学舎からの誘い
翌日、メアは少し埃っぽい部屋のベッドで目を覚ます。
部屋の中の調度品は少ない。ベッドの他に事務用の机と椅子。テーブルがあり細い廊下の先に外に繋がる木の扉がある程度。窓はベッドの近くにあり、そこではコートが棒に干されている。
メアはグローブを装着したまま何時もの黒いスーツを着ると棒に干されたコートを部屋に取り込む。
(……乾いているな)
何度か黒いコートの内側を触った後、メアは黒いコートを着る。血の汚れを落としておくためだ。
(『隠れ家』の料金は割高何だよな……)
メアは昨日の報酬が入ったスーツケースの中からいくらかの金貨を取り出す。取り出したら部屋を出て頬杖を付いて寝てる番頭に鍵と同時に渡し外に出る。
(……まあ、料金がかかるだけの需要があるのだが。そうでなければ成り立たない)
『隠れ家』はメアのような『闇』の住人が使う宿である。宿としての機能は勿論、情報の提供から依頼の斡旋まで行い、死体の処理まで行う宿もある。その分、少し高めの価格設定されている事が多いが暗殺者のような『闇』の代表の多くが使用している。
そんな事を思いながらメアは朝食として街角の屋台で串焼きを買う。タレが串に垂れてベトベトしグローブに付着するがメアは気にすることなく食べる。タレで安価な肉の味を誤魔化した大味だった。
腹を満たすとメアはのんびりと歩きながら懐から偽造した通商許可証を見られないように取り出す。仕事も終えたためこの街から出るためだ。
(『闇』の世界ではこういったものも偽造しやすい)
本来、通商許可証は一定以上の金を領主に貢ぎ、その報酬として領主が直接発行するものだ。この許可証があれば都市から出ることも国外に出ることも容易い。一匹狼で流れのメアにとっては十分に使い勝手が良いため愛用している。
「さて、後は携帯食糧でも買って……うん?何だ、この手紙は」
都市と都市の移動時に必要な食糧をメアが買いに向かおうとした時、メアの目の前に手紙がひとりでに浮いて近付いてくる。
手を伸ばすと乗り、怪訝そうな目で罠を警戒しつつ手紙を確認する。
(匂いに炙り出しの紙特有の果実の甘い匂いはない。あの動きから考えて風に煽られた訳ではなさそうだな)
コートのポケットに手紙を入れ変わりに折り畳み式の手鏡を取り出してカフェに入店する。
「注文をどうぞ」
「コーヒーを一つ」
「かしまりました」
テラス席に座ると愛想の良い作り笑いをした店員が近づいてくる。メニューを渡されたため手頃なものを頼み退かせる。
店員がいなくなったところで許可証をしまい手鏡を開き髪を気にするように髪の毛を押さえたりする。だが、これはフェイント。目的は鏡を使い背後の動きを確認するためである。
貴族たちが住む貴族街ならばガラスを使い背後を見れるがここは平民街である以上、高級品であるガラスの数は限られてくる。ガラスが無いと言うことは背後を見る手段が限られてくる。そのため、メアは自前の手鏡を用いて背後を見ることにした。そうすれば行動の整合性がつき周りから浮くことはなく、更に首を動かさなくても目線だけで背後の様子を見ることができる。
(……あの女性か?)
