならなくとも邪魔し合わない程度に認め合いなさい。そうでなければ、これ以上魔法は教えられません!」
激怒する師匠に、二人はそっぽをむいて口をとがらせる。
「えー……でもルルガーってアホでガサツでピーマン嫌いでいいとこなんて何にもないし……」
「リリィだってチビでうるさくて人参嫌いでいいとこなんて一つもねーし……」
まだ罵り合う二人に、師匠のこめかみに青筋が浮かぶ。
「それがダメだと言っているでしょうが! まったく、なんでそんなに仲悪くなっちゃったの……。昔はお風呂に入る時も寝る時だって一緒だったのに……」
「えー?なにそれーきしょいんですけどー……いったぁっ!」
「昔は昔だろ? 俺たちは今を生きてるんだぜ? 師匠、昔の話をし出したらもうババァ……いってぇ!」
もう一発ゲンコツを受けた二人が頭を抑える。
「減らず口ばっかり叩くんじゃありません! リリィにだってルルガーにだってちゃんと良いところがあることは私がよーく知っています。これから私は出稼ぎに行きますから、帰ってくるまでにお互いの良いところを10個見つけなさい。二人ともがクリアできなきゃ、もう魔法は教えてあげませんからね!」
そう言って師匠はほうきに跨り旅立ってしまった。
二人きりになってしまうと、リリィはぶーたれながらリビングでソファに寝ころび、ルルガーは2階の自室に行ってしまった。リリィは手持無沙汰に雑誌をパラパラとめくる。
――いいとこ10個なんて、無理に決まってるじゃん。ルルガーのいいところなんて、一個も思いつかないよ。無理……10個とか絶対無理……。でもなぁ……魔法教えてもらえないと困るし……
リリィが見ている雑誌は魔女っ娘の必読書、月刊マジカル・ラブ・マガジン(通称マジラブ)で、今月号の特集は夏の恋のお呪い。「気になる彼をデートに誘うお呪い!」「恋に効く!パワーストーンの使い方!」「超快適!長距離ほうきドライブでも股が痛くならないお呪い!」etc.etc. 魔法の無駄遣いとしか思えないくだらない記事が並ぶ中……
「んんん?」
リリィはそこで、とっておきの秘策を見つけたのだった。
「ルルガー!」
ルルガーの部屋の扉をバーンと勢いよく開ける。
「お前ノックもなしに……!」
机に向かい魔道具(見た目はプラモ)を自作していたルルガーが抗議の声を上げるが、リリィは気にせず机の上に持ってきた雑誌を叩きつける。
「やめろーっ! 俺のプラモがーっ!」
雑誌の下敷きになったプラモを救出するルルガー。
「もうっ、そんなものよりルルガーのいいとこを見つけなきゃ師匠が魔法を教えてくれなくなっちゃうでしょ!? なんでそんな平然とプラモしてるわけ!?」
「リリィのいいとこ見つけるなんて無理無理。ねーし。プラモ壊すし」
ルルガーはリリィの顔も見ずに救出したプラモが傷ついていないかをじっくり確かめている。
「私もそう思ったのよ! ルルガーにいいとこなんて何にもないって! でもね! そんな私たちにも秘策があったのよ! 嫌いなら好きになればいいのよ!」
「はあ?」
「これを見て!」
雑誌の記事を指さすと、ルルガーは面倒くさそうに雑誌をのぞき込んだ。
「えーと……、なになに……? この夏は魅了魔法で気になるアイツもイチコロ☆ ……頭沸いてんのかお前……」
可哀想なものをみる目をするルルガーを、リリィはフフンと鼻で笑う。
「これだから単細胞プラモ男は……。わ・た・し・が、ルルガーを好きになるんて200%あり得ないのだわ! でも師匠の手前10個いいとこ見つけないといけないの! それには、この『魅了』魔法を利用するのが手っ取り早いのよ!」
「……なるほど。魅了されている間にいいとこ書いて、書き終わったら魅了を解けばいいって算段だな!? リリィ、珍しく冴えてるな!」
「フッ……珍しくは余計だけどね! さあ、お互いに魔法をかけ合うわよ!」
「なんで? リリィに魔法をかけられるなんてこえーよ。自分で自分にかけるよ……」
「馬鹿ね。私が自分に魔法をかけちゃうと効きすぎて万一ってことがあるじゃない? その点、ルルガーのへなちょこ魔法だったらすぐに跳ね返せるもの!」
「なんだと!? ……いや、だが俺の超絶魔法だと俺に効きすぎるってことは……あり得るな。うん、リリィのへぼ魔法ならその点大丈夫だ」
「……いちいちルルガーはムカつくのよね……。まあいいわ、さあ、早速かけ合いましょう。それでサクッと長所を聞き出して、余った時間は私も村のお祭りに出かけるのだわ!」
二人で雑誌の記事を見ながら杖を構え合う。杖は指揮棒ほどの長さで、リリィのは白檀の枝の先に赤い魔法石が、ルルガーのは黒檀の枝の先に青い魔法石がはまっている。
