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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第八章 フェアリーの国 森の魔女編
96/106

95.英雄vsデーモン王

「デーモン王、ゲディグズである」


 先に名乗ったのはゲディグズだった。

 彼はそう言いながら、手を横に差し出す。

 差し出した先の空間に闇が広がり、そこから一本の剣が出現した。

 金と宝石で彩られた、華美な剣。


 勝てますか、とポプラティカは聞いた。

 勝てる、とゲディグズは答えた。


 ポプラティカはゲディグズに絶対の信頼を置いている。

 彼がそう言ったのであれば、そうなるだろうという確信がある。


 だが目の前のオークは、『オーク英雄』だ。

 あの戦いが全ての価値観である、オークという種族において、全てのオークから「お前が一番強い」と認められねば呼ばれぬ称号を得た者。

 本当にそんな者が現れるのかという疑問すらある。


 油断していなければよいが、とポプラティカは考える。

 ヒューマンとイチャついているのを見たからなおさらだ。

 デーモンの常識で考えれば、女とイチャついているなど腑抜けているように見えるかもしれないが、その人物は並の猛者ではない。

 そも、オークがヒューマンの女とイチャつけるとなれば、それほどに思慮深く、堅実だという事実に目を向けなければならない。


 ゲディグズはデーモンの王。

 デーモンとしての最高の肉体と最高の頭脳を持ち、古代の知識と魔法を手に入れ、七種族連合を統べる傑物。

 四種族中最強と目される者達が四人がかりでなければ殺しきれなかった、最強のデーモン。

 負けるはずがないと思いたいが、バッシュを相手にするとなれば、生きて戻ることすら願望に近い。


「元オーク王国・ブーダーズ中隊所属戦士。『オーク英雄』のバッシュだ」


 バッシュは胸に息を大きく吸い込む。

 戦いの始まりを告げるウォークライ。

 その雷鳴の如き方向が鳴り響く前に、ゲディグズが口を開いた。


「戦いの前に一つ聞く……オークよ。お前は、ゴブリンという名を知っているか? ケンタウロスは? コボルドは?」


 それより前に、ゲディグズは口を開いた。

 気勢を削ぐという目的が無いわけではなかろう。

 だが、今挙げた名前は、ポプラティカも知らなかった。

 何の話か。


「知らん」

「……そうか」


 意図の分からぬ質問に混乱したのは、ポプラティカだけだったろうか。

 隣のキャロットも困惑しているが、それ以上に彼女は、これからの戦いの行方の方に気が取られているようだった。

 じっとバッシュの方を見つめている。

 ゲディグズが負けるわけにはいかない。バッシュが負ける所も見たくはない。あと逆サイドで腕組みをして後方彼女面しているあの女はなんなんだ?

