8.英雄vs魔獣大隊長
それは狭苦しい洞窟だった。
洞窟の高さは3メートル弱、横幅は2メートルといった所か。
オークにとっては狭苦しいが、ヒューマンにとっては余裕がある。
恐らくこの洞窟は、かつてオークが使っていた前線拠点の一つなのだろう。
歴戦の戦士であるバッシュですら、こんな洞窟があるのを知らなかった。
それを考えるに、恐らく二十年以上も前に放棄されたものだろう。
それを盗賊が見つけ、自分たちの住処にした、といった所か。
ジュディスの所には、案外すぐにたどり着いた。
洞窟に入り広間のような場所で、見張りと思しき盗賊を倒した所で、ゼルが超高速で飛んできて、「旦那! 遅いっすよもう! こっちっす! はやく、こっちっすよ! 今、まさに今、あの女騎士がヤラれそうっす! そこを颯爽と助けるっす! 急がないと間に合わなくなるっす! ダッシュっすよ! ダッシュ! なんならそこの壁とか壊してショートカットっす!」と急かしたからだ。
ヒューストンは、退路の確保と増援の対処をすると言って、広間に留まった。
バッシュの見立てでは、ヒューストンは十分な訓練を積んだ騎士だ。
仮に増援がきた所で、盗賊程度にやられることは無いだろうと見ていた。
さて、現在、バッシュの眼の前では、ずっと目を付けていた雌が、上半身を裸に剥かれ、肌を露わにしている。
バッシュの息子が「親父、いまですぜ!」と主張をし始めるが、バッシュはひとまずそれを抑え込んだ。
きっとここにヒューストンがいたなら、驚いただろう。
オークが裸の女を目の前にして、その獣欲を抑え込むとは、と。
いや、抑え込めるからこそ、彼は英雄なのだ、と。
もちろん、その場にいるのはジュディスだけではない。
オークと、六人の盗賊たちも一緒だ。
「なんだ? オーク? カシラの知り合いか?」
「助けにってなんだよ。もう騎士どもの襲撃は終わったぜ?」
盗賊たちはバッシュに訝しげな視線を向けつつも、あまり警戒していないようだった。
ただ、唐突に壁を爆砕して入ってきた侵入者の正体は気になるようで、奥にいたオークの方へと疑問を投げかけた。
「カシラ、誰ですこいつ?」
「な、なん……なん、なんで……」
そのオークはというと、緑色の顔面を真っ青に染めて、ブルーオークへと変化していた。
ガタガタと震えてなんでと繰り返すだけのオークに、バッシュも視線を向ける。
見た顔だった。
「ボグズか」
「ヒッ」
ボグズ。
その人物のことは、バッシュも知っていた。
オークの国の戦士、バグベアを操るビーストテイマーの一人。
オークの中で唯一ビーストマスターの称号を得た者でもある。
ただ、彼はヒューマンとの講和に納得せず、オークキングの命令に背き、国から追放された男の一人でもあった。
「ボグズ、オークが他種族の女を無理矢理犯すことは禁じられている」
「い……いや、これは無理矢理じゃねえんだ、この女の合意だって得られていて!」
「そんなわけがあるか」
ジュディスの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、身を捩って必死に体を隠そうとしている。
これが合意だというのなら、バッシュは森で出会った最初の女で、とっくに童貞を捨てている。
「おいおい、ボグズの旦那の知り合いみてぇだが……その物言い、もしかして敵なのか?」
と、そこで盗賊の一人が腰の剣を抜いた。
ヘラヘラと笑いながら、見下した視線をバッシュへと送ってくる。
その目は、すでに殺意に満ちていた。
「そうだ」
バッシュは素直に答えた。
ごまかすつもりなど、毛頭なかった。
「ハッ、じゃ死ねよ!」
盗賊は素早かった。
唐突に、剣を胸の高さまで持ち上げると、突きを放った。
バッシュの目を狙った一撃である。
彼は盗賊であるが、戦争を生き抜いた戦士でもある。
せまい場所での戦いは心得ており、剣の操り方が抜群にうまかった。
「その得物じゃ、思うように動けねえだろっ」
必殺を予想した刺突。
盗賊は呆然としたバッシュの目に己の剣が突き刺さり、噴水みたいに血を吹き出しながら悶え苦しむのを夢想し……。
そのまま頭蓋を粉々に砕かれて死んだ。
「えっ?」
他の盗賊の誰も、何が起きたのか理解できなかった。
刺突を放った仲間が、パガッというマヌケな音と共に、頭を失った。
その現実に、理解が追いついてこなかった。
意味がわからなかった。
「あれ?」
ただ、変化に気づく者はいた。
