98.婚活氷河期世代
・前回までのあらすじ
春は来た!
サンダーソニアは、エルフのために生きると決めた女である。
例えそう決めたのがほんの数時間前であっても、以前よりそういう生き方はしてきた。
ちょっと不思議な雰囲気を持つイケメンに手の甲をキスされたぐらいで、揺らぐような女ではない。
彼女の覚悟は巌のようで、だからこそエルフの英雄と呼ばれるに至ったのだ。
だが、ちょっと道を間違った時に「ん、間違ったか」と方向修正をすることに躊躇する女ではない。
彼女は柔軟性のある女なのだ。
ほんの数日前までは結婚に飢えていた。
少し遅れたとはいえ、チャンスを前にして、はいそうですかと引き下がるような女ではない。
つまり「イケる」と思ったのだ!
「私の魅力がわかるとは、なかなかに見どころがあるじゃないか」
サンダーソニアはグイっと前に出てきた。
カルロスという男に、己の頭のてっぺんの匂いでもかがせるかのように。
サンダーソニアの想定では、花の香りがするはずだ。
なぜならそういう香水を付けてきたので。
「度胸もある。他のヒューマンの連中はこういう時、尻込みするからな。私を口説き落とすとエルフを敵に回すとかなんとか……ほら、見てみろ、注目の的だぞ」
周囲、やや遠くに立つエルフたちから、鋭めの視線が飛んできている。
それはエルフの大魔導にして、純潔の乙女ともいわれるサンダーソニア。
サンダーソニアに悪い虫がつくことを危惧する者たち……などでは決してない。
ここにいるのはエルフの中でも上層部の人間、つまりここ二年ほどでサンダーソニアが婚活に失敗しつづけたことを知っている連中だ。
なんなら、酒の席でその愚痴を聞いてきた連中でもあった。
世直しの旅をしてきてくれたのには感謝しているが、早く男を見つけて落ち着いてくれと切に願ってきた面々である。
サンダーソニアに変な虫がつくのはもちろん困る。
だが、今はサンダーソニア自体が変な虫なのである。
はやく蝶として羽化して欲しいのだ。夜中遅くまで同じ話を延々と繰り返されるのは、もう勘弁なのだ。
「私の立場は先ほど、サンダーソニア様が察した通り……このまま飼い殺しにされ、場合によっては処分などをされるような立場、脱したければ、どこかで度胸を見せる必要もあります」
「ほほーう」
「そんな折、兄フェルディナントが婚約……エルフの国へ赴くという。ヒューマンとエルフが強固な絆を結ぶ風潮があるならば、無理をしてでもそれに同行し、以前よりお慕い申し上げていたサンダーソニア様に、一か八か思いを告げれば、何かが変わるはずと、そう思ったのです」
サンダーソニアは、なぜか一歩引いていた。
いつもだったら自分が一歩踏み込んだら相手は一歩引くはず。
そんな予想が裏切られ、逆に押されたのだ。
サンダーソニアは押しに弱かった。押されたことがあまりないので。
「……お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか?」
「はい。それほど、サンダーソニア様を慕っているという話です」
「そ、そうか……? でも、今の話を考えるに、別に私じゃなくてもいいわけだろ? それじゃあな……なあ?」
と、声をかけるも、周囲のエルフたちからの反応は芳しくない。
お前なんでそこで尻込みしてんだよと、目で語っていた。
相手が乗り気すぎると、それはそれで戸惑ってしまう。
サンダーソニアの絶妙に面倒くさい乙女心であった。
「ふむ……本当に、覚えていらっしゃらないのですね」
「何がだよ」
「あの、星の見える丘の、輝くスズランの花畑での出会いを」
「スズラン……?」
サンダーソニアの遠い記憶の彼方に、何か引っかかるものがあった。
確かに、そんなシチュエーションで誰かに魔法を教えたことがあったような気がする。
ただ、それが目の前のヒューマンだったかどうかは定かではなく、何を話したのかも思い出せなかった。
「すまんな、それは本当に思い出せない」
「よいのです。サンダーソニア様にとっては、数ある出会いの一つにすぎないでしょうから。しかし、私にとってあれは運命の出会い、忘れえぬ思い出なのです。確かに、誰でもよいのは事実ですが、まずあなたにと、そう決めております」
「んー……なる、ほど、なぁ?」
サンダーソニアの視界の隅で、ブーゲンビリアが殺気立った目で見ている。