 そんな三つの感情が入り混じった複雑な顔で、彼女は二人を見ていた。


「では、戦おう」

「グラアアアアアァァァァァァアアアアオウ!」


 ウォークライが響き渡る。

 戦いが始まった。


■ ■ ■


 先に仕掛けたのはバッシュだった。

 バッシュの決闘を仕掛けた者ならば誰もが知っているだろうが、バッシュは初手で後退や様子見を選ぶことは少ない。

 相手がよほど攻めあぐねるような相手でない限り、制圧前進とでも言わんばかりの攻勢を見せるのが、いつものスタイルだ。

 だがその時は、いつにもまして苛烈な突っ込みだった。

 まるで背後の女を守るように……。

 いいやオークなのだから、背後の女を取られまいと、といった所か。


 バッシュにしては、焦りが見える。

 だが、そうであったとしてもバッシュは『オーク英雄』。

 踏み込みは鋭く、暴風のような剣がゲディグズを襲う。


 ゲディグズの剣技は優雅だ。

 妖精のような足さばきは、ハイデーモンに伝わる剣術の中でも、特に軽い。

 バッシュの剣をひらりと回避すると、流れるような体捌きで撃ち返していく。


 攻めっ気が強いとはいえ、バッシュは冷静だ。

 反撃を直に食らうことなく、ゲディグズの斬撃をはじき返した。

 そして、さらにゲディグズへと追撃を行うべく、刀を返し……。


「むっ」


 だが、バッシュが追撃を行うより前に、いつの間にかゲディグズの背後に浮かんでいた火球が、バッシュを襲った。

 詠唱は無かったはずだ。

 だからこそ、バッシュは追撃を行うべく、動いていたのだ。

 バッシュの踏み込みは、いつもより半歩深かった。

 ゆえに回避できない。


 そう思いきや、バッシュは剣を返すのをやめた。

 地面に剣をこすりつけるようにしてブレーキを掛けると、その反動で後ろへと飛びずさっていた。

 火球はバッシュの顔面をかすって通り過ぎ、顔の横あたりで小さく爆発した。


 目くらましのような爆発だ。直撃であったとしても、大したダメージが入らないであろうことは肌で感じられる。

 バッシュは即座に、その火球が大した威力ではないと判断し、再度前へと出ている。


 そしてバッシュの向かう先には、当然のように四つの火球が待ち受けていた。

 詠唱は無い。

 火球はゲディグズの背中のあたりから生み出されていた。

 原理は不明。

 服か、あるいは服の下につけた何かで発生させているのだろう。


 バッシュはその原理まではわからないが、瞬時にそう看破し、下級を食らうことを覚悟で前に出る。

 かと思いきや、剣を横なぎに払った。

 幅広の剣は火球を打ち落とし、爆発させる。


 目くらましのように破裂する三つの火球。

 四つ目の火球は目くらましではなかった。

 剣で撃ち落とした瞬間に大爆発を起こし、バッシュにたたらを踏ませた。


 そして、爆発の後ろから、ゲディグズが迫った。


 バッシュは慌てていない。

 野生の勘で、火球の中に危険なものがあると悟っていた。

 偽装と欺瞞。魔法を使う者がよく使う手だ。

 サンダーソニアあたりも使っていたように思う。

 バッシュもかつてはよく引っ掛かり、大怪我をしていたものだが、もはや慣れた。


 だから迫るゲディグズを迎撃できる。

 普通なら体勢を崩していたであろう爆発を越えて、バッシュは剣を振るう。

 対するゲディグズも、決して前に出すぎない。

 バッシュが爆発に怯んでいないとみるや、一歩踏み込みを浅くし、バッシュの斬撃を剣でいなした。


 斬撃をいなすと一言で言っても、かなり高度な技術だ。

 バッシュの斬撃は暴風のようなものであり、並の技量ではいなそうとした剣ごと叩き折られて終わる。

 剣は、良い剣だろう。

 ゲディグズが生前より使っている魔剣の内の一本。

 その効果は側近にすら秘匿されているものだが、バッシュと戦うと聞いて取り出した一本、何かしら有用な効果が付与されているに違いあるまい。


 そんなゲディグズは、バッシュから距離を取りつつ、また魔法を展開していた。

 五つの火球に、三つの闇球。

 前進を続けるバッシュに、ゲディグズはまず闇球を射出した。


 バッシュはそれが何かわかっていたのか、いないのか。

 自分に近づく闇球をサイドステップで回避する。

 闇球が破裂し、バッシュがいた所に暗闇が広がった。

 目くらましであろう。


 火球による光の目くらましに、闇球による暗闇の目くらまし。

 まるで暗殺者のような、姑息な戦い方であった。

 デーモンらしからぬ、ましてデーモン王がしていい戦いではない。


 だが、それを咎める者はどこにもいない。

 ゲディグズが『オーク英雄』をまったく油断なく相手にしようとしていると、見て取れるからだ。

 高い攻撃力と防御力、それに加えて無尽蔵とも言える体力と持久力を備え、自衛力にすぐれ直撃をもらわない。

 接近戦と一言で言っても色んな型があるが、重戦士の手本のようなバッシュを前に、真正面から剣術と魔力で戦うのは、得策とは言えない。

 ましてゲディグズは王だ。剣士でも魔法使いでもない。

 選べる手段の中から、最適なものを選ぶのが、王だ。

 王は、全ての戦いに勝たねばならぬのだから。


 しかし、勝たねばならぬ戦いにしては、消極的に過ぎた。

 バッシュは攻め切れないが、ゲディグズもまた攻めきれていない。

 それどころか、攻める気配すら薄いように感じられた。


 火球と闇球、時に砂埃や風塵を発生させるなどバリエーションを持っていたが、基本的には目くらまし、欺瞞、時間稼ぎの魔法を盾に忍び寄り、一撃を加えようとして叶わずに引いていく。