バッシュが無造作に持っていた大剣が、いつしか振り抜かれた姿勢で静止していた。
はて、先程は右にあった剣が、なぜ左に。
こんな狭い場所では、あんな大剣を振り抜くことなんて出来ないはず。
遅れて、バッシュの周囲の壁が音を立てて爆発した。
まるでそこを、剣が通り抜けたかのように。
「うおう!」
盗賊たちは、唐突に壁が爆発し、ビクリと身を縮めた。
それでもまだ、何が起きたのか理解ができない。
バッシュの薙ぎ払いが、壁を破壊しつつ振り抜かれ、盗賊の頭部を破壊した。
それが答えだ。
ガラガラと落ちる瓦礫だけが、バッシュの行動を推測するヒントだった。
だが、盗賊たちが答えにたどり着くことはなかった。
ただいきなり仲間が死んで、呆然としてしまった。
壁が壊れても、身を縮ませることしか出来なかった。
何が起きたのかわからず、動きを止めてしまった。
自分が間合いの内側にいると、気づけなかった。
バッシュは問答無用で、左から右へ、二度目の薙払いを放った。
結果、呆然としていた全員の胴が、破裂するように真っ二つになった。
声を上げることすらできなかった。
意味もわからず、動けず、計六名が、同時に命を落とした。
「ち、ちくしょう……」
生き残ったのは、バッシュの戦いを間近で見たことのあるボグズだけだった。
奴に閉所なんて関係ないということがわかっているのは、彼だけだった。
斬撃を見て、壁ごと盗賊をぶった切ったと理解できたのは、彼だけだった。
ゆえに彼だけは、バッシュの間合いの外に下がることに成功していた。
「なんで、なんでお前がここにいるんだよぉ……!」
ボグズはそう叫びながら、部屋の入り口から外へと飛び出ていった。
バッシュは咄嗟にそれを追いかけようとし、ゼルに耳打ちをされて、ピタリと足を止めた。
そして、ゆっくりとジュディスの方を向いていく。
鼻息は荒い。
当然だろう、今、目の前に両腕を縛られ、体を隠すこともできない女が転がっているのだから。
「……ヒッ」
ジュディスは喉の奥を震わせた。
この部屋にいるのは、ジュディスとバッシュだけ。
上半身裸の女と、股間を膨らませたオークだけ。
いや、一応、オークの頭の近くに、淡く発光しているフェアリーもいるが……。
あのフェアリー。
どうやら盗賊の一味ではなかったらしい。
が……しかし、きっと自分の味方ではあるまい。
最初から、バッシュの味方だったのだ。
フェアリーがバッシュの耳元で何かを囁いている。
ジュディスはそれを見て「今のウチにやっちまいましょうよ」なんて言っているのだと予想した。
もしかすると、あのフェアリーとオークは、最初からこのつもりだったのかもしれない。
もう、自分の状況が極限すぎて、何もかもが誰かの陰謀に思えてならないジュディスであった。
そんなジュディスに、バッシュがゆっくりと手を伸ばしてくる。
「やだっ……やめて……え?」
しかし、バッシュは決して、ジュディスの肌に触れることはなかった。
その白い肌にふわりと、自分が身につけていた外套を掛けたのだ。
「……え?」
「助けに来た。縄を解くから、これを牢屋で死にかけている兵にかけろ。妖精の粉だ」
バッシュはそう言うと、ジュディスの縄を解いて、手に小瓶を握らせた。
妖精の粉については、ジュディスもよく知っていた。
貴重なものだ。
一匹のフェアリーから、一日に僅かな量しか取れないと聞く。
恐らく、バッシュの顔元で恥ずかしそうにモジモジしているあいつのだろう。
そこでようやく、ジュディスは理解した。
眼の前のオークは、自分を助けにきてくれたのだ、と。
自分は、助かったのだ、と。
あの絶望的な状況から、救われたのだ、と。
姉のようにならずに済んだのだ、と。
「感謝してほしいっすね! オレっちの……いや、旦那の作戦でオレっちがスパイとして入り込んでなかったら、今頃盗賊どもの慰みものっすよ!」
「! か、感謝する……!」
ジュディスは、顔を真っ赤にしながら、感謝の言葉を口にした。
口だけではなく、心からの感謝であった。
同時に驚いてもいた。
オークという生物が、裸の女を前に、何もしないことを。
もしかすると、バッシュに性欲が無いのではと一瞬だけ思ったが、バッシュの股間は革の下穿きを穿いてなお、こんもりと盛り上がっていた。
つまり、自分の欲を抑え込んで、ジュディスに接してくれているのだ。
「だが……」
「どうした? 牢屋は俺が空けた穴を出て、すぐ左だ」
「それは了解した! しかし、そうではなく、な……なぜお前は、私を襲わない?」
「襲ってもいいのか?」