「……おい、分かってるな? 俺がリリィに惚れるようにするんだぞ? リリィ以外に惚れだしたらぶっ飛ばすからな」
「分かってるわよ! 私だってこんなときにいたずらしないわよ。……ああもう、話しかけるから構成やり直しだわ……ブツブツ……」
二人の目の前にそれぞれ桃色の光の糸が現れ、精緻な魔法の文様が描かれていく。
――……ルルガーに魔法の出来で舐められると、私の沽券にかかわるわ。ちょっと強めにアレンジしとこ……
こっそり魔法の構成に術式強化の文様を盛り込む。
二人で同時に魔法の呪文を唱えると、二人の体を桃色の光が包み込む。
やがて、その光が消えると……
ドクン、という大きな心臓の鼓動と共にたちまち体中が熱くなり、リリィはその場に膝から崩れた。
「なに……これ……、体が熱い……」
心臓が全速力で走った時のようにバクバクと鼓動して、苦しくてたまらない。
目の前のルルガーを見ると、彼も同じように胸を抑えて苦しんでいた。
「る……ルルガー……?」
呼びかけると、目があった。
彼の熱を帯びた水色の瞳がリリィを射抜く。
汗ばんで気だるげな表情にリリィの心臓が止まりそうになった。
いつも見慣れた銀色の髪も、蒼い瞳も、通った鼻筋や薄い唇も見るだけでドキドキが止まらない。
雑誌のイケ魔法使いを見た時よりも胸がときめいている。魅了の魔法がかかっているとはいえ、これは予想外だった。
ルルガーもうっとりとした目でリリィを見ている。
「……リリィ……お前……かわいいな……」
ルルガーが四つん這いですり寄ってくると、ふわりとシャンプーの香りがして、ぶわわっと顔に熱が集まった。
骨ばった手がそっと伸びてきてリリィの頬に触れると、指先の冷たさにビクリと震えてしまう。
――なんだか、別人みたい。
急に怖くなって逃げ出したいのに腰が抜けて動けなくて、ルルガーの顔がどんどんと迫ってくる。
――ま……まさかキスされちゃう……!? それはさすがに……いや、でも……でも……
理性を総動員させて、どうにか顔を下に向けてふるふると頭を振る。
「ルルガー……さ……触んないで……」
細い手でルルガーの体を押しのけようとすると、逆に強く抱きしめられてしまう。リリィの口から小さく悲鳴が漏れる。
「どうしてだ? 俺はリリィのこと、こんなに好きなのに……」
――好き!? 好きって言った!? ルルガーが私のことを好き!? あ、魅了の魔法の効果だっけ……、さすが私天才すぎる……いやそうじゃなくて!
「る……ルルガー、そう! 私のいいとこ10個、ほら、早く書いて!」
持ってきたノートとペンをルルガーに渡すと、ぽーいと投げ捨てられてしまった。
「リリィ、そんなの後でいいだろ?」
耳元でささやかれる声が甘くてドキドキする。
「そんなのって……!」
リリィが抗議の声をあげると、ルルガーはリリィの体をひょいっと抱き上げた。
「わっ……!」
思ってた以上に腕の力が強いことを感じて胸が苦しくなる。
「ほら、今日は村のお祭りの日だろ? 行こうぜ!」
ルルガーはリリィを横抱きにしたまま、村の入り口まで歩いて行った。リリィが恥ずかしいから降ろしてと言うと、不服そうにしながらも手つなぎに切り替えた。
村はすでにオレンジの光の灯った提灯が幾か所にも吊るされている。出店がいくつも出ていて人通りも多い。
もうすぐ日暮れで、空は夕焼けで紅く染まっていた。
「あ、わたあめ食べたい!」
リリィがそう言うとルルガーがすぐに買い与えてくれた。
「……めずらしい。ルルガーってプラモ買うためにお金貯めてて買い食いなんてしないのに」
「プラモよりリリィの方が好きだ」
「!?」
いつもの彼なら絶対に絶対に言わないセリフに愕然とする。
「リリィは? 俺のこと好きになったんだろ?」
「う……今は……そうだね……」
「リリィには魅了の魔法が上手くかかってないのかな……。ちょっと出力上げとくな」
曖昧な答えを返すとルルガーが首をひねって懐から杖を取り出そうとするので、リリィは慌ててそれを押しとどめる。
これ以上、ドキドキさせられたらショック死してしまう。
「大丈夫! うん! 好き! 私、ルルガーのこと、大好き!」
「そう? うれしい」
破れかぶれに好きを連呼するとルルガーははにかんだ笑みを浮かべてきて、リリィはクラッとする。
――これは……あれだわ……、私の魔法が効きすぎちゃってるんだわ……。このルルガーは怖い……! 早く私のいいところを聞き出して解呪しないと、私の心臓が持たない……!