 バッシュに一撃を加えるのであれば、魔法の方が手っ取り早いだろう。

 かのエルフの大魔導サンダーソニアは、得意の雷の魔法で相打ちまでもっていけたのだ。

 ゲディグズならば、似たような方法でバッシュを追い詰めることも出来るはずだ。


 そうしないのはなぜか。

 やはりあの剣に秘密がある。そう考えるのが普通であろう。

 恐らく、バッシュもその狙いに気付いている。

 だからこそゲディグズは、あの剣を当てようとして、ことごとく阻まれている。

 バッシュが攻めあぐねているのは、あの剣に脅威を感じているからだ。


 ゲディグズは最小限の労力でバッシュを攻略しようとしている。

 剣を一発当てるだけ。

 そのために最低限の魔法で目くらましをして、奇襲をしかける。

 バッシュはその目くらましを越えてゲディグズに一撃を加えなければならない。

 いいや、ゲディグズもデーモンだ。仮に当たったとしても、一撃で終わる相手ではあるまい。


 そう考えれば、今のゲディグズは一方的にバッシュに攻撃をし続けていると言える。

 だが本当にそうだろうか。

 バッシュは無理に出てきていない。

 余力を残している。

 対するゲディグズは、消費量こそ少ないだろうが、魔法を幾重にも使っている。

 多大な魔力と体力をもつハイデーモンとはいえ、果たして本当にもつのだろうか。


 持久戦は、バッシュの得意とするところだ。

 バッシュはレミアム高地のドラゴン討伐……『竜断頭』で名を上げた。

 だが、バッシュが戦争において活躍したのは、いつも持久戦だった。

 他の者が疲れて倒れる中、バッシュだけが圧倒的な運動量で活動を続け、敵の要点を叩き潰したからこそ、あらゆる戦場で多くの種族を助けることになったのだ。

 リザードマンもサキュバスも、バッシュに助けられている。

 そのバッシュが、たった一人との戦いで疲れるわけがない。


 ゲディグズは戦法を誤った。

 そんな思いが、見る者たちの胸中に飛来し始めた。


 だから、バッシュの剣が鏡のように光を反射し始めたことに、誰も気づかなかった。



 変化は唐突に訪れる。


 バッシュが打ちかかり、ゲディグズがそれをいなす。

 ゲディグズが目くらましの後ろから奇襲を行い、バッシュがそれをいなす。


 それが幾度となく繰り返され……。


 ふと、バッシュが己の剣を見た。

 訝し気に、そういえば何かがおかしいと、ようやく気付いたと言わんばかりに。


 そこにあったのは、鏡のように周囲を反射する剣だった。

 長く使ってきた剣のはずだ。

 かつてデーモンの将軍ネザーハンクスが振るいし、至高の剣。

 不壊の魔剣。

 壊れるはずのない剣。

 デーモンの魔剣。


 そこに、ヒビが入っていた。


「な……馬鹿な……」


 バッシュは鏡のようになった剣を、呆然と見ていた。



 オーク英雄が、この数年一度も……女の胸を見た時ですら見せなかった決定的な隙が、そこにあった。



 そこに、ゲディグズが突っ込んできた。

 先ほどの優雅な舞いの如き剣技ではない。

 いつ剣を変えたのか、大剣を両手で持ち、大上段からバッシュに叩きつけた。


 バッシュは反応した。

 ヒビの入った剣を掲げ、ゲディグズの剣を受け止めた。


 ガラスの砕け散るような音が響いた。


 バッシュの剣は砕け散り、ゲディグズの剣がバッシュの頭へと叩きつけられた。


「……ぐっ」


 バッシュの額がざっくりと割ける。

 額を抑えながら、数歩後ろへと後退するバッシュに、ゲディグズはさらに踏み込んだ。

 右手に黒炎を纏わせ、バッシュの腹へと叩きつける。

 大爆発が起こった。

 全てをかき消すような黒炎が荒れ狂い、黒煙が周囲を覆い尽くしていく。

 デーモンの黒炎魔法。

 ヒューマンやエルフの使う炎より、数段温度の高いそれは、高いレジストを貫き、あらゆるものを燃やし尽くす。

 普通のオークなら、確実に死ぬであろう魔法。

 耐久力の高いオークだが、炎への耐性はそこまで高くはない。


「……えっ、バッシュ様……?」


 キャロットが呆然とした声を上げる。

 まさか、バッシュが……と。


「まだ。爆発の反動で後ろに飛んでる」


 しかし、ポプラティカは否定する。