「だ、ダメだ!」
ジュディスは外套を強く掻き抱いた。
先程の恐怖が思い出され、ブルリと身を震わせる。
「だが、オークというのは、他種族の女をさらい、孕ませるのが……その、好きなのだろう!?」
「ああ。だが、オークキングの名において、オークが他種族の女を無理矢理犯すことは禁じられている」
この数日で、何度も聞かされた言葉。
馬鹿の一つ覚えのように繰り返された言葉。
所詮は口だけのものだと思っていた言葉。
だが、今この瞬間、ジュディスの心にストンと落ちた。
理解できた。
ああ、そうか。
これは『忠誠心』なんだ。
先程見たあの強さ。
壁をクッキーのように切り砕き、六人を同時に両断する膂力。
あの強さがあれば、彼はいくらでも女を手に入れることができるだろう。
それこそ、宿で包囲した時、兵士たちを皆殺しにして、ジュディスを犯すことだってできたのだ。
でも、それをしなかった。
彼はオークキングへの忠誠心をもって、己を自制している。
そうか、そうだったのだ。
だから、ヒューストンも彼のことを認めていたのだ。
オークの国の重鎮だと、オークの国の騎士だと。
それも、王都の近衛騎士団長クラスの大物だと。
ジュディスが理解すると同時に、バッシュが立ち上がった。
「ど、どこにいく?」
「奴を追う」
バッシュは、ヒューストンから下された命令『賊を皆殺しにしろ』を忠実に遂行しようとしていた。
ヒューストンは王ではないが、現場の指揮官だ。
オークは、指揮官の命令には従うのだ。
「そうか、お前はそのために……」
だが、ジュディスは別の解釈をした。
彼女はバッシュの忠誠心を理解した。
その結果、彼が今ここにいる理由に、心当たりがついた。
なぜヒューマンの国に来て、なぜ罵倒に我慢し、なぜ騎士たちと一緒に森に入り、なぜこんな馬鹿な女騎士を見捨てず洞窟に突入し、半裸の女を置き去りにしてまで敵を……いや、"オーク"を追うのか……!
わかった以上、彼の行動を邪魔することは、もはやジュディスにはできなかった。
「うん?」
「いや、わかった。……武運を祈る」
「ああ!」
その言葉を背に、バッシュは立ち上がった。
◇
バッシュが道を戻ってくると、広間でヒューストンが戦っていた。
十数匹のバグベアを相手に、大立ち回りを繰り広げていた。
だが、広間とはいえ、洞窟内。
場を広くつかって立ち回りたい所ではあるが、十数匹のバグベアに囲まれてはそれも叶わず、苦戦しているようだった。
「どけ、どけよ! バグベアども! 囲い込め! そいつを殺せ! はやくどかせぇ!」
叫んでいるのは、メイスを手にしたボグズ。
半狂乱になりながらもバグベアを操り、ヒューストンを追い詰めようとしていた。
ヒューストンはというと、防御に徹することで、これをしのいでいた。
早く逃げたいのであれば、ヒューストンなど放っておけばいい、と思う所だが、ヒューストンは巧みな脚さばきで、ボグズの行く手を塞いでいた。
ボグズの行く手、すなわち一つの通路。
出口に通じる通路だ。
バッシュの知っているボグズなら、ヒューマンの騎士の一人ぐらい、難なく倒して突破しただろう。
だが、できていない。
それはヒューストンの立ち回り方がうまいのもあるだろうが……。
それ以上に、焦りすぎていてバグベアの操り方が雑だった。
「ボグズ!」
「ば、バッシュ……!?」
名前を呼ばれ、ボグズは振り返る。
そこには、彼がオークの国を追放されて、なおオーク最強と信じて疑わない男がいた。
その男は愛剣を構え、ゆっくりとボグズの方へと歩いてきていた。
「くっ……集まれ!」
ボグズは血の気が引くのを感じながら叫んだ。
ヒューストンに群がっていたバグベアが、一匹残らずボグズの周囲へと移動する。
「なぜだ! なぜお前がここにいる!」
バグベアたちに守られながら、ボグズは問いかける。
バッシュが答える。堂々と。
「命令が下されたからだ。お前を殺せというな」
「く……そういうことか!」
ボグズは理解した。
なぜバッシュがここにいるのか。
オークの国で、英雄としてのうのうと暮らしているはずの男が、なぜ自分を殺しにきたのか。
バッシュの一言で、完璧に理解した。
ボグズは、オークの国を追放されたとはいえ、戦士だった。
ビーストテイマーとして、幾多もの戦場を経験した。
誇りがあった。
オークとは、こうであるべきだという理想があった。
だがオークキングの命令は、明らかにボグズの理想に反していた。
女を犯すな? 敵と闘うな?
