学院都市にして城塞都市
「メアくん、そろそろ着くよ」
「……分かった」
体を揺すられて目を覚ましたメアは眠気眼を擦って目を覚ます。
そして窓から見えたのは大きな城壁だった。ざっと五メートルはあるだろう城壁の周りには水堀が掘られ、橋の架かった門には幾つもの馬車が止まっていた。その全てが似たような装飾をしているため学園の馬車だとメアは予測した。
「てい!」
圧巻の城壁を見ていたメアの頬をリースがつつくとメアはのんびりと振り向く。
「どうかしたのか?」
「ここが学院都市だよ。見てどう思う?」
「城壁が凄い。何故学院が主軸なのに城壁があるんだ?」
「それはね、昔学院は戦争の拠点の一つになった事があったの。その名残。学院もその当時改造されて城の形をしているの」
「へぇ……だが、今まで見てきた城壁の中でも上に入るだけの大きさと規模だ。歴史や見応えがある」
「そうなんだ。メアくんは今まで旅をしてたの?」
「まあ、そうなるな」
笑顔で話すリースにメアも少しだけ表情を緩めて会話を続ける。
あの後から何度もリースがメアの身体に覆い被さったり、メアの手がリースの胸を掴んでしまったりと言ったアクシデントが頻発した。ここで行くところまで行かない辺りがメアとリースの貞操観念がしっかりしてるのがよく分かる。
そのためか結果的に二人の距離は会った当初よりもかなり近くなった。リースも砕けた口調で話し、メアも警戒心を解いて信用している。
「どんな場所に行ったことがあるの?」
「うーん……有名な観光地だとアルクサスアイランドかな」
「あの世界で一番綺麗な海がある島ですか?良いなぁ……」
「あそこの海の色とリース先輩の髪の色はよく似ているよ」
「そ、そうかな……エヘヘ……」
嬉しそうに照れながらリースは頬を人差し指で掻く。
そう言えば、とメアは続ける。
「あそこの領主の一人娘がグローリア学院に通っていたはずだ。俺よりも一歳年上だからリース先輩と同級生だったはずだ」
「そうなんだ。どんな人だったの?」
「うーん……活発でよく住民と素潜りで貝を取ったり銛で魚を取ったりしてたな。およそ、貴族の娘とは思えなかったな」
かつて訪れた観光地の話をリースに話ながらメアは二年前の事を思い出す。
(確か、有力な貴族の暗殺のために行ったんだよな……。暗殺があまりにもすぐに終わったから一週間も空いたから観光をしていた。その時にたまたま海辺の湖で体を洗っていた時にあいつに出会ったんだよな)
健康的な褐色の肌にスラリとした高い身長、長い黒髪を一つに結んでいた。身体から滴る水滴は少女の綺麗なストレートのボディラインを強調していた。
だが、それ以上にメアにとって印象的だったことがある。
(あの人は……裸を見られても何も動じない人だったんだよな……)
彼女曰く『慣れた』とのことらしい。学問を学ぶよりも漁をしている時間の方が長い彼女らしい言葉だった。
(その後からかな。よく俺に絡んでくるようになったのは)
街角で、料理屋で、屋台で、海辺で。島の至るところで少女とメアは出会った。笑ったことあった。喧嘩したこともあった。普通の人から見ればそれは仲の良い友人という関係にしか見えなかっただろう。
だが、『闇』の世界の住人であるメアにとっては少女はかけがいのない友であり、その思い出は生きてきた中で一、二を争う幸せな思い出である。
少女との思い出をメアがリースに話しているとリースが僅かに上を見上げて質問する。
「へぇ……あれ?それじゃあ、メアくんはいつから旅をしてるの?」
「十歳の時からだ。……母さんが死んでから数日後だ」
リースの質問にメアは少し落ちた気分で話す。聞いてはいけない事を聞いたと思ったのか、リースが頭を下げてくるが、メアは頭を降って続ける。
「旅をしたのは母さんの遺言、『世界を見なさい』ということを実行するためだ」
