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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第八章 フェアリーの国 森の魔女編
97/105

96.英雄の死んだ日


 ゲディグズとバッシュの戦いを見ていた者は四人いた。


 その内の一人、ドミノは決着の隙をついてフェアリーの国から脱出することに成功していた。

 命からがらであった。

 ブライの配下として、諜報員として、戦場を生き抜いた経験が生きた。

 他のヒューマンたちは死んだ。皆殺しだ。

 自分は生かされたのか、はたまた諜報員としてのスキルが己を生かしたのか、それはわからない。

 ゲディグズが自分のようなものを見逃すはずがない。

 決着と同時に桃色濃霧が消滅したのも、泳がされているのではないかという疑念に拍車をかける。

 だが、もし見逃されたのだとしたら、何かを伝えさせるためだろう。


 衝撃的だった。

 ゲディグズと、オーク英雄の決闘。

 そして、ゲディグズが勝った。

 オーク英雄は無様に敗走し、魔女は死に、フェアリーはゲディグズに下った。

 オークは強い者に従う、英雄がゲディグズに一騎打ちで負けたとなれば、オークもまたゲディグズ側に付くだろう。


 この結末は持ち帰らなければならない。

 ゲディグズの復活と、オーク英雄の敗北。

 ゲディグズにどんな意図があろうと、あるいはなかろうと、ドミノにはこの情報を持ち帰る以外に出来ることはない。

 情報を持ち帰ることこそが、彼の仕事だからだ。


 ゲディグズとオーク英雄が戦ったとなれば、オーク英雄とフェアリーが学んでいた魔法は、恐らくはゲディグズに対抗するためのものか……。

 その正体はわからないが、何かしらの関係があったに間違いあるまい。

 そして恐らく、その魔法はゲディグズの手に渡った。

 でなければ、ゲディグズがわざわざこんな所まできて、それを阻止する理由もないのだから。


 この情報を、彼の上司ブライがどう扱うかはわからない。

 だが、ドミノは確かに感じていた。

 あの決闘で何かが変化した、と。

 ゲディグズが復活し、着々と配下を増やしているという事実。

 オーク英雄を打倒し、何かを阻止したという事実。

 それらは、ヒューマンに"準備"をさせるに十分であろうから。

 恐らくは、本格的に始まるのだ。

 戦争が。


 ならばドミノは仕事をする。

 森を抜け、本国への道をただひたすらに走るのだった。



 戦いを見ていた者の一人、ポプラティカは、ゲディグズの傍にいた。

 すぐ脇ではゲディグズがフェアリーと何かを離している。

 だが、ポプラティカは心ここにあらずで、先ほどいなくなった同僚の心配をしていた。


「ポプラティカよ」

「ハッ」


 ポプラティカは突然声を掛けられ、振り返る。

 そこには、大勢のフェアリーを背にしたゲディグズがいた。

 そのすぐ脇には、あの魔女の姿もある。


「フェアリーとの話はついた……キャロットはどうした?」

「わかりません。やめる、と。もしかすると、バッシュ様があのような敗北を喫したことで、何かショックを受けてしまったのかも……」

「サキュバスは移ろいやすい種族だ。そうなることもあろう」

「キャロットはそのような……いえ、そうですね。とはいえ、キャロットも冷静になれば戻ってくるでしょう」


 バッシュは敗走し、魔女が乱入し、キャロットは消えた。

 ついでに言えば、バッシュの隣にいた女も消えている。

 不可解なことの多い戦いであった。

 もしデーモンやオーガ間で行われた決闘であれば、物言いが入ったかもしれない。

 しかし、ここはフェアリーの国。

 そしてフェアリーたちは、今、まさにゲディグズの後ろについた。

 結果を見れば、キャロットがふらふらと消えたこと以外、想定通りと言えよう。

 バッシュを倒しオークも手中に収めれば一石二鳥ではあったが、当初の予定ではオークは後日だ。

 計画通り、ゲディグズはフェアリーを手中に収めた。


 ポプラティカは気を引き締める。

 まだゲディグズは動き出したばかりなのだから。

 多少のトラブルがあったとしても、動じてはいけない。


「ゲディグズ様、次はいかがなさいますか?」


 ゲディグズはポプラティカを見下ろしつつ、澄んだ眼で答えていく。


「まずは、魔女の研究成果をもらおう。僥倖だ」


 ポプラティカは頷く。

 なぜここに魔女カーラがいたのかはわからないが、彼女の研究を紐解くことは、後々に戦うヒューマンとの戦いを有利に進める鍵となろう。


「その後は?」

「四種族同盟はヒューマン、エルフ、ビースト、ドワーフの四種族で成り立っている。決起するとなった時、かの同盟に付く種族もいようが、圧政で疲弊しきった今、敵として扱うべきは元の四種族同盟となる」