ふざけんじゃねえ。オークから戦いと女を取って何が残る!
だから反発し、国を追放された。
盗賊に身をやつしたが、誇りを捨てたわけではない。
むしろ、彼なりに、オークの理想を体現しようと躍起だったのだ。
だがきっと、その行為は、ヒューマンと仲良くしようとしている者からすると、目障りだったのだろう。
だから命令を下した。
殺せと。
オークとヒューマンの仲を違わせようとする者を、殺せと。
誰がそんな命令を下した?
バッシュに、オークの英雄に、オーク最強の戦士に命令を下せる男など、一人しかいない。
オークキングだ。
ネメシスの野郎が、バッシュにボグズを殺せと命令したのだ。
「そんなに目障りかよ、自分の言いなりにならねぇオークが!」
ボグズは、自分がバッシュに勝てないのを知っていた。
今すぐメイスを投げ出し、膝をつき、頭を垂れて、命乞いをすべきだと、本能が叫んでいた。
だが、ボグズは誇りを失ったわけでない。理想を捨てたわけではない。
ボグズの考えるオークの誇り高き理想の戦士。
それは、剣を構えた相手に、無様に命乞いなど、しない。
「俺は元オーク王国・魔獣大隊長ボグズだぁぁぁ!」
名乗り。
対するは英雄。
「む……俺は元オーク王国・ブーダーズ中隊所属戦士。オーク英雄のバッシュだ!」
互いに名乗り、互いに雄叫びを上げ、互いにぶつかり死力を尽くす。
それこそが、オークに古くから伝わる決闘の作法であった。
ボグズが挑み、バッシュが受けた。
オークの上級戦士同士の、由緒正しき決闘。
それはオークの歴史や生態に詳しいヒューストンですら、初めて見るものであった。
「グラァァァァァオォ!」
ボグズのウォークライが洞窟内にこだました。
それに呼応し、バグベアたちが一斉に動き出す。
「グラァァァァァオォ!」
バッシュがウォークライを返した。
波のように押し寄せるバグベアに対し、バッシュは恐れることなく、深く踏み込んだ。
バッシュの踏み込みは、たった一歩でバグベアを射程内に捉えた。
バグベアが地を蹴ると同時に、鋭い一閃が放たれる。
……三匹のバグベアが、一瞬で肉塊へと変わった。
「グラアアァァァァ!」
雄叫びを上げながら、バッシュが足を進める。
一歩、二歩、進む度に、バグベアが肉塊へと変わる。
重く、鋭く、凄まじい剣撃に対し、並のバグベアなどただの肉に過ぎなかった。
残ったバグベアは五匹。
終戦時に残った、歴戦のバグベア。
オーガを凌駕する膂力と、リザードマン並の俊敏さを兼ね備えた、ボグズの切り札。
「グッガアァァァァ!」
雄叫びと共にバッシュがまた踏み込む。
鋼鉄の嵐が吹き荒れる。
オークの戦士は、誰だって自分が最強だと思っている。
口に出して言いやしないが、オークキングにだってサシで戦えば勝てると思っている。
そんな自信過剰な連中が、バッシュにだけは勝てないと自覚している。
誰も、バッシュの斬撃を見切れないからだ。
振り抜かれる剣は、あまりに速すぎる。
ボグズの目にだって、残像にすら追いつかない。
だが、バグベアたちは、オークよりも動体視力に優れていた。
彼らの目は、確かにその斬撃を捉えていた。
そしてオーガを凌駕する膂力と、リザードマン並の俊敏さにて、その斬撃をいなそうとした。
しかし、だが、相手はバッシュ。
オーガを素手で捻り潰したヒューマンの英雄『巨殺卿のアシス』ですら、その一撃を受け止めることができなかった。強固な鱗を持つドラゴンですら、首を叩き落とされた。
あらゆる敵を真正面から打倒し、あらゆる敵に恐れられた、オークの英雄。
正真正銘、オークの切り札。
その一撃は、誰も受けきれない。
五匹のバグベアが、一瞬で肉塊へと変わった。
「うっ、うぅ……!」
ボグズの瞳に、長年辛苦を共にしてきた戦友たちの死が映った。
メイスを握りしめる手に力がこもる。
なぜ彼らと一緒に前に出なかったのか。
なぜ彼らと一緒に死ねなかったのか。
なぜせめて、あと一歩前に出ていなかったのか。
そんな後悔が一瞬だけ胸中に飛来し、それは闘志へと変わった。