ずっとドキドキしていて心臓が口から飛び出す寸前のリリィはこっそり録音魔道具を作動させる。
「わ……私の好きなところってどこ?」
尋ねると、ルルガーは眩しい笑顔を向けてきた。
「ぜんぶ」
「う……そうじゃなくて……具体的に」
「かわいいところ。髪がふわふわで触り心地がいいところ。抱きごこちがいいところ。キャンキャン吠える子犬みたいなところ。あとは……」
これ、全部恥ずかしくて師匠に言えない奴だ……と顔を赤くしながら聞いていると、
「飴つけて子どもみたいなところ」
そう言って、ぺろっとリリィの口の横を舐めた。
「~~~~~~っっ!!」
「あっ、リリィっ!」
リリィは恥ずかしさに耐え切れずに、逃げ出した。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
人ごみをかき分けて走ると、やがてお祭り会場から外れた暗い道まで来てしまった。
――なにあれなにあれ! ぺろって……あんなのルルガーじゃない! 怖いよぅ。
口の横をゴシゴシと手でこする。顔は確かにルルガーなのに、することは全部ルルガーがしないことばかりだ。
ルルガーは、アホでガサツでプラモ好きで邪魔ばっかりしてくる単細胞馬鹿だ。でもあんな色ボケじゃない。ドキドキするのに好きじゃないなんてなんてことだ。ルルガーの魅了の魔法は失敗している。
もう耐えられない、魅了の魔法をすぐに解こう、と思って杖を取り出そうとして懐の中に杖がないことに気づいた。
サーッと血の気が引く。
魔法使いの杖は命の次に大事なものだ。師匠から授けられた杖をなくすなんて、なんて失態だ。
きっとどこかで落としてきたんだ……。
トボトボと、杖を探しながら来た道を歩いていると……
「お嬢ちゃーん、一人~? 俺たちとあそんでいかなーい?」
ガラの悪い男3人組が話しかけてきた。
手には酒瓶を持っていて、お祭りにつきものの典型的な悪い酔っ払いだ。
「どっか行って。私今忙しいの」
サッと横を通り抜けようとすると、腕を乱暴に掴まれた。
「そんなこと言わないでさー、ほら、俺たちと楽しいことしようぜー?」
陳腐なセリフに腹が立って魔法で蹴散らそうとしたところで杖がないことに気づく。
男の力は強くて、素手のリリィでは歯が立たない。
「やめて……! 離して……!」
「やめてだってかーわいー。へっへっへ……俺たちと祭りを楽しもうぜ……!」
「そうそう、祭りでひとりぼっちなんて寂しすぎるだろー?」
魔法が使えたらこんな奴らにいいようにされないのに。
必死で抵抗しながらも、悔しくて涙がにじんできた。
その時。
「俺の女から手を離せ。ゲスが」
ルルガーが来た。
ヒーローみたいな登場の仕方に胸が苦しくなる。
「ルルガー……」
「リリィを泣かせたな……! 許さん!」
ルルガーが次々と男たちを殴り飛ばしていく。大人の男にも負けない強さを彼は持っていた。
リリィは苦し気にそれを見ていた。
――なんで、魔法がなくてもこんなに強いの……?
