92.オークの最新式ナンパテク
ゼルは森を歩いていた。
ヒューマンの足はなんだか心もとなく、地面を踏みしめる度に痛みと不快感が走った。
頭だけは明晰だった。
ああ、だからヒューマンは靴を履いているのかと咄嗟にわかるぐらいには。
でも、それ以外は全てが不自由だ。
まるで目が見えないようだった。
いつもだったら、森の中はこんなに暗くなかった。
木々の見分けがつかなくなるなんて思っても見なかった。
まるで耳も聞こえないようだった。
風の音がわからない。
風の声が聞こえない。
いつもゼルを導いてくれていた精霊はどこにいってしまったのか。
肌は寒かった。
空気は湿っていて、ねっとりとまとわりついてくるようだった。
フェアリーだった頃に感じたことのない不快感が、ずっと付きまとっている。
手足は動かしにくい。
空を飛ぼうにも、羽もない。
こんな風なのか。
ヒューマンは、こんなに苦しいのか。
ヒューマンはこんなに不自由なのか。
フェアリーに戻りたい。
そう思って詠唱を何度唱えても、ニュートは発動できない。
魔女の所には戻りたくない。
バッシュを心底恐ろしいと思ったのは、あれが初めてだった。
ヒューマンは、あれほどまでにオークに恐怖しているというのか。
思い出すのは、バッシュ以外のオークと行動を共にした時のことだ。
オークはヒューマンの女を倒すと、髪を引きずって物陰へと連れ帰り、ヒューマンがどれだけ泣き叫んでも許さず犯しつくし、余裕があれば己の陣営までもってかえって嬲り者にした。
バッシュがそうした所はみたことがないが、バッシュは『オーク英雄』だ。
オークの中のオークだ。
誰よりも雄々しく、誰よりも堂々と、あのような行為に及ぶに違いない。
そして今は自分もヒューマンだ。
だから自分もああなるのだ。
心中を渦巻くもやもやとした感情の名を、ゼルは知らない。
不安感を、焦燥感を、ゼルは知らない。
フェアリーが持ち合わせぬ負の感情が、ゼルの心の内を支配していた。
ふらふらと森を彷徨う。
暗く、時折遠くから聞こえてくるギャーギャーという鳥の鳴き声にビクつきながら、フェアリーの里を目指す。
フェアリーの仲間たちなら、フェアリーの長なら、きっとなんとかしてくれるはずだ。
いや、フェアリーにそんな力はない。
だからそう、せめて慰めて欲しかった。
フェアリー達の所にいけば、この薄暗いどんよりとした感情が消え去るに違いなかった。
でも、なぜかフェアリーの里に行く道がわからなかった。
わからないはずがないのに、わからない。
全然、どっちに進んでいいのか、わからない。
なぜフェアリーだった頃にわかっていたのかすら、もうわからない。
木々も風も答えてはくれない。
異様に静かで色あせた森の中で、ゼルは足の裏を傷だらけにしながら、さ迷い歩く。
「あれあれ~? ヒューマンの女がいるよ」
「うふふふ、裸だ裸、はだかんぼ」
「きっとオークにやられちゃったんだよ。こないだいたもんね」
ふと気付くと、ゼルの周囲をフェアリーが飛んでいた。
誰だったっけと思い出そうとするが、どうにも周囲を飛ぶフェアリーの名前が思い出せない。
そもそもフェアリーは名前に大した意味を持っていない。
他種族と同盟を組むにあたり、必要だったから各々が名乗るようになったのだ。
フェアリー同士は、もっと別の方法で互いを認識していた。
その方法が、なぜか思い出せない。意識せずにやれていたはずなのに。
「えっと、オレっちっす、ゼルっす! ゼル! 長の所に連れて行ってほしいっす!」
ゼルがそう訴えると、フェアリーたちは笑った。
「キャハハハハハ! ゼルだって!」
「似てる似てる! でもゼルはフェアリーだよ? お姉さんはヒューマンじゃん!」
「ゼルなら飛べるはずだよね。誰よりも早く、誰よりも輝いて! ほら飛んでみて、もっと輝いて!」
キンキンと耳障りなフェアリーの声音に、ゼルは思わず耳をふさぎたくなる。
こんなことは初めてだった。
フェアリーの声を耳障りだと思ったことなど。
「ニュートって魔法でヒューマンになっちゃったんす。でも魔法が失敗したのか、すごく、なんか、気持ちが悪いんす。長なら何か知ってるかもしれないっすから……お願いっす」