もちろん、「この怪しい男を殺させろ」という意味ではなく、小さな声で「男にここまで言わせて何がサンダーソニアだ」と言っていた。
彼女はサンダーソニアの結婚に反対する立場であるが、しかし同時にサンダーソニアの目的を応援する者でもある。
イケそうならイケ、と思っているのだ。
ちなみにサンダーソニアの事情を知るエルフは、大体似たような感じで見ていた。
いわゆる生暖かい目というやつである。
「……」
サンダーソニアとしても、口ではぐだぐだと言っているが、まんざらでもなかった。
正直、逃したくない魚だと思っている。
ただ、大手を振って付き合えるかどうかは、どうにも怪しい相手であった。
カルロスがヒューマン王の落とし子であるなら、エルフの重鎮と結婚することで、エルフとヒューマンの関係が悪化する可能性があるのだ。
なにせ結婚だ。エルフの重鎮との結婚ともなれば、カルロスの出自を明かさざるを得ないだろう。
ヒューマン王家としては、エルフに己の醜態を周知させられたという認識になってもおかしくはない。
しかしながら、サンダーソニアであるならば、それを上手に乗りこなせる可能性もある。
なにせサンダーソニアだ。ヒューマン王家との関わりも深く、王も王子も共にゲディグズを倒した戦友である。
サンダーソニアがいつもの調子で「お前の所の落とし子は私と結婚することになったから、祝福してくれよ!」と言いに行けば、ヒューマン王家も大目に見る可能性は高かった。
苦虫を嚙み潰したような顔はするだろうが。
ただ、王家の心情だけが問題というわけではない。
特に、このカルロスという男がサンダーソニアとの結婚以上の野望を持っていた場合、事態はとても複雑なことになる。
そう、それこそ王や宰相などのポジションを狙っている場合だ。
こう見えて、サンダーソニアは尽くす女である、もし自分の男がそんな分不相応な野望を持っていたとしても、できうる限りのサポートはしてやるだろう。
エルフにとってはそれが良いことでもある。
少なくともカルロスが実権を握った場合、エルフにとってマイナスにならないのだから。
だがそういう方向で動いた場合、ヒューマンとエルフは戦争状態に陥りかねない。
それは、サンダーソニアの望む所ではなかった。
そして、仮にカルロスがそう望んでおらずとも、そうした危惧をされてしまうのは事実だ。
まして子供など出来てしまえば、まったく関係のない第三者がそれを神輿として担ぎ上げだすことも想像に難くない。
ゆえに難しい相手であった。
とはいえ、メリットもある。
それこそサンダーソニアの子供であれば、それは正真正銘エルフ王族とヒューマン王族の血を引く子供であり、ネメシアとフェルディナントの結婚など比較にならないほど、強固な絆となるのは間違いない。
エルフとヒューマンの絆の象徴になりうる子供なのだから。
ともすれば、その子供の存在は、エルフとヒューマンの友好関係を何千年と存続させる鍵となるかもしれない。
どちらを取るかと言われると、悩ましい所であった。
「どうなさいましたか?」
と、どうにも触りがたい空気を醸し出していたサンダーソニア達に、話しかける者がいた。
「私の弟が、なにか粗相でもなさいましたか?」
「フェルディナントか」
今回の婚約発表の儀の主役であるフェルディナントだった。
ヒューマンらしい、スラリとした美丈夫だ。
カルロスやナザールに比べると、少し地味な顔はしているが、サンダーソニアの中では十分すぎるほどのイケメンだ。
「婚約者をほっぽりだして私の所にきていいのか?」
「ネメシアさんはネメシアさんで、ヒューマンのお歴々につかまってしまいましてね。どうにも彼女の見た目は、我々ヒューマンからすると幼く見えすぎるようで敬遠されていたのですが、いざ口を開けば、存外にモテるようで」
「いや、あいつはエルフの中でも幼いぐらいだぞ。まぁ、おっさん連中に人気があるのも確かだ。ボーッとしていて取られないように気をつけろよ」
「肝に銘じておきます」
「あとな、ネメシアを泣かせたら、エルフの中でも黙っちゃいない連中はたくさんいるからな、そこも気をつけろよ」
「サンダーソニア様もその筆頭ですか」
「自慢の弟子だからな」
「その弟子を取ってしまった私は、一体サンダーソニア様にどう思われているか、戦々恐々ですね」
「いい男だと思っているぞ。ネメシアがいなければ私が結婚したいぐらいだ」
本心である。
フェルディナントは笑って流したが。
「それにしても、お前、弟なんていたんだな」