男たちが聞くも無残な捨て台詞を残してすごすごと退散していく。
「大丈夫か? リリィ。杖、落としてたよ」
リリィの杖をルルガーが差し出すと、リリィはそれをひったくるように奪った。その様子に戸惑ったルルガーが慰めるように肩を抱こうとしてきて、リリィは思い切りその手を跳ねのける。
「やめて……! 触んないで! なにそれ! なにそれ! ルルガーはこんなことしない!」
「リリィ……?」
「私のルルガーは……! 私のルルガーは! チビで、どうしようもない馬鹿で!プラモばっか作って! 優しい言葉なんてかけてくれたりしなくて! ……でもいつも私と対等でいてくれた……」
悔しくて涙がこぼれてきた。
魔法の力がないと、あんなヤツラに負けてしまう自分が許せなかった。ルルガーなら勝てる相手だというのに。
「今だって……ルルガーだったら杖を渡してきたはずだもん。杖さえあれば私、あんな奴らになんて負けないもん……なのに……なのに……」
「リリィ……」
リリィは杖の先をルルガーに向ける。
「あんたなんてルルガーじゃない。ルルガーじゃないヤツに私のいいとこなんて絶対わかんない。戻って。元の馬鹿に、ちゃんと戻って!」
リリィは解呪の呪文を唱える。
淡い光がルルガーの体から夜の空へと消えていく。
「ルルガー……? 元に戻った?」
「ああ……。戻った……」
ぐったりと疲れた顔をしたルルガーは、悲し気な顔をリリィに向ける。
「リリィの魔法も……解くよ」
ルルガーが解呪の呪文を唱えると、リリィの体から熱が去っていく。心臓の鼓動も正常の速さに戻った。
「疲れた……もう、帰ろう……」
ルルガーがリリィの手を引く。
「触んないでよ」
振りほどこうとしてもルルガーは離さない。
「また変なのに絡まれたらめんどくせーだろ。嫌だろうけど家まで離れんな」
いつもの彼の口調。なのに、魅了中の彼の優しい仕草と似ている。
――なんで? 魔法はもう解けたはずなのに……。
村を抜けて、真っ暗な魔女の森を歩く。二人の前には魔法の青白い光の玉が浮かんで夜道を照らす。
歩きなれたいつもの道だ。幼い頃から何度も二人で通った道。
「……昔はさ、リリィがいっつも俺の手を引いてくれてたよな」
リリィの手を引きながらルルガーは少し前を歩く。リリィはその背を見ながらついていく。
「だって、ルルガーはお化けが怖いって言ってたじゃない。それに私の方がお姉さんだし」
「ハハッ……師匠に3日早く拾われただけでいつまでも姉貴面すんなよ」
「事実だし」
いつもならまだまだ言い返してくるのに、ルルガーは黙ってしまう。
それがリリィには悲しく思えた。
「何とか言いなさいよ」
「別に……。疲れてんだよ……家に、帰りたい」
本当に消耗したような言い方にリリィも言い返せない。
魅了の魔法の副作用なのだろうか? でも、リリィはなんともなかった。
家に帰ると、ルルガーはすぐに自室に戻ってしまった。
ルルガーに元気がないと張り合いがないし、今日は師匠もいないから家が静かでつまらない。仕方なくリリィもリビングで飲み物を飲みながら、手持無沙汰に雑誌に目をやる。
パラパラとページをめくり、今日使った魅了の魔法の次のページを見ると、魔法の解説がされていた。それを何とはなしに見ていると――
「…………!?」
そこに書かれていた言葉を見て、リリィは自分が何をしてしまったかを、知った。
――私……そんなつもりじゃ……
「リリィ」
呆然としていると、ルルガーが横に立っていた。
「ルルガー……」
ビクッと震えて、今にも泣き出しそうな顔でルルガーを見る。
それで何かを察したのか、ルルガーは黙ってテーブルにメモを置いて、いなくなってしまった。
リリィが震えながらメモを見ると――
そこにはびっしりと、リリィのいいところが書かれていた。
「ちょっと待って! ルルガー! ルルガー! 待って!」
慌ててルルガーを追いかけた。
自室の扉を開けたところでルルガーは立ち止まってこちらを向く。
「何? もう俺に用はねぇだろ」
リリィはメモを握りしめて、何と言ったらいいかわからなくて口をつぐむ。
その様子にルルガーは、はあっと深いため息をついた。