「お母様を……愛してるのね」
「まあな。父親がいなかった俺を母さんは愛してくれたからな」
汗まみれになり、細い指を常に傷つけ、働く母親の姿をメアは思い出す。
メアを女手一つで育ててた母親は毎日朝早くに帰って来て疲れた体に鞭打ってメアを世話していた。別の領地のメイドをしていたこともあり、博識だった母親はメアに文字の読み書きや計算の仕方、簡単な礼儀作法を教えた。メアが学ぶことを苦にしないところや貴族のパーティーに侵入してもバレないのは母親の影響が大きい。
貧しいけれど幸せな生活。だが、それも長くは続かなかった。母親が体を壊し病を発病してしまったからだ。
日に日に衰弱していくのを目にしたメアは母親を救うために様々な事をした――その一つが暗殺だった――が、最後は母親は死んでしまった。
何日も泣きじゃくった後、母親の遺言を思い出したメアは暗殺者として生活しながら旅を始めたのだ。
(……まあ、ここら辺は言えないな)
母親との幸せな思い出とそこからの転落をメアはそっと心の奥底に押し込める。
こんな話を『光』の世界の住人にするものではない。こんな話、『闇』の世界では掃い捨てるほど転がっている。そうメアは思っているからだ。
「あ、そろそろ入れそうですよ」
「ああ。……おお!これは見事な」
門をくぐり窓から見える街並みを見てメアは目を輝かせ驚嘆の声を洩らす。
学院都市の街並みは今まで見てきたものの中でも上位に入る街並みだった。建物は全て廉価造りでその廉価も様々な色にカラーリングされている。計画的に作ったであろう大きな通りは中心に向かって伸び多くの屋台や飲食店、雑貨屋、服屋が軒を連ねている。住民も富んでなければ貧しくもない人たちが多く歩いている。その中にちらほらとメアが持ちリースが着ている制服を着ている生徒がいる。
大きな通りの中心。そこにあるのは一つの城だった。城壁に囲まれた城は白い煉瓦を敷き詰められ、ガラスの中でもさらに高級なステンドグラスを多く使用している。城につけられた時計盤は今の時刻をメアに告げている。
(……うん?あれは……)
「私もここに初めて来たときは同じ顔をしたよ」
外に目を向けて輝かせているメアにリースが発言する。だが、それは警戒心を跳ね上げたメアの耳をすり抜けていった。
メアの視線の先には街中で馬車を見る二人の青年があった。馬車の動きに合わせて移動したり停止したりする姿にメアが違和感を覚えたからだ。
(……あの動き。情報屋か)
情報屋は情報の売買や依頼の仲介主にする仕事。メアも暗殺者として何度も世話になっているためその動きも把握している。
(おおよそ、有力貴族の子息が入学するか否か、デュアル制度の組み合わせを見ているんだろうな)
誘拐、暗殺をするのならやはり大きな障害になるのはデュアルのペア。ツーマンセルで動くため見つけられたら元も子もない。そして、そう言った依頼をされたら誘拐専門でも暗殺専門でもどんな人でも本気で依頼者を殺しにかかる。
『闇』の世界の住人は不確定要素を徹底的に排除する傾向が強い。命が懸かっている以上、不確定な要素をとことん潰してから動く。その不確定な要素を潰すために最初に使うのが情報屋である。情報屋の責任は時と場合によっては暗殺者たち以上に重いのだ。ほんの僅かな事でも情報を仕入れに行くのは『プロ』の仕事だ。
「てい!」
情報屋の動きを注視していたメアにリースは可愛い掛け声と共に頬をつつく。何事かと振り向くとリースが頬を膨らませ、
「私の話を聞いてるの?」
「聞いてない。綺麗な街並みの中で動くシミを見つけてしまったからな」
「ふぅん……」
不機嫌なままだった。
女性が不機嫌になったときの対応の仕方を知らないメアは頭を捻らせながら十数分かけて何とかリースの機嫌を戻すのだった。