 ゲディグズはフェアリーの長にも見えるように、指を四本たてた。

 そして一本折る。


「ビーストは最初に打ち破るべき敵だ。領土の位置的にも必ず最初に戦うことになる」

「では、ネザーハンクスらに決起の合図を送り、ビーストに宣戦布告と先制攻撃を?」

「それより前に、やるべきことがある」

「元七種族連合の国々への根回し、ですか?」

「それはもちろんやるが、他の種族への牽制だ。ビーストと戦っている間に、他の国からの援軍がきては、数で負けてしまう……ただ」


 ゲディグズは次に一本、指を折る。


「ヒューマンは慢心している。ビーストが襲撃されれば、我らを撃退するより先に、ビーストの弱体化を考えるだろう。戦後を考えてね。内部での争いも激しく、ビーストに加勢するにしても時間が掛かろう。ならば放っておいてもしばらくは害にはなるまい。あるいは他国の足を引っ張ってくれるかもしれない」


 さらに一本。


「ドワーフは強固だが、自分達の利益を考え、緒戦は静観するだろう。来ないよ、ビーストが落ちるか、ビースト以外の他の国が動くまでは」


 そして最後の一本。


「エルフはすぐに来る。ゆえに我らは、エルフに一撃を加え、混乱をもたらす必要がある」

「どうすれば?」

「エルフは一枚岩ではない。派閥があり内々に争っている。ヒューマンのようにならないのは、一人の強力な指導者がいるからだ。無論、ノースポール王ではない。長い年月を生き、種族の精神的主柱となり、結束を高めている者がいる」


 そして、ゲディグズは次の方針を口にする。

 少数で行える、最大にして最高の一手を。


「『エルフの大魔導』サンダーソニアを暗殺する」


 その言葉にポプラティカは深く頷き、先行してエルフ国へと忍び込ませていた者との合流を想起するのだった。





 戦いを見ていた者の一人、キャロットは雨に降られていた。

 妖艶なサキュバスの衣装に身を包んだ女は、泥の中に跪き、うつろな目で空を見ていた。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、一人の男の姿だった。

 『オーク英雄』バッシュ。


 己の、そしてサキュバスという種族全体の恩人。

 あの戦争に参加していた者は、あの砂漠の撤退戦にいたものは、誰でもバッシュに一目置いている。


 当時のことは、昨日のことのように思い出せる。

 リーナー砂漠の撤退戦。

 ゲディグズ亡き後、リザードマンと共闘していたサキュバスは、彼らを助けるべく砂漠へと向かった。

 その進言をしたのは、何を隠そうキャロットだった。

 当時の将軍の副官だったキャロットは、リザードマンを助けるべしと強く進言した。

 同胞を見捨てては、我ら種族の誇りに傷が付く、オーガやハーピーもリザードマンを助けるはずだ。ならば我らが指をくわえてみていて良いわけがないと、半ば強引に将軍を動かした。