「……リリィは、そうだよな。ずっと俺の姉貴面をしたかったんだよな。なのに、俺がお化けが怖くなくなって、背も伸びて、かわいい弟じゃなくなったから面白くなかったんだろ。……知ってたよ。だから、ずっとつき合ってやってた。……それが俺だって楽しかったんだ……。男として見られなくったって、リリィとぎゃあぎゃあ騒いでたらさ、楽しかったんだ……。でも、あの魔法で……全部、暴かれた」
目を伏せたルルガーの肩は震えていた。
あの雑誌で『魅了』の魔法とされていたのは、ただの動悸を強める強心剤のような作用しかなかった。ルルガーがリリィにかけたのは雑誌に載っていたそのままのもので、正しくリリィに作用していた。
しかし、リリィがルルガーにかけた魔法は『魅了』ではなく、『自白』の魔法。心を素直にさせる作用のあるものだった。リリィが強化の作用のある文様として魔法に組み込んだと思っていたものが、魔法自体の種類を変えさせてしまっていた。
だから。
彼の行動の変化は、すべて彼がずっとしたかったこと。
甘い言葉も、甘い仕草も、リリィのことを守るような行動も、すべて彼本来のものだった。ずっと隠していただけの本心だった。
それを、リリィは否定した。バッサリと。
強制的に本音を吐かせるだけ吐かせて、心の奥底を安易にえぐった。
「ごめん……ごめん……なさい……そんなつもりじゃ……」
力なく謝罪の言葉を繰り返すリリィにルルガーは悲しく微笑む。
「もうあんなことしないし、師匠の言うように『仲良く』してやるから、安心しろ。……おやすみ」
パタンと扉が閉められた。
――ルルガーがあんなこと考えてたなんて……。
リリィは罪悪感でいっぱいになりながらベッドの中でボロボロ泣いていた。
ルルガーのことを、嫌いなんて、嘘だ。
ずっと一緒に生きてきた。弟のように可愛がって、守ることで自分も強くあれた。
なのに、少しずつ何も怖がらなくなって、リリィにはできないことがたくさんできるようになって、背だってズンズン高くなっていって、魔力だってルルガーの方が強くなって……。
リリィは焦っていた。置いて行かれてしまうのだと思った。だから意地悪をしたり、憎まれ口を叩いたりして、自分がまだルルガーと対等でいたいと思っていた。
師匠に奥義をねだったのだって、ルルガーと同じタイミングだったら、きっと負けてしまうからで、それでも先に教えてもらってたくさん練習すればまだ追いつけると思いたかった。『魅了』の魔法を使うときに強化文様を埋め込んだのだって、同じ魔法を使ってもしルルガーに効かなかったら、これっぽっちの魔法しか使えないのかと馬鹿にされたくなかったからだ。
そんなズルを重ねてでも、彼の横に並び立てないなんて嫌だった。
でも、そんなのはとっくに終わっていた。
ルルガーはリリィが思ってたよりもずっと大人で、男の人で、力強くて、もう逆立ちしたって敵いはしない。
子どもの時間はもうすっかり終わってしまっていて、しがみついていたのはリリィだけだった。
「……カッコわる……」
泣きながら笑ってしまう。
涙をぬぐってベッドから起き上がり、机に向かう。
弟にあんなことを言わせて、泣き寝入りなんてできない。
ランプにそっと魔法の灯りを灯して、ペンを取り言葉をつづる。
これは、何になるだろうか?
――追憶かな?
それとも、決別かな?
彼に対する謝罪になるのかも、分からない。
それでも、今自分の出来る精一杯で、彼に気持ちを伝えたかった。
翌朝、ルルガーが部屋の扉を開けると、横にリリィが座り込んで眠っていた。
「うぉ……。おま……びっくりさせんなよ……」
思いもよらないことにルルガーはたたらを踏んで驚く。
「……ん……ルルガー……おはよう……」
「……なんでこんなとこで寝てんの?」
気まずそうに尋ねるルルガーに、リリィは胸に持っていたノートを押し付ける。
「これ、あげる」
「これ……って……ああ……俺のいいとこ書いてくれたのか……。でっちあげてくれたわけね……」
拗ねたようにつぶやいて、ノートをめくる。
訝し気に眉が動き、どんどんとページがめくられる。
「……これ、全部昔のことじゃん」
ノートに書かれていたのは、ルルガーとの幼い日の出来事だった。
ルルガーが一人で夜トイレに行けるようになった日のこと、字を一緒に覚えた日のこと、迷子の精霊獣を少しだけ飼った日のこと。
森で薬草を栽培したはずが種が違っていて食人花が生えてきて逃げ惑った日のこと、村の学校ではじめて友達ができたときのこと。
楽しくも愛おしい二人で過ごした思い出の数々。