「……知ってしまいましたか」
「ああ、熱烈なプロポーズを受けたところでな」
「それは……」
フェルディナントは驚いたようにカルロスを見る。
カルロスはややバツが悪そうな、しかし真面目な顔でそれを見返した。
数秒の見つめ合いの後、フェルディナントはカルロスからサンダーソニアへと、視線を戻した。
「なるほど、彼がそこまで言ったというのなら、相応の覚悟をもってのことでしょう。事情があるとはいえ、血のつながった弟です。どう転ぶにしても、何卒真摯な対応をしてくださいますよう」
「わかっているさ……ん? 血がつながっている? まて、おい、そういうことなのか?」
「事情は、複雑なのです」
フェルディナントは肯定も否定もしない。
ただただ真面目くさった顔で、曖昧に頷くだけだ。
「お前らな……私はこれでもエルフの重鎮だぞ。本来なら知らせていい相手じゃないんだぞ、こういうことはな……」
「知る人ぞ知る秘密ではありますが、誰も知らぬ秘密というわけではありません」
「だからってなぁ……」
「カルロスとは兄弟として共に育ってまいりました。私はヒューマン国宰相の長男として相応の扱いを受けてまいりましたが、カルロスは優秀であるにも関わらず、日陰に居続けました……」
「……」
「この会合でサンダーソニア様に会い、思いを告げるということは、彼にとっては、一世一代の賭けであり、ただ一度のチャンスなのです。ヒューマンの国では、弟が表に出ることは一生ないでしょう。それはあまりに不憫だ」
「だからって、なぁ?」
「此度の一件は、私にとっても僥倖ですが、弟にとってもそうなのです。エルフの国に嫁げば、少なくともヒューマンの国で飼い殺しにされるよりも、実のある人生を送ることができる。弟をよく知る者として、応援しないわけにはいきません」
「うーむ……」
「それに、弟は本当に、小さな頃からあなたに憧れ、恋焦がれてきたのですよ。こいつ、あなたに出会ったときに作ったという、スズランの押し花をずっと」
「おい、もういいだろ」
カルロスは、少し恥ずかしそうにフェルディナントを遮った。
サンダーソニアはカルロスを見る。
出会いについては覚えていないが、まぁ、見れば見るほどいい男だ。
サンダーソニア以外のエルフであっても、一発で結婚オーケーだろう。
状況が状況だから踏みとどまったが、普段のサンダーソニアであれば即決でオッケーを出しているところだ。
なんなら今頃は部屋に連れ込んでいるはずであった。
「不謹慎かもしれませんが、此度の一件……ゲディグズの復活も、私にとってはチャンスかもしれないとすら思っています。表に出て認められるには、平和な世では難しいですから」
「そんなことないと思うけどな、だってお前らの父親は……」
サンダーソニアはそれ以上口にしなかった。
よく滑る口であるが、言っていいことと悪いことの区別はついているつもりだ。
「ま、私としても、ヒューマンにツテのある夫ができるのは、悪くない」
夫と自ら口にして、サンダーソニアの口元がちょっとニヤけた。もう彼女の中ではどうするか、決まっていた。
とはいえ、詳しく話しておかなければならないことも多いだろう。
しかしそのあたりの細かい話を聞くには、少々この場は人が多すぎた。
なのでサンダーソニアは、カルロスに聞く。
「……ここじゃ人目がある。少し静かなところにいかないか?」
「よろこんで」
エルフ達からどよめきが起こる。
とうとうやった、ついにか、という声が聞こえる。
そんな中を、サンダーソニアは胸を張って歩く。
どうだと言わんばかりに。
道をふさぐ者は、いなかった。
■
その後、サンダーソニアは王宮にある自室にカルロスを連れ込み、彼をベッドに押し倒し……ていたらよかったが、そんなことはなかった。
王城は耳目がありすぎた。
万が一、カルロスが危険な思想の持主であったなら、誰に聞かれてもマズいのだ。
実の所、エルフの中にも、ヒューマンと仲良くするのを好ましく思わない者はいる。
サンダーソニアが「仲良くしろよ!」というから仲良くしようとしているだけであって、もしサンダーソニアが「私の男がどうやらな、ヒューマンの王になりたいらしい」などと言い出したらどうなるかわからない。
サンダーソニアは迷った結果、王宮をこっそりと出て、裏手にある森へときていた。
途中でブーゲンビリアにすらついてくるなといい放ち、二人きりで。
そう、二人きりである!