俺はバッシュを恐れていた。
恐怖してしまっていた。
闘争を第一とし、戦いが全てだと信じ、オークキングに背信してまで国を飛び出してきたというのに、英雄と対峙して足がすくんでしまった。
そんな自分に、怒りを覚えた。
「うあああぁぁ!」
ボグズは握った拳で、自分の足を殴った。
怒りはそのまま、恐怖をぶん殴り、体に力をみなぎらせる。
「バッシュゥゥ!」
バッシュは意に介さない。
ただ目の前の敵を殺すべく、踏み込みを行う。
「ボグズ!」
名を呼んだ刹那、バッシュの脳裏に、ボグズとの思い出が蘇る。
最初に出会ったのは戦場だった。
まだ初陣から間もなく、剣を振るう腕も細かった頃。
あの日、バッシュは見た。ボグズとバグベアたちを。
戦場を駆け巡る屈強なバグベアたちが、なんと心強く見えたことか。
そして、バグベアたちの中でメイスを振り回して暴れるボグズが、なんと逞しく、圧倒的な存在に見えたことか。
一生、彼ほどの強さは身につかないと思っていた。
それだけ遠い存在だった。
いつしか追いついて、追い抜いて、憧れることすらしなくなってしまった。
そんな存在が、今は目の前にいた。
「グラアアァァァ!」
「グガアアァァゥォ!」
一閃。
ボグズのメイスと、バッシュの大剣が交差する。
ぶつかりあった二つの鉄塊。
歴戦のメイスは、オークの強靭な腕力によって火花をちらし、ひしゃげ、曲がり、耐えきれなくなって折れた。
対するデーモンの鍛えし大剣は、勢いを衰えることなく、軌道を曲げることすらなく、狙い通り、ボグズの頭へと叩き込まれた。
「がっ……」
ボグズの頭部が血飛沫へと変わった。
「……」
頭部を失ったボグズの体が、すとんと膝を突く。
やや遅れ、ドサリと音を立てて、ボグズの体が倒れた。
もう、ピクリとも動かない。
モンスターテイマーにしてモンスターマスター。
オーク族で最もバグベアを華麗に操る男が、死んだ。
「ふぅ……」
バッシュは息を吐いて周囲を見渡す。
すでに、広間に敵はいなかった。
バグベア14匹は、今の一瞬で全て斬り殺した。
盗賊の生き残りもいない。
仮にいたとしても、ボグズがいない今、今まで通り盗賊を続けていくことはできないだろう。
「ボグズ……」
バッシュはボグズの死体を見下ろし、昔のことを思い出した。
ボグズはビーストテイマーとして、名の知れた戦士だった。
バッシュが生まれる前から活躍している男だった。
劣勢の戦いの中で、彼は「バッシュ、お前は俺たちの誇りだ。まさにオークの理想を体現した戦士だぜ」と褒めてくれた。
バッシュもまた「お前がいなければこの戦場で生き残れなかった」と、素直に言った記憶がある。
立派な戦士だった。
てっきり、最後の戦で死んだものと思っていた。
こんな所ではぐれオークになっているとは、思ってもみなかった。
きっと、何かがあったのだろう。
それはバッシュにはわからない。
ついでに言えば、最後に彼が喚いていた言葉の意味もわかっていない。
目障りだったわけなどない。
むしろ、尊敬すらしていたのだ。
「こいつで終わりですか?」
と、そんなバッシュに、顔にひっかき傷を作ったヒューストンが話しかけてきた。
ひっかき傷といっても、バグベアの汚い爪によって付けられた傷だ。
バイ菌によるものか、すでに腫れ始めていた。
「ああ、奥にいた盗賊は、全て殺した」
「ジュディスたちは?」
「奥にいた、誰も死んではいないはずだ」
「そうですか、それは何より。では、彼らを連れて一度撤収しましょう」
ヒューストンは、己の傷にツバをつけつつ、そう言った。
バッシュが一人いればなんとかなる。
そう思い、退路の確保を優先したものの、想像以上だった。
十数匹のバグベアを最小限の動きで効率的に殺し、オークの戦士を仕留めたあの動き。
まさしく、オーク最強の名に相応しいものであった。
(……俺、よくこの男から逃げきることができたよなぁ)
ヒューストンはそう思い、ほっと息をついたのだった。
※ジュディスの解釈はボグズと大体同じ