 バッシュの背後には、泉があった。

 バッシュの判断力は極めて高く、反応は早い。

 己の体が火に包まれたと思った時には、いいや、最初にゲディグズが火の魔法を見せた段階で、湖に飛び込むことを視野にいれていたのだろう。


 煙が晴れていく。


 炎により湖が熱され、湖上に霧が立ち込めていた。

 薄い視界の中、そこには一人のオークが立っている。

 いや、湖のごく浅い所で、額を抑えつつ、愕然とした顔で立っていた。


 バッシュだ。

 やはり、あの程度では倒しきれまい。

 あれで倒せているなら、バッシュはドラゴンとの戦いで生き残っていない。

 まして討伐など。


 とはいえ、バッシュの剣は砕けた。

 刀身の三分の一程度から砕け、ほとんど柄だけとなっている。

 もはや武器として用を為すまい。

 バッシュは優れた剣士だ。

 戦力としては半減したといっても過言ではない。


 バッシュの剣はデーモンの剣だ。

 ゲディグズはその破壊の仕方を知っていた。

 デーモン王の秘宝……魔封じの剣でもってバッシュの剣に刻まれた刻印を消し去り、衝撃にて破壊する。

 そして武器を失ったバッシュを、確実に仕留めるというのが、ゲディグズの戦略であろう。


 しかしながら、相手はバッシュ、オーク英雄だ。

 武器が無くなった所で、その高い戦闘力がどれほど落ちようか。

 素手であっても相応に戦う。

 オークとはそういう種族だ。

 バッシュの素手での戦闘力がキャロットを軽く凌駕するのは、一年ほど前のビーストの聖樹での戦いが示している。


 ならばここからが本番だ。


「ごくり……」


 ポプラティカは手に汗を握りながら、生唾を飲み込む。

 再度、ゲディグズを見る。

 まさか油断しているはずがないが、もしそうなら声を掛けねばと。

 しかし、ゲディグズの表情を見て安心した。

 一切の油断を感じぬ、超然とした顔のなかに緊張感と緊迫感の混じる、己がまだ死地にいることを把握している顔。

 当たり前だ。ゲディグズも歴戦の王、手負いの獣を前に勝ちを確信などするものか。

 わかっているのだ。ここからが本当の死闘だと。


「『オーク英雄』バッシュよ」


 だからこそ、声を掛ける。

 ゲディグズは、己の最も秀でた部分で勝負を仕掛ける。


「余はお前のことを高く買っている。余が死んだ後の活躍も聞き及んでいるが、長い歴史において、オーク英雄は何名か存在すれど、お前ほどの者はいなかったであろう」


 デーモンは、ゲディグズは、己の価値を知っている。

 大陸最高の種族たるデーモンの王。

 戦いの半ばで死んだものの、長らく膠着状態にあった戦争を終結にまで導きかけた立役者。


 そしてオークは、自分たちがデーモンに見下されていることを知っている。

 戦っても勝てぬと知っている。

 だからこそ、デーモンに認められることはこの上ない名誉であり、彼らの誇りをくすぐるのだ。


「余の直属の配下となり。共に四種族同盟と戦え。対価として、余は貴様の望むものを叶えてやる」


 時のオークキングも、こうした言葉を受けて七種族連合に加入した。

 だが当然、そこに至るまでの経緯は色々あった。

 デーモンの下につくことを認めぬオーク、戦って証明しろと喚く者が大半であった。

 そしてその半数は、デーモン達と戦い、死んだ。

 デーモンもまた、少なくない犠牲が支払われた。


 オークは、負けねば従わぬ。

 負けを認めるぐらいなら死を選ぶ。

 本当に覚悟を決めたオークは、文字通り死ぬまで戦う。

 死兵となったオークは全種族の中で最も勇敢であり、粘り強く、強い。


 ゆえに、ただ負かすだけではダメだ。

 戦う前に、負けても良いかもと思わせねばならない。


 そうすることでオークの決闘は、死闘から変化する。

 負けることで全てを失う死闘から、戦う相手が自分を従えるに足る器かを見る腕試しへと。

 ゲディグズは言葉で、相手の認識を変えるのだ。


 無論、ゲディグズの言葉に嘘はない。

 バッシュを配下とできれば、『オーク英雄』を従えたとなれば、オークもまた七種族連合に返り咲くだろう。

 オーク英雄はオークの尊敬を一手に引き受ける存在だ。

 それがデーモン王の直属の部下……連合の幹部となれば、オークの自尊心は満たされる。