サンダーソニアは面倒くさい女である。
うだうだと考えてはいるが、いったんそれらを置いといて、男と結ばれるためのムード作りに走ったのであった。
「よし、ここならだれにも聞かれないだろうな」
「ここは……」
「秘密の花園ってやつだ」
王城の裏、小一時間ほど離れた場所に、その花園はあった。
白いスズランが無数に植えられており、月の光を浴びて銀色に輝くそこは、王家の銀絨毯と称される。
先ほどカルロスからスズランの話を聞いて、この場所が思い浮かんだのだ。
まさに絶好の場所といえるだろう。
「いい場所だろ? 王族の御用達だ。もしかすると、お前は小さい頃にここにきて、私と会ったのかもな」
「……はい。そうかもしれませんね、どことなく懐かしい。しかし、ここではなかったかと思います」
「そうか? お気に入りの場所だから、ここだと思ったんだがな」
サンダーソニアはそう言いつつ、腰に手を当て、カルロスを見上げた。
カルロスもまた、サンダーソニアを見下ろした。
背丈の差は頭一つ分。大人と子供といった風情ではあるが、どことなく雰囲気はよかった。
とはいえ、まだキスをするようなムードではない。
サンダーソニアもここまでの旅で、いろいろ学んだのだ。やっぱりムードは大事である。
「それで、お前はどういう事情があって飼い殺しにされていたんだ」
「すでにお察しかと思いますが?」
「お前の口から聞きたいんだ。勘違いしてたらコトだろ?」
カルロスは肩をすくめると「そう大した話ではありません」と呟いた。
「わが母、今の宰相夫人であらせられるオリヴィア・ラギエのことはご存じで?」
「知ってる。美人さんだよな」
「そう。中流の貴族の出身であった彼女は、まだ貴族ですらなかったクルセイド、現国王ルーニアスの両方と交友が存在していたのですが、それも?」
「いや……でもなんかもう読めてきたぞ」
「幼い頃より絶世の美少女として有名だった彼女を、多くの男が狙っていたそうです。しかし、その花に手が届きそうだったのはたった二人。クルセイドとルーニアス……そして、その花を手に入れたのはクルセイドでした。ルーニアスは次代の王。オリヴィアとは身分が合わなかったのです」
「でも諦めきれなかったと」
「……はい。そしてその結果、不義の子は生まれました」
「クルセイドは知っているのか?」
「知らないということはないでしょう。確証があるわけではありませんが……少なくとも父はそれを許し、許されたルーニアスは父に感謝したからこそ、地位を与え重宝している」
「それ、本当に許していたと思うか?」
「当時、どう思っていたのかは知りませんが、しかし最近の父の動きを見るに、どうにもただ許していたわけではなさそうだ」
カルロスは目を細める。
お前も知っているだろうといわんばかりのしぐさに、サンダーソニアも会場ではばかられた言葉を口にする。
「クルセイドは王位を狙っている」
「ですね。当時の復讐なのか、最近になって芽生えた野望なのかはわかりませんが……王か、王に準じた権力を欲しがっている。ヒューマンを支配したがっているのです」
「飼い殺しにされたお前が行きつく先は、傀儡か……あるいは……」
何にせよ、ロクな未来ではなさそうだ。
もし傀儡にするのであれば、きっとクルセイドは、もっとカルロスを己の手駒にすべく、しかるべき手を打っていただろう。
今もなお、軟禁に近い状態にあるということは、本当に万が一の保険以外では使う気はないということだ。
「私がサンダーソニア様に嫁ぎたい理由、わかっていただけましたでしょうか」
「ああ。ま、私としては、そういう思惑抜きに迫ってくれた方がうれしかったけどな」
サンダーソニアとしては、そういう政治的な思惑を感じさせずに迫ってきてほしかったのである。
サンダーソニア自身が政治的に重要な駒であるという事実を知りつつもだ。
面倒くさい女であった。
そしてカルロスは、そんなサンダーソニアの気持ちを汲んでいた。
