97.春のエルフ
エルフの国。
首都エルトネリコ。
かつて巨木の森と呼ばれたそこは、華やかな場所であった。
樹齢にして千年を軽く超える木々が立ち並び、地上にはカラフルな家が、木々の上には目立たぬ迷彩色の家が吊り下げられている。また、巨木の中でも特に大きな木はくりぬかれ、多くのエルフたちが住むアパートと化していた。
王城へと続く木製の橋は、馬車三台がすれ違えるほどに巨大なものだ。
巨橋からは町の各地へと続く小さな橋がつながっており、首都流通の動脈であることが一目で見て取れる。
この巨橋はエルフたちが『大通り』と呼ぶものである。
今でこそ大通りの名にふさわしい、強固かつ頑強なたたずまいの巨橋であるが、ひとたび戦となれば、即座に分解され、敵は地上を這いまわることとなる。
エルトネリコは、長い戦争の中、幾度となく首都に攻め込まれた。
この歪な構造はエルフが最後にたどり着いた結論であり、今や難攻不落の要塞であった。
さて、そんな巨橋を、珍しい一団が闊歩していた。
豪奢な金と白の馬車と、それを守る白銀の鎧に身を包んだ騎士団である。
掲げられている紋章は、まさにヒューマン王家のものであった。
エルフの民衆は、橋より少々高見からそれを見物しつつ、歓声を上げながら歓迎の花びらをまき散らしていた。
ほんの一月ほど前。
ブラックヘッド領が謎の怪獣に襲われ、大きな被害を被った直後。
ヒューマンとエルフの間で、ある電撃的な発表がされた。
『エルフの小魔導ネメシアと、フェルディナント戦後管理局長の婚約決定』
フェルディナント戦後管理局長とは、フェルディナント・アルマ・ラギエ――ヒューマン国の宰相クルセイド・アルマ・ラギエの息子のことである。
デーモン王ゲディグズの復活が信ぴょう性を帯びたと感じたヒューマンとエルフの首脳陣は、二国の関係性をより強化するために、それぞれの国の独身の要人を見繕い、結婚させることとしたのだ。
つまりは政略結婚である。
本来ならば、王族同士が結婚することで結束を強めるものであるが、政治色を強めすぎることは得策ではないと判断されたのか、とある噂が流布されていた。
その噂とは、謎の怪獣との戦い、その戦火の中で偶然にも出会い、惹かれあった二人の男女……ネメシアとフェルディナントの淡い恋愛を、そのまま政治的に利用してしまおうというものであった。
「あの、ソニア様、本当におかしくないですか?」
「ないよ。お前はいつだってかわいいさ」
そんなネメシアは、現在王宮の一室にて、ドレス姿をサンダーソニアに披露していた。
具体的にはサンダーソニアが見せろと詰め寄った形である。
「本当ですか? でも不安です。ソニア様はいつもおかしいから」
「おい弟子、聞き捨てならないことをいうな。私のどこがおかしいってんだ? えぇ? しかも『いつも』と言いやがったな。おかしいところを直したら私も結婚できるのか? もし教えてくれるんなら、教えてみろ。今日からお前のことを師匠と呼んで敬ってやる。ぜひそうしろ。頼む。お願いします」
「そんなグイグイこないでください、冗談じゃないですか」
「冗談じゃない。なんだよ、人がゲディグズ復活に向けて忙しく働いてるっていうのに、裏でこそこそイチャイチャしやがってぇ……」
「えへへぇ……」
ネメシアはブラックヘッド領の戦いにおいて、重症を負った。
この程度ならば軽傷だと動き続けた結果、あわや失血死する寸前までいったネメシアを救ったのは、父クルセイドについてブラックヘッド領に訪れていたフェルディナントだった。
彼は魔法を用いてネメシアを癒し、介抱し、その命を救ったのだ。
それから数日間、首脳会談と戦後の処理が終わり、別れるまでのごく短い期間、二人は逢瀬を繰り返した。
そうして別れる直前に、宰相クルセイドより、提案があったのだ。
いっそ結婚してはどうか、と。
要するに、噂には多分に真実が盛り込まれていたのだ。
あからさまな政略結婚よりは、物語のある所を後押ししてやる形の方が民衆の支持も得られてよい、という判断であった。
「思うんだが、ネメシア」
「はい?」
「政略結婚なら、むしろ私のほうが適任じゃないか? 私がヒューマンの王族と結婚するのはどうだ?」
「あはははは」
「笑うなぁ!」
「いや、だって、師匠はエルフの象徴みたいなものじゃないですか。そんな師匠が政略結婚になんて使われたら、暴動が起きますよ。なんなら私が一番前で戦います」
「私は政略結婚すら許されないのかよ……」
そして、サンダーソニアは一番若い弟子にすら先を越され、おかしくなってしまった。
このままでは、本当に一生結婚できない可能性すら脳裏によぎっている。
五人分ぐらいのエルフの一生を過ごしてきたくせに、いまさら。
「なぁ、本当にどうすりゃ結婚できるんだ。教えてくれよネメシア……ていうかお前はどうしたんだ?」
「えと、私の場合は、運命の出会いというか……死にかけているところを救ってもらって、それでお礼がしたくて会いにいったのですが、向こうの方が情熱的で……」
「私だって、絶体絶命の状態で助けてもらったことぐらいあるんだぞ。でも情熱的に迫られたことなんて……ハッ!」
思い返すのは、シワナシの森での一件、ネクロマンサーたちに追い詰められ、あわや大ピンチとなったサンダーソニアを救ったのは、オークのバッシュだった。
バッシュは戦いの後、情熱的にプロポーズを迫ってきたではないか。
当時はバッシュのことを怪しんでいたため、あっけなく振ってしまったが、まさにこのケースが当てはまるのではなかろうか。
「しまったぁ! あれだったか! そうか、あそこで頷いておけば、奴にその気がなかったとしても。関係を築けたのか……」
「え? 心当たりあるんですか?」
「ああ、前にシワナシの森でプロポーズされたって言っただろ?」
「あ、はい。さんざん自慢されましたね……え、『オーク英雄』とのことですか? オークですよ?」
「差別はいかんぞ。差別は……。顔はまぁ、オークだが、こないだの尋問で見たろ? わりといい男だったろ?」
「そうですかぁ……? まぁ、オークにしてはしっかりしてそうでしたし、あの怪獣も『オーク英雄』の力があってこそ撃破できたとは聞いてますけど……」
でもやっぱりオークは嫌だなと内心で思うネメシアである。
オークの捕虜となって本国まで連れ帰られてしまった日には、無理やり妊娠させられた挙句、裸で見世物にされるともっぱらの噂である。
もしサンダーソニアがそのような醜態をさらすことになろうものなら、エルフは確実にオークを滅ぼすだろう。
「それで、その『オーク英雄』様はどちらにおられるのですか?」
「わからん。けどまぁ、あいつもオークなりに今後についてはいろいろ考えてるっぽいしな……どこかでうまいこと立ち回ってるんじゃないか?」
「オークは、ゲディグズ側につくんでしょうか……?」
「バッシュにそのつもりはないみたいだが、オークキングがどう考えるかだな。ま、現状を考えると、ゲディグズについてもおかしくはない。ていうか、十中八九そうなるんじゃないか?」
「そうですか……」
「ああ」
二人はやや陰鬱な表情で、窓の外を見た。
眼下に見える巨橋には、それを渡るヒューマンの一団が見える。
本来なら、ヒューマンではなく、もっと別の種族への根回しをしなければならないのかもしれない。
だがエルフにとって、敵に回って最もいやな種族はどこなのかといわれると、やはりヒューマンであった。
ヒューマンにとってもそうであろう。
互いの視点でいえば、互いがゲディグズの側に回らないという保証などないのだから。
だから、無理やりにでも関係強化をして、互いの首に鎖をまきつけたのだ。
(もっとも、もしヒューマンがゲディグズ側に付こうと思っても、あのヒューマン憎しの王女様がゲディグズ側の幹部にいる以上、ヒューマンを迎え入れることはないだろうけどな)
思い出すのは、あの森での一件だ。
『降天の王女』リーシャ・ガイニウス・グランドリウス。
失踪するまではヒューマンの中でも千年に一人の逸材と言われ、ヒューマンの中でも相当な期待をかけられているほどの女だったが……だからこそ裏切られてああなってしまったのだろう。
「ま、できる限りのことはやるさ。心配するな。また私が平和を取り戻してやるよ」
「……はい」
「そう暗い顔するなって。少なくとも、お前がフェルディナントと結婚したら、エルフとヒューマン間での戦争の可能性は限りなく低くなるんだから。あとはゲディグズをもう一度倒せれば、むこう千年は平和が続くぞ。そのためなら、刺し違えてでもゲディグズをやってやるさ」
「やめてください」
刺し違えてでも、という言葉は冗談交じりであったが、しかし長年エルフのために身を粉にして働いてきたサンダーソニアならやりかねないと、ネメシアは思うのだった。
ネメシアという少女は、サンダーソニアにとって近年で最も感慨深い存在である。
エルフは、生まれてすぐに森の祝福という儀式を受ける。
その際に、どれだけその赤子が森に、精霊に、あるいは世界に愛されているかがわかるとされている。
現実的な言い方をすると、どれだけ魔力との親和性が高いかがわかる。
どれほど魔法使いとしての才能があるかがわかるのだ。
ネメシアがその儀式を受けたとき、その場にいた者たちがどよめいた。
彼女の魔力との親和性は、過去に類を見ないほどに高かった。適切に育てればサンダーソニアの再来となるだろうといわれるほどに。
その場にいたサンダーソニアは「いや再来ってなんだよ。まだいるだろここに」と呟いたが、要するに英雄になる素質を備えた子供であるということだ。
将来、エルフを背負って立つかもしれない存在。それがネメシアであった。
で、あるがゆえに、ネメシアはサンダーソニアの元で修行することが決定した。
エルフの中で最も貴ばれる存在に、一挙手一投足を学ばせようということだ。
余計なことも学ぶのではないか、という懸念もあったが、その場にいたとある者の「おい、それはどういう意味だよ。なんか私に言いたい事でもあるのかよ、あぁ?」という鶴の一声によって捻じ伏せられ、ネメシアはサンダーソニアの弟子となった。
サンダーソニアにとっては、弟子といわれても他の子どもたちとそう変わらない。
サンダーソニアは各地の町に訪れると、必ず幼子たちの様子を見に行く。時に面倒を見てやり、時に遊んでやり、時にからかい、時にからかわれ、笑いながら去っていく。
サンダーソニアとて、全てのエルフの顔と名前が一致するわけではない。
だが、子供たちのほうは大人になっても覚えている。
ネメシアも、そんな子供の一人だ。
幼い頃、ネメシアは大きな机に座って、家庭教師から与えられた問題を片付けたり、サンダーソニアに教えられた魔法の訓練をしていた。
サンダーソニアは日々を戦いの中で過ごしており、帰ってくるのは本当にたまにだった。
けど、サンダーソニアは、以前に自分が何を言ったのかはちゃんと覚えており、ネメシアにそれができるようになっているかどうかを確認した。
できるようになっていたのなら、まるで自分のことのように喜んでくれた。
ネメシアはよく覚えている。サンダーソニアが喜ぶのは、本当に嬉しかった。
だから、次の課題も頑張ったのだ。
サンダーソニアからしてもネメシアは少し特別な子だった。
彼女の面倒を見始めて十数年が経過したとき、ふと気づいたのだ。
なんか、やけに物覚えがいいな、と。
そう、普通であれば詰まったり、習得できなかったものをネメシアはあっさりとこなしていた。
サンダーソニアの教えをすべて吸収していたのだ。
そして、終戦間際には、ネメシアはエルフ国内でも三本の指に入るであろう魔法の使い手へと成長していた。
ネメシアが戦場に出たのは終戦間際。
サンダーソニアのあとをチョコチョコとついて回る、小間使いのような立場として。
彼女はサンダーソニアの戦い方を見て覚え、初めて敵と出会った時には、つたないながらも実践して見せた。
使う魔法の種類は違うことも多いが、その戦いの組み立て方は、サンダーソニアと瓜二つであった。
そして、数か月もしない内に、彼女にはある二つ名がついた。
『エルフの小魔導』。
ネメシアは自分にそんな二つ名がついたと知ったとき、サンダーソニアの前で薄い胸を張って「どうですか?」と自慢したという。
サンダーソニアは、素直にそれを褒めたたえ、一人前だと認めた。
ネメシアはその後、エルフ王族に仕える宮廷魔術師のような立ち位置へと落ち着き、サンダーソニアはシワナシの森へと戻っていった。
独り立ちした弟子でありながら、自分の娘といっても過言ではない存在。
サンダーソニアにとって、ネメシアとはそんな少女だ。
結婚などしていないが。
「ネメシアがなぁ……」
サンダーソニアにとって、自分の娘みたいな存在はたくさん存在する。
そのため、ネメシアをあえて娘として形容するなら『末の娘』といった所か。
ギリギリ戦争に参加していた者の中では、最も若い部類に入る。エルフの小魔導などと呼ばれて調子に乗っているが、終戦間際の楽な戦いしか経験していない。
言ってみれば若造だ。
そんな存在が、唐突に婚約である。
サンダーソニアとしては非常に複雑な気持ちだ。
もちろん祝福する気持ちは大きい。なんなら相手の男も若造だ。
戦争をほとんど知らない世代同士の結婚。新しい世代が来たといえるだろう。喜ばしいことだ。
だが、素直に受け入れるには、ちょっと政治の臭いがキツすぎた。
末娘のような存在、かわいい弟子が政治に利用されているという状況は、決して喜ばしいものではないのだ。
まぁ、当人が嫌がっていないから、サンダーソニアとしても反対はしないのだが。
「ソニア様はいつご結婚なさるのですか?」
「なんだよ。喧嘩売ってるのか? 明日にでもするぞ。お前の葬式と私の結婚式を同時発表だ」
「真面目に聞いてるんです。私はソニア様はきちんとしたお相手であれば、ちゃんと祝福するつもりでいるんですからね! 他の方々も、ソニア様が結婚したがっていると知っておられる方は、皆さんそう思っています」
実はそうなのである。
特にサンダーソニアと親しい仲の身内は、会う度に結婚できない愚痴を聞かされ、もう面倒になってきているのだ。
挙句の果てに、まだ生まれて間もない男の子に「お前が育ったら……な?」などと声を掛け、事案となって連行されたこともあった。
いかにエルフの大魔導と言えど、幼子に粉を掛けるのはご法度であった。
サンダーソニアから見れば、全てのエルフが幼子みたいなものであるとはいえ、だ。
正直、サンダーソニアの婚活状況を知る者は、「いいから早く見つけてくれ、犯罪になる相手以外で」と思っているのだ。
「……そうだなぁ。お前がヒューマンと繋がると考えると、ビーストやドワーフとの繋がりがあった方がいいだろうな。だから今晩のパーティでそこらへんをほのめかして、うまいこと見つけてやるさ」
「いませんよ今日は、ビーストもドワーフも」
「だよなぁ……」
サンダーソニアはため息をついた。
サンダーソニア的には、まぁ本当に誰でもいいのだが、世界情勢がこんな感じなので、正直諦めている所はあった。
この三年間で無理だったのだから、今更焦った所でどうにかなるものでもない。
「ま、いずれにせよ、ゲディグズが復活したとなれば、今までみたいに幸せを求めて結婚などとは言ってられんさ。なぁ?」
サンダーソニアは己の背後に立つ女に、そう投げかけた。
影のように気配もなく立つ女。
元エルフ暗殺部隊の長、ブーゲンビリアであった。
「……私としては眉唾です。本当に死者が復活するなど」
「別に、嘘なら嘘でもいいんだ。ゲディグズは復活なんかしなかったってんなら、残党を片付けて終わりだ。でもなぁ、そうは思えん、ポプラティカはそういう女じゃないし、あの賢者がなんの根拠もない話に飛びつくとも思えん。あとまぁ、ヒューマンの聖典も実際に目の当たりにしたが、ありゃヤバイだろ。あんなのを何個も集めたんなら、何が起こっても不思議じゃない」
真面目くさってそう言い切るサンダーソニアに、ブーゲンビリアも顔を引き締めた。
「なに、何とかしてやるさ」
「ソニア様……そうは言いますが、ソニア様は十分に働かれました。かのデーモン王の術式はすでに解明され、仮に復活したとしても、倒せる人材は育っています」
「人材っても、それこそネメシアと同じ若い世代だろ? 経験不足だ。それにゲディグズは簡単に倒せる相手じゃないぞ。私たちが奴を倒すのに、どれだけ苦労したと思ってる? 仮に倒せたとしても、何人犠牲になるかわからん」
「それは……」
ブーゲンビリアは言葉に詰まった。
エルフの寿命は長い。ブーゲンビリアも、多少なりともゲディグズが生きていた頃の苦しい状況は体験している。
いきなりああなったわけではない。過去の四種族同盟の首脳陣が頭を悩ませ、必死に抵抗し、それでも大勢で負け続け、追い詰められた結果、サンダーソニアやナザールが決死隊となってゲディグズを食い止めたのだ。
そしてその結果、四人の英雄の内、二人が死亡している。
「幸せをつかみかけてる若い連中を死地においやって、私みたいな古い人間が、どの面さげて生きていけばいいんだよ。ここで気張らないでどうする」
「……」
「ブーゲンビリア、お前だってそろそろ失恋の傷は癒えた頃だろ? いつまでも私の護衛なんてしてないで、いつだって新しい恋を探してもいいんだからな」
「私は、ソニア様のお傍におります。いさせてください」
「しょうがない奴だな……あ、でもな、私に男ができてまで傍にいる必要はないからな。な、わかるだろ? うまいこと二人っきりにしてくれよ?」
「わかりません。ソニア様に男などできませんので」
「言いすぎだろそれはぁ!」
サンダーソニアはそう叫びつつ、窓のそばで頬杖をついた。
「ったく……」
窓の外に広がるのは、エルフの首都だ。
サンダーソニアにとって見慣れた風景である。
この千年で少しずつ変化していった街並み、様々な年齢のエルフたちの中には、ちらほらと顔と名前の一致する者が存在している。一致しない者に関しても、別に知らないわけではない。近づいて名前を聞けば、すぐにでも「ああ、あいつか」と思い出すだろう。かつての友の面影と共に。
エルフという種族は、サンダーソニアにとってのすべてだ。
そして今、エルフたちの表情は、サンダーソニアの人生史上、最も明るい。
これこそが、サンダーソニアが、そしてサンダーソニアと共に戦い、死んでいったエルフたちが手にした平和なのだ。
これを維持できなくて、何が『エルフの大魔導』だ。
「ま、考えてみれば、私も誰かとの家庭生活とか、あんまり想像つかないもんな」
サンダーソニアは自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
婚活のために旅をしたが、どこもそこまで平和というわけではなかった。
エルフの首脳部はダメな奴が多いし、ヒューマンとドワーフの腹はドス黒い。
ビーストだって血の気の多い連中が大勢いたし、腹黒さもちょっとあった。
今回の一件がどう転ぶかはわからないが、もし片付いたとしても、似たような争いや諍いは続くのだろう。
そしてその度に自分は首を突っ込み、なんとかしようとするのだろう。
つまり結局、サンダーソニアという人間は、平和や平穏とは無縁な人間なのだ。
トリカブトに言われて婚活などしてみたが、似合わなかったということかもしれない。
「なら、せめて掴んだ平和をできる限り維持できるよう、死ぬまで頑張ってやるよ」
サンダーソニアは、やや不貞腐れながらも、覚悟を決めた声音でそう呟くのであった。
■
婚約発表のパーティは、エルトネリコの王城で行われた。
ネメシアもフェルディナントも王族ではないが、この婚約が互いの国の代表同士の結婚であると大々的にアピールする目的もあったのだろう。
ナザールの姿こそなかったものの、見覚えのあるヒューマンの貴族や騎士などが、会場で歓談している。
エルフ式ではなく、ヒューマン式の立食パーティにしたのは、エルフ側がヒューマンを受け入れるという形をとるからであろう。
エルフの国で、ヒューマン式のパーティを行うということが、政治的にどれほどの意味を持つのかはわからないが、エルフ側は相当にヒューマンに配慮をしていると見て取れた。
どこもかしこも政治的な思惑だらけである。
そんな中、サンダーソニアは大勢に囲まれつつ、ニコニコしながらチキンをほおばっていた。
多少心中にモヤモヤしたものがあったとしても、飯が大量にある所で人に囲まれていたらいつもニコニコなのがサンダーソニアの良い所だ。
そういう人間だからこそ、周囲も彼女に近寄っていくのだ。
若い弟子にすら先を越された事で、婚活の暗黒面に落ちていたとしても、人のいる場でそれを出す女ではないのだ。
目に入るヒューマンの男たちがエルフの若い女、あるいはあまり若くなくてもヒューマンからは若く見える女に話しかける度に、「あいつらも結婚するのか……?」と疑心暗鬼に陥り、実際にそう口にしたとしても、周囲は冗談で流してくれるのだ。
多少ピリピリとした空気を流したとしても、ゲディグズが復活するというニュースもあってのこと、仕方がないと周囲が勝手に忖度してくれるのだ。
そんなサンダーソニアの人だかりが、ふと途切れた。
サンダーソニアはここぞとばかりに飯をかきこみ、腹を満たしていく。
邪魔をする者はいない。ヒューマンもエルフとツーカーの仲になって長い。サンダーソニアの扱いに慣れてきたということだろう。
しかし、そんなサンダーソニアに、近づく者がいた。
「失礼。サンダーソニア様とお見受けします」
「もごもご、もぐぐぐも、もがも」
それは、一人の若いヒューマンであった。
見た目の年齢でいえば、ナザールと同じか、少し下ぐらいだろうか。
首のあたりでまとめられたやや暗い色の髪は肩甲骨まで伸びており、よく手入れされているのか、光を受けてキラキラと艶めいていた。
背丈はシュっと高く、戦場にあまり出たことがなさそうな気配はありつつも、高貴な物腰から、かなり良い所のお坊ちゃんであると予測できる。
実際、顔立ちはナザールによく似ていた。王族の系譜か。
というのが、サンダーソニアの見立てである。
「もぐもぐごっくん。おぉ、そうだ。私がサンダーソニアだ。お前は?」
ただ、見覚えは無かった。
これぐらいの結婚適齢期の男、最近見たのなら絶対に憶えているはずだが……と、男の指を見るが、結婚済の証である指輪はつけられていない。
「申し遅れました。私、カルロスと申します。兄フェルディナントの婚約の儀に、無理をいって追従させていただきました。以後、お見知り置きを」
「フェルディナントの弟……? 初めまして、だよな?」
「いえ、以前に一度、お会いしたことがございますよ」
「そうなのか?」
サンダーソニアは記憶を探るが、どうにも憶えがない。
とはいえヒューマンの成長は早い。子供の頃に一度会ったとか、そういうのであれば、憶えてなくとも仕方があるまい。
「はい。星の見える丘で、魔術の手ほどきをしていただきました」
「…………そう、か?」
魔術の手ほどきまでした子供はそこまで多くない。さらに言えばヒューマンに教えたとなればさらに少ないはずだが、しかし思い出せない。
そこまで多くないとはいえ、それなりに多いからだ。
しかし手ずから教えた相手を憶えていないというのも、サンダーソニアにとって若干珍しいことではある。
「それにしても、フェルディナントの弟に、カルロスなんて奴はいないと思ったけどな」
「はい。長らく、表に出ないようにされておりましたので」
「なんだそりゃ。ワケアリか? あ、そういえばお前、ナザールとよく似てるな。ははーん、さてはルーニアスあたりがオイタしちゃったか?」
冗談として言った言葉だった。
ヒューマン王ルーニアスと言えば、三人の子供を持つも妾は持たず、王妃一筋の男として知られていた。
だから、「無礼ですよ」「冗談だよ。なんなら後でルーニアスに謝りにいくさ」と流されることを想定しての会話だ。サンダーソニアだからギリギリ許されるラインである。
だが、サンダーソニアが言葉を発した瞬間、周囲から音が消えた。
「ん?」
周囲のヒューマンの内の何人かが、絶句していた。
言ってはならないことを言いやがったぞこのアマと言わんばかりの視線を、サンダーソニアへと向けていた。
「……マジか。悪かった。謝罪しよう。知らぬこととはいえ、言っちゃダメなことを言っちゃったな」
ダメなことを言っちゃったらちゃんと謝れるのが、サンダーソニアが人気の所以である。
「気にしておりません。しかしながら、一目で言い当てられたのは驚きました。やはり、似ておりますか? 父に」
「ん。まーな。いや、ルーニアスというよりは、息子のナザールか、そっちに似ているな」
「さようでございましたか」
にこやかに笑うカルロスに、サンダーソニアも冷や汗タラタラである。
自分の失言が問題で、このパーティが御破算になることは、彼女も望んではいない。
「それにしても、なんだ? 表に出ないようにされていた、だったか? にしては出てきてるじゃないか。どうしたんだ? 旅でもしたくなったか? それとも、お前も結婚相手を探しにきたとかか?」
「実はそうなのです。我らグランドリウス王家は、エルフとのより強い結束のため、エルフに王族の血をとお望みです。もちろん、世論もありますので内密ではありますが……」
「なるほどな。表に出てはいないが、血を分けるだけならお前が最適ということか。まったくヒューマンという連中はすぐそうやって人を駒みたいに扱うよなぁ……」
「ふふ、まったくですね」
「お前も可哀想だよな。エルフの王族で独身の奴なんてもうほとんどいないぞ。いても生まれたばっかか、夫を失った年寄りだ。あと王家に連なるもので余っているのは……おっと、そういや一人いたなぁ……私とかどうだ?」
悪い空気を払拭させるための、サンダーソニアの取っておきのジョークである。
これを聞いたヒューマンは、全員が「またまた御冗談を」と爆笑すること間違いなしであった。今のところは全部そうだ。爆笑といっても愛想笑いであるが。
サンダーソニアとしてはそんな自爆芸なんぞしたくもないが、この場の空気をこれ以上悪くしないために、己を道化にすることに躊躇はなかった。
だってこの場は愛しき弟子であるネメシアの晴れの場なのだから。
が、
「まさか、サンダーソニア様の方からそう仰っていただけるとは……」
カルロスは驚きの表情を浮かべつつ、サンダーソニアの目の前に膝をついた。
「以前より、お慕い申し上げておりました。どうか、我が妻になっていただきたい」
そしてサンダーソニアの手を取ると、その甲にキスをしたのだった。
「…………は?」
狐につままれた表情のまま、サンダーソニアに春がきた。