 ここでバッシュに勝つということは、再びオークとフェアリーの組み合わせを手に入れると同義だ。

 他のデーモンはこの二種族を見下していたが、ゲディグズはこの二種族の組み合わせを、高く買っていた。


「どうだ?」


 ゲディグズはそう言葉を紡ぎつつ、剣を下さない。

 手には魔力を込めたまま、次の一撃を見舞う準備を終えている。


 相手は『オーク英雄』だ。

 剣が折れた程度で、甘い誘いをチラつかされて、尻尾を振ることはあるまい。

 ここからもうひと勝負して、それをしのいでバッシュを傘下に加える。

 これが、ゲディグズが想定する、最も理想的な勝利である。


「……」


 バッシュからの返答はない。

 ゲディグズは訝し気に眉をひそめた。


 予想していた言葉が返ってこない。

 「舐めるな」「もう勝った気でいるのか?」「ふざけんじゃねえ」「俺を叩きのめしてから言うんだな」……。

 そんな類の言葉が返ってくるものだと思っていたが……。


 煙が、湯気が、晴れていく。


「……?」


 そこには、相も変わらずバッシュがいた。

 血の流れ出る額を抑え、戦慄に染まった目だけをギョロつかせながら、周囲を見ていた。

 砕けた剣は、未だその手にある。

 口が細かく動いている。何か独り言を呟いているのか……。

 見た所、頭の傷はそれなりに深そうではあるが、オークにとって致命傷とは言えまい。

 名高き『オーク英雄』だ。あの程度の傷など物の数にも入るまい。万全といったも過言ない程度の傷であるはずだ。


 だが、何か……。

 決定的な何かが、足りなくなっているように見えた。

 覇気か、あるいは殺気か。


「どうした、『オーク英雄』?」


 ゲディグズが訝し気に呟きつつ一歩近づくと、バッシュはびくりと身を震わせた。

 二歩、三歩と後ずさる。


「どうした? 掛かってこないのか? それとも、余に恐れを為したか?」

「ウ……ウォ……ォォォ……」


 安い挑発であった。

 でもオークが怒らぬわけがない。

 バッシュは己を奮い立たせるように息を吸い込み、ウォークライを……。


「ッ……」


 咆哮が響き渡ることは無かった。

 バッシュは空気が抜けたような声を上げると、額を抑えたまま、ゲディグズから逃れるように、湖の向こう岸へと移動を始める。

 何の狙いがあるのか。


 ゲディグズですら、考えてもわからなかった。

 バッシュはただ、怯えて背中を見せて逃げ出したように見えている。


「……?」


 ゲディグズがバッシュの背に、指先を向ける。

 指先に膨大な魔力が宿っていく。

 激しい戦いの中では到底込められぬ、高密度の魔力が。

 そこから放たれる必殺の魔法は、ドラゴンの鱗すら貫通する破壊力を秘めているであろうことは明白だ。

 相手が隙を見せたのなら最大限の一撃を見舞う。

 戦場の習いであった。


 バッシュに気付いている素振りはない。

 英雄とはいえオーク、レジストするだけの道具も無いはずだ。

 他に何か罠の気配があるかと思えば、そんな気配は特にない。


 ゲディグズは珍しく混乱していた。

 撃って良いのかと、思う所があった。

 あのオークは、ヒューマンの女と仲睦まじくイチャついていた。

 オーク英雄と称される者がだ。

 時代の変化に対応していた。次世代のオークといっても過言ではない所業だ。

 そんなオークを撃っていいのか。

 この一撃が、オークに滅びを与えてしまうのではないか。

 そんな迷いが飛来し、しかしゲディグズは即座にかき消した。

 バッシュを殺すことは理想的な勝利ではない。

 だが、バッシュが最後まで戦おうとすることも想定はしていた。

 その場合、無傷のまま勝利することは不可能であろう。

 今撃てば、無傷で戦いを終えることが出来る。

 確実に、勝利で。


 ゲディグズはそう判断し、指先に溜めた魔力を発射した。



「待ちな!」



 唐突に、射線に割り込んできた者がいた。

 その者は、右手で魔力の障壁を展開し、ゲディグズの放った黒き熱線を受け止めた。

 障壁は数秒ほど耐えたが、やがて消滅すると、その者の胴体を貫通し、泉に着弾、再び大爆発を起こし、辺り一面に水蒸気が立ち込めた。