鏡に写るおろおろと何かを探す女性をメアは鏡越しに怪訝な目で見る。
平民街にいるのが不自然なくらいに良い服を着た
女性だった。身長は低くメアの胸辺りぐらいしかない。それなのに胸ははち切れんばかりに大きく身長とのアンバランスさが目立つ。おろおろとした動きに合わせて胸が大きく動き男どもの視線が胸に向いているのにも気がついてなく周りに対する警戒心は薄い。行動から女性と言うよりも少女と言った方が正しい気がする。
だが、メアの関心は別のところにあった。
(『闇』の作法について知っている様子はない。となれば『光』の人間か)
ガラスよりも安価な鏡を使い背後の動きを把握する手法は『闇』の世界では比較的多く使われているポピュラーな手法だ。そのため、『闇』の世界の住人や取り締まる連中は第一にそれら見つけると警戒する。
だが、あの少女には警戒する素振りは一切ない。『闇』の世界の中でも特に気配の察知や隠蔽を必要とする暗殺者の感知技術からそれは裏付けれる。
となれば『光』の世界の住人――裏と一切交わっていない人々――と言うことなる。
メアはその事を加味した上で少し迷い、
(……返すか)
結論を決める。『光』の住人ならある程度警戒を解けるからだ。
そして立ち上がろうとした時、
「コーヒーをお持ちしました」
「……ありがとう」
愛想の良い作り笑いをする店員がやって来たため席に戻る。そしてコーヒーを場に合うように静かに飲む。
元々金に余裕のない家にメアにとって出されたものはしっかりと摂取する癖があるからだ。そして、カフェでコーヒーを飲むのは整合性が取れているため怪しまれない。
「あ、あの!」
「どうかしましたか」
話しかけるタイミングを手鏡越しに見ていると少女が困った表情で話しかけてくる。メアはコーヒーをテーブルに置き、表情を固めて対応する。
「そ、その。手紙を見ませんでしたか?」
「ああ。俺の手に乗ってきたものか。あんたのだったか」
ポケットから手紙を取り出して少女に渡す。少女は目を白黒させながらメアの顔と手紙を交互に見る。
そして少女はメアの眼を見つめながら質問する。
「あの……何歳ですか?」
「数え年で十七だから……今十六だ」
「数え年を使ってるんですか?普通は使いませんが……」
「その常識を騙すのに使うんだよ。人の思い込みは相手の不備を覆い隠してしまう。詐欺師のような手段だが、案外騙されやすい。事実、お前は俺の第一印象を年上の上流階級の人間と見ていただろ」
メアの服装が年不相応に大人びたスーツやコートを着ているのも同様の理由だ。特にスーツは普通の平民は着ない。着るのは貴族か貴族と取引を行う商人くらいだ。スーツを着ているのは社会的なステータスになりうる。貴族の屋敷に入る際に疑われにくい。
実年齢十六歳の平民と見られるよりも年若い上流階級の商人とした方が貴族のパーティーに侵入しやすい。こそこそと隠れるよりも大胆に侵入した方が相手も油断するのだから。
「……貴方は詐欺師ですか?」
「いや?ただ、初めて会った人くらいは警戒しておけと言っているだけだ。そうじゃなきゃ、その第一印象に騙されていたところだぞ?」
そう言いながら、メアはコーヒーを飲み干す。そして、立ち上がり喫茶店内に入ろうとする。
それを少女が呼び止める。
「ま、待ってください!」
「何の用だ?お前は手紙を探していた。それが見つかったのだから用事は済んだ筈だ。俺を呼び止める理由があるか?」
「あります!手紙が貴方を選んだのですからそういう事なんです!」
「……手紙が?」
少女の言葉にメアは足を止め、ドアの取っ手に触れようとした手を下ろして少女の方を振り向く。
そして少女は手紙を突き出して説明する。
「これはグローリア学院の入学証です。グローリア学院の事は知ってますか?」
「ああ。確か世界に散らばる最高峰の五つの学舎の一つだった筈だ。だが、選抜方法が他の学舎とは違うとは聞いたことがある」
ものを教えて貰う事を苦にしないメアは席に戻り対面に座った少女の顔を真剣な眼差しで見る。
少女は話を続ける。
「その選抜方法がこれです。三年生と二年生の過半数が入学証を入学者に直接渡すんです」