フェアリーの長が何か知っているわけがない。
フェアリーの長は、長という名で、一応フェアリーのトップではあるが、支配しているわけではない。
知能という点ではゼルとどっこいどっこいだ。
一応、フェアリーの皆は長の決定には従うということになっているが、長が何かを率先して決めていくというわけでもない。
だから何の解決にもならない。
ゼルは冷静にそう考えつつも、しかしそう言えば連れて行ってもらえるだろうという打算も働いていた。
きっとフェアリーであった頃のゼルなら、打算などなく長が何とかしてくれると固く信じていただろうに。
「長ねー。どうする~?」
「ゼルそっくりだし、いいんじゃない? 長もきっと喜ぶよ~。おもしろ~って」
「案内したげる~。ついてきて~。こっちこっち~」
フェアリーたちは無造作に飛び回りながら、森の奥へとゼルを誘っていく。
ゼルは素直についていく。
茂みを抜けた先で泥沼に落とされた。
木の股をくぐろうと思ったらハチの巣があった。
言われるがまま木に登ったら、リスを怒らせて耳を齧られた。
ゼルはその度に慌てふためき、大きな悲鳴を上げた。
フェアリーたちはそんなゼルを見てケラケラキャハハと笑い転げた。
ゼルは楽しくなかった。
おかしな話だった。
フェアリーだった頃は、同じようにフェアリー同士でイタズラを仕掛け合うこともあった。
仕掛けられて泥沼にはまったり、蜂に追いかけられたり、リスを怒らせたことも一度や二度ではない。
フェアリーはそういう時でも、慌てることはあれどもキャハハと笑い、最後には背中を預け合って夕日の中で寝ころぶのだ。
一番楽しい瞬間だ。
なのに、楽しくなかった。
フェアリーたちだけが楽しく、ゼルは何にも楽しくなかった。
「あの、悪いっすけど、イタズラはやめて欲しいっす。そういう気分じゃないんす」
「え~? ゼルなのにぃ~!?」
「つまんな~い!」
「ゼルだったらちゃんとやり返すし、ちゃんと面白いのに!」
フェアリーたちは「ね~」と頷きあうと、ヒュンと飛び去って行った。
「えっ?」
ゼルは一人になった。
一瞬で消えてしまったフェアリーの気配を、追えなかった。
「どこにいったんすか? 長の所に案内して欲しいっす!」
その叫びは、森に吸い込まれ、誰にも届かなかった。
■ ■ ■
その後も、ゼルは森の中を彷徨い歩いた。
いく宛てもなく、しかし居ても立っても居られずに。
しかし、その足も止まる。
疲れ果てていた。
足が痛かった。
フェアリーだった頃は、足が痛くなったことなど無かったのに。
こんなにたくさん歩いたのも初めてだった。
「……」
気づけば、ゼルの目の前に泉が広がっていた。
泉の上では、キラキラと光る小型の人間が飛び交っている。
フェアリーだ。
いつしか、ゼルはフェアリーの里に足を踏み入れていた。
フェアリーたちは、ゼルに気付いているのか、気づいていないのか……。
ただ、誰もゼルに近寄ってこようとはしなかった。
きっとゼルから声を掛ければ、フェアリーたちはゼルの相手をしてくれるだろう。
迷い込んできたヒューマンとして。
先ほどのフェアリー達とのやり取りで、ゼルはそれが直感的にわかってしまった。
ヒューマンは賢く、群れを作り、未来を予測する生物だ。
だからわかってしまった。
ゼルはきっと、彼らに迎え入れてはもらえない。
何かに縋るようにここまできたが、そうはならないと、ゼルは悟ってしまった。
だから足が止まった。
力無く、ゼルは腰を下ろした。
湖の淵で、戯れるフェアリーたちを眺めていた。
自分はもうあの中に入れないんだと思うと、目の端に涙が浮かんできた。
ゼルは膝を抱えると、涙を膝に押し付けた。
グスグスと鼻が鳴り、息が苦しくなる。
自分はこれからどうすればいいのか。
どうなってしまうのか。
気づけばお腹もすいてきた。
ずっと歩いていたから喉も乾いている。
目の前の泉の水をすくって飲むと、幾分か空腹は和らぎ、なんだか足の痛みも少しは取れた気がした。
けれど不安感は変わらない。
どうやってお腹を満たそう。
一度や二度、お腹を満たしたとして、三度目は、四度目は。
わからない。できない。
