オリエンテーション・タグ
街を馬車で移動して数分。メアたちの馬車は学院の正門を潜り抜ける。馬車は次第にゆっくりになり、完全に停止する。
「リース先輩。手を拝借」
「ありがとね。……こういった事もお母様から学んだの?」
「まあな」
停止したところでメアが荷物を持って先に降りる。そして、降りるリースが馬車から降りる際に手を貸す。リースが転びそうだからとメアが気を利かせたのだ。
リースが降りたところでメアほ手を離して学院の建物を見上げて細かい装飾を見る。万が一のために使うためだ。
それを見て再び頬を膨らませたリースに腹をつつかれて見るのを止め、自前のスーツケースを手て持つ。
「それじゃあね!」
「ああ」
重そうに教科書類を持ったリースとメアは一度別れる。リースにはリースの、メアにはメアの行動があるためである。
二年生たちが馬車から去った後、パンパンと手の叩く音がする。メアが音源を振り向くとメガネを掛けた知的な女性が立っていた。
「初めまして。入学者様たち。私はメッシーナ・スバテッラ。貴方たち一年生の主任を勤めさせて貰っている者です」
礼一つとっても真面目さを物語る妙齢な女性に男子生徒たちは目を奪われ、女子生徒たちは感心する。そんな中、メアは冷や汗を垂らしていた。
(メッシーナ・スバテッラ。『光』と『闇』の中間に位置している『灰』の世界の人間の強者、まさかここで巡り合うとは思ってもいなかった)
だが、メアは仕掛けない。真っ正面から戦えば確実に自分が負ける。
『闇』の世界で生きてきたメアの嗅覚や第六感が正しくメッシーナの実力を把握している。
しかし、それは『真っ正面』から戦えばの話。奇襲と奇策を持って入念に準備を整えて確実に仕留める事を得意としているメアなら、準備をしっかりすれば勝てる相手だとメアは本能的に察した。
「それでは、校舎内を案内します」
そんなメッシーナの後をメアたちは歩く。メアは歩きながら学院内を観察する。
学院内は華やかさと厳かさ、重厚さが入り交じった奇妙な場所だった。庭園や中庭には花が咲き誇り、中央にある噴水は精巧な彫像が置かれている。それでいて学院の校舎は重厚な石造りで物々しい雰囲気を漂わせている。
城であり学舎。リースから聞いていた印象と同じだとメアは内心思いながら首を動かさずに校舎につけられた元見張り塔を見上げる。見上げた先には上級生が一年生を冷徹な目で見下ろしていた。
殺意や害意はなかったが、メアの気配の察知に引っ掛かったのだ。
(いや、塔だけではないな)
肌をチクチクと刺すような感覚に内心イラつきながら悟る。自分達が完全に包囲されている事を。
渡り廊下、教室の窓、中庭の茂み、噴水の影――そう言ったところから上級生たちは一年生を冷徹に見下ろしているのだから。敢えて挙動不審そうにキョロキョロと首を動かして他の生徒を確認するが、大多数が上級生の視線に気がついていなかった。
(仕方ないか。見た感じ、農民の子や職人の子もいる。命懸けの環境に身を置いてなければこれを察知する事は出来ない)
気配の察知は戦闘を行う者にとっても熟練者しかする事の出来ない技法。それを平然とメアが使えるの命懸けの環境他ならない。
いつ命を落としても、若しくはそれ以上に最悪の事態になりかねない。故に生きるための力が高まった。その一つが気配の察知なのだ。
「おや、黒スーツの君は気づいているようだね」
「……あんたもか」
背後にいた金髪の青年がメアに話しかけてくる。メアは少し警戒しつつ歩く速度を落として青年の隣を歩く。
青年は貴族のパーティーにでも着ていくような白い礼服に金の縄を着ており、手には白く薄い布のグローブを装着。腰には剣を携えているが装飾が華美のため戦闘用ではなく儀礼剣。貴族よりも高位……王族の中でも第一継承権を持つ程の高い位地にいるだろう。
だが、メアにとってはそれらは後回しだった。
(……聖痕)
青年の右手の甲に円形の赤い文様が刻まれていた。それは、平民には神の奇跡ともてはやされ、メアたちにとっては最も警戒するものだった。
聖痕。稀に人に刻まれ、刻まれた人は超常の力を使えるとされている。その一つひとつが並の武器では歯が立たないほどの力を保有しており、ものによっては小隊が師団を吹き飛ばす、どころか戦局をたった一撃で傾けることすらできる絶大な力を保有している聖痕がある程だ。
そんな聖痕の所有者は『闇』の世界でも現れる。『闇』に堕ちるのは『光』では生きれなかった化け物ばかり。そのため、『闇』の世界では聖痕を保有しているだけでも警戒対象なのだ。
(こいつはリース先輩と同じく『光』の世界の人間。危害を加える意思はないだろうが……警戒しておこう)
手刀の射程範囲に青年の首を収めながらメアは青年と話す。
「僕の名前はリューク・アキレス・チャリオッツ。アキレス王国の第一王子さ。君は?」
「メア。ただの平民だ」
「平民……」
「不満か?それは悪かったな」