「だが、どうやって」
「それは言えません。私も知らないですし」
「入学金はどうなっている」
「それは国が負担しますので問題ありまひぇん!?」
説明していると少女は舌を噛む。結果、口を押さえて涙目で下を向く少女を呆れながら頭を掻く。
そして店員を呼び出して氷入りの水を持ってきて貰うも少女は水と一緒に氷を口の中に頬張り舌を冷やす。
「ありがとうございまひゅ……」
舌足らずに礼をする少女にメアは残念なものを見る目で見ながら思う。
(……学院に行くのは止めよう。あんな農場に買われるなんてごめんだ)
学院はメアにとっては窮屈な農場のようにしか見えなかった。知識と呼ばれる栄養を蓄えさせられ、社会と呼ばれる市場に出荷される。出荷された奴らは市場に並ぶ野菜とそう大差はない。より大きな存在の餌となるしかない。弱肉強食は世の常とは言え、『闇』の世界で血にまみれながらも自由に生きるメアにとっては窮屈そのものでしかない。
それに、メアは『闇』の世界の住人。『光』の世界での生き方を知らない。
「拒めばどうなる」
「えっと……特にありませんが……」
「そうか……危ない!」
「えっ、ひゃあ!?」
断りの言葉を言おうとした瞬間、少女の斜め後ろからナイフが飛来する。
飛来したナイフは少女に刺さる直前に少女の肩を掴み押し倒す。短く悲鳴をあげてメアの手を退けようとした瞬間ナイフが壁に当たり床に落ちる。それを見て少女は顔を青ざめる。
メアは少女の肩から手を離しテーブルを元に戻しながら目線だけを動かして周りの警戒をする。
(追撃はなし。退いたか。……殺意に気づいてよかった)
ひとまず安心するとメアは椅子に座り顎に指を当てて考える。
(殺意の隠し方が甘いかった……素人か新米か。となれば、今度は確実に少女の命は無いだろう。目的は口封じだろうな)
暗殺者は仕事で人を殺している。殺さなければならない以上、どこまでも少女を追い掛ける。素人も同様。
そして、暗殺という手段を選んだ時点で相手の目的もはっきりとする。少女の身体やその後ろにある家に対する身代金が目的なら誘拐を選択する。『闇』には誘拐を生業とする人間も暗殺者より少ないがいるのだから。
だが、暗殺という手段が示すのは『政敵や商売敵の排除』か『口封じ』以外に存在しない。少女の年齢から考えても前者はあり得ない。となれば、後者しかない。
少女がメアの前に涙目で席に座ると、メアは切り出す。
「殺されそうになる理由を知っているか?」
「いえ……特には……」
少女はメアが予想していた通りの答えを言う。その瞳に嘘がない。
口封じが目的である以上本人に自覚がある場合と無い場合がある。今回は後者だった。
(……仕方ない、な)
「手紙をくれないか?」
「えっ!?あ、はい!」
メアは少女から手紙を貰いコートの裏地に装備していたナイフでその封を切る。中に入っていた四つ折りにされた羊皮紙を取り出す。
『メア・ストリーラー殿。私たちは貴殿の入学を歓迎する』
不自然だ。
不自然過ぎる。
(何故、俺の名前が書いてある)
メアのフルネームは少女の前で口に出していない。そのため、少女が知るよしはない。
(なら、学院の方になにかがあるようだな……なんというか、不快だ)
敷かれたレールに無理やり乗せられたような不快感を感じる。それを表に出す事なくメアは少女の瞳を真剣な表情で見つめ、言葉を紡ぐ。
「……学院にはどうやって行く」
「えっと、馬車に乗ります。馬車は東の馬車置き場に停泊しています」
「分かった」
メアは席を立ちスーツケースを持ち上げて店の中に入り、店員に金を払う。水代まで入ってて少し割高だった。
「えっと……どうしますか?」
「入学するよ。……そうだ、あんたの名前はなんだ?」
「わ、私の名前はリース・メルトリリィです!」
「俺はメア・ストリーラー。メアと呼んでくれて構わない」
「それでしたら、私もリース先輩と呼んでください」
「先輩付けはデフォルトか。……まあ、良いか」
店を出たメアとリースは隣あって話ながら歩くのだった。
こうして、メアはグローリア学院に入学する事が決まったのだ。