「本当は、サンダーソニア様でなくともよいのです。ビースト国には王女様がたくさんおられますし、ドワーフもドバンガの子らには未婚の女性もいらっしゃいますから」
「ほう」
「ですが私は、サンダーソニア様が良いのです。あなたは美しい」
「お、おう」
「ずっと、お慕いしているのです」
カルロスはそう言いながら、懐から一枚の栞を取り出した。
栞の中には、スズランの押し花があった。
先ほどの話に出てきたスズランだろう。乾燥してもなお月の光で白銀に輝いている。ここのものとは、確かに違う。
ずっと持っていたというのだろうか、サンダーソニアと出会ったときの花を。
「……お前」
カルロスは、ゆっくりとサンダーソニアに手を伸ばし、その背中へと手をまわし、控えめに抱きしめてきた。
カルロスの心臓は早鐘をうっており、手は緊張からか、かすかにふるえていた。
(こいつ、本当に私のこと好きなんだな)
サンダーソニアの胸のどこかがキュンキュンと鳴った。
「あなたが欲しい」
カルロスは体を離すと、やや前かがみになり、サンダーソニアの額に己の額を当てた。
サンダーソニアは視界いっぱいのイケメンの顔に、ドキドキしながら、ゆっくりと目をつむった。
口づけが交わされた。
サンダーソニアはついばむようなキスをしながら、「ああ、私にもこんな瞬間がくるもんだな」とどこか他人行儀に思いつつ、「こいつと結婚したらクルセイドとの関係も悪化するかもな、どうすっかなぁ」と考えつつ、それはそれとしてこの先にあるベッドでの出来事について思いを巡らせていた。
もはや止められない。
サンダーソニアの処女伝説もここまでだ。
なんだったらベッドじゃなくてもいいぞ、そこの木に手をついてとかでも。
なーんて考えつつ、ふと、あることを思い出した。
スズランのことだ。
チラとだけ見たスズラン。押し花になっていて判別しにくいが、白銀色に輝いていた。
どこかで見たことがある。
すでに焼けた花畑のものだったはずだ。
そう、焼けた……失われた花畑……デーモンに奪われた……。
シロガネスズラン。
「思い出したぞ」
「……」
「エルフガンドの丘だ」
サンダーソニアはカルロスを突き飛ばし、その手から雷撃を放った。
■ ■ ■
「やはり、気づくか」
カルロスは服の裾から黒い煙を上げつつ、そうつぶやいた。
(回避されたか……やるな、何者だ……?)
サンダーソニアは、左手ではゴシゴシと唇をぬぐいつつ、右手の指先をカルロスへと向けていた。
油断はない。
サンダーソニアの至近距離からの雷撃を回避できる者など、そう多くはないのだ。
「エルフガンドの丘……よく覚えているものだ」
「まぁな、お前に会ったことは思い出せないが、燃やされた森のことは忘れないさ」
エルフガンドの丘。
そこは200年ほど前にデーモンに奪われたエルフの領地であった。
ゲディグズが死に、戦況が一変するまで、一度たりとも取り返せなかった、エルフの要地だ。
そして、取り返した時には、すでに焦土と化していた。
無論、そこに群生していたシロガネスズランも失われてしまった。
もう二度と、見ることの叶わぬ花なのだ。
「ゲディグズの手の者か」
「……」
カルロスは先ほどとは違う、やや無表情に近い表情でサンダーソニアを見下ろすばかりだ。
「なんにせよ、小道具はもう少し凝った方がよかったな……いや、逆か? なんでそんなに凝った? 普通にここのスズランを使えば、私は何の疑問も持たなかったぞ?」
「私の目的を、思い出していただけるかと思ってな」
「目的……?」
「思い出せないのなら、仕方ない」
何の話か分からぬサンダーソニアは、少し不可解に思いつつも、油断せずカルロスに指先を向ける。
「それにしても、一体なんの目的で私に……そもそもどうやって婚約の儀にもぐりこんだんだ……いや、まて、お前、フェルディナントと普通に会話してたな」
サンダーソニアの頭から血の気が引いていく。
一つの仮説にたどり着いた。
このエルフの国にゲディグズの手の者が入り込むというのはおかしなことではない。