「一騎打ちだぞ。なぜ邪魔をする……魔女カーラよ」

「ひ、ヒヒ、イヒヒヒヒヒ……」


 魔女であった。

 彼女は煙を上げて穴の開いた己の腹を見ながら、笑っていた。


「ヒヒッ、逃げたやつの背中を撃つことはないだろう、デーモンの王よ」

「逃げ……たのか?」

「誰がどう見てもそうじゃないか」

「だとして、なぜ奴を庇う?」

「イヒヒヒヒ、見ちまったからだよ」

「……?」

「あたしゃ……オークは嫌いさね。あたしをオモチャみたいに弄んだ連中だ。女の敵だよ……けれどねぇ……ヒヒ、何にでも例外はいるもんさねぇ……」


 魔女の傷は致命傷であろう。

 こうして喋る魔女の言葉が、段々と弱弱しくなっていくのがわかる。


「カスパルがあいつをここによこした理由がわかったのさ……なるほどねぇ、あの変態野郎は、あたしに見て欲しかったわけだ……知って欲しかったわけだ……自分が尊いと思ったものはこうだと、言いたかったわけだ……」


 魔女の言葉は、もはやうわ言に近い。


「これが愛だって……!」


 あるいはすぐにでもフェアリーの粉を掛ければ治った怪我かもしれない。

 しかし、彼女を助ける者はなく、彼女も助かろうという気がないように見えた。


「そんなの知りたくもないって思ったもんだが……あの二人、まるでガキじゃないか。恋愛のことなんて何もしらない、けど相手を愛したい、愛されたいって……それを見てたら、応援してる自分がいたんだよ……面白くないことにね……ふざけた話さ。戦場で女を痛めつけて連れ帰り、好き放題してたオークが、愛だなんて……」


 魔女の口から血が流れ出る。

 しかし口は止まらない。死にゆく者は、いつの世も饒舌だ。


「でも、最後に見たあの顔……あれはまさに、証拠じゃないか……」


 魔女は笑った。

 今までのように厭らしい笑みではなく、自嘲げな、しかし少し満足気な笑みで。


「気づいたら、飛び出してたよ」


 ゲディグズはバッシュの方を見る。

 バッシュの動向が気がかりだった。

 オーク英雄が一騎打ちに助太刀を頼むとは思えず、そもそもそんな打ち合わせをするような時間も無かったとは思うが、ゲディグズが動きを止めた今は、確かなチャンスのはずだった。

 次なる一手が確実に来ると思った。


「何やってたんだろうねぇ、あたしは……」


 魔女はその言葉を口にすると、どさりと倒れた。


 水蒸気が晴れていく。

 泉が露わになって

 バッシュは来なかった。

 仕掛けるチャンスはあったはずなのに、水蒸気が晴れた先には、誰もいなかった。


 バッシュは、忽然と姿を消していた。

 先ほどまで近くにいたはずのヒューマンの女も。


 そのまま、数分の時が流れた。

 何も起こらず、風だけが吹いた。


 そして、その場に沈黙が訪れた。


 ゲディグズは今一度、死んだ魔女の方を見た。

 後悔とも取れる言葉を口にしながらも、決して後悔の念を感じられる口調ではなかった。

 戦場では、こういった者はよくいた。

 最後に不満げなことを口にしながら、満足気に死んでいった者だ。

 多くは、ゲディグズを庇い、死んでいった。

 最後に、己の信念に乗じた何かを為し、あるいは誰かに託して死んだのだ。

 唐突に現れてバッシュを庇った魔女が、何をバッシュに託したのかはわからない。

 だが、次世代のオークだ。

 何かを託すこともあろう。


 ともあれバッシュはすでに、この場にいない。

 戦いの場から背を向け、いなくなった。

 身体を小さく丸め、力無くよたよたと。


 ――敗走したのだ。



「拍子抜けだね」



 沈黙を破ったのは、いつしかゲディグズの顔の横に浮かんでいた、一人のフェアリーだった。

 フェアリーの長ゲイル。

 そのフェアリーは首をかしげながら、バッシュが消えていった方を見ていた。


「どうしたんだろうね。調子悪かったのかな? 前はあんなんじゃなかったと思ったんだけど。あ、勘違いしちゃダメだよ。戦争中のバッシュは、それはもうすごかったんだ」

「知っている。『オーク英雄』。いかなる劣勢であろうと勢いを緩めぬ果敢なオーク……余の死ぬ前にも、その活躍は耳に届いていた。……もしかすると、他のオークが成りすましていたのやもしれん」