「いや、平民と話せて僕は嬉しいよ。王国では儀式の時しか平民を見ることが出来なかったし、窮屈だったんだ」
「窮屈……確か、アキレス王国の貴族は格式張った儀式やパーティーを好む傾向があると聞いた事があるが、それが本当だったのか」
「そうだよ。旅も出来ないしずっと城の中で勉強や作法、ダンスのレッスンばかり。嫌気が差してお供を連れて旅に出ようかと画策していた時に学院からの手紙が来たんだ」
「苦労しているな……。そう言えば、リューク様のデュアルは誰だ?」
「リュークでいいよ。僕のデュアルは僕の従者でね。二歳年上で、去年この学院に入学したから父上が権力で強引に決めたんだ。僕としては他の人でも良かったんだけどね」
「そりゃあ、最低でもリュークの身分と釣り合う人間でなければ不手際があるかもしれないからな。……女に食われそうになった事がないから分からないかもしれないけど」
「はっはっはっ。……メアも社交界に出てみないかい?君くらいの年頃なら生き遅れの人たちが野獣のような目で襲いかかってくるから」
「全力で回避させてもらう」
すっかりリュークと意気投合したところでメッシーナが手を叩く音がする。メアたちはメッシーナの方を向く。
「皆さん。ここに手荷物を置いて下さい」
メッシーナの命令をメアたちは顔を見合わせつつ籠の中に荷物を積める。
「それでは皆さん、これより上級生とのレクリエーションを始めます」
「……逃げる準備をしようかな」
予想だにしなかった言葉にメアは嫌な予感を感じとり静かに後ろに移動する。視線がメッシーナに向いているのなら気配を消したメアなら気づかれずに動ける。
「貴方たちには学院内にいる自分のデュアルを探してきてください。デュアルを見つけたらこの場に戻ってきてください。また、今ここを見ている人たちに捕まれば即脱落です」
「「「「えっ??」」」」
メッシーナの言葉で多くの入学者がこちらを見ている上級生たちに気づく。
「それでは、開始!」
どよめくよりも速く、メッシーナは笛を取り出して吹く。笛から鳴り響く高い音と共にメアは地面を蹴る。殺到するであろう校舎の出入口を無視しガラスを開けて中に侵入する。
「なっ!?速すぎるだろ!?」
「あの笛の音に反応したのかよ!?」
「追うぞ!あれはかなりの手練れだ!」
あまりの手早さに驚きながら追いかける上級生たちの中をメアは疾走する。
「おい!もうこっちに来たぞ!」
「ここで止め――グボホッ!?」
階段を複数人で固める大人げない上級生の一人をメアは肉薄すると同時に腹を殴る。
「邪魔をするな!!」
勢いのまま唖然とする左右の上級生の頭を掴み二人の頭をぶつける。気絶した上級生を投げ捨てると同時にメアを捕まえようと伸ばした手を身を屈めて回避する。
がら空きになった足を払い転ばせると腹の上に勢いよく飛び乗り肺の酸素を一気に抜く。ついでに吐瀉物も出たがメアはかからなかったため気にすることなく前の方に前転して背後からの手を回避する。
メアは勢いを利用して地面に手を着いて飛び、階段の踊り場に立つ。階段を登ってきた上級生の背後から伸びる手を回し蹴りで弾く。蹴った足をそのまま半回転させ後ろに構えると上から飛び降りてきた上級生の顎をアッパーで殴り上げる。
アッパーの大きな隙を見計らって手を伸ばしてくるが命懸けの戦闘を繰り返していたメアは冷静に回避する。
あまりの大立ち回りを演じるメアに上級生も少したじろく。その瞬間、メアはバク転して階段の壁にある光が漏れる穴に乗る。
そして、そのまま外に出て煉瓦の突起を三本の指で支えながら勢いよく登る。
「階段周りに人を集めろ!」
「屋根の方にも人員を回せ!」
「手加減をするな!相手はかなり戦い慣れている!」
「非殺傷の聖痕を発動させろ!」
下から聞こえる怒号交じりの声にメアは臆することなく登り、三階の窓のある窪みに立つ。しゃがんで木の板の窓を数回揺らして外すとメアは再び城内の空き部屋に侵入する。
(ちっ……かなり人の動きが速い。集団での動きが手慣れているようだな)
ドアの外で広がる足音と伝令に内心舌打ちしながらグローブを深く入れる。足音が聞こえなくなったところでドアを開けると勢いよく駆け出す。
「はぁ、はぁ……た、助けてぇ!!」
「~~!こっちに来い!」
息を切らして助けを求める小柄で優しげな顔だちの美少年を見かけて苦虫を噛み締めるような顔をしながら大声で上級生たちをこちらに意識を向ける。
意識を向けられた瞬間身を屈めて床を蹴り一番前にいた女子学生の腹を掌底で身体ごと吹き飛ばす。後ろにいた数名を巻き込みながら後ろの扉に当たりずるずると床に倒れる。唖然とするなか、メアは距離をとるため後ろに飛び退く。
「「「「このクソガキィ!!」」」」
「今のうちに速く逃げやがれ!」
「う、うん!!」
頭の理解が追い付いた上級生の怒号に臆することなく美少年に命令すると美少年は駆け出していった。笑顔を少し見せると再びメアは走り始める。
まだ、オリエンテーションは始まったばかりなのだから。