フェアリーだった頃は、こんなことで悩んだりはしなかったのに。
ヒューマンのゼルはわかる。
きっと死ぬんだろう。
自分で餌を獲れない獣がそうであるように。
群れを作る生き物は、群れからはぐれたら死ぬ。
ヒューマンはそういう生き物で、ゼルは今、群れと呼べる相手がいなかった。
ゼルはもうフェアリーではないのだから。
飢え死にか、あるいは――。
「ゼル」
そんなゼルを呼ぶ声があった。
ゼルはゆっくりと顔を上げ、後ろを振り返る。
そこには、一人のオークがいた。
『オーク英雄』バッシュ。
「探したぞ」
――あるいは他の生物の食い物になるかだ。
「……」
ゼルは無言だった。
昔のように軽快に声が出てこなかった。
自分はヒューマンで、性欲の塊のようなオークの前に、裸でいる。
その事実だけで、その次になにが起こるのか、予想できてしまっていた。
恐怖で喉が引きつる。
そのためにニュートを使ったというのに、どうにも目の前のオークと子作りをすることに不安と恐怖で支配されてしまっていた。
「ゼル」
しかし、もうゼルは逃げることが出来なかった。
足は疲れて棒のようで、自分がもうフェアリーでないことを悟ったことで、心も折れていた。
きっと自分はこれから、このオークに……。
「これを」
そう思ったゼルの前に、何やら布が差し出された。
ゼルが受け取って広げると、それは服だった。
黒い服、頭からすっぽりと被るようなもので。見覚えがあった。魔女の家の庭に干してあったものだ。
お日様の香りの奥から、魔女の匂いがした。
年老いたヒューマンの匂いだ。
「寒いだろう? 着るといい」
「旦那……?」
ゼルは驚いた。
『オーク』でも、『オーク英雄』でもなく、旦那という親しみのある呼び方が自分の口から出てきたことに。
「ヒューマンが、いきなり性行為に及べないことは、知っている」
バッシュはそう言いながら、膝をついた。
目線をゼルと同じくしつつ、後ろに隠した手をゼルの前へと持ってきた。
そこには数輪の花があった。
そこらで積んできたのか、ゼルの髪と同じ、薄紫色の花が。
ゼルの好きな花だった。
目を丸くするゼルに、バッシュはこう言った。
「ゼル。話をしたい」
そう言って、バッシュはゼルの隣に座った。
腕一本ほど離れた距離。
手を伸ばしても、ギリギリ届かない距離に。
「……う……っす」
ゼルは絞り出すように、そう言った。
足は震え、まるで草食動物のように、今にも走り出したくてたまらなかった。
「お前のことは、よく知っているつもりだ」
「……」
「最初に出会ったのは、ブラックヘッド領だったな」
最初に出会った時のこと。
フェアリーであった時は曖昧だったが、今ははっきりと思い出せる。
先輩風を吹かせていたゼルは、敵陣の奥深くへとバッシュたちを誘い、その上ゼル自身は敵に捕まり、絶体絶命のピンチを迎えたのだ。
バッシュが暴れてことなきを得たが……あれは完全にゼルのやらかしだ。全員を殺す所だった。
「あの時は、お前の道案内のお陰で敵の将を討ち獲ることができた」
バッシュの中ではそうなっているのだろうか。
今のゼルにはそう思えない。自分のお陰だなどとは……。
「そうだ、腹は減っていないか?」
バッシュは懐に手を入れ、袋を一つ取り出して、ゼルと自分の間に置いた。
ふわりと、心地よい香りが漂ってくる。
袋からではない、バッシュ自身からだ。
よく見れば、バッシュは水浴びでもしてきたのか、記憶にある姿より身ぎれいであった。
いいや、よくよく考えてみれば、最近のバッシュはよく水浴びをし、匂いにも気を使っていたように思う。
となれば、この心地よい香りは、香水か。
フェアリーの国で作られた香水の香り。
自分がいつもさせていた香り。
それは、ゼルを幾分か安心させた。
「ナッツだ」
袋の中身はゼルの好きな食べ物であった。
いつ手に入れたのか、などと考えるまでもない。
ゼルが好きな食べ物なのだからと、旅の途中、見かける度に手に入れていたのだ。
常備されているのだ。
ゼルは自分とバッシュの間に置かれた袋を、恐る恐る手にした。
中からアーモンドを一つつまむと、ポリと一つ齧る。