 オークの見分け、特に最も数の多いグリーンオークの見分けは、ゲディグズであっても完璧に付くとは言い難い。

 まして今までに一度も、あるいは会ったとしても記憶にない相手ことなど。

 服装と武装、そして名乗りでバッシュだと断定したが、偽物を名乗るなら似たような武具を手に入れていてもおかしくはない。

 そもそも、ヒューマンと仲睦まじくしている点でおかしかったのだ。


「本物だと思うけどなぁ……」

「賢者カスパルが、"偽装(ディスガイズ)"という魔法を使っていたと聞いている。魔女カーラはカスパルの弟子。そこらの木端に、その魔法を掛けていたのかもしれん」


 カーラは死んだ。

 ゲディグズの情報にあるのは、かつてオークの捕虜となったヒューマンの天才魔法使い。

 救出された後も軍に残り、数々の魔法を生み出し、ヒューマンの戦いの屋台骨を支えた。

 その原動力を想えば、誰かをオーク英雄の姿に変え、オークへの復讐でも果たそうとしていたのか……。

 そして、その復讐を果たしてもらうために、魔女が自らの身を挺して守ったと。

 真相はわからず仕舞いだが、そう考えれば一応の説明は付くといった所か。


「何にせよ」


 ゲディグズとて、情報が不足していれば分からぬことはある。

 まして流浪のオークや隠遁したヒューマンの動向など、二人が何をしていたのかなど。


「お前があれをバッシュだと言うのなら、それでいいだろう」


 ゆえに、ただ事実だけを、ゲディグズは口にする。


「余の勝利だ」

「そうだね。バッシュは思ったより弱っちかったけど……約束は約束だ。僕らはゲディグズに従うよ」


 かくしてオーク英雄は敗北し、フェアリーは再びデーモンの傘下となった。



■ ■ ■



 戦いの一部始終を、ポプラティカとキャロットは見ていた。


「本当に、逃げた?」


 ポプラティカの呟きが、いやに大きく響いた。

 信じられなかった。

 まだ剣が折れただけ、額に傷を負っただけだ。

 ゲディグズとて本気を出していない。

 ここからがオーク英雄の、あのエルフの大魔導すらをも圧倒した最強のオークの真価ではないか。


「いや……バッシュ様が引いてくれた、と見るべき?」

「……」

「あれぐらいでバッシュ様が引くわけがない……理由がある? 最後の方、なんか変だった。不壊の魔剣は持っていたけど……ゲディグズ様が仰るように、魔女に姿を変えられた別人……?」

「……」

「キャロット、あなたはどう思う?」


 疑問を口にするポプラティカに、キャロットは答えない。

 ただ、呆然とした顔で、バッシュが消えた方向を見ていた。


 わなわなと、唇が震えている。

 いや、唇だけではない、膝も笑っている。

 顔色も真っ青だ。

 不可解な戦闘ではあった。魔女が乱入してきたのも謎なら、あのヒューマンの女も謎だった。

 だが、何をそんなに衝撃を受けることがあるのか。


「キャロ……」

「あたし、やめるわぁ」

「え?」


 キャロットはフラフラと、森の方へと歩き出した。

 どこへと思うが、どこに行きたいという感じでもない。

 ただこの場から去りたいと、いなくなりたいという意志だけが伝わってくる。


「あとは勝手にやって」

「なに突然?」


 キャロットは答えない。

 ただ、ポプラティカの視界から消えていこうとする。


「え、どうしたの?」

「……」


 キャロットは答えない。

 ふらふらと歩きながら、森の中へと消えていった。


 そのあまりに突然の行動、あまりに唐突な心変わりに、さしものポプラティカとて、付いていけず、ただ見送るしかなかった。

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― 新着の感想 ―
これからは剣と魔法が合わさって最強無敵に見えるオークレジェンドとして伝説級の名誉を創っていけ…
最強の魔法オーク伝説が始まる
ゴブリン、ケンタウロス、コボルドって聖遺物のところで名前だけ出てきてたからそんなん居たの?って思ってたけど、やっぱ居ないのか。 キラービーみたいに実際に登場しないけど名前だけは台詞にちょいちょい出てく…
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