 だが、結果として、オーガとハーピーは自国の防衛で手一杯であり、サキュバスは単体でリザードマンを助けにいく事になった。

 エルフはのこの時現れたサキュバスをあっさり逃がすほど詰めの甘い相手ではなかった。


 エルフにとっては好機だっただろう。

 リザードマンを助けるべく動いたサキュバスの部隊は文字通りの一軍であり、主力であった。

 そんな一軍とサキュバスの苦手な砂漠で相対できる機会は他になく、ヒューマンとドワーフが戦線を維持する中に真っ先にやってきて、側面を突いてきた。

 戦線は崩壊し、指揮官は討ち取られた。

 副官であったキャロットは指揮権を引き継いだ。

 絶望の状況でサキュバスの将軍となったのだ。


 まだ主力は残っているが、包囲を突破する術はなく、援軍の目途は立たなかった。

 死の物狂いだった。

 自分たちが全滅すれば、サキュバスの本国は確実に落とされるだろうと予想がついていた。

 エルフもまた、それに気づいていたのだろう。

 ヒューマンとドワーフはそこまで頭が回っていないようだったが、エルフの攻撃は苛烈だった。

 そうだろう。キャロットたちを殲滅した後、サキュバス本国を攻めるのはエルフだからだ。


 包囲は決して緩めず、隙もなく、ただ淡々とサキュバスは殲滅されようとしていた。


 そこに、オークの一軍が突入して突破口を開かなければ、そこで確実に全滅していただろう。

 オークがなぜサキュバスを助けに来たのかは、サキュバスクィーンからの援軍要請に応えた形だ。

 オークはあまり気にしていないようだが、かなり居丈高に命令したそうだ。

 オークキングはその要請を受けて、最強の戦士を含む一団を派遣した。

 脅威度という点ではそこまで高くないオークは、まだ本国を攻められるに至っていなかったのもあるだろう。

 あるいはそこまで考える脳が無かったのもあるだろう。

 もしくは、サキュバスを攻める軍勢が女ばかりだと聞いて、喜んで来た可能性すらある。


 とにかく、やってきたのだ。

 後に『オーク英雄』と呼ばれるオークと、その一軍が。

 何しろゲディグズが死んですぐの頃のことだ。数だけが頼りのオークであっても、そこまで頭数が揃っていたわけではない。

 少数だった。

 五十人もいなかったろう。

 だが、彼らはエルフの包囲網を突破し、サキュバスとリザードマンを包囲の外へと出してくれた。


 ありありと思い出せる。

 あの鬼神のごとき戦いっぷりを発揮する、バッシュの姿が。

 他のオークたちが倒したエルフを物欲しそうに眺めつつ戦いを続ける中、女などに目もくれず、圧倒的な強さでエルフの軍勢を蹴散らした、オーク英雄の姿が。


 サキュバス達は、その時は判断力が鈍っていた。

 下卑た顔で自分たちを見てくるオークに、いつも通り見下した視線を向けた者もいた。

 嫌味こそ言い放たなかったが、オークなんぞにと思っていたものは、確かにいたのだ。


 包囲を抜けたサキュバス、オーク、リザードマンの軍勢は、そのまま撤退戦にうつった。

 エルフは決して追撃の手を緩めなかった。

 隠れる場所のない砂漠で、負傷者を抱えながら逃げるサキュバスを、逃がすわけがないと言わんばかりに、どこまでも追いかけてきた。

 ヒューマンもドワーフも、追いすがって来た。

 どいつもこいつも、サキュバスを皆殺しにしたくて仕方がないという顔をしてきた。


 全員、死に物狂いで戦った。

 逃げた者もいる。

 どこに逃げようと言うのか逃げ出して、きっとそのまま死んだのだろう。

 キャロットとて、指揮官という立場がなければ、そうしていたかもしれない。

 前将軍に無理な進言をし、こんな死地に皆を連れてきてしまった咎に、無様な死をもって償うのが妥当だと思っていた。


 指揮官となったからには、そうはいかなかった。

 死地に連れてきた責任として、死地から皆を脱出させなければならなかった。

 だから死に物狂いで戦った。


 一人、また一人と知っている顔が死んでいった。

 援軍にきたオークもまた、一人、また一人と数を減らしていった。

 まぁ、ほとんどのオークは、倒したエルフに我慢できず、捕まえてその場でおっぱじめようとして死んだのだが……。


 何度も諦めそうになった。

 身体が疲弊しきり、限界近い空腹で眠れもせず、襲撃の度に絶望に叩き落された。

 オークの内何人かは、食料として名乗り出てくれたが、一人や二人を死ぬまで食ったとて、全員の腹が満ちるわけでもなかった。

 恩人を食わねばならぬという屈辱。頭を掻きむしりたくなるような名誉の凌辱。

 そんな行為をしなければいけない極限状態の中で、諦めてしまった者も多くいた。

 自分も諦めてしまえばどれだけ楽だったろうか。


 けれど、絶望の中でも、砂漠全土に轟くようなウォークライで周囲を鼓舞し、敵陣に向かって突撃していく一人のオークが、希望になった。

 あの背が付いてこいと語っていた。

 ほとんどのサキュバスは、彼についていくのが精いっぱいだったが、それでも旗頭がいなければ、きっとどこかで、全員が剣を落とした未来があったろう。


 そうして、サキュバスたちは逃げ切った。

 砂漠を突破し、オーガの部隊と合流した所で、エルフが諦めたのだ。


 オークで最後まで生きていたのは、バッシュだけだった。

 自分たちが全滅してでも、サキュバスを助けてくれたのだ。

 その場にいたサキュバスは、全員がそれを知っている。

 勇敢なオークたちのことを憶えている。

 現存する全てのオークに感謝をささげるほどサキュバスは単純ではない。

 オークは、見下げ果てた種族だ。

 だが、自分たちを救うために死んだオークたちには、最大限の感謝をしている。

 そしてその最後の生き残りであるバッシュに、最大の敬意を払い続けようと、あの撤退戦に参加した者全てが決意したのだ。


 全員だ。

 あの戦いに参加していた者で、あるいはその過酷さを知る者で、バッシュに失礼を働こうとする者は一人もいない。

 そう断言できる。

 もしそんな奴がいたら、キャロットが、あるいはあの日砂漠にいた誰かが殺すからだ。


 キャロットは憶えている。

 本国に戻り、涙ながらにクィーンに報告をし、クィーンから「厳しい戦いになってしまったが、そなたのお陰でサキュバスの名誉は守られた。よくぞリザードマンを守り切った」と褒められた時には、子供のように泣きじゃくり、鼻水で顎を濡らした時のことを。