フェアリーの頃はこぶし大ぐらいはあった食いでのあるアーモンドは、一口で砕かれ、口の中に香ばしい香りが広がった。
相変わらず、美味しかった。
変わらない味があった。
「……」
ゼルはちらとバッシュの方を見る。
バッシュはゼルを見ていた。
ただじっと見ていた。
熱いまなざしだ。
その上、笑みを浮かべている。意味深だ。
だがその笑みは、少しばかり自信なさげに見えた。
バッシュがそんな表情をする時を、ゼルは知っている。
(何を言えばいいか、わかんないって顔っすね……)
そう、わからない時の顔だ。
なんだっけ、どうすればいいんだっけ、これでいいんだっけと、バッシュが悩む時の顔だ。
あまり見ることは無い。
バッシュはそもそも、考えないのだから。
この旅の間では、何度も見たが……。
「ゼル、お前は、オークをどう思っている? 結婚しても良いと思えるか?」
「わかんないっす。フェアリーだった時は、結婚してもいい、オレっちだったら旦那の嫁になれるって思ってたっすけど、ヒューマンになった今は……なんで、こんなに旦那に怯えるのかも……」
「そうか」
ゼルにはわかる。
これは、賢者ドルイドルの教えだ。
まずは話から。
特にオークとの結婚についての話題から入るのが望ましい。
相手にオークとの結婚の意志がなければ、どれだけアタックを仕掛けても可能性は薄いのだから。
それはそれとして、ゼルは元々オークの嫁になるのは了承しているのだから、わざわざ聞かなくてもよいはずだ。
……オークは決して物覚えが良いほうではない。
忘れかけているのだろう。
あるいは、単に応用が利かないだけか。
「……」
気づけば、ゼルの手にあったナッツが無くなっていた。
ヒューマンの体はフェアリーに比べて大きい。
一つかみ程度のナッツでは、あっという間に食べ尽くしてしまうのだ。
全然足りず、ゼルのお腹がクゥと鳴いた。
お腹の虫の声は、フェアリーの時と変わらなかった。
「ゼル。この辺りでは、何を食うんだ?」
「……そっすね? やっぱり木の実が多いと思うっす。フェアリーは肉とか、食べないっすから。あ、でも、今のオレっちなら、食べられるかもしれないっすね」
「食ってみるか? 取ってきてやろう」
バッシュはそう言うと、立ち上がった。
ゼルは動かない。
きっと、バッシュはすぐに戻ってくるだろうから。
「……」
ゼルは気付いていた。
どうやら自分は今、口説かれようとしている。
かつて自分が教えてあげたことを忠実に守りつつ、そこにカスパルの教えをブレンドしながら、ヒューマンを落とす手順を踏もうとしている。
フェアリーのゼルなら気付かなかっただろうが、ヒューマンのゼルなら悟ってしまう。
あからさまな行動だ。
あのオークは、未だ自分に性欲を向けている。
(でもなんか、あんまり嫌じゃないんすね……)
むしろどこか心地よい。
しかしながら、そこまで不思議ではない。
元々ゼル自身は、バッシュを恐れていたり怖がったりしてはいないのだから。
息を荒げず、ゆっくりと近づいてくる分には、問題ないのかもしれない。
ただ……。
言いしれぬ不安と焦燥感だけは残っている。
その正体が何なのかわからないうちからバッシュの嫁になるのは、何か取り返しのつかないことのようで、ゼルには決断できなかった。
■
- 魔女カーラ -
久方ぶりに己の塒から出てきた魔女は信じられないものを目撃していた。
「ゼル、取ってきたぞ。肉だ」
「肉っすか、初めてっすね。どうやって食べるんすか……? そのまま齧りつく感じっすか?」
「オークはそのままで食うが……ヒューマンは焼いているな」
「じゃあ焼いた方がいいっすよね。ヒューマンはお腹弱いから……」
「待っていろ。すぐに火を起こしてやる」
オークがヒューマンのように、ヒューマンになった元フェアリーに接していたのだ。
何を言っているのかわからないかもしれない。
魔女とて意味がわからなかった。
オークは、ヒューマン男が女をコマす時のような態度で、元フェアリーに接していた。
いいや、下手なヒューマン男よりも、優しく接していたかもしれない。
当たり前のように服を用意してやり、食事を用意してやり、女が何かを訴えれば、座して聞いてやる。