ゲディグズはああ見えて小細工も得意だ。奇策も多いが、周到に情報を得て、堅実な戦略を立てる人物である。ならば、情報収集として場に誰かを送り込むのは不思議ではない。
だがそう、目の前の男、カルロスは、フェルディナントと話していた。
フェルディナントは主賓だ。
そんな主賓の身内としてもぐりこむなど、主賓側の思惑がなければかなわぬことだ。
そしてこの結婚は、あるヒューマンの意図の元、行われている。
「クルセイドの奴、寝返ったのか!?」
「あのままでは、彼は王になどなれないからね」
「馬鹿野郎が!」
サンダーソニアは踵を返して走りだそうとし、ふと止まった。
花畑を囲む森の中に、いくつもの気配があった。
いつの間にか、囲まれていた。
「ま、そんな秘密を知った私を帰してくれるわけはないか……それにしても、見たところ、大した奴が見当たらないな。この程度で私を殺せるとでも思ったのか?」
森の中から次々と出てくる者たちは、見覚えのない者ばかりだった。
エルフの諜報部がマークしている、ゲディグズ側に寝返った猛者たちではない。
それ以外の、現在行方の知れていない強者もいない。
顔立ちを見るに、ほとんどがヒューマン。それも若者ばかりだ。
多少なりとも才能がある者もいるのかもしれないが、雑兵がどれだけ集まろうとも、エルフの大魔導を止められるものではない。
(ちゃちゃっと突破するか)
そう思い、サンダーソニアが手に魔力を込めたとき。
「『ディスガイズ』」
周囲を囲む者達から、そんなつぶやきが聞こえた。
それと同時に、周囲を囲んでいたヒューマンたちの姿が変化していく。
ある者はエルフに、ある者はビーストに、ある者はハーピーに、ある者はリザードマンに。そしてまたある者は、デーモンに。
全て、見覚えのある相手であった。
見覚えのない若者が、全て見覚えのある歴戦の猛者に変化したのだ。
大したことある奴ばかりであった。
「ポプラティカ……」
その中には、ゲディグズ一派の首魁である、ポプラティカの姿もあった。
いないのは、元ヒューマンの王女ことリーシャと、元サキュバスの将軍キャロットぐらいであろうか。
とはいえ、サンダーソニアを殺しきるに十分な人材がそろっていた。
そして、
「『ディスガイズ』」
そんな言葉と共に、目の前にいる男もまた、変化していく。
見覚えという点では、そこまであるわけではない。
生きていた頃は、数度ほどしか目にしていない。
だが、その数度、全てに置いて、サンダーソニアはその顔を脳裏に焼き付けてきた。
お前の顔は憶えたからな、絶対に忘れないからなと心に刻み込んだ。
いずれ相対するとき、刺し違えてでもその命を奪ってやると誓った。
そしてその誓いは叶った。
レミアム高地で、誓いを果たしたのだ。
「ゲディグズ……」
確かに殺したはずの相手が、そこにいた。
「……わざわざ姿を現してくれるなんてな、慢心っていうんだぞ、そういうのは。私が油断してる時に刺した方が楽だったろうに。それとも、私が結婚できるかもって浮かれてるのを見て、うれしくなっちゃったか? わぁ、この馬鹿女の顎が外れるところが見たいなぁって。見れて嬉しかったか? 嬉しいよな。見ろ、今まさに顎が外れてる」
自分で言ってて苛立ってくるサンダーソニアだが、内心は冷静だ。
彼女は考える。
どうすれば、本国に窮地を伝えることができるのか。
先ほど別れたブーゲンビリアはまだ近くにいるのか。
「確かに、カルロスの姿のまま、お前を後ろから焼き殺した方が、確実であったろう」
「……」
「一つ提案をしておきたくてな」
「提案?」
会話を適当にこなしつつ、窮地から脱する術を探していたサンダーソニアは、次の言葉で思考を止めた。
「余の妻となり、この世界に平和をもたらしてくれ」
数秒の沈黙があった。
サンダーソニアはその数秒、完全に思考を止めていた。
もし戦場であれば、討たれていたことだろう。
「……馬鹿にしてるのか?」
「馬鹿になどしていない。これより先、戦乱が起こる。それはもはや避けられぬ。場合によっては、また千年を超える長い戦争となるだろう」