一つ一つの出来事に、ルルガーがどんなに頑張っていたかが書かれ、そのそばには花丸が添えてあった。
「そうだよ。だって、私それしか知らないもん」
リリィは柔らかく微笑む。
それが、リリィにとっての今までのルルガーだった。でももうそれにこだわることはやめた。足踏みしたままでは、一歩先を行く彼には追いつけないから。
「ルルガーは今の自分を隠してたわけでしょ? じゃあ私、今のルルガーのいいとこなんてわかんないよ。……だからね」
リリィはルルガーの手を握る。それは、姉としてではなく、ただのリリィとして。
「これから教えてよ。私、これから今のルルガーのことをいっぱい知っていきたいよ。いいところも、悪いところも。全部隠さないで?」
知らないから、これから知っていきたい。
「もう私は……ルルガーに全然敵わなくなっちゃったけど……それでも、ルルガーの隣に……いても……いいかな……?」
変わってしまった彼のそばにも、変わらずにいたいと思った。
泣き出しそうな顔のリリィを、ルルガーが強く抱きしめる。
「何言ってんだよ……。俺が、リリィに勝てたことなんて、一度もないだろ……」
「そんなことないでしょ。もう、腕力だって、魔力だって、ルルガーの方が強いよ……」
認めてしまうと、涙がこぼれた。
それを彼が指で拭う。
「そんなの、どうでもいいだろ。魔法の種類はリリィの方がたくさん知ってる。魔法薬の作り方だって」
どうでもいい、という言葉に心が軽くなる。
自分の価値観がいかに狭かったかに気づいて、笑ってしまう。
――そっか。ルルガーにとっては、力の強さなんてどうでもよかったんだ……
他の人に言われてしまえば腹が立つ話でも、彼が言ってくれたからストンと心に落ちた。
そうしたら、もう彼のどんなことも認めてしまっても大丈夫だと安心できた。
「魔道具はルルガーの方が上手に作るよ? あと、儀式の段取りが上手い」
「でも銭勘定はリリィの方が速い」
「ふふっ。まあね! あ、でも儀式用の山羊を捌くのはルルガーの得意とするところだよね!」
「お前それ自分がやりたくないだけじゃねぇか……」
お互いの腕の中で二人はクスクスと笑い合う。
「リリィは……俺が……怖くない……?」
恐る恐る探るようなルルガーの視線に、リリィは安心させるように微笑む。
「今は怖くないよ。ルルガーは……私が怖い?」
問いかけにルルガーは傷ついたように目を逸らす。
「……怒ると怖い。『あんたなんてルルガーじゃない』って言われた時は心臓止まるかと思った……」
「う……ごめん……」
しょぼんと謝るリリィに、ルルガーはわざと怖い顔をする。
「許さない。好きな子にあんなこと言われて、俺もう生きてけないって思った」
「……うう……だって別人になったって思ったから……」
ルルガーはニヤッと笑って、自分の口に指をあてた。
「キスしてくれたら、許してやるけど?」
リリィの顔が真っ赤に染まる。
そして、左右をキョロキョロと見て誰もいないことを確認して、
「……師匠には言わない?」
上目遣いのリリィをルルガーがニコニコと見つめる。
「秘密が良ければそうするよ」
リリィはしばらく逡巡して、それから、えいっとルルガーの唇にキスをした。
一瞬だけで離そうとしたのに、頭の後ろを掴まれて離れることができない。
「ん~~~~っっ!! ん~~っ!」
ドンドンとルルガーの胸を叩いて抗議するのに、ルルガーはより強く唇に吸い付いてくる。
やがて、リリィがキスを大人しく受け入れて結構な時間が過ぎた頃、やっと唇が離れた。
へたへたと崩れそうになるリリィの腰をルルガーが支える。
そして、
「これは今の俺のいいところ? 悪いところ?」
と清々しい笑顔で問いかけてきて、
「そんなの知らないわよ――――ッッ!!」
魔女の森にリリィの絶叫がこだました。
✽++✽――✽++✽――✽++✽―― ✽++✽――✽++✽――✽++✽――
「ふむ、リリィもルルガーも無事お互いのいいところを見つけられたわけですね。うんうん、やればできる子ですよ、あなたたちは」
出稼ぎから帰ってきた師匠は課題のノートを見て満足げに笑う。
ツヤツヤとした笑顔のルルガーと、気まず気に目を逸らすリリィ。
師匠が帰ってくるまでに、リリィがルルガーの『いいところ』をたっぷりと教え込まれていたのはまた別のお話。
お読みいただきありがとうございました。