 本国へと戻ってこれたお陰で、サキュバスは終戦まで生き延びることが出来た。

 その後も過酷な戦いであったが、あの砂漠ほどではなかった。

 サキュバスは、事前にヒューマンが和平を申し出てくる情報を掴んでいたから。

 それまで耐えるだけで良かったのだ。


 それも、キャロットたちが本国に戻れなければ、叶わないことであったろう。

 あの戦いで名誉も、種族も、守られた。

 守られたのだ。


「……」


 キャロットの脳裏に、バッシュの、あの情けなく逃げていく姿が脳裏にこびりついている。


「……ああ」


 キャロットは泣いていた。

 その瞳からは、とめどなく涙が流れ、雨と混じって落ちていった。

 彼女は己の手を見る、己の体を見る。

 これほど悍ましいと思ったことはなかった。


 バッシュは、あのように逃げていい人物ではなかった。

 死ぬまで、誇り高く生きるべき人だった。

 戦いの中で死ぬにしても、堂々と戦って死ぬべき人だった。


「なのに、ああ……」


 ずっとサキュバスのために生きてきた。

 戦争中も、戦争が終わりヒューマンたちにさげすまれる日々を送りながらも、己が誇り高き種族であることを疑わなかった。

 あんぼリーナー砂漠の撤退戦をひき越した張本人であるという責任を取るべく、サキュバスという種族が生きながらえられるよう、身を粉にして働いてきた。

 でなければ、バッシュにも、死んだオークたちにも申し訳が立たなかった。


 そのためにゲディグズ復活にも手を貸し、何人もの敵を打倒してきた。

 それがサキュバスクイーンの意向と反していると知りつつも、キャロットは止まらなかった。

 それは全て、サキュバスのため。

 己の種族の誇りのため。

 キャロットはそう生きねばならなかったのだ。


 だが、それは、サキュバスに、誇りというものが存在していればの話だ。

 もしそうでないなら。

 そうでないなら、キャロットは何のために生きながらえたのか。


「そんな……」


 キャロットは見ていた。

 戦いの一部始終を見ていた。

 雄々しく戦うバッシュから、ずっと目を離さなかった。


 だから、見てしまった。

 "見えて"しまった。


「バッシュ様が……」


 サキュバスは、バッシュに対して恩がある。

 返しきれぬほどの恩がある。

 決して、サキュバスはバッシュに不義理を働いてはならない。

 もし不義理を働いたとするならば、サキュバスの誇りは崩れ去るだろう。


「サキュバスなど……」


 そしてキャロットは見た。

 全てが崩れ去った。

 泣くしかなかった。

 サキュバスの誇りを守ろうと必死だった日々を思い出す。

 だが、ああ、なんということだろうか。

 全て、無駄だった。

 なぜならサキュバスに、誇りなど……ありはしなかったのだ。


「サキュバスなど、滅べばいい」


 サキュバスの繁栄のために動いてきた女は、暗い目で、そうつぶやいた。





 戦いを見ていた者の一人、ゼルはバッシュの後を追いかけていた。


 バッシュの様子がおかしかった。

 戦いの最中、剣が砕ける直前から、いつものバッシュと変わってしまった。

 ゲディグズにそうした魔法をかけられたのかもしれない。

 フェアリーがヒューマンになる魔法があるのだから、オークが臆病になる魔法があってもおかしくないはずだ。

 なにせ男が魅了される魔法だってあるのだから。


 だとしたら、ゼルはゲディグズが許せなかった。

 オーク英雄バッシュは勇敢な男だ。

 誰よりも勇気があり、どんな時でも真正面から敵に打ちかかっていく。