「戦乱を"起こす"って言えよ。お前らが始めるんだから」
「本当にそう思っているか? 余が復活せずとも、ヒューマンとエルフ、あるいはヒューマン同士の内乱は起こっていたのではないか? 行きつく先はどこだ?」
サンダーソニアの思考は、ゲディグズに言われるがまま、今後の世界の動向へと向いた。
ヒューマンは狡猾で、強欲だ。
四種族同盟の中では数が増える速度がビーストに次いで早く、そして文化基盤がしっかりしているため、発展が早い。
現在のヒューマンとエルフの国力は同等だが、十年も経てばヒューマンが大きく上回っている可能性はある。
そして、それはエルフ首脳部でも危惧されていた。
寿命の長いエルフは、基盤を作るのは上手だが、発展速度はそこまででもないからだ。
ヒューマンがエルフを、いや各国を凌駕した時、ヒューマンが他の国を併呑しようと動き始める可能性が高かった。
また、宰相クルセイドの目的は権力だ。
彼は王位を手に入れようとしている可能性がある。
どういった絵図を描いているかまでは定かではないが、内政だけで簒奪できる可能性は低かろう。
どこかで反乱、もしくは内乱を起こしていた可能性が高い。
そして、ヒューマンが内乱で自分の首を絞めるのであれば、エルフとてそのチャンスを逃すとは思えない。
これを機に、ヒューマンの力を削いでおこうと動くだろう。
そうなった時、ビーストやドワーフは黙っているだろうか。
四種族同盟が互いにつぶしあっている間に、七種族連合の国々も国力を取り戻していくかもしれない。
そうなれば、また戦乱の世だ。
まぁ、大戦とまではいかずとも、戦争は起こっていただろう。
ゲディグズの言う通りに。
「此度の婚約は、余の息がかかっている」
「……だろうな」
フェルディナントとネメシアの結婚には意味がある。
そもそも今の状況は、クルセイドにとって困難が立ちふさがっている。
なにせクルセイドが何もせず、ヒューマンが順当に発展したとしても、クルセイドがぶちあがって内乱を起こしたとしても、エルフとは争うことになるのだ。
それも、どちらもヒューマンにとって不利な形で。
恐らく実際に戦争になれば、エルフが勝つだろう。
少なくとも、負けはしないだろう。
今から百年後はどうなるかわからないが、クルセイドが生きている内はヒューマンは勝てないだろう。
クルセイドはヒューマンだ。
狡猾で欲深いヒューマンだ。
王位を手に入れても、エルフに負けては意味が無い、自分が生きている内に勝たねば意味が無い、と考えるタイプだ。
だからクルセイドはゲディグズに寝返ったのだ。
「お前が死ねば、エルフは滅亡する」
婚約の儀において、ヒューマンの若造がサンダーソニアを殺したとなれば、エルフは報復のためにヒューマンを攻撃するだろう。
その戦争がどちらに傾くかは今のところはわからない。
今、このタイミングで戦争に入ったのであれば、互角になるのは間違いあるまい。
現時点において、エルフとヒューマンの戦力は拮抗しているのだから。
その間に、おそらくゲディグズはデーモンを率いてビーストかドワーフを攻め滅ぼすはずだ。
国土の位置を考えると、ビーストか。
そしてその後、エルフはヒューマンとゲディグズに挟撃されることとなる。
それ以外の国々がどう動くかまでは、サンダーソニアは考えきれないが、目の前の男が考えていないとは思えない。ヒューマンにその手を伸ばしたように、他国にも根を回していると考えるのが普通であろう。
エルフは袋叩きにされ、その国土の大半を失うこととなろう。
最悪の場合、滅亡する。
「だが余は、エルフを滅ぼすことをよしとはしていない」
「……」
「お前が余の妻となれば、エルフの未来は約束しよう」
「なんで、そんなことを言う?」
だが、だからこそサンダーソニアはわからない。
目の前の男が、そんなことを言い出すのが。
だってそうだろう。ここまできたのだ。さっさとサンダーソニアを殺して、エルフを滅ぼしてしまえばいい。
あのディスガイズとかいう魔法も、そう何度も使えるものではない。