不用意に触れることもなく、触れたとしても決して乱暴にならぬように気を配っていた。
全ての行動が丁寧で、優しかった。
決して、全てのヒューマン女がその行動に靡くわけではないだろう。
むしろ、あまり女と付き合いのない男が取るような行動にも見て取れた。
初心な少年が少女に対してするような、聞きかじった知識での優しい行動。
あるいは、恋愛経験豊富な女であれば、鼻で笑ったかもしれない。
だが、それをしているのは、オークだった。
あの、オークだ。
女を孕み袋としか認識していない種族の男だ。
そして、相手にされているのもまた、フェアリーであった。
あの、恋愛など何一つわからず、ちゃらんぽらんでアッパラパーな種族だ。
ヒューマンになったとはいえ、まともに相手をするのが馬鹿らしい相手だ。
確かに、お互いがお互いをよく知っている間柄だ。
それでも、フェアリーがヒューマンになった以上、わからぬ事、戸惑うことが多いはずだ。
だというのに、あのオークは、変わってしまったフェアリーの趣味趣向を探りながら、少しずつ口説いていた。
オークが、あんな丁寧に、他人に対して接することが出来るなど、魔女は知らなかった。
ならばなぜ、オークたちはあんなに粗暴なのか。
なぜ、私を犯したオークたちはあんなに下卑ていたのか。
そういう生物じゃなかったのか。
そんな考えが浮かんでは消えた。
オーク英雄。
それが特別な称号ということは知っていた。
あの粗野で乱暴なオークたちに唯一認められた存在。
魔女は知っている。
その称号を得られるオークはただ一人。
喧嘩が一番強い奴。
全てのオークにそう認められた奴。
偉いのはキングだが、オークたちの大半は、内心で「本気を出せば俺はキングよりも強ぇ」と思っているものだ。
そんな馬鹿なオーク共が、心の底から「お前が一番強い」と認めたのが、オーク英雄だ。
オークの中で最も喧嘩が強いということは、最も多くの女を犯してきたオークということでもある。
そうでなければ、他のオークに認められるはずもない。
なのになぜ、女に対してあそこまで優しく接することができるのか。
お前たちはそれが出来ないはずじゃなかったのか。
それなのに……。
ぐるぐると似たような思いが回る。
ただ、戦場に出ればあらゆる存在を打ち砕くであろう男が、一人の女を前に不器用ながらもアプローチする姿は、見ていると心がざわつき、胸を掻きむしりたくなった。
それはまるでかつての、少女だった頃の、カスパルに叶わぬ恋を成就させようと頑張っていた頃の自分のようにも思えて……。
あの魔法を習得しようと思った、カスパルの想いの強さをまざまざと見せつけられているようにも思えて……。
本来であれば出来ないことをやろうともがく者と、そうでない者の差に思えて……。
「……」
魔女の笑みは消えていた。
オークはヒューマンを落とすのに、ヒューマンの流儀に倣った。
ヒューマンはドラゴンを落とすのに、きっとドラゴンの流儀に倣ったのだろう。
自分はカスパルを落とすのに、何をした?
ほんの数か月前までカスパルは生きていたのに、この2年間、自分は何をしていた?
不貞腐れて全てを破壊しようとしていた。何なのだ、自分は。
「チッ」
知らず知らずのうちに、舌打ちが出てくる。
不愉快だった。
不愉快すぎて、反吐が出そうだった。
何が不愉快かなど、言うまでもない。
相反する感情が、魔女の思考を堂々巡りさせているからだ。
自分はどうしてこうなったんだという苛立ち。
そして、あの時ああしていればこうはなっていなかったのではないか、という過去への嘱望。
そして目前に広がる、唾棄すべきはずの種族が行う、必死の求愛活動。
これが、カスパルが伝えたかったことなのかもしれない。
これが自分の目指したものだったのだという、カスパルの声が聞こえるようだ。
そしてカーラ自身も本当は、それを目指したかったのかもしれない。
そんな心を拒絶して、魔女は呪う。
失敗しろ。
破滅しろ。
堕ちてこい。
けれどそれとは裏腹に、心中に芽生えた心が消えることはない。
それを自覚して、魔女は呟く。
「……面白く、ないねぇ」
その呟きは、誰が聞くでもなく消えていく。