 ドラゴンだって恐れはしない。

 そんなバッシュに、あんな卑劣な魔法をかけて敗走させるなど、やってはならぬことだ。

 いくらオークに魔法耐性が無くて、効きやすいからって、やっていいことと悪いことがある。

 戦場にはそんなものはなかったかもしれないが、もう戦争は終わったんだから。


「旦那、仕方なかったんすよ。あれ、きっと相手の魔法のせいっすから、卑怯なんすよ。旦那に真正面からじゃ勝てないからって、ああいう手を使わざるをえなかったんす。気を取り直してくださいっす。ゲディグズに負けたぐらいで、旦那の偉業が消えてなくなるわけじゃないっすから。ほら、そんなことよりオークの国に帰るっすよ。嫁を連れて、堂々と凱旋するっす。そう、オレっちという嫁を連れてね! めっちゃ自慢するっす!」


 そんな言葉をかけるべくバッシュを追いかけた。

 だが、バッシュは足を止めなかった。

 ゼルからすらも逃げるように歩き続けた。

 フェアリーの頃ならまだしも、ヒューマンになったゼルの足では、見失わないようにするのが精いっぱいであった。

 あるいはバッシュがそのまま逃げ続ければ、ゼルはいつしか見失ってしまったかもしれない。


 だが、バッシュの体はゲディグズとの戦いで傷ついていた。

 頭からは血が流れ続け、ゲディグズの黒炎はバッシュの肺すらも焼いていた。

 きわめて強い生命力を誇るオークにとって、それは致命傷ではないかもしれない。

 だが決して、浅い傷でもなかった。

 バッシュは、少しずつ速度を緩めていった。


 丸一日は歩き続けただろうか。

 やがてバッシュは、何かから隠れるように、一つの洞窟に入り込んでいった。

 かつて熊でもいたのかもしれない、暗い洞窟に。

 己の姿を暗闇の中に隠すかのように。


 そこでバッシュは力尽きた。

 壁を背に座り込み、荒い息をつきながら、懐から小瓶を取ろうとした。

 しかし、小瓶はバッシュの手から力なく滑り落ち、転がった。


 転がった先にいたのが、ゼルだった。

 ゼルは転がった小瓶を拾おうとして、バッシュの顔を見た。


「旦那、それ……」


 バッシュは小瓶にかまわず、己の額を手で覆い隠した。


「違う、これは……」


 だが、すでに遅い。

 ゼルは、見た。


「その、紋章……」


 バッシュの額には、ゼルにも見覚えのある紋章が浮かんでいた。

 それは、戦争中に何度か見たことのあるものだった。

 一部のオークについている紋章。

 あるオークが、三十歳になると浮かび上がる紋章。

 オークはそれを人為的に作り出し、戦争に活用してきた。

 オークはその紋章が浮かび上がると同時に魔法が使えるようになり、こう呼ばれる。

 オークメイジと。


 だが、人為的に作り出されなかったものに関しては、激しく蔑んだ。

 戦いから逃げ続けた、臆病者の証。

 女を一人も捕まえられなかった者の証。


「………………見るな……」


 ――童貞の証だった。

第八章 フェアリーの国 森の魔女編 -終-

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― 新着の感想 ―
感想欄に魔法戦士がおって草
童貞の証=女を襲ったことのない高潔なるマジのガチの英雄!!!ってなるのほんま草(なおオークの価値観ではカス)
完結お疲れ様でした。ゲディグズは良いタイミングでの登場でしたね。バッシュの貞操の行方をドキドキして読んで居ましたが、最期まで守られて安堵しました。
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