正体が知られれば、すぐにでも対策が取れそうな魔法に見えた。
サンダーソニアを仕留めるには、二度とないチャンスかもしれないのだ。
エルフが滅び、あるいは今の七種族連合と同程度まで叩きのめされ、台頭してくるのはデーモンとヒューマンか。七種族連合の他の国々とて、今よりはマシになるはずだ。
少なくとも、戦争を起こそうとしている連中の目的は、達成できるはずだ。
「まさか、お前の配下……リーシャあたりのお気持ちを汲んでってわけじゃないよな?」
元ヒューマン王女リーシャ・ガイニウス・グランドリウスは心の底からヒューマンを恨んでいる。
ヒューマンを懐に招き入れ、共にエルフを滅ぼすとなれば、ゲディグズから離反する可能性もあった。
ただ、ゲディグズが配下のお気持ちを尊重するタイプには思えなかった。
たった一人が離反したとしても、切ればいいだけなのだから。
「先ほども言ったが……余が、お前を好いているからだ」
「んな口からのでまかせを聞きたいわけじゃない!」
ゲディグズは、右手をスッと上げる。
その手に握られているのは、先ほど自分の正体を看破されるに至った小道具。
シロガネスズラン。
「かつてエルフガンドの丘で会ったことを、本当に覚えていないのか……?」
かつて、エルフガンドの丘で。
その言葉を、サンダーソニアは考える。
確かに、かの丘には、デーモンに奪われる以前に行ったことがある。
むしろ、お気に入りの場所だったと言ってもいい。
エルフガンドの丘が奪われる直前も……。
「あ」
カチリとピースがハマった。
思い出した。
確かに一度、サンダーソニアはそこで、一人のデーモンと出会っていた。
一人の、といってもまだ一人前になっていない、子供のデーモンだった。
まだ戦争が激化する前、デーモン王ゲディグズという存在が台頭する前の時代。
確かにその頃、エルフの国に迷い込んだ、一人のデーモンの少年を見逃してやった。
「あの時のガキか」
「思い出したようだな。あの時に抱いた恋慕を、いまだ抱き続けてる。あの時、見逃してもらった恩を、返したいと思っているのだ」
「それを信じろと?」
「信じなくともよいが、本心である」
サンダーソニアは、ゲディグズを見る。
かつては憎悪の対象でしかなく、絶対に殺してやると死んでいった人々の墓前で幾度となく誓った相手だ。
だが、それは一度、果たした。
何の因果か蘇ってしまったようだが、かつてほどの憎悪がわいてくるわけではない。
もう、終わったことなのだ。
そもそも、ゲディグズ自身はそこまで恨まれるようなことはしていない。
ただ戦争が上手だっただけだ。
そう思って見ると、中々に精悍な顔つきをしている。
デーモンはどいつもこいつも美男美女ばかりであるが、その中でも特に知性と力を感じられる瞳に、濡れたような艶やかな長髪。
体つきは程よく、背はスラリと高くてどことなく格好がいい。
「くぅ……」
サンダーソニアは揺れた。
その少年時代というと、三百年ぐらい前か、まぁ、その時からずっと、一途に思ってくれてたなら? まぁ? 満更でもないか?
そんな考えが芽生えてくる。
きっとこの場にブーゲンビリアかトリカブトがいたら「チョロすぎんか?」と呆れた目を向けられただろう。
しかし、サンダーソニアの視線は、ある一点で止まる。
シロガネスズラン。
すでに失われた花畑の花は、今もなお輝いている。
かつて、燃える丘を前に、サンダーソニアは誓ったのだ。
死んでいった者たちに誓ったのだ。
レミアム高地でその誓いは果たされたかもしれない。
だが、サンダーソニアが生きているうちに、その誓いを憶えているうちに、デーモンと、そしてゲディグズと手を組むわけにはいかない。
そもそも目の前の男は、手を組んだクルセイドを裏切ると、そう公言しているのだ。
信じていい相手ではなかった。
「断る」
サンダーソニアは断腸の思いで、そう宣言した。
「残念だ。ならば死んでもらわねばならん」
「やってみろよ。もう一度殺してやる」
絶望的